『累犯障害者――獄の中の不条理』
山本 譲司 20060915 新潮社,238p.
■山本 譲司 20060915 『累犯障害者――獄の中の不条理』,新潮社,238p. ISBN-10:4103029315 ISBN-13:978-4103029311 \1470 [amazon]/[kinokuniya] ※ ds/ds d00b
■内容(出版社/著者からの内容紹介)
「これまで生きてきた中で、ここが一番暮らしやすかった……」
逮捕された元国会議員の著者は、刑務所でそうつぶやく障害者の姿に衝撃を受けた。獄中での経験を胸に、「障害者が起こした事件」の現場を訪ね歩く著者は、「ろうあ者だけの暴力団」「親子で売春婦の知的障害者」など、驚くべき現実を次々とあぶり出す。行政もマスコミも目を瞑る「社会の闇」を描いた衝撃のノンフィクション。
■内容(「BOOK」データベースより)
「これまで生きてきたなかで、ここが一番暮らしやすかった…」逮捕された元国会議員は、刑務所でそうつぶやく障害者の姿に衝撃を受けた。獄中での経験を胸に、「障害者が起こした事件」の現場を訪ね歩く著者は、「ろうあ者だけの暴力団」「親子で売春婦の知的障害者」「障害者一家による障害者の監禁致死事件」など、驚くべき事実を次々とあぶり出す。現代日本の「究極の不条理」を描く問題作。
■内容(「MARC」データベースより)
獄中での経験を胸に、「障害者が起こした事件」の現場を訪ね歩く元国会議員の著者が、「ろうあ者だけの暴力団」「親子で売春婦の知的障害者」など、マスコミが絶対に報じない驚愕の現実を次々とあぶり出す。
■著者紹介(本書奥付より)
山本譲司(やまもと・じょうじ)
1962年北海道生まれ。佐賀県育ち。早稲田大学教育学部卒。
菅直人代議士の公設秘書、都議会議員2期を経て、1996年に衆議院議員に当選。2期目の当選を果たした2000年の9月、政策秘書給与の流用事件を起こし、2001年2月に実刑判決を受ける。433日に及んだ獄中での生活を『獄窓記』(ポプラ社)として著す。同書は2004年、第3回「新潮ドキュメント賞」を受賞。他の著書に『塀の中から見た人生』(安部譲二氏との対談。カナリア書房)がある。
■構成
序章 安住の地は刑務所だった――下関放火事件
第1章 レッサーパンダ帽の男 ――浅草・女子短大生刺殺事件
第2章 知的障害者を食い物にする人々 ――宇都宮・誤認逮捕事件
第3章 生きがいはセックス ――売春する知的障害女性たち
第4章 閉鎖社会の犯罪 ――浜松・ろうあ者不倫殺人事件
第5章 ろうあ者暴力団 ――「仲間」を狙いうちする障害者たち
終章 行き着く先はどこに ――福祉・刑務所・裁判所の問題点
あとがき
■引用
<序章> 安住の地は刑務所だった――下関放火事件
下関駅放火事件
2006年1月7日未明 JR下関駅、隣接する飲食店含め約400uが全焼。42,000人の足に影響。
容疑者 福田九右衛門(74)
元受刑者(12月30日出所) 過去10回の「放火罪」
動機「刑務所に戻りたかったから火をつけた」
知能指数66、精神遅滞あり(1966 広島の放火事件裁判での精神鑑定による)
福田容疑者は、成人してからの54年間のうち、50年間を塀の中で過ごしてきた。福田容疑者にとって、刑務所こそが安心できる場所であったのだ。福田容疑者は筆者との対話の中で、筆者からの刑務所に戻りたいならなぜ、窃盗や無銭飲食などの(軽い)罪を起こさなかったのか、という問いに対し、そんな悪いことはできない、と答えている。また、放火は悪くないのか、という問いに対しては、悪いことだ、と答えた上で、でも火をつけると刑務所に戻れる、と答えている。福田容疑者の場合、『刑務所』という場所と『放火』という行動がたまたま初期に結びついたため、『刑務所』に行くために『放火』を続けるという結果を生み出していると考えられる。
