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『ケアってなんだろう』


小澤勲 編 20060501 医学書院,300p ISBN: 4-260-00266-X 2000


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小澤 勲 編 20060501 『ケアってなんだろう』,医学書院,300p. ISBN: 4-260-00266-X \2000 [amazon][kinokuniya]

 *白石正明さんより

書 名:ケアってなんだろう
編著者:小澤 勲(種智院大学客員教授)
仕 様:A5版、縦組、300ページ
定 価:2100円(本体2000円+税)
発行日:2006年5月1日 ISBN 4-260-00266-X

■内容

  自閉症研究の先駆者、反精神医学の旗手、認知症を文学にした男……そんなさまざまな顔をもつ小澤氏に、“ケアの境界”にいる専門家、作家、若手研究者らが、「ケアってなんだ?」と迫り聴きます。
  第I部は、田口ランディ(作家)、向谷地生良(べてるの家)、滝川一廣(精神科医)、瀬戸内寂聴(作家)という多様なバックグラウンドをもつ各氏との対談。
  第II部は、西川勝(看護/臨床哲学)、出口泰靖(社会学)、天田城介(社会学)という気鋭の学者3氏による踏み込んだインタビュー+熱烈な小澤論。
  さらに、小澤氏自身による講演録と、書き下ろしケア論も付いています。
  「医学か生活か」という二項対立でしか語られなかった認知症ケアを《医療も生活も》と語り直し、「技術かやさしさか」という不毛な議論に《技術としてのやさしさ》という論点を持ち込む――
  がんという病いを抱えながら感情労働を知的労働に変換しつづける小澤氏は、ケアの世界をますますおもしろく、スリリングにしてくれるようです。


■引用

◆ 少し長いまえがき

「「やさしくあれ」という規範
 ケア現場では「やさしくあれ」という規範あるいは倫理が幅を利かせている。スタッフがケアに困り果てて中枢のスタッフに相談にいき、「受容しなさい」と言われ、なにか釈然としない表情で現場に戻ってくる。たしかに「受容」という言葉は、ケアのすべてを言い表している。しかし、すべてを言い表す言葉は、何も言っていないと同じである。「受容せよ」と言われて解決するくらいなら、とっくの昔に解決していたに違いない。そうはいかないから相談にきたのだろう。「私たちだって人間なのだから、受容できないことだってある」とつぶやき、口に出さないまでもこころの中で考えているのが、手に取るようにわかる。
 多くの現場では、厳しい労働の対価としてはひどく安い給料で働いていて(なかには、学生時代のバイトのほうが収入は多かったという人もいる!)、それでも、決して安楽とはいえないケアの現場で仕事をするのだから、人のために何かしたいという強い思いがないとケアの仕事は続けられまい。」(p. 8)

 「やさしくない自分が、やさしさを求められる現場で、どうすればやさしくできるか。それが、精神科医としての私の基本課題だった。
 そのため妙にやさしくして、こころを病む人を依存的にさせ、自立できない患者をつくってしまったのではないかと、いまにして深く反省している。対の関係でしか見ていない自分があったということでもある。看護師さんたちから「先生の患者は看護しにくい。先生の言うことは聞くけど、私たちの言うことはまったく聞いてくれない」とよく文句を言われたものだ。
 若いころ、統合失調症者は身近に感じ、その気持ちもなんとなくわかったが、感情病に対しては、有り体にいって「現世の規範に縛られて、しょうもない!」と感じていて、うまく治療が進められなかった。だが、外来にうつ病者が増え、そうも言ってられなくなって、うつ病の精神病理をかなり勉強した。むろん、薬物療法は力強い「武器」になったが、それだけにとどまらず、病前性格、発症要因、経過、そして精神療法というか、どのように接すればよいのかを工夫した。そして、「あなたはうつ病という病気です」と告げ、「あなたは深夜、ライトをつけ、クーラーをきかせて、カーステレオを聞きながら、全速力で高速道路を走ってきた(そのような無理をしたことが発症の要因になっている人が多いので、そのことを具体的に指摘する)。そしてバッテリーがあがってしまった。まだ走りつづけていると、バッテリーがだめになります。車のバッテリーは交換できますが、人間の場合そうはいきません。ですから、いまは十分休んで、充電することです」と言い、診断書を書いた。
 うつ病の人はなかなか休んででくれない。そういう病前性格の人が多い。だから、「肺炎と同じように、あなたはうつ病という病気なのだから、医者の言うことを聞きなさい」とやや命令的に伝えると、うつ病者は自分がさぼっているのではない、医師の指示に従って休養しているのだと考えることができて、ほっとするのだ。うまく伝わると、診察室に入ってきたときとはまったく違う安心した表情で帰っていかれる。そうならない人は、まだ聞きださていない何か(休むに休めない状況をかかえているのが通常)があるのだ。
 うつ病の精神病理を踏まえた接し方で、うつ病者にも少しやさしくなれた。ああ、そうなのか。〈やさしさに至る知〉が求められているのだと気づき、そう考えることで、やさしくないと自責し続けていた私は、精神科医を続けることができたのだった。」(pp. 9-10)

