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『障害受容――リハビリテーションにおける使用法』
田島 明子
2006/08 <分配と支援の未来>刊行委員会,1000円+送料
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田島 明子
2006/08 『障害受容――リハビリテーションにおける使用法』,<分配と支援の未来>刊行委員会,1000円+送料
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田島 明子
2004.4〜
立命館大学大学院先端総合学術科
■本冊子の紹介
この冊子は、立命館大学大学院先端総合学術研究科2005年度博士予備論文として提出したものに、ごくわずかな加筆修正を加えたものです。
私は、これまで作業療法士として働いてきてきたわけですが、この業界に入り始めた最初の頃に疑問に思った言葉が「障害受容」でした。実際にリハビリテーションを経験された方のなかには、この言葉に不快な感じを持たれる方もおられるのではないでしょうか。私は、リハビリテーション従事者として不快を感じたわけです。
最近は、リハビリテーション業界のなかでも、対象者の訓練に対する意欲のなさや固執について「障害受容できていない」というような表現を用いることに対して、反省的態度を促す批判的言説もでてきていますが、私自身は、反省的態度のみで終わらせるだけでなく、「障害受容」という言葉がなぜそのように用いられてしまうのか、リハビリテーション従事者でさえ、それこそいつのまにか「障害受容」という言葉をそのように用いてしまう、その「仕掛け」を知りたいと思いました。つまり、本冊子では、リハビリテーションの内在的な問題に射程を置き、そのなかで「障害受容」という言葉がどこに位置づいているかを考えたわけです。ですから、本冊子のタイトルを「障害受容−リハビリテーションにおける使用法−」としました。
まだまだ調べなければならないこと、考えなければならないことはたくさんあり、本冊子に書いたことは誠に不十分なものではあります。しかも読みづらいかもしれません。自分ではよくわからないのですが、私の文章を読んでくださったいろんな人からそんなことを言われますので、そうなのかも知れません。
ただ、もしこれをご一読いただき、「障害受容」という言葉の使用から、「できること/できないことの価値」、「リハビリテーションの意義」、「ひと/障害の自由」等をお考えいただくきっかけとなったり、あるいは、ご一緒に考えていただけたりしたなら、私にとってこれほどうれしいことはありません。
平成18年8月2日
田島明子
■目次(頁数)
最近の雑感 (1)
1 幸福/不幸という概念 (1)
2 じぶんの立場性 (1)
3 訪れる当事者性・他者性、という感覚、それは、私(あなた)の持っている感覚、のような気がする (2)
はじめに (4)
第1章 リハビリテーションの内在価値―障害者就労の3つの位相をめぐる一考察― (7)
1 問題意識の所在 (7)
2 作業療法における内在価値 (8)
3 障害者の就労の3つの位相 (9)
4 ひとの価値と作業療法 (12)
註 (13)
第2章 障害を有する当事者の障害受容に関する言説 (15)
1 対象 (15)
2 分析方法 (15)
3 結果 (15)
4 考察とまとめ (17)
文献 (17)
第3章 障害受容の使用法(1)―リハビリテーションの言説空間における― (18)
1 対象と方法 (18)
2 結果 (18)
3 考察 (24)
註 (26)
文献 (27)
第4章 障害受容の使用法(2)―リハビリテーションの臨床実践における― (29)
1 対象者 (29)
2 インタビューの方法 (29)
3 分析方法 (30)
4 結果 (30)
5 考察 (64)
註 (78)
文献 (78)
第5章 全体考察 (79)
1 第1章から第4章のまとめ (79)
2 「障害受容」から「障害と/の自由」へ (83)
文献 (91)
終わりに (92)
謝辞 (93)
表1〜4
■各章の要旨
第1章……「リハビリテーションの内在価値」について見た。具体的には、「能力主義」と「障害価値」の関係軸上における「リハビリテーションの位置」を確認し、現行の作業療法に内在する価値についての問題点を指摘した。つまり、作業療法の至上目標は「適応」に置かれるが、「適応」概念は、「能力主義」を肯定し、「できない」ことの劣位を正当化しやすい概念であり、「できること」に向かう支援は、「ひとの価値」を否定するという1点を根拠に否定されることを指摘した。そして、第1章における批判的観点は、本論文を通底する問題意識であり、重要な視座となることを「はじめに」において述べ、第2章から第4章における実証研究につなげた。
