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『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』

香川 知晶 20061010 勁草書房,440p. ASIN: 432615389X 3465


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香川 知晶 20061010 『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』,勁草書房,440p. ASIN: 432615389X 3465 [amazon][kinokuniya] ※, be.d01.et.

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内容(「BOOK」データベースより)
人工呼吸装置をはずすのは是か非か。「死」という極めて個人的な問題を権利として主張する激しさと痛切さ。アメリカの経験を振り返る。

内容(「MARC」データベースより)
人口呼吸装置をはずすのは是か非か。死という極めて個人的な問題を権利として主張する激しさと痛切さ。クインラン事件からクルーザン事件まで、主に裁判事例を中心にして、米国での治療停止をめぐる問題の推移を追う。

■目次

I カレン・クインラン事件
 第1章 事件の始まり
 第2章 二つの解釈:ロスマンとスティーヴンス
 第3章 訴訟への道:カトリックの教えと医療過誤
 第4章 脳死概念の法的受容
 第5章 戦略の変更:信教の自由、代理判断、プライバシー権
 第6章 被告側の主張
 第7章 医師の証言
 第8章 家族の証言
 第9章 州高裁判決と生命倫理の自己規定
 第10章 州最高裁判決
II 生命倫理の転回
 第11章 クインラン事件以後:病院ガイドライン、自然死法、サイケヴィッチ事件
 第12章 密室から法廷へ:成人の治療停止問題
 第13章 治療停止の政治学:有能力者、ベビー・ドゥ規則、クルーザン事件
 第14章 死ぬ権利と生命倫理の転回
あとがき

■関連事項

安楽死・尊厳死:合衆国→カレン・クインラン Karen Ann Quinlan事件(1975〜1985)

■引用

 *文献表示の形式を変更したところがある。

◆はじめに

 「本書は、一九七五年に裁判となったクインラン事件から、一九九〇年のクルーザン事件まで、主に裁判事例を中心にして、米国での治療停止をめぐる問題の推移を追ったものである。」(香川[2006:i])

◆第1章 事件の始まり

 原告:父ジョセフ。「原告は、「カレン・アン・クインランが精神の不調のために精神的に無能力であると認定し、原告に対して後見人資格を認め、その娘であるカレン・アン・クインランの生命活動を維持している通常以上の手段すべての停止を許可する明示的機能を付与する判決を下す」ことを求めていた。」(香川[2006:4])

◆第6章 被告側の主張

 1975/10/20 ニュージャージー州モリス郡州高等裁判所で事実審理開始

 3 背景としての安楽死論
 「被告側の冒頭陳述は、原告側の請求が安楽死にあたるという主張をその骨子としていた。それは、ボージオの陳述に見られたように、それまでの安楽氏をめぐる議論、初期の生命倫理が与ることになった議論を踏まえて展開されたものだった。」(香川[2006:113])
 「米国では、第二次大戦後、ナチスで実行された精神病患者や障害児童に対する安楽氏計画が拡大して、ホロコーストが現出したとする図式が成立する。出発点となったのは、ニュルンベルクの医師裁判でも証言したレオ・アレグザンダーの論文だった(Alexander[1949])。その論文によって、人々はナチスの戦争犯罪の始まりとして安楽死計画があったことを知ることになった。
 そうしたナチスの安楽氏の記憶が新たにされたばかりのところに、クインラン事件は起った。<0118<米国では、医学における人体実験をめぐるスキャンダルが世間を騒がせたばかりだった。ボージオが語った倫理学者や道徳学者や神学者たちによる「多大の叱責」は、この問題に関わっていた。タスキーギ事件が報道されたのが一九七二年、政府の調査委員会の報告書が出たのが七三年、そして国家研究法が成立したのが七四年である。そうした流れのなかで、健全なアメリカとは無縁な出来事として、ほとんど忘れられていたナチスの犯罪とニュルンベルク綱領も、その意義が再評価されていた。ボージオはこうした安楽死問題をめぐる議論の推移を十二分に利用しようとした。当時、クライラン家の人々に対して、その要求を安楽死として規定することは、端的に悪として断罪することだった。」(香川[2006:118-119])