「私が若いころ「反・自閉症論」ともいえる『自閉症とは何か』という分厚い本を書いたとき、「なぜ、こんな考え方をするのかわからない」と鋭い批判をいただいた児童精神科医の滝川さんとの対談。おそらく、「このような考え方は論理的であるかもしれないが、臨床的にはなんの役にもたたない」ということだったと思います。私自身もこれが自分の実践から生まれたものではなかったと反省し、以後、「自分の言葉」を探すことにしたのです。それが見つからないうちは書くまい、と思い定めました。>0013>
 ただ、少し弁解すると、当時、私は「自閉症児を普通学級へ」という運動に参画しており、自閉症というカテゴリーを解体したいと考えていたのです。」(pp. 12-13)

第I部

◆ケアと異界 田口ランディ(作家)×小澤

 小澤「スウェーデンでもどこでも、欧米では、人はどんなに重いハンディを背負っても自立に向かって努力しなさいという感じが強いです。人権という言葉の裏には、当然そういう義務みたいなものを要求されます。ぼくは正直いって、努力はするけれども、めちゃめちゃしんどくなっても「自立に向かってがんばれ」なんて言われるのはちょっと勘弁してよ、と思う。そういう気持ちがぼ>0031>くらのどこかにシありますよね。
 だから人権という視点からみると、認知症の人を一人の人間としてみる必要はあります。けれども「一人の人間」としてしか見ないと、彼らはなんで生きているのか、なんでケアしているのかという話になってしまう。」(pp. 31-32)

 小澤「私は、この世にあらざる人たち、なじまない人たちとの、あらざる関係みたいなものが、ようやく自分を支えているという感じがあるんですよ。
 だから、ほんとうはマニュアルやテクニックとして提示しなければいけないところでも、ぼくはなかなかそうしきれませんね。」(p. 33)

◆向谷地生良(べてるの家

 「小澤 「なるほどね。当事者研究のビデオを見せてもらっても、向谷地さんはだいぶお手伝いされていますよね。」
向谷地「そうです。そういう意味で、当事者研究はまさに共同作業なんです。精神科医ががっちり入ったなかでの共同作業です。当事者だけではなかなかそこは深まっていかないですね。」
小澤「川村先生がビデオのなかでいろいろお話をなさってましたけれども、「治す」というところから「共同作業として症状と共生する」、つまり対象化しながら共生する方向へと、考え方も治療のやり方も変わってこられたのですか。」
向谷地「変わってきたと思います。幻聴・妄想のメンバーたちが地域でトラブルを起こしてきたり、私もはがいじめにあったり、警察の力を借りて連れていかざるえない状況になったりと、いろいろな経験をしてきました。そのなかで見つかったのが、「どう自分を助けるか」というテーマなんです。それは、トラブルを起こす当事者に振り回されてヘロヘロになった私を私自身がどう助けるかであると同時に、あなたがあなた自身をどうたすけるか、という問題。そして「その助けあいをお互いに共同する」というイメージができてきました。」」(pp. 50-51)