刑務所の現状
法務省が調査した「新受刑者の知能指数」(『矯正統計年報』2004.)によると、新受刑者3万2090名のうち、7172名(全体の22%)が知能指数69以下であり、測定不能者1687名を含めると3割弱が知的障害者であるとされている。また、知的障害者の7割以上が再入所であった。
知的障害者が受刑者となる確率が高いのは、下関駅放火事件の福田容疑者にもみられるように、善悪の判断が定かでないことがあげられる。その結果、たまたま反社会的な行動を起こした場合も警察の取調べや法廷において、自分を守る言葉を口述できない。多くの障害者が服役する現在の刑務所の状況は、障害者の方が健常者よりも劣悪な生活環境に置かれている場合が多いという日本社会の現実を映し出しているのではないか。
<第1章> レッサーパンダ帽の男 ――浅草・女子短大生刺殺事件
浅草・女子大生刺殺事件
2001年4月30日、都内に住む女子大生(19)が刺殺される。
容疑者 山口誠(32)
軽度精神遅滞(IQ49)、自閉傾向。(判決文章より)
近隣住民や元同級生によると、「静か」「印象がない」「素直」である。
裁判において
検察官:わいせつ目的の犯行。途中殺意を抱く。
弁護士:殺意どころか、わいせつ目的でもない。
山口被告:(わいせつ目的かと聞かれ、)「違います」「友達になりたかった」
裁判における知的障害者
「反省」とは何か。
裁判において知的障害を持つ人は、「反省」を態度で表せない場合が多い。その理由としては、善悪の判断が定かではないため、自分が悪いことをしたと考えないこと、悪いことをしたと考えていたとしても、その態度をいつ示すことが適切であり、また自分にとって有利となるのかも理解できないことなどが挙げられる。その結果、うそでも「反省」を態度で示すことのできる健常者に比べ、知的障害を持つ人は重い刑罰を受ける可能性が高いといえる。
<第2章> 知的障害者を食い物にする人々 ――宇都宮・誤認逮捕事件
宇都宮・誤認逮捕事件
2005年2月 洋菓子店と生協のスーパーから合計14万円が奪われた事件の容疑者として無職の男性(54)を誤認逮捕。強盗は特徴のある赤いサングラスをかけていた。
無職の男性(54)
知的障害者の療育手帳(重度)を取得している。精神年齢3〜5才。
県警側も知的障害があると認識。
自供
「俺、赤いサングラス持ってる」という言葉から、警察が余罪を追及すると自供した。しかし、問題の赤いサングラスは、事件で使われたものとは違い、犯行時に金を入れて逃走した洋菓子店の金庫袋も男が「捨てた」とした場所にはなかった。よって、物的証拠はなし。また、被害者によると、犯人は走って逃げたのだが、容疑者として逮捕された男は、足に傷害を持っており足を引きずって歩くことはできるが、走ることは不可能に見えた。
知的障害ということがどのように影響するか
知的障害を持っている人の中には、自分にとっての利益・不利益がわからず、他人からの影響を受けやすい人が多く存在する。時には、自分の記憶よりも人の話を優先することもあり、現実とフィクションの混同が見られる。また、相手と自分との力関係を敏感に感じ取り、相手を「怖い人」と察知すると叱責や反論を恐れ、迎合的な受け答え終始してしまう。その結果、言われるがままの発言をし、それが彼らにとっての「現実」となってしまうのである。
現在の刑法において、自供は最も重要視される情報のひとつだ。物的証拠がなくても、自供があれば容疑者として逮捕されることもある。しかし、人に押し付けられた意見で「現実」を作り変えてしまうことのある障害者の「自供」を健常者の自供と同じように重視すべきかは疑問である。