◇Alexander, Leo 1949 "Medical Science under Dictatorship", New England Journal of Medicine 241-2:39-47

◆第8章 家族の証言
 3 死ぬ権利

 「特に第二次大戦後、安楽死の主張は、端的に悪とみなされてきた。ハンフリーたちによれば、「ナチスの絶滅計画の大きさが(ニュルンベルクの戦争犯罪裁判において)見出されてからの四〇年間は、安楽氏運動の理知的で法的な進歩は、とりわけ英語圏では、ドイツの残虐行為の消えることのない記憶によって、きわめて阻害されてきた(Humphry & Wickett[1986:20])。医学の進歩を背景に死ぬ権利を主張する常套的議論に対しては、いわば自動的に、それをナチスに結びつける常套的批判がぶつけられてきた。被告側のボージオも「死ぬ権利」をナチスの残虐行為に結びつけ、安楽死を許すわけには行かないと主張していた。
 こうした状況に対して、フレッチャーは、別の安楽死擁護の論文で、安楽死を認めようとしない立場を生命至上主義(vitalism)と呼び、「勢力(ママ)を失っても最後までがんばる生命至上主義者の賛成者たちは《ナチスがしたこと》について今でも脅迫するように不平をいう。しかし、ナチスが安楽死や慈悲殺人を行ったことは一度もない。ナチスが行ったのは、大量虐殺や残忍な実験を目的とする殺害といった無慈悲な殺人なのである」(Fletcher[1973:114=1988:136])、と反論している。第二次世界大戦以降、死ぬ権利を主張する者は、ナチスとの違いを強調しなければならなかった。」(香川[2006:163])

◇1973  "Ethics and Euthanasia," Robert H. Willams ed. To Live and To Die: When, Why, and How, Springer-Verlag, pp.112-122
 =1988 菊池恵善訳,「倫理学と安楽死」,加藤・飯田編[1988:135-148]*
*加藤 尚武・飯田 亘之 編 19880531 『バイオエシックスの基礎――欧米の「生命倫理」論』,東海大学出版会,x+355p. 3200 [amazon] ※ be.

 「クインラン事件の原告側の主張は、それ以前に展開されていた「死ぬ権利」の主張と同じ図式、すなわち、医療テクノロジーからの人間性の回復という要求に立ちながら、その主張の枠組みう微妙にずらしたものになっている。そのずれは、通常と通常以上の区別を背景としながら、自然への回帰というレトリックによって生み出された。死ぬ権利は安楽死ではなく、治療の停止をめぐる権利として再登場した。それは、「死ぬ権利」という問題設定を、ナチスをめぐる応酬の常套的枠組みから切り離し、日常の問題として人々に意識させる結果をもたらす効果をもつものだった。」(香川[2006:164])

◆第10章 州最高裁判決

 「「カレンの姿勢は胎<0200<児様でグロテスク」(Briefs II,293)である。現在、病状は安定しているものの、カレンが「一年以上生きられるとあえて考える医師は一人もいないし、おそらくもっと早く亡くなるだろう」(Briefs II,294)。それに、レスピレーターをとれば、すぐに亡くなるはずである。」(香川[2006:200-201])

 「プライバシーの権利を論じるにあたって、州最高裁はひとつの仮定から話を始める。つまり、「こうした不幸な状況の下で、もしカレンが(実際に予想されている病状にすぐに戻ってしまうという条件で)奇跡的に意識をほんのわずかの間回復し、自分の不可逆的な状態に気づいたとすれば、自然な死が訪れると分かっても、生命維持装置の停止を有効に決断できるという点に疑問の余地はない」(Briefs II,304)というのである。」(香川[2006:204])