 「向谷地「話が戻るのですが、当事者が自分を語り、自分のなかにテーマを持ってみずから対処をしていくという時代のなかで、専門家は何をしたらいいのか。これが私たちの大きなテーマになっていくのではないかと思うんです。」
小澤 「はい、そうですね。」
向谷地「小澤先生の書かれた本を読んでいても、私たちのなかの専門家像が変化を迫られるというか、むしろ本来のものに立ち戻るという感じだと思ったのです。」
小澤 「専門家は、少しお手伝いをするという感じですね。だいたい私が書いたものは、医者じゃなくても書けるわけですから。医者であるということをカッコに入れないとかえって書きにくいですね。」
向谷地「そこがこの世界でいちばんむつかしいところだと思います。二八年前にこの世界に入ったときに、私はまずその問題にぶち当たったんです。こんなにつきあいづらい人たちはいない。私自身のこころがかき乱されて、私自身が揺さぶられて、腹が立ったり。そんな掻きむしられるような戸惑いを、私自身が彼らとつきあって経験したんですね。これを乗り切らなくてはいけないと、彼らとあしかけ三年同じ屋根の下で一緒に住むということに挑戦したりしました。そうやって私自身を対象化する作業をしたところから、彼らの対象化のお手伝いできる感覚が身についた気がし   ますね。つまり、彼らが自分が出会っている世界に対しての戸惑いだとか困難だとかを語る前に、じつは私自身の戸惑いをどう対象化するかという作業が必要でした。」
小澤 「よくわかりますね。私はどちらかというと、統合失調症の人と出会ったときは、ぼくといっしょやなという気がしました。ですから、かえって対象化できなかった時期があったのです。」
向谷地「私が駆け出しのころは、「当事者との距離をとる」とか、「専門家としての構え」とか「距離感」とか、いろいろなものをガチガチにもちながら現場に入ってきました。だけどそれがすごく居心地が悪くて……。巻き込まれてはダメだとか、転移をおこしてはダメだとか、なんかいっぱい鎧を着せられて現場に入ったのだけれども、なにか変だぞという感じがあった。それが一緒に暮らしてみたときにはじめて「ほら、同じじゃないか」とあらためて自分のなかに感じられたんです。」
小澤 「私も自分の家にしばらく患者さんを泊めたりしていたのですけれどもね。……ただ、どうですかね。おっしゃる意味はよく分かりますが、でも、やっぱり関西人風に露骨に言うと、われわれは彼らとつきあうことでお金を儲けているし、生計を立てている。彼らはお金を払っている。距離を自分がとるかとらないかというよりも、現実にはすでにそういう関係がありますよね。だから、社会的な関係を無視して「一緒だ」という気にはぼくはあまりなれない。逆にいうと、その社会的な関係を自覚する言葉でしかないと思いますよね、距離っていうのはね。」(pp. 59-60)

 小澤「いまわれわれに求められているのは、たとえば心理検査や検査技術のように、学会で発表するような抽象度の高いものと、事例報告との中間みたいなものじゃないでしょうか。いろいろな事例を体験しながら、抽象化しすぎない範囲で、現場で活かせる物事の考え方を見つけていく作業ですね。」(p. 61)

◆情動・ことば・関係性 滝川一廣(精神科医)×小澤

1947年名古屋市生まれ。名古屋市立大学医学部卒業後、同病院精神医学教室に入局。岐阜精神病院に赴任後、同教室に戻リ木村敏教授、中井久夫助教授のもとで助手をつとめる。その後、名古屋児童福祉センターなどに勤務。99年より愛知教育大学、05年より大正大学人間学部教授。
主な著書に、『家庭のなかの子ども学校のなかの子ども』(岩波書店、1994年)、『「こころ」はどこで壊れるか』(共著、洋泉社新書、2001年)、『「こころ」の本質とは何か』(ちくま新書、2004年)、『新しい思春期像と精神療法』(金剛出版、2004年)などがある。