第2章……障害を有する人たちの「障害受容」に関する言説を収集し、分析を行った。その結果、「障害受容」について違和を感じている障害当事者が少なくないこと、障害観は多様であること、また、肯定的な障害像・アイデンティティが形成された背景には、働く場、生活と権利が平等に保障された環境のなかで、他覚(他者の評価)の提供や支え、対等な関係であれる他者の存在、社会的認知や評価があること等がわかった。
第3章……リハビリテーション領域における「障害受容」に関する公式な言説の生成と展開をたどることを目的とし、作業療法・理学療法を中心とした学術誌8冊を選定し、障害を有する人の受障後の心理過程に注目した論文を探し、1970年代、1980年代、1990年代以降に分類し、年代ごとの論文内容の諸特徴を明らかにした。明らかになったことは、1970年代、1980年代はほぼ同一の路線を踏んできたと見てよく、結論だけ言ってしまえば、この時期に、「障害受容」が支援の対象である(すべき)、「障害受容」は支援できる、という2つの確証が成立したのではないかと考えた。しかし、1990年代以降は、これまでの「障害受容」言説に対する異議申し立てが多く見られるようになった。そして、それら批判的言説の共通性は、「訓練の流れ図」のなかで用いられる「障害受容」に関するものであり、対象者の固有性に接触できないことへの批判ではないかと考察した。
第4章……臨床の作業療法士7名に対し、「障害受容」の職場での使用について、半構造的なインタビュー調査を行った。インタビュー内容は逐語録を作成し、それをもとに分析を行った。結果を大雑把にまとめるなら、まず「障害受容」の使用状況が明らかになった。その使用法を分析すると、セラピスト側にa「目的遂行の阻害感」と対象者とのb「能力認識のズレ感」があり、bがaを誘導したときに「障害受容」が用いられていることがわかった。そして、そうした使用は、専門性に肯定感を与え、専門性の予定調和的遂行への期待感が含まれていること、対象者にとっては「身体価値の転換」が軽視され、専門職が有する能力主義的障害観を内在化させようとする圧力が含まれていることを指摘し、第1章における批判的観点との連関が見いだされた。一方、「障害受容」を、少なからぬセラピストが意識的に使用していないことも明らかとなった。その理由を大まかに言うなら、セラピスト自身に既述の使用に対する違和や不快があったということだ。そして代わりにセラピストから支持されたのが「障害にとらわれず楽にいること」であった。筆者はそれを「障害と/の自由」と表記し、それは、セラピストの「他性の否定」を不快と思う「私」の感覚から支持されていると述べた。他には、「障害受容」の理論として有名な上田の理論の問題性の指摘等もしている。
第5章……第1章から第4章までを融合させた考察を行った。@「障害受容」そのものについて、A「障害受容」の使い方、B「障害受容」の方法論・支援論、の3つの視点から論点整理を行った。第4章における指摘は主にAについてであったが、その他、@については、これまでの障害受容論に見られる「個人の変容にのみが期待される」ことの問題性(人を無力化する)、「他性の否定」を不快と思うセラピストの「私」の感覚が「障害受容」を不快と思うこと等、Bについては、「障害受容」の支援法の不明性、リハビリテーションのアプローチ法と障害受容の支援法との関係性についての不明性等が指摘された。最後に、第4章にて提起された「障害受容」に代わる「障害と/の自由」概念について、既述から関連が見出された、@できないことの表象、A個人の変容の閉塞感、B他なるもの、について論考を加え、それら接線の接点から素描を行った。そして最後に、「障害受容」のなかには再生のエネルギーの根源が見出せないこと、「他なるもの」こそがすべてのエネルギーの根源であり、エネルギーは、内在的障害観(別様の世界の感受の様式)、内在的障害観ー外在的障害観の交通可能性のなかにあること、「障害と/の自由」は、「他性の肯定の感覚」をその根本において支持していることから、私(あなた)の生のエネルギーの生起を支持しており、それは、内在的障害観、別様の世界の感受の様式を肯定していることになり、それゆえに、対象者の便利さや快を優先させた視点が成立するのだろうと述べた。「おわりに」において、「障害受容」は、(少なくとも)リハビリテーションの全過程において廃棄されてよい、すべき概念である、と結論づけた。
UP:20060813 REV:20130502, 20140318, 0726
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