 「推論は、奇跡的にカレンが意識を取り戻した際にいうであろうことを根拠にしている。しかし、カレンの意思について原告側が根拠としようとした会話はすでに「十分な証拠としての重みを欠いている」として退けられていた。では、推測はどのように正当化できるのか。判決は、その理由を語らない。ただ次のようにいうだけである。  「[そうした会話についての証言には十分な証拠能力がない]にもかかわらず、当法廷はカレンのプライバシーの権利はこの現在の特異な状況下においてはカレンの代わりとなる後見人によって擁護されるだろうと結論した。<0205<
 もしカレンの推定される決断(a putative decision)が認知を欠いた、植物的な存在を自然の力によって終わらせるのを認めるもので、当法廷が信じるように、カレンのプライバシー権に付随する大切な権利(a valuable incident)だとすれば、カレンの状態が意識的な選択を妨げているということのみをもって、その決断を斥けてはならない。[…]」(Briefs II,305-306)」(香川[2006:205-206])

 「ここにあるのは、社会の「圧倒的多数」がするはずの選択は認めるべきだという判断以上のものではないだろう。プライバシーの権利は個人の「意識的な選択」の権利である。そこには、治療を拒否する権利が含まれる。カレンもまたその権利をもつ。州最高裁判所は、その権利の行使を、第一審のように、現在「意識的な選択」を行う状態にないことをもって認めないのは、プライバシーの権利の破壊であるとする。しかし、その破壊を避ける手立てをプライバシー権から矛盾なく導き出すことは難しい。個人の権利を他人が代行するという話にならざるをえないからである。おそらく、そんなことは州最高裁も十分にわかっていたはずずある。にもかかわらず、何とか「この悲劇的な事件」(Briefs II,288)を終わらせようと、裁判所はすでに決意を固めていた。その結果、つけられた理屈はきわめて苦しいものだった。」(香川[2006:206-207])