 小澤「むかし「反自閉症論」ともいえる本を私が書いたときに――かなり政治的な背景があって書いた本だったのですが――、滝川先生に「こんなことを考えても、臨床的に何の役に立つんだ?」と批判されたのです。それが私にはだいぶこたえてね。以来、自分の臨床体験にもとづかない文章は書くまいと思ったんです。そういう意味で滝川先生にそういっていただいたのが、私のひとつの転換点でした。
 ただあえて弁解をすれば、以前、滝川先生が、反社会性人格障害について書かれていましたようね。先生のお考えは、犯罪をおかした人を「人格障害」というカテゴリーに押し込んで安易>0068>に精神医学化するのではなく、むしろ「社会」に差し戻すべきだ、ということだったと思います。[…]あれを自閉症に置き換えて語ったという感じがあります。あの当時、何人かのすばらしいお母さん方が、普通学校の普通学級でいろいろな子どもたちと交流させたいという気持ちでいわゆる就学闘争、そのあとは市役所などへの就労闘争がありました。私自身がそれに噛んでいたということもあるでしょうね。治療とか障害とか病気というより、つまり医療に取り組むのではなくて、むしろ教育の畑で考えたいという気持ちがあったのかもしれません。」(pp. 68-69)

 $小澤「あのころは自分の言葉というよりは、運動のなかで「どういう文章を書くべきか」という発想が非常に強かったですね。だから、あんなことになったのだと思いますね。
 滝川「あれは最初『精神医療』という雑誌に載せられておられましたね。それを私、コピーを取りながら一生懸命に読んだのですがが、最後に手を入れられて『自閉症とは何か』にまとめられた。それこそ一気に読ませていただきました。とてもよくわかったんです。 ただあのご本は、それまでのさまざまな自閉症論のマイナス点ばかりを全部拾っている。ご批判されたとおりのことがたくさんありますけれども、私はそれをちょっとひっくり返してみたかったんですね。」(p. 71)

 小澤「認知症を「老いの一つのかたち」だと考えてもぜんぜんかまわないんですけどね、「アルツハイマーは病気だ」という言い方を私がしているのは、……変な話ですが、そうでないとアリセプト(認知症改善薬)も使えませんしね。「どうしても病気だ」と強く言い張ろうとは考えていませんが、やはり病気、障害として見定めるということをしておかないと、介護保険もうまく使えないということもあります。
 そういうポリティカルな、あるいは実利的な問題もありますが、やはりその衰え方が違う。認知症には特有の不自由もありますから、ケアに工夫が要求されるという課題もあります。それに、認知症が進むとどんどん身体を巻き込んでいって、ときにはけいれん発作まで起こして姿勢反射も失われ、立てなくなるということもあります。アルツハイマー病をかかえた人と、かかえていない人の生命予後は、統計的にも明らかに違いますから。」(p. 76)

 「小澤――個体のほうへ求めすぎるのでなく」ということですね。それまで本人のさまざまな問題だけを追究してきたけれども、その人がどういう暮らしをしているかによって、不自由のあらわれ方が全然違うんじゃないかと。
 滝川――反精神医学の場合、本人の外にある環境の捉え方が少し狭いという感じがします。政治的環境、あるいは経済的環境といったものに限定しすぎているので、それを推し進めていくと窮屈な一種の倫理主義になってしまったり、政治主義になってしまって、身動きがとれなくなってしまう。
 小澤――そのとおりです。
 滝川――私たちのこころの働き自体が、社会的・共同的なもので、その社会的・共同的な模気をヒトという個体が脳の中で一生懸命やっているわけだから、そこにはやっぱり無理もある。その無理の結>0078>果として精神障害という、ある”在り方”が生じてくる。そういうふうに広げて考えたほうが、いいんじゃないでしょうか。」(pp. 78-79)

 「――小澤先生は冒頭で話題にあがった本を書かれていたころは、個別性と共同性は二項対立的な感じでしたか。
 小澤――はっきりと二項対立てきとしてもっていたわけではないけれど、やはり運動に巻き込まれていると「社会が変われば人間も変わる」というような感じが強かったのかもしれませんね。でも、ほんとうにそんなふうに思っていたのかと言われると、わかんないですよね。だからもう一度臨床に沈潜して、基本的なものごとから考え直さないと、「とうていこのままではやっていけないな」と、どこかで感じていたんですね。」(p. 79)

