『越境と抵抗――海のフィールドワーク再考』
小川 徹太郎 20060708 新評論,370p.
last update:20110315
■小川 徹太郎 20060708 『越境と抵抗――海のフィールドワーク再考』,新評論,370p. ISBN-10: 4794807023 ISBN-13: 978-4794807021 \2800+税
[amazon]
/[kinokuniya]
■内容
「現代民俗学」運動の求道者であった著者が書き残した論考から、漁師・漁民たちの「現場の知」を、共有すべき知識の世界に解き放つ。
『民話と文学』『地方史研究』ほか掲載に未発表の論考を加えて単行本化。
■目次
第一部 シオとハリキ――漁する身体
1 漁する老漁師たち――「シオをつくる」
一 漁浦を歩く
二 「シオをつくる」こと
三 漁船に乗る
四 「食えるようになる」こと
2 〈ハリキ〉について――漁民集団史研究のための覚え書
一 問題の所在
二 「現場の知」とは
三 「月給取り」と「自分の商売」の間で
四 漁民集団史研究の視角
五 「非識字」者としての日常
六 結語
第二部 方法の問題――歩く・聞く・考える
3 文献資料にみる戦前日本の水上生活者
はじめに
一 水上生活者とは
二 社会事業調査の系譜
三 社会事業調査報告・論文にみる水上生活者の記述
四 西村論文にみる記述
まとめと今後の展望
4 フィールドワーク再考――調査と経験の間
一 桜田勝徳の指摘
二 宮本常一の指摘
三 桜田・宮本の調査観
四 桜田・宮本とその後の民俗学――最近の調査体験を中心に
5 ある行商船の終焉――瀬戸内の漁村から
6 終りのない仕事――「ニゴ屋」聞き書き
7 タコの家主
8 フィールドワークで用いた技術――フィリピンのフィールドノートの検討
9 いま民俗資料論は成り立つのか
第三部 越境と抵抗――海の民俗学をこえて
10 海民モデルに対する一私見
11 近世瀬戸内の出職漁師――能地・二窓東組の「人別帳」から
一 俵物貿易の時代
二 「人別帳」にみる能地・二窓東組漁師
三 出職漁師と俵物生産
四 廻浦役人の眼
五 ナマコの話
12 「浮鯛抄」物語
一 問題と視点
二 江戸期文人による作成――一七四〇・一七四一
三 出職漁師と書写――一七八四
四 郷土研究の時代――一九一五・一九一六
五 民俗調査と出職漁師
六 結びと課題
13 海の村を建設する――戦時期『海の村』の分析
一 問いの所在
二 雑誌『海の村』について
三 漁業増産報国推進隊を組織する
四 海の村を建設する
五 諸効果の考察――文書回答欄から
六 結語
14 移住をとらえる視点――野地恒有著『移住漁民の民俗学的研究』を読む
15 ロサルド『文化と真実』とフィールドワーク
16 「見捨てられていることの経験」と「対位法的読解」――戸坂潤、サイード、アレントを読む
17 桃太郎と「海外進出文学」
初出一覧
解説
Career and works 小川徹太郎の軌跡
■引用
1 漁する老漁師たち――「シオをつくる」
二 「シオをつくる」こと
「シオ」ないし「シオをつくる」という言い方である。漁行為全体を一言で言い表す、格言めいた言い方として、網、釣り、延縄などの漁法に関係なく、
ほぼすべての漁師の口をついて出てくる。[…]
これらの言葉は、漁について何も知らない者に説明しようとして新たに創出された表現というよりも、<013<むしろ、「親に言われよった」「言よった」「殺さにゃ」
などにみられるように、漁師たちの間で、漁の上手・下手などが話題になるときに「そりゃあシオをきちっともっていかにゃあ」などと、身体性の強い漁行為のコツを、
比喩的に一言で語るさいに用いられる表現であるように思われる。
だから、たいていは、漁の技能に熟達した年輩者や親から、若者や子供に向かって発せられることが多いはずなのだが、ここでは、
この技能の授受・習得の関係のなかに身を投じて、この言葉の意味内容を確認していく作業は無理なので、雑談を通じて、
老漁師たちによって語られる漁行為についての説明に即した形で、その意味内容を確認していくことを心がけてみたい。(pp.12-13)
やはり、「一人立ち」するときに、ひしと感じた難しさとして、また、船頭の「苦心」として語られるようだが、「時間をきちんと決めてやる」「土地のええとこいく」