◆第11章 クインラン事件以後:病院ガイドライン、自然死法、サイケヴィッチ事件
 http://d.hatena.ne.jp/ajisun/20070601

 「『ニューイングランド医学雑誌』への反響を見ると、ボックの提案は、先の二つの病院のガイドラインの場合と違って、おおむね好意的に受け止められている。なかには、ボックの提案をあまりにも患者寄りだとして、あくまでも医師の側に立った代案を書いてきた投書もあった。しかし、大方の感想はボッグの議論を「きわめて人間的な」ものと評した南カルフォルニア医科大学の医師の言葉が代表していた。()多くの人たちが、「わたしのケアについての指示」のような文書を必要だと感じ始めていた。実際、ボッグも書いているように、「近年、リビングウィルとなることを目指した文書が多数発表されてきた」(BOK,368)。そのうち最も有名なものが、「安楽死教育協議会」が1969年に発表した「リビングウィル」だった。協議会が求めに応じて配布した文書は75年までに75万部に達していたが、クウィンラン事件の裁判が始まるとわずか9ヶ月間でさらに60万部増えたという。
 ジャーナリストのコーレンは、協議会の「リビングウィル」がそのように人々の強い関心を引き付けたことを報告しながらも、その内容が「恐ろしく曖昧だ」と批判している。(COLEN,160)。たとえば、文書は「もしわたしが肉体的ないし、精神的な無能力状態から回復しうる合理的な期待がまったくなくなるような状況が生じた場合、わたしはわたしが死ぬことを許し、人工的な手段や《英雄的な処置》によって生かし続けた場合、わたしは、私が死ぬことを許し、人工的な手段や《英雄的な処置》によって生かし続けられることがないよう、要請します」と述べている。しかし、ここでいわれる「肉体的ないし精神的な無能力状態」とはどのような意味なのか、文書には明示されていない。かりにそうした曖昧さを残したまま、立法化が果たされるとしたら、どうなるだろう。短時間だけ意識を回復しない人でも、文書に署名していれば、法の名のもとに殺されてしまいかねない。コーレンは、そうした「殺人」合法化の危険性を指摘し、ケネディ研究所の創設者アンドレ・ヘレガースが「リビングウィルを書いても事態は悪化するだけで、良くなることは無いと思う」と述べたことを伝えている。(COLEN,164).
 コーレンによれば、そもそも「リビングウィルや《尊厳ある死》については、健康な知識人たちによってさかんに語られているとはいえ、末期の患者の間で語られることははるかに稀であることには注意すべき」である。(COLEN,167)ある放射線科医は、治療停止を求める患者がどのくらいいるのかと質問されると、即座に「ほとんどまったくいない」と答えている。末期患者のケアに携わる医師たちにインタビューすると、大多数の患者は「尊厳をもって死ぬ」ことよりも、どんな形でもいいから生きていたいと願っているという答えが返ってくる。コーレンによれば、医師たちは末期患者を一面的とらえているわけではない。しかし、だからといって、生命維持装置に全力を傾けれるほど事態は単純ではない。ただ死をひきのばしているにすぎないような治療は停止してもらいたいと考える患者はいるし、そうした治療はすべきではないという信念をもち、停止の責任をとろうとする医師もいる。問題はそうした現実にどう対処すべきかである。こう述べてコーレンは、その点で「安楽死教育協議会」の「リビングウィル」は失格であると断じる。そうした「曖昧で、それゆえ不吉な文書は、結局、引き延ばされる死からの解放ではなく、死刑宣告となる恐れがある。」それよりは、医療関係を改善し、患者と家族が医師たちと共通の了解がもでるように努める方がはるかに簡単で、有効だろうというのがコーレンの見方だった。(COLEN,171)。しかし、現実は、そうしたまっとうな見方とは逆の方向にすでに動いていた。」(香川[2006:230-232])
 「1976年9月30日、クインラン事件判決から半年後に、全米初のリビングウィル法、「カリフォルニア州自然死法」が知事の署名によって成立した。解決策は、コーレンがはるかに簡単で有効だろうとした医師患者関係の改善ではなく、より明確に見える文書に法的効力を付与することに求められようとしていた。」(香川[2006:232])

◆第13章 治療停止の政治学:有能力者、ベビー・ドゥ規則、クルーザン事件

 「2 ベビー・ドゥ規則:新生児の治療停止と中絶の問題
 障害者団体の懸念 一九八三年にブーヴィアの訴えを退けた第一ブーヴィア判決について、ペンスは「発達障害者擁護会(Advocates for the Devlopmantally Disabled)の主張が影響を与えていたことを指摘している(PENCE, 64[1,94])。判決が訴えを退ける理由とした第三者の利益とは、主に身体障害者の利益を指していた。「発達障害者擁護会」のメンバーは、事件が報道されると、ブーヴィアの入院していた都総合病院の外に集まり、ブーヴィアが決心を変えるように求めて、夜を徹して集会を開いていた。そのグループの弁護士は、「こうした障害をもつ人は誰でも、自殺を考えることがあるものです。会のひとびとが恐れているのは、もしエリザベスが自殺すれば、多くの障害者が、《なんてこっか、わたしも戦うのをやめよう》、といい出しはしまいかということなのです」と語っていた。新聞には身体的な困難があるからといって、人生が生きるに値しないとする考え方には「大量虐殺の含み」があるとする障害者の声が寄せられ、「障害者擁護法律協会(Law Institute for the Disabled)」の弁護士は、ブーヴィア事件を社会貢献のできないとされた障害者の「社会問題」と呼び、ブーヴィアが必要としているのは、尊厳をもって生きることができるための手助けなのだ」と論評した(HUMPHRY, 151)。他方、ブーヴィアの弁護士は、そうした介入はプライバシーの権利と結社の自由に対する明らかな侵害だと批判した。[…]
 たしかに、ブーヴィアの請求が障害者団体の人たちにとって脅威であったことは、想像に難くない。判決が本人の意思を無視して強制栄養を要求し、病院を恐ろしい拷問室と化すものだと強く批判したアナスでさえ、ブーヴィアは決心を変えて、経口栄養を続けるべきだと述べている(ANNAS8,21)。しかし、三年後に、ブーヴィアの訴えは認められた。ペンスがいうように、ブーヴィアは「判断能力のある成人の患者が、死ぬために医療処置を拒否するという憲法上の権利をもつという最初の明確な言明……を引き出した」(PENCE, 69[1,101])。その背景には、カリフォルニア州自然死法の成立時と同じ事情が指摘できる。クインラン事件以降、世論は治療停止の権利を肯定する方向に大きく傾き、その流れはもはら抗しがたいまでになっていた。」(香川[2006:304])