  「小澤――言葉についてもう一つ言うと、私が『痴呆を生きるということ』を出したときに、医者たちから「あんなの文学作品や。科学でもなんでもない」と言われてね。ぼくは、文学作品やと言われることについては褒め言葉だと思うことにして(笑)/ただ科学じゃないと思っているわけじゃなくてね。」(p. 91)

 「小澤――それまでは精神医学に対して「こんなことを考えていたら、患者さんのこころからどんどん離れていくじゃないか」と思っていたんですが、中井先生の本を読んで「こういうふうにていねいに見て、それを言葉にすることが本人へのやさしさに結びつくんやなあ」と思ったんです。
 ぼくが洛南病院にいたときに、週一回、みんなで集まって読書会をしていたんですよ。最初は『反精神医学』だとかクーパーだとかを読んでいたんですが、あるとき中井先生の本を読んで、そのあたりからだいぶ気持ちが楽になりましたね。」(p. 93)

◆病いを得るということ 小澤×瀬戸内寂聴

 「小澤――ええ、医者の評価は高くはないのですが、介護なさっている方にあれを読んで少し元気づけられましたと言っていただくのが、いちばんうれしいですね。」(p. 101)

第II部

◆「私はどこにいるのか」西川勝×小澤

 「ぼくは滝川先生との対談(→p. 068)のなかで、認知症を病気、障害であるというのは、けっきょく社会的な見方だろう、という話をしました。でも一方で、いまの世の中でわれわれは生きているのだから、やはり病いであり障害であると思っているのです。しかもその大半は回復が非常にむずかしい。そういう点ではたしかに諦めといえば諦めなんですが、それを基盤に起こっているさまさまな出来事、つまり周辺症状はなんとかなると思っています。ぼくだけでなく、スタッフもみなんそう思っていましたよ。「一〜二週間、長くて三週間、ともかくがんばれば、まあなんとかなるわ」という感じがありましたね。」(p. 122)

◆なんてわかりやすい人たち 出口泰靖×小澤

◆具体の人、小澤勲 出口泰靖

◆治らないところから始める 天田城介×小澤

 「小澤――[…]当時はやはり精神医療改革の運動に身を置いていましたから、その運動のなかで考えるとしたらこういう書き方になる、というのが正直いってあった。だからいま思うと、ほんとうの臨床に根ざして、そこから自分の考えを自分の言葉で書くということができていなかったので、いまそう言われるとすごく恥ずかしいです。」(p. 190)