「シオを合わせたもん」などの表現に、漁のコツが表れているように思われる。
「抜け」なく、漁の「時間」「土地」「シオ」を「ハラ」のなかに構成しておいたうえで、その構成された「時間」「土地」「シオ」に、実際にうまく自らの船、漁具、
体を「合わせ」られるか否かが、漁の善し悪しを決定するということであろう。だから、この一連の行為を「抜け」なく行えることは、
そのまま一人前の船頭としての自立をも意味することになる。(p15)
ところで、漁師たちは、多少遠方へ出漁するさいや、根拠地をつくってそこを起点として泊まりおき(沖を点々と移動すること)するさいには、
かならずジュウセン(17)と呼ばれる船団を組んででかけるのであるが[…](p17)
*カタフネ
(15)ジュウセンと同義。沖で行動をともにする集団(船団)、および、それを構成する個(船)を表す。本拠地を同じくする者の間のみならず、
たまたま沖で漁をともにすることになる者についても、この名で呼称される。関係のあり方としては、(1)「張り合う」(漁のさい)、
(2)「助け合う」(事故、故障、病気、出産、死亡、餌の購入、魚介の販売のさい)、(3)「付き合う」(出漁、共食、寄合などのさい)、
(4)「固まる」「いっしょにやる」(漁その他)などがいわれる。(pp.41-42)
(17)前掲註(15)参照。
[…]各船ごとの露わな競争意識を読み取ることができるし、漁行為全般にわたっても、
「自分の腕」というような個々人の技能・技量がことさらに強調される傾向も認められる。(p19)
[…]ここで取り上げられた漁法・漁種における、「そのシオ釣らにゃいけん」とか、「ぴちっとしたシオ」といわれるときのシオは、いずれも、ヨワリ、トロミ、ウズ、
ワエなどと称される潮行きの緩やかな状態のことを示している。その理由として、一つには、「シオ食うんじゃ」「魚もよく食う」
といわれるような魚の食いに関係すること、もう一つは、「仕事をする時間」という表現に読み取れる漁具の取り扱いに関係することが考えられる。(p21)
いずれにせよ、ここにみられるかぎり、「そのシオ」「ぴちっとしたシオ」を確認するには、肉眼で「海の潮」「陸の干満」を直接見たり、
「タマを膨らませて、その膨らみぐあい」を見ることが行われるようであるが、こうした潮行きの緩慢・静止状態を見分ける行為を、
漁法の違いに関係なく漁師たちは<023<しばしば「シオを殺してやる」と表現するから、その行為をなすなかで、つねに変転し複雑な動きを示すシオを、
自ら「止め」たと感じられているのではないかと思う。(pp.22-23)
いずれにおいても、潮流の本筋が山や鼻(岬の先端)や岩などに突き当たる影に潮行きの強弱や微地形によって微妙な変化をみせつつ形成される、ワエ、サカマ、
ウズなどと称される小規模な潮行きの緩い状態をうまく確認し、使いこなすことが、そのまま「仕事」としての漁を成り立たせることになることには、
注目しておかなくてはなるまい。[…]こうした微細な時空の変化までをも読み込みつつ、漁を組み立て、行うことは、
やはり至難の技というよりほかはないだろう。(p23)
四 「食えるようになる」こと
漁の技能の授受・習得過程に関しては、私がこれまであまり問題としてこなかった関係上、詳細な議論はここでは望めないのだが、老漁師たちが自らの生い立ちを語り、
現在の漁業のあり方について一言するときの言葉使いに注目しながら、この過程について概観しておきたいと思う。(p33)
「学校」が類比として、また、対抗存在(27)として語られることは興味深いが、
ここで取り上げた一本釣に<034<おいては漁具が軽便でそのあつかいにも比較的体力を要しないこともあってか、七、八歳ごろからすでに漁を始めるようである。
[…]幼少から親を通じて、ヤマ・シオの見方、あるいは細かな手仕事の類は習うようであるが、この両漁法では、この基礎のうえに、
他船へ「船方」「奉公」「若衆」として出ることが一人前の船頭となるための条件として強調される。(pp.33-34)
(27)対抗存在
吉和で小学校教員をしていたある人によると、不就学児童宅を訪れ、その親に、なぜ学校に来させないのか尋ねると、たいてい、