<第3章> 生きがいはセックス ――売春する知的障害女性たち
横浜市 田中早苗さん(33)中度知的障害
鑑別所5回 少年院1回
10代前半から家出を繰り返し、行きずりの男とベッドを共にする。小遣いをもらうときもあった。16歳の時には、シンナーの売人と同棲をはじめる。結果的には、その男がポン引きとなり、売春の道へ入っていった。18歳の時に少年院に1年ほど入院し、成人してからは、キャバレーなどの水商売をするようになった。23歳の時に長男を妊娠するが、店の客であった相手の男性は忽然と姿を消した。長男は軽度の知的障害を持っており、現在は養護学校に通っている。
早苗さんは、「たくさんのお客さんを相手にしたけど、みんな喜んでるし、何が悪いのか、よくわからない。それに、みんな必ず、あたしのこと可愛いとかきれいとか言ってくれたの。あたし、ほんとに嬉しかった。一緒に寝ているときの男の人は、優しいこと言ってくれるから大好き」と話す。(p.113)
生きがい(p.121)
「あたしだって人間よ。あたしみたいなバカでも人間なのよ」
「あたしたちみたいな障害者はね、好きな人ができて本気で付き合っても、すぐにバカがばれて捨てられちゃうの。どうせ斉藤先生(養護学校の恩師)だって、山本さん(筆者)だって、あたしのこと、女としてみてくれないでしょ」
障害を持った人たちには、「異性」や「恋愛」に対する異常なまでの執着が見られる。これらは、彼らにとって、人間としての最も基本的な存在意義であると考えられる。上に紹介した知的障害を持った女性たちにとって、客の男たちとセックスすることが、人間としての存在を自覚し、その喜びを実感する場面であり、そこにしか自分の居場所を見つけられなかったのだ。
また、彼女らは、「福祉」という言葉を極端に嫌う。そして、彼女らは「自由でいたい」と言う。福祉は、「障害者」の性行為を含め、多くのことを制限する。「障害者」がすべきでないことを暗黙のうちに作ってしまっているのではないか。福祉は、画一的な福祉政策の中に彼女らを縛り付けようとしているだけなのかもしれない。
<第4章> 閉鎖社会の犯罪 ――浜松・ろうあ者不倫殺人事件
浜松・ろうあ者不倫殺人事件
2005年8月15日 細江幸司(48)が元同級生で不倫相手だった海野かよみ(48)を殺害。
仲間同士の意識が強固なデフ・コミュニティー内での事件。
細江幸司(48)
3歳のときに高熱に侵され、聴覚を失う。その後、発語がなくなるが、母親の熱心な「教育」により、読唇術と口話法を習得する。
話が長くなると読唇術は通じないらしく、手話通訳を見る。(裁判時)
「事件を起こすまで、彼なりにいろいろ考えてなやんだりしたんだろうけど。ろうあ者以外の人には、それを言葉としてきちんと伝えられない。だから考えがとんでもない方向にいってしまう。」(p.171細江被告の雇用主)
筆者の刑務所仲間のろうあ者
裁判や取調べにおいて
健常者の手話は、「日本語手話」であり、五十音やアルファベットの指文字を作り、日本語をなぞる形で行われるものであり、ろうあ者の手話とは違う。そのため、誤解が起きやすい。自身の意見陳述とは全く逆のことが裁判官に伝わることもあるという。
筆談
筆者は、刑務所仲間のろうあ者との筆談の中で、彼らの文章には、助詞、接続詞がほとんど見られず、過去形、未来形、現在進行形の区別が定かでなかったと述べている。そのため、筆者は会話の半分程度しか飲み込めなかった。また、部分的に誤解があるかもしれないとも述べている。
<第5章> ろうあ者暴力団 ――「仲間」を狙いうちする障害者たち