 「天田「ケアの世界では、「こういうケアをしたらお年寄りがひじょうに生き生きしました」とか、けっこういいことがたくさん言われているのですが、「専門職がいかに力を行使しているか」はなかなか言われないのですね。それに対して先生は立ち位置としての医者のポジションをつねに自覚化されていて、「専門職っていったい何なの?」と問いつづけている。これがもう一つの反精神医学のエッセンスだったとぼくは思うんです。そこを全部とっぱらって、「同じ人間だから向き合おうね。台所でご飯を一緒につくりながら一人ひとりを生活者として見つめましょうね」というのは、嘘っぽいというか欺瞞的に見えてしまいます。」
小澤「ぼくは関西人だから露骨にいうと、一方は金を払って利用してくれている。一方は金をもらって生業としているわけだから、平等であるはずがない。その両者のあいだに権力関係をなくすわけにはいかない。「デイケアだと一日一万円以上の介護報酬をいただいているわけだから、一万円あれば世の中ではどれだけ上等の食事、サービスを受けられると思ってるんだ。それでも利用していただけるようなサービスを提供しなければいけないよ。そういうことをいつも考えているに違いないレストランやバーに負けるな」と言いつづけていました。」
天田「専門職が、あるいは専門職として行使してしまう力を、どう自覚化するか。さっき先生が言われた物語として読み取ることの傲慢さも、「どう自覚化するか」が裏にありますよね。そこが機能しないと物語を読み取ることが自己目的化してしまう。たとえば最近デイサービスセンターや宅老所などでは、「むかし大工の棟梁だった鈴木さん」とかと言いつづけたりするところがあるんですね。」
小澤「私のいた施設で、ガラス屋さんをしていた人が全部のガラスをはずしてしまって、もう危なくってしょうがいないでね、だれかが「ごくろうさま。あとは若い者がやりますからお任せください」「うん。わかった。」――その程度の話でね、いつでもいつでもガラス屋さんであるわけではない。そればっかり言っていると、効かなくなる。」
天田「人の人生は一枚岩ではなくて、いくつもの姿、像をもっているんですね。たぶんガラスをはずしている場面だから、「ガラス屋さん」という呼びかけが生きるわけで、朝起きたときに「ガラス屋さんの田中さん、おはようございます」というのは違うんですよ。文脈に応じて「ガラス屋さんである田中さん」がいるわけで、それに対して声をかければいいだけの話です。」
小澤「そうですね。あるとき、「ガラス屋の田中さん、ごくろうさまです」と声を掛けてスッと終わっても、それがその施設の決まり文句になってくると、だんだん効かなくなってきます。いわばマニュアル化してしまうと駄目なんだよね。」
天田「物語がその人の生活を覆うわけではなくて、いくつもの錯綜する物語が田中さんをつくっている。むしろその錯綜したことを読み解いて、そして読み解いたことの傲慢さを自覚することが大切なんだと思います。いま当事者論みたいなところで専門性も全部語られてしまって、「専門職はみずからの限界性と落とし穴を自覚せよ」と言えない雰囲気がありますね。当事者の世界を理解する、当事者が語るということはとても重要なのですが、専門職がみずからの力をどう行使してしまっているのか、が語られない。」
小澤「それを自覚しているかどうかですね。自覚しようがしまいが当事者とケアスタッフは非対称な関係です。それを十分にわきまえておかなくてはいけないでしょうね。」
天田「けっきょくは、当事者と同じ世界を生きているんだという論と、仕事としてやっているんだという論のどちらかになってしまう。それはひじょうに窮屈かつ平板な解釈ですね。」
(pp. 194-195)

 「天田――療法の否定と、療法がときとして意味をもつということ。そのへんをどうやって言うかがテーマですよね。どうしても「リハビリいるか、リハビリいらないか」の単純な図式でしょう。
 小澤――目の前に困った人がいれば、やっぱり助けるために動く。だけど、それが場合によってはその人を傷つけているかもしれないということはつねに念頭においておく。」(p. 197)

 「――[…]いろいろな軸が同時に立っている。
 小澤――それはそうかもしれない。いい加減なんや。
 ――そのいい加減さを聞きたいのです(笑)
 小澤――臨床家というのはだいたいそんなもんやね。折衷というか、使えるものは何でも使ってみようとするのです。」(p. 200)

  「天田――[…]一見矛盾するこの二つの事柄が並列的に接続している。それは単に臨床家としてプラグマティックにやってきたからというだけでもないのではないかと思っているのですが。
 小澤――それはわからないなぁ……。」

 「天田――[…]規範の内部で起こるあれこれに対してはひじょうにクールなまなざしをされていますよね。であるにもかかわらず、規範に呪縛されざるを得ない人たちへは「寛容」であり、多元的な価値を許容することろがありますね。それは何なのだろうかというのが読んでいてもよくわからなかった。
 小澤――何なんだろうな。ぼくもようわからん。ただ、そうも言っていられないことがあってね。サテライトの外来でやっているとうつ病の人もたくさん来るんですよ。そうすると嫌いやとか、なんだこいつらはと言うわけにもいかないのてすね。」(p. 202)

 「天田――ただ先生、いくつかの価値が同居しつづけるためにはそれなりの足場があるのかなと思うんです。
 小澤――足場ねえ。わからないけど、やはり生涯、ずっと現場に居つづけたということでしょうかね。」(p. 203)

 「小澤――そうかもしれないけど、うーん。やっぱり自分ではわからないな(笑)」(p. 204)