「高等小卒業したもんは小卒のもんには、とても技の太刀打ちができん。網代覚えささにゃいけんけえ……」との答えが返ってきたらしい。(p43)
[…]一人前の船頭になるには一〇年前後の歳月を要することが口をそろえて唱えられる。
もちろん、この「一〇年」という期間は、およその目安としてシオ・ヤマ・網代をみることができ、自分の腕や勘をよりどころに、
一人前として一家を構えて「食えるようになる」にはなかなか難しいという含意があるのであろうが、一〇年というと、ほぼこれまでみてきた親の船、
他家の船で漁を行う期間に該当する。一〇年の間にも個々人の生きざまには紆余曲折があろうし、とりわけ、
実際の技能の授受・習得の場面における具体的所作やそのさいの細々とした感情の起伏などについて、本来ならばふれなければならないのだろうがが、
ここではその余裕がない。また、授受・習得というと、閉鎖・固定した技能体系を想定しやすいが、道具やそのあつかいはつねに改良・改変され、
それに応じて漁の「流れ」の構成のされ方やシオの見方も一様ではあるまいし、[…]細かな工夫をこらせる「主体」としての漁師の側面も、
ここでの一人前の要件のなかに含めて考えていかねばなるまい。ただ、これまでの引用をみるかぎり、ヤマ・シオ・網代の見方や道具のつくり方、
あつかい方などの技能の習得とは、上達した腕の者を手本として、
「同じように」自分の体を動かしながら<036<「やる」ことのなかで身につけられていく性格を有していることがわかる。
その意味で、技能の授受・習得について考えていこうとした場合、ここにみられる形での真似かた、および、「真似び」「学ぶ」こと自体についての議論が必要となろう。
たとえば、老漁師たちの間で漁法ごとの特徴として観察しうる体型、肉づき、振舞いなどのうちに、同漁法内でたがいに学びつつ、
道具をあつかうことを通じた体のつくられ方や、そのさいの勘どころや経験の質などを読み込んでいくことなどが、試みとして考えられよう。(pp.35-36)
[…]こういった振舞いや表明のうちに、つねに手先や体を動かしていることによって、漁のリズムや勘や体力などを維持・充足する側面のあることも推測しうるし、
むしろ、こうした点をふまえつつ道具をつくることについて考えていくことのほうが、漁師の経験、さらには、私たちの日常経験を省みようとするさいに、
大切なことのように思える。(p37)
このように、漁師たちが自分の腕や勘をたよりに漁を行い、しかも、そのことを通じて一人前として<037<「食えるようになる」には、
「一〇年」前後といわれるような、親、船頭、ジュウセンを手本として、徐々に種々な技能を身につけていくだけの期間を要したのであり、
しかも、船具・漁具などの仕掛けの修理、加工、製作を行う手は、出漁中以外にも片時も休められることはなかったのである。そして、前述した、
終始無言のまま遂行される漁行為のその沈黙の背景に、こうした「時間」の堆積の認められることについて、私たちは思いをいたすべきであろう。
もちろん、ここでみられたような漁行為にかかわる種々な作業が「できるようにな」ろうとする「前向き」な気構えや行い、あるいは、終始、
手先や体を動かしながらの生活リズムなどは、一人前になったあとも、むしろ「何十年かかっても、それで満足というのはない」といわれるように、
終生保ちつづけられたことであろうが、こうした着実な営みのなかで、<039<[…]漁師としての自信が培われていくことも、無視されてはなるまい。(pp.37-39)
2 〈ハリキ〉について――漁民集団史研究のための覚え書
一 問題の所在
[…]本稿では漁師のおじさんやおばさんたちの日常生活の断片を社会構造全体との連関のもとに記述し、
その連関のうちにそのゆえんを見出そうとする視点をとりたい。[…]
ここで、本稿の題名にもなっている〈ハリキ〉という言葉について説明しておかなくてはなるまい。
以前、能地の小町芳数さんとかつて春先に行われていたイカナゴ漁についての雑談をしているときに、その漁をめぐって次のようなことを話された。
「わ(自分)がやるんは(やる時には)船頭じゃけえ、自分の商売をしたいんじゃが(したいのだけれども)、イカナゴがおらん時にゃ(には)、
よその船(打瀬網などの)に奉公せにゃ(しないと)しょうがない。商売して損するやら得するやらわからんけど、自分でやる方がハリキがある。