結束が強固なデフ・コミュニティー
デフ・コミュニティー内では信用が得やすい。そのコミュニティー内でのろうあ者によるろうあ者を狙った恐喝、詐欺事件が増えている。
9歳の壁
ある聾学校の校長の話
「可哀相なんですが、耳の不自由な人たちには、われわれほど知識を得る力はないんです。結局、私たちの仕事は、そんな耳の聞こえない子供たちを、いかに健常者に近づけるかということなんです。」(p.184)
聾教育では、「9歳の壁」という言葉がよく言われる。ろうあ者は、聾学校の高等部を卒業したとしても、所詮、9歳レベルの学力しか身につかない、という意味である。筆者自身も、ろうあ者の裁判は、知的障害者の裁判と被って見えると述べているし、第4章の細江被告の弟は、筆者との対話の中で、ろうあ者である兄や兄嫁の様子から常識のなさが目立つと言っている。
なぜ、知的障害のないろうあ者たちの学力や常識に問題が起こるのか。筆者は、ろうあ者たちが教育を受ける聾教育に問題があると述べている。
聾学校の教育
ろうあ者のオピニオンリーダー木村晴美さんによると、聾学校の中では、ろうあ者の言語である手話は「手まね」という蔑称があり、手話は口話と比べて劣ったものという意識が植え付けられていた。声を出させ、発音練習が行われ、発音時の舌や口の形が間違っていれば、口内に手を突っ込まれる。算数では、「1+1」が「2」だということより、「いちたすいちは、に」と発語できることが重要とされた。
このような教育の中で、細江被告(浜松・ろうあ者不倫殺人事件)は母親の「英才教育」の甲斐あって聾学校では「優等生」となり、読唇術と口話法を習得した。しかし、聴者である弟から見ると、彼は、常識に欠ける、大人らしからぬ兄と映ったのであった。
「常識」とは何か
第4章で細江被告の弟は、兄(たち)の常識の無さについて語っている。また、筆者自身も、ろうあ者たちと話す中で「常識」の無さを感じたという。しかし、筆者はまた、常識とは、自分の属する社会で生活する中で構築されるものである、とも述べている。狭いデフ・コミュニティーで生活する者の多いろうあ者にとって、聴者の「常識」からできるルールは理解しがたいものであるだろう。ろうあ者は、手話という違う言語を持ち、違う社会で生活する人々なのである。当然、聴者の日本人と聴者のアメリカ人よりももっと文化の違いがあるはずなのだ。
<終章> 行き着く先はどこに ――福祉・刑務所・裁判所の問題点
出所後の行き場がない受刑者
障害を持った受刑者の中には、身内からも親類からも見放されている者が少なくない。日本では、身元引受人がいる者には仮釈放が必ず与えられる。しかし、反対に言えば、身元引受人のいない受刑者には仮釈放は認められない。
出所後の行き先としては、更生保護施設があるが、そこに入所できるのは、若くて五体満足ですぐに就職先が見つかるような人だけである。それ以外の高齢者や障害者たちには、ホームレスかヤクザか閉鎖病棟しかないのだ。そして、多くは再び刑務所に戻ってくる。
刑務所内福祉を充実させる動き
・性犯罪者教育、薬物依存防止教育、暴力離脱教育の導入
・刑務官の社会福祉施設における研修制度
・2008年 PFI刑務所
半官半民の刑務所。知的障害者、精神障害者、身体障害者専用の収容ユニットがあり、福祉スキルを持った専門家による生活訓練が行われる。
しかし、刑務所内の福祉をいくら充実させても、出所後の生活保障の受け皿ができても、社会の福祉制度が充実しなければ、より多くの障害者が実刑判決を受け、刑務所に送られてくる結果を招きかねない。社会福祉を充実させることこそ、今行わなければならないことである。
*作成:猪島 彩(応用人間科学研究科) 更新:石田 智恵(20090208)