◆小澤勲の生きてきた時代の社会学的診断――ラディカルかつプラグマティックに思考するための強度 天田城介 205-233

1 小澤勲の生きてきた時代――忘却された歴史の忘却と反復される言説

□小澤勲の軌跡と来歴

 一九三八(昭和一三)年、神奈川県の鎌倉に生まれる。中学生のとき、彼の母親ががんで亡くなる前に「大きくなったら今は治せない病気を治せるようにしてね」と告げ、そのことが後に彼が医師になったことに「どこかで彭響を与えていたのだろう」と回顧している[小澤・土本 2004:299]。そして一九六三(昭和三八)年、京都大学医学部を卒業し、医師となる。
 卒業後はインターン生として大学病院にて研修した後、滋賀県中央児童相談所、兵庫県立病院光風寮に勤務。一九六六(昭和四一年)京都大学大学院医学部入学。高木隆郎のもと、児童精神医学部門にて学ぶ。このころ、自閉症に関する研究で最初の論文を書き上げる。
 その後、一九六九(昭和四四)年には、一年以上の無期限ストで「医局解体闘争」を担うことになった京都大学無給医会の書記長を務める。同年、大学院を自主退学。
 一九七〇(昭和四五)年、京都府立洛南病院勤務。「この時期には、統合失調症の治療に心を奪われていた。うつ病は苦手だった。統合失調症の深い哀しみは実感できたが、うつ病は現世の枠組みのなかでヒラルヒーが上がったり下ったり、はじき出されたことがきっかけになって起こることが多く、正直言って、そんなしょうもないことで悩むな、と感じてしまっていたのであろう[小澤・土本 2004:304]と当時を振り返る。
 その後、一九七四(昭和四九)年には『反精神医学の道標』『幼児自閉症論の再検討』を、一九七五(昭和<0206<年には編著『呪縛と陥穽:精神科医の現状報告』を、一九八四(昭和五九)年には『自閉症とは何か』を上梓する。一九九八(平成一〇)年に『痴呆老人からみた世界:老年期痴呆の精神病理』、二〇〇三(平成一五)年に『痴呆を生きるということ』、二〇〇五(平成一七)年に『認知症とは何か』を刊行している。また、二〇〇四年(平成一六)年には土本亜理子と共著で『物語としての痴呆ケア』を発表している。
 また、一九八〇(昭和五五)年に洛南病院老人病棟の担当となり、一九九一(平成一三年には同病院副院長、一九九四(平成六)年には同病院を退職し、広島県三原市の老人保健施設「桃源の郷」の施設長となる。その後、種智院大学教授を務めたのち、現在同大学客員教授である。そのような経歴である。
 小澤は自らの人生を回顧しつつ言う。「私の人生は振り返ってみると、「棒の如きもの」に貫かれていたように見えるのだ[小澤・土本 2004:302]。

第III部 認知症を生きるということ――公開講座より

 「認知症にはさまざまな原因があり、種類があって、それによって治療やケア、経過や予後も違うのです。/[…]そのような違いを無視して語られる予防論も多く、とてもうさんくさいのです。/いずれにしても、私は予防の話が嫌いです。予防論に>0240>は、どこか認知症を絶望的な病いとする雰囲気があります。また、認知症を生活習慣病とする考えた方からすくと、現在、認知症をかかえて生きておられる方は、間違った生活習慣を送ってきた人なのでしょうか。その結果、いわば自業自得でいまの病いをかかえられるように難たのでしょうか。私は、決してそうは思いません。」(p. 241)

■紹介・言及

◆立岩 真也 20140825 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p. ISBN-10: 4622078457 ISBN-13: 978-4622078456 3700+ [amazon][kinokuniya] ※

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

◆立岩 真也 2011/08/01 「社会派の行き先・10――連載 69」,『現代思想』39-(2011-8): 資料

◆立岩 真也 2009/04/01 「医療者にとっての「社会」――身体の現代・8」,『みすず』51-3(2009-4 no.570):- 資料

◆稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 2008/11/** 『流儀』,生活書院

◆立岩真也 2006/07/25 「『ケアってなんだろう』・2」(医療と社会ブックガイド・62),『看護教育』47-07(2006-07):-(医学書院)◆立岩 真也 2008 『…』,筑摩書房 文献表

◆立岩真也 2006/06/25 「『ケアってなんだろう』」(医療と社会ブックガイド・61),『看護教育』47-06(2006-06):-(医学書院)


UP: 20060424 REV: 0427,28 0528, 20100309, 20110711, 2014
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