「自分も商売したいのう」思う」。もちろん、このハリキという言葉は辞書には載っていないが、
自分の力で何事かを成し遂げようとする際の構え方を感じとしてよくつかめ得ている言葉ではないかと思う。(p46)
二 「現場の知」とは
一本釣りおよび延縄漁における岩、石つまり「現場の仕事」、「現場の確かなこと」の「分かり」方についての説明である。先ほどと同様、
その主張点はおよそ次の三点にまとめられよう。
(一)「歩くようにな」ると子供は釣り道具で「遊ぶ」ようになり、「学校が済む」十四、十五歳頃には「一人前」になっていたこと。
また学校へ行ったものは「赤子よりつまら」ないうえ、かつては「金儲け」ができればよいと考えていたので、「学校やなんか」にいく必要はなかったこと。
(二)石、岩、磯を「知る」には、延縄の道具を引っ掛けてみなくてはならない。「現場の確かなこと」は現場で仕事をしてみなければ、「全然分から」ないこと。
また、道具を引っ掛けた時には「山をみる」が一度見ると「腹へ染み込ん」で忘れないこと。さらに、いくら「腹に染みこん」でいても、実際に道具を手にしてみないと、
「知れ」ないことが多いこと。
(三)「口」で言われたことを聞いたり、「図面」に書かれたものを見たりしても、本当のことは何一つないし、「現場の確かなこと」は決して「分から」ないこと。
ここでも、やはり記憶―認識を成立させる二つの仕組みが対比されて説明されている。一つは、道具で遊びながら、また、道具をこの石に引っ掛けたりして、
「現場」で仕事をしながら、この山にはあの石があるということを覚え、再び道具を手にしてみることによって記憶が呼び戻される、
「腹」と「分かる」・「知れる」という言葉で言い表わされる仕組みであり、もう一つは「口」で話したり聞いたりすることによって、
「図面」として書き込まれ(読まれ)ることによって、成立する仕組みである。そして、漁労を基本的なところで成立させているのは前者なのであると。
ここでの説明をその場に居合わせた私の方へ向かってなされた主張であることを考慮に入れるなら、<053<その主張の骨子は、
「帳面」や「図表」では分からない「現場」の「分かり」方があるのだ、ということであり、
しかも「現場」の「分かり」方を拠り所にして批判の矛先が向けられる方向に、「帳面」をつけたり読んだり、
「図表」を作成したり読んだりすることが挙げられていることをふまえるなら、この主張には「帳面」や「図表」を扱うものとしての私やその他の者による、
自分および自分たちの日頃行なっていることへの「無理解」に対する不信の念が潜んでいるように思われる。細かな事実の確認よりも、
先ず、このような「無理解」者および「無理解」を支える仕組みに対する批判と不信の念をこそ、この主張のうちに読み取らなくてはならないのではないか。
それ故、この主張の拠り所となる「現場」の「分かり」方とはいかなることであるのかということと同時に、
主張の矛先が向かう「帳面」、「図表」などを通じた「無理解」とはいかなることであるのか、
という二つの問題をめぐってこの主張の意味は問われなければならないのである。(pp.52-53)
五 「非識字」者としての日常
このように、文字の読み書きの習得は難しかったものの、文字的世界の抱える基本的な問題点については、
文字の読み書きされる「現場」に居合わすところから知りうる「現場の知」として、的確に把握されているのではないかと思われる。「反撃」の口調をもって、
初由さんは次のように主張される。
字を知っとる者は、なかなかツブケじゃ。ツブケじゃ言ういうがのう(というのは)、気が馬鹿じゃ(だということだ)。何も考えちゃおらん(考えてはいない)。
一〇人が(いたら)一〇人、字を付けるものは、すぐその場で付けんかったら、もう分かりゃあせん。ちょっと暇がいったら(時間が経つと)分からん。
その場で付けりゃあええけどのう、その場で付けにゃあ(付けなかったら)のう、ちょいと暇がいったら、「ありゃ、ほうじゃったか(そうだったか)のう」いうて、
「こう<078<じゃが、ああじゃが」(と)こっちが言うと、「ほうかいのう(そうかなあ)」いうて付けるがのう。あれだきゃ(だけは)、一〇人が一〇人その通りじゃ、
