「以下で私は、できごとの連鎖を再構成し、ドラマの主役達を確定し、クレイムと対抗クレイム(Spector and Kituse[1977]1987参照)を探求し、心的外傷後ストレス障害の診断を裏付けるために使われた証拠を記述する。私は、いく人かの主要なクレイムメイカー達への直接のインタビューと電話インタビュー、新聞、雑誌、公文書を通して、私の説明のために必要な証拠を収集した。」([55])
アーチボルトとタッデンハイム(Archibald et al. 1962; Archibald and Tuddenham 1965)は、退役軍人を対象に15年および20年後の追跡調査を開始。
戦争神経症の診断の意義を再確認。
各戦争中の戦闘によるストレス経験者に、症状が持続していることを証明。
捕虜強制収容所の生存者を対象とした似た研究でも同様の結果が報告されていることを発見。
これらがDSM-Uに載らなかったのは、かれらが自分の関心を編者に知らせなかったこと、DSM-Uにおいて全ストレス反応の位置づけがどうなるかをはっきり知らなかったため。
1967年7月、一部のヴェトナム戦争の退役軍人が、ヴェトナム戦争へのアメリカの関与に講義するためにニューヨークの街を行進。(Vietnam Veterans Against the War 以下、VVAW)
「兄弟たち」を家に連れ戻して戦争を終結させるために、ヴェトナム戦争の退役軍人が団結することを熱心に呼びかけた。
以後、この活動がDSM-Vに心的外傷後ストレス障害を掲載させる運動の中心となっていく。