◆第14章 死ぬ権利と生命倫理の転回

 「現代の死に対する関心は、医療施設での死に向けられていた。それが死の言説の脱タブー化という現象をもたらした。そこに見られる漠たる不安、かつてとは何かが違うという意識が、クインラン事件の登場によって、現代医学の生み出すモンスターという明確な表象を伴った恐怖に結びついた。こうして主張されたのが、「死ぬ権利」だった。それはまずは道徳的権利として登場し、法的な権利の資格を要求していく。そこにあるのは、医療技術からの個人の死の奪還というテーマである。これは成立期の生命倫理にとって、格好の主題だった。米国の生命倫理は医療における個人の権利の確保というテーマを中心に展開され始めたところだったからである。」(香川[2006:344])

 「問題は医療技術のコントロールからいかにして個人の死を奪還するかという点にあった。このテーマに対して、米国の生命倫理は個人の自律を徹底的に主張することで、事例の個別的な事情を救い上げようとした。典型的な議論はこれまでもしばしば引用してきたアナスの議論に見ることができる。」(香川[2006:360])

 「生命科学・医学を社会的観点から吟味するという生命倫理の役割は、規制の倫理、原則アプローチ、最小限倫理といった組み合わせを唯一の選択肢とするわけではない。その意味では、現実に米国で成立し、展開された生命倫理は、成立期以前の「アンソロジーの時代に伏在していた多くの可能性のひとつを実現したものにすぎず、そこから抜け落ちた視点があると見ることもできる。」(香川[2006:363])

 「カスは、当時、国立科学アカデミー国立研究協議会の事務局長を務めており、一九七一年には、生命科学や医学の研究者だけでなく、科学史、心理学、人類学、哲学、社会学、経済学、政治学、法学など多様な研究者を集めた二週間にわたるシンポジウムを組織している。それが、一九七五年の国立研究所協議会報告書『生物医学テクノロジーの評価』(Assessing)を生む。[…]ここで注目されるのは、報告書が、[…]新しい技術自体の評価や目的、人間の本性の理解、選択されるべき価値といった哲学的問いの重要性を強調している点である。そうした問いを研究し、答えを与えることは難しい。しかし、人間とは何であり、何であるべきかという問いを問うことなしには、個々の技術評価は十分なものとはなりえない。それがカスを中心に報告書をまとめた生命科学と社会政策委員会の確信だった。
 ここには、生命倫理がまだ形をとっていなかった時代における問題意識を見ることができる。新しい段階を迎えつつある生物学や医学の研究が予測させる未来社会への懸念、それは生物医学研究の意味とともに、人間の条件や社会のあり方を根本的に問いなおそうとする志向を呼び起こすものであった。その意味では、カスのいう制度的規制は、規制の倫理とはかなりニュアンスを異にしている。規制の倫理では、医療技術そのもののもつ意味よりも、その技術の受容の仕方に議論が集中するからである。そこには、カスの論文に見られるような文明論的視野に立つ問いかけと評価の意識は希薄であ<0365<る。」(香川[2006:365-366])