あんたらにしても、どこへ行っても付けるものを置いといて、すぐ付けるんじゃ、ものを。ちょいと暇がいったら、もう分からん。字を知らんちゅう者はのう、
二年や三年や前のことでも、なんもかんも皆考えとる。それがのう、身に染み込むんじゃのう。/それじゃなかったら、字を知らん者は生きちゃあおれん
(生きてはいられない)。金のことでも何でも、すぐ覚えんかったら「この間はああじゃったこうじゃったかのう」言うても(言われてもか)のう、
「何がこうじゃったああじゃった」(と)言えん。字を知っとる者のような気分じゃったら、字を知らんものは生きちゃおれん。/字を知っとる者は、
思うた通りに、皆さっさっさっさっ書こうが(書くだろう)。書くけえ、それより他のことを覚えんのじゃ、物事を。三年や五年や一〇年のことでものう、
年寄りと話してみんさい(みなさい)。三年や五年の前のことでものう、あんたが書いたより、まだまだ詳しいことを知っとるけえ。
お金のやりとりに際してなされる読み書きのみならず、様々な読み書きのなされる場を想起しながら説明されているように思えるが、
基本的な主張の方向は第二節で認められたのと同様に、「現場の知」で分かることから「帳面」、「図表」によってなされる「無理解」の方へ向いている。
ただ、ここでは漁労の「現場」から「書かれたもの」への不信を表明するという係わり方ではなく、
読み書きのなされるその場に即応しながら主張が組み立てられている。
「すぐその場で付け」ないと「分から」なくなる、および、書いたこと「より他のことを覚え」ない、という二つの指摘は重要なのではないか。この指摘は、
前節でみたグディの指摘している「書くこと」の二つの機能、つまり、「貯蔵」と「脱脈絡化」の問題を、グディのごとく、
「書くこと」の仕組みそのも<079<のを解明する視点から把握するのではなく、その仕組みの「外」側からこの二つの機能が可能となる文字化の瞬間に潜む問題点として、
的確に把捉し得ているのではないだろうか。つまり、「付け」られないものは「貯蔵」されはしないし、「脱脈絡化」するには「他のこと」を切り捨てざるを得ない。
当たり前といえばそれまでだが、本稿でこれまでみてきたような、
自分たちがさられている「無理解」のゆえんをここに直観的に「現場の知」として突き止められているのだとすれば、
私たちの社会の仕組みや学問そのものの存在を問い直していこうとする際に見逃すことのできない指摘であるように思われる。
どうやら分からないことだらけで、本稿を閉じなくてはならなくなったようだ。初由さんがいわれるような「身に染み込む」分かり方や道具を介した
「知り」方とはいかなることで、それをいかに把握したらよいのだろうか。また、グディが分析し、
初由さんが不信の念を投げかける私たちの社会や学問の仕組み自体もうまく分かり得ていない。分からないことがあるから、分かろうとすることができるのだと、
とりあえず自分を納得させて、前節で触れた研究視角のもとに、今後踏張りたいと考えている。(pp.77-79)
六 結語
いくつかの点について、ここで確認しておきたい。
本稿では、漁師や漁商のおじさん、おばさんたちによる主張の意味を問おうと模索するなかで、主として「帳面」、
「図表」といった「書かれたもの」およびそれを通じて形成される社会の仕組みによって加えられる社会的な圧迫のあり様について指摘してきた。
しかし、だからといって、「書くこと」は否<080<定されるべきだ、といった単純な主張を行なっているわけでは決してない。「書くこと」や「書かれたもの」の影響は、
私たちのものの見方、感じ方、考え方、あるいは生活のすみずみの様々な事物にまで浸透しているわけだし、漁師や漁商のおじさん、
おばさんたちにしてもこうした動きから逃れられているわけではない。問題は、このようにあまりに「書くこと」や「書かれたもの」を読むこと、
あるいはそれらを通じて形成される社会の仕組み自体が自明化されてしまっているためにそれらをしっかりと把握できず、しかも、
そのことによって知らず知らずのうちに本稿でも触れたような様々な「無理解」を起こすことになっている、ということではないか。
それ故、課題となるのは、このような問題をしっかりと認識しようとしたり、認識していくためにはどのようにすればよいのかを考えていくことであり、
