◇1973 "Ethics and Euthanasia," Robert H. Willams ed. To Live and To Die: When, Why, and How, Springer-Verlag, pp.112-122
=1988 菊池恵善訳,「倫理学と安楽死」,加藤・飯田編[1988:135-148]*
*加藤 尚武・飯田 亘之 編 19880531 『バイオエシックスの基礎――欧米の「生命倫理」論』,東海大学出版会,x+355p. 3200 [amazon] ※ be.
「2 ベビー・ドゥ規則:新生児の治療停止と中絶の問題
障害者団体の懸念 一九八三年にブーヴィアの訴えを退けた第一ブーヴィア判決について、ペンスは「発達障害者擁護会(Advocates for the Devlopmantally Disabled)の主張が影響を与えていたことを指摘している(PENCE, 64[1,94])。判決が訴えを退ける理由とした第三者の利益とは、主に身体障害者の利益を指していた。「発達障害者擁護会」のメンバーは、事件が報道されると、ブーヴィアの入院していた都総合病院の外に集まり、ブーヴィアが決心を変えるように求めて、夜を徹して集会を開いていた。そのグループの弁護士は、「こうした障害をもつ人は誰でも、自殺を考えることがあるものです。会のひとびとが恐れているのは、もしエリザベスが自殺すれば、多くの障害者が、《なんてこっか、わたしも戦うのをやめよう》、といい出しはしまいかということなのです」と語っていた。新聞には身体的な困難があるからといって、人生が生きるに値しないとする考え方には「大量虐殺の含み」があるとする障害者の声が寄せられ、「障害者擁護法律協会(Law Institute for the Disabled)」の弁護士は、ブーヴィア事件を社会貢献のできないとされた障害者の「社会問題」と呼び、ブーヴィアが必要としているのは、尊厳をもって生きることができるための手助けなのだ」と論評した(HUMPHRY, 151)。他方、ブーヴィアの弁護士は、そうした介入はプライバシーの権利と結社の自由に対する明らかな侵害だと批判した。[…]
たしかに、ブーヴィアの請求が障害者団体の人たちにとって脅威であったことは、想像に難くない。判決が本人の意思を無視して強制栄養を要求し、病院を恐ろしい拷問室と化すものだと強く批判したアナスでさえ、ブーヴィアは決心を変えて、経口栄養を続けるべきだと述べている(ANNAS8,21)。しかし、三年後に、ブーヴィアの訴えは認められた。ペンスがいうように、ブーヴィアは「判断能力のある成人の患者が、死ぬために医療処置を拒否するという憲法上の権利をもつという最初の明確な言明……を引き出した」(PENCE, 69[1,101])。その背景には、カリフォルニア州自然死法の成立時と同じ事情が指摘できる。クインラン事件以降、世論は治療停止の権利を肯定する方向に大きく傾き、その流れはもはら抗しがたいまでになっていた。」(香川[2006:304])