◆あとがき

 「生命倫理として問題となっている事柄の多くは、過去の歴史を振り返るだけでは対応しきれない切実さと緊急性を備えている。求められているのは、明確な方向を指し示す議論といえる。必要なのは悠長な歴史談義ではなく、わかりやすい断定であり、そうした緊急性に応えるきっぱりとした結論を提示してみせる「生命倫理学者」は日本でも育ちつつある。だが、それにしても、明確でわかりやい結論が元気よく出されれば、それで十分というわけにはいかないだろう。そうした元気よさには、時として、事実による裏づけと粘り強い思考、つまりは知恵が欠けているように見えることがないとはいえない。しかも、少し調べてみればとてもいえそうにもないことを平気でいいきるのは、痛切な緊急性をもつ生命倫理的な問題の場合には、たんなる迷惑をこえた害をもたらしかねない。そうした恐れを避けるには、問題から距離をとり、生命倫理なるものや自己の立場を相対化する努力も<0389<同時にするほかないだろう。歴史的な検討が必要だというのは、そうした意味においてである。
 最近、ある優れた科学史家がさる研究会で生命倫理の問題を取り上げ、丹念な歴史的分析を介して現状批判に説き及ぶ報告を行ったとき、もうそうした細かなことをいうのはやめて、大局的な立場に立って(つまり、批判はやめて)行動しましょうといった類の反応が若手の「生命倫理学者」から出されたという話を友人たら聞いて驚いたことがある。歴史のもつ意味についても、今や、あからさまにいわなければならない時代なのかもしれない。」(香川[2006:389-390])

■言及

◆立岩 真也・有馬 斉 2012/10/** 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院

◆立岩 真也 2006/12/** 「二〇〇六年の収穫」,『週刊読書人』
◆立岩 真也 2007/01/25 「ALSの本・4」(医療と社会ブックガイド・67),『看護教育』48-01(2007-01):-(医学書院)
◆立岩 真也 2007/03/31 「障害の位置――その歴史のために」,高橋隆雄・浅井篤編『日本の生命倫理――回顧と展望』,九州大学出版会,熊本大学生命倫理論集1,pp.108-130
◆立岩 真也 2008 『良い死』,筑摩書房 文献表
 「カレン・クインランの事件について、香川知晶の本『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』(香川[2006])が出た(この事件について、またこの事件についての本について『生死本』で紹介)。あの出来事がなんであったのか、考えることができるようになりつつある。その内容についてはまた別に検討したいと思うのだが、その「あとがき」に次のような文章がある。
 「生命倫理として問題となっている事柄の多くは、過去の歴史を振り返るだけでは対応しきれない切実さと緊急性を備えている。求められているのは、明確な方向を指し示す議論といえる。必要なのは悠長な歴史談義ではなく、わかりやすい断定であり、そうした緊急性に応えるきっぱりとした結論を提示してみせる「生命倫理学者」は日本でも育ちつつある。だが、それにしても、明確でわかりやい結論が元気よく出されれば、それで十分というわけにはいかないだろう。[…]歴史のもつ意味についても、今や、あからさまにいわなければならない時代なのかもしれない。」(香川[2006:389-390])
 私自身は、いま引いた本の筆者もそのように考えていると思うのだが、知ることと考えることの両方が必要だと思っている。その両方ともが十分であると思えない。」(立岩[2008])
◆立岩 真也 2008/10/25 「香川知晶『死ぬ権利』・1」(医療と社会ブックガイド・87),『看護教育』48-(2008-10):-(医学書院),
◆立岩 真也 2008/11/25 「香川知晶『死ぬ権利』・2」(医療と社会ブックガイド・88),『看護教育』48-(2008-11):-(医学書院),
◆立岩 真也 2008/12/25 「香川知晶『死ぬ権利』・3」(医療と社会ブックガイド・89),『看護教育』48-(2008-12):-(医学書院),


UP:20061122 REV:1216 20071107 20080824,25,29 0921
香川 知晶  ◇安楽死・尊厳死  ◇安楽死・尊厳死:米国  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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