「書くこと」や「書かれたもの」の単純な否定では、自分の日々行なっていることからの横着な責任逃れにしかならないであろう。
そして、このような課題と取り組むことによってのみ、「身に染みる」分かり方や道具を介した「知り方」、
あるいは「現場の知」についても問題にしていくことができるように思われる。
また、現代社会において、識字の能力がしっかりと自らの生活や歴史・社会を把握し、それらをめぐって思索をめぐらし、
「生活改善」の方途を探ってみる、といったことに積極的に用いられているのかどうかは疑問である。民俗学の方法的課題が「自省の学」たることにあるなら、
私たちの様々な層にわたる「理解」をもたらせる様々なメディアの特性およびそれらの間の相互連関の仕組み、そしてその中での人間のあり様といった、
今日の識字者をめぐる複雑な現状をふまえつつ、
文字の読み書きの能力を軸に形成される民俗学的「自省」の実践がいかに可能であるのかが検討されなくてはならないだろう。また、
「非識字」者の問題を個人的な問題に個人的な問題に還元することはできことは出来ないことを本文中でも触れたし、
実際<081<その問題を歴史・社会のうちに解明していかなくてはならないと考えるものであるが、識字教育の実践の文脈においては、例えば、
P・フレイレが主張しているように、機械的な識字能力の習得ではなく、民俗学的な「自省」の観点がふまえなられなくてはならないであろう。そして、
この「自省」の観点のうちに掲げた、本稿でも指摘してきた「無理解」のゆえんを問うことが同時に自らの歴史・社会の解明でもあるような問題等々、
は問うていかれなくてはなるまいし、私自身もこの観点から研究をすすめていきたいと考えている。(pp.79-81)
■書評・紹介
『越境と抵抗』という一冊は、現代民俗学の可能性の追究者でありつづけた小川徹太郎の仕事の結晶である。
これはもっとも誠実な意味で、「民俗学」である。いまだ文字にされていない人々の経験の小さな声に耳を傾け、書かれているというだけで流布した常識に抵抗しつつ、
図式に囚われた目が見つめることがなかった生活者の実践を見いだし、共有すべき知識の世界に解き放とうと歩く。そうした志が、この本を支えているからだ。
従来の民俗学が、「常民」に象徴されるように、民衆の力に期待するあまりに「調和モデル」に陥ってしまった限界を、小川は文化批判の思想に学びつつ、
乗り越えていこうとした。調和モデルは、社会的な対立や葛藤の否定や「抹消」を前提とし、また容認し、再生産してしまう。小川は先取りされた調和に依存せず、
現存する違和にこだわり、その声に耳を傾け、細部を描きだそうとする。
読んで教えられることは多くあるが、有効な切り口の一つは、文字の文化に対する身体の抵抗である。文字(帳面・図表・試験など)を操る者たちの
「無理解」に対して、海の現場を生きてきた漁師たちが抱く、うまく言葉にならない不信に光をあてる。それはまた、学校という国家装置が囲い込んでしまった
「民間」の領域の発掘でもある。生活を語るそれぞれの声の、裏側に散在する抵抗に出会い、その力を見届けるためにこそ、彼のフィールドワークがあった。
その一方で小川は、異なった生活を営む者が、少数者に作りあげられ、少数者として遇されてしまう、制度としての「近代」の問題を鋭く問うていく。
出職漁師、水上生活者、ニゴ屋、『浮鯛抄』、サリサリストアー、海国思想等々……、この本が切り開いてくれる知識の世界は広い。しかし、それ以上に、歩いて、
聞いて、ねばり強く考える。その作法を読者としてたどり、学べることにこそ、この本の魅力がある。(佐藤健二 東京大学教員)
◇書評空間:大阪市立大学大学院・早瀬晋三の書評ブログ:『越境と抵抗――海のフィールドワーク再考』小川徹太郎(新評論)
http://booklog.kinokuniya.co.jp/hayase/archives/2006/09/post_59.html
■言及
◆北村 健太郎 2010/11/20 「突き返される問い――「研究」「研究者」「大学」を問う手前で考えるべきこと」
山本 崇記・高橋 慎一 編
『「異なり」の力学――マイノリティをめぐる研究と方法の実践的課題』:349-374.
生存学研究センター報告13,408p. ISSN 1882-6539 ※
*作成:北村 健太郎