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『トランスジェンダー・フェミニズム』

田中 玲 20060301 インパクト出版会,176p.


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■田中 玲 20060301 『トランスジェンダー・フェミニズム』,インパクト出版会,176p. ISBN-10: 400022011X ISBN-13: 9784000220118 [amazon] ※ f03/t05

■目次

第1章 なぜトランスジェンダー・フェミニズムか
女というカテゴリー 10
なぜトランスジェンダー・フェミニズムか 18
女である、ということ 30
フェミニズムとの新たな共闘へ 35
第2章 トランスジェンダーという選択
トランスジェンダーという選択 FTM(女性体から男性体へ)のライフスタイル 46
トランスジェンダーとしてのカムアウト 61
ポリガミーという生き方 67
パートナーの親に会いに、アメリカへ行く 70
第3章 「性同一性障害」を超えて、性別二元論を問い直す 
「性同一性障害」を超えて、性別二元論を問い直す 『トランスジェンダリズム宣言』 82
性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律をめぐって 91
典型的なFTMトランスセクシュアルの個人史 虎井まさ衛『女から男になったワタシ』 101
正規ルートの医療とは 105
第4章 多様な性を生きる
すべての言葉を貫く「私」という通低音 掛札悠子『「レズビアン」である、ということ』 114
炸裂する過激な愛 パット・カリフィア『パブリック・セックス』 118
あなたが本当にジェンダーから自由になりたいのなら パトリック・カリフィア『セックス・チェンジズ』 127
多様な性を生きる人たちとDV 131
セクシュアリティを考える拠点に クィアと女性のための新たな共闘の場の提案 148

あとがき
初出一覧

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■引用

「私の中のぬぐいがたい性別違和感。それへの問いがすべての始まりだった。
私は女性の身体を持って生まれ、女の子として育てられ、また、確かに法律上でも女性には違いなかったのだが、物心つく頃には、すでに性別違和を感じていた。私には年長の男きょうだいがいなかったにも関わらず、幼稚園にあがる前は、「ボク」という一人称を使っていて、両親もそれをとがめはしなかった。私は、自分のことを素朴に「男の子」なのだと思っていた。いや、もっと正確に言えば、「女の子ではない」と信じていた。
けれど、厳格なカソリックの私立幼稚園に入園した私は、いきなり、漠然とであるにせよそれまで持っていたジェンダー・アイデンティティの危機に直面することになる。男女別の制服があったその幼稚園で私は毎日スカートをはかされ、性別分けされる経験を続けたことで、一人称そのものが使えなくなってしまったのだ。」(p.10)


「このようなストーリーは、トランスジェンダーたちの間では、さほど珍しいものではない。社会的性別(ジェンダー)・身体的性別(セックス)と性自認(ジェンダー・アイデンティティ)のズレが、日本語の文脈の中で一人称の使用を困難にさせるのだ。けれど、多くのトランスジェンダーの場合、そのズレは、女/男軸できれいに分かれることが多い。トランスジェンダーを表す代表的なカテゴリー、FTMTG、MTFTGという言葉が端的に示すように。
 トランスジェンダーとは、「性別越境者」と訳される。これは大きな枠組みで、大雑把にはトランスジェンダーはトランスヴェスタイト(異性装者)、トランスジェンダー、トランスセクシュアル(性転換者)に分けられる。トランスヴェスタイトは異性の装いをするだけで満足な人、トランスセクシュアルは異性のホルモンを使い性器まで異性の性器に近似させたい人、トランスジェンダーはそのグラデーションの中に幅広くあり、狭い意味で言うと、性器までは変える必要を感じないが、異性としてフルタイムで生活する人ということになる。」(p.12)


「意外かもしれないが、トランスジェンダーには、実は「母親」であるFTMトランスジェンダーもいるし、「父親」であるMTFトランスジェンダーもいる。もちろん、中には性器まで完全な性転換をしてしまう人も多い。なぜ性別違和がありトランスしているのに、トランス前に元の性別でセックスし子どもを作ることができるのか、それを「おかしなこと」と思う人も多いだろうが、人生の中では様々な選択がある。それが現実だ。トランスジェンダーにも、ネイティブの男女でヘテロセクシュアルの人と同じように、社会からの抑圧はあるのだ。しかも、生まれた時から性別違和を感じながら、可能性が見えなくて、自分をトランスジェンダーだと自認するまでに時間のかかる人もいる。
 また、ホルモンを使っていないFTMは「男」に見えてもたいてい月経があり、声変わりはしていない。ホルモン注射を打っていたとしても、髭が生え月経は止まり、少し筋肉質にはなるが、乳房除去手術をしていなければ胸はついたまま。もちろん子宮と卵巣を除去して陰茎形成していなければ女性器のままだ。MTFはそれとは逆だ。永久脱毛していればそれなりに「女」に見える部分はあるが、そうでなければ髭の剃り跡が濃く残っている。もちろん喉仏はそのまま。ホルモンを摂取していなければ胸の膨らみもない。ホルモン摂取したとしても、もちろん精巣摘出や陰茎切除、膣形成をしていなければ、陰茎もやや小さくはなるが、そのままだ。
 トランスの過程にいるトランスジェンダーは大勢いる。最終的に完全に性器までは「女」「男」に身体を変えてしまわないトランスジェンダーも多い。MTFの場合は比較的性器の手術は簡単だが、特にFTMの場合は、大きなペニスまで付けず、立ちションできるレベルの小さなペニスで満足するケースも多い。なぜせっかく手術するというのに、一般的な男性の大きさのペニスでなく、小さなものを付けるのか。大きなペニスを付けると性交のために半勃起状態の大きなものを付けられ、しかも感覚がなくなり、根元から小便が漏れる可能性が高く、再手術を繰り返さなければならないというリスクもある。しかし、ペニスが欲しい人は、感覚がそのままで、機能的には立ちションできれば小さくても十分だと言う人もたくさんいる。他人から見るとその人は、男性用小便器が使える以上、日常生活の上でも「男」に見えるはずだ。このように、身体の特徴だけをとり出してみても、現実として、性とはグラデーションである、としかいいようがない。「私」というものはつきつめれば、「私」一人しかいないのだ。」(pp.25-27)


「また、私は大雑把に言うとFTMだが、「本物の男」になろうとは思っていない。乳房は手術して取る予定だが、女性器を解体して子宮と卵巣を取り除き、人造男性器を付けるために性器の手術を受ける予定も今のところない。だから、もちろん、現在の性同一性障害者性別取扱特例法(第3章参照)を使って、戸籍上の性別を変更することはできないし、する予定もない。正確に言うと、FTMTXと言えるだろう。私がトランスを始めたのは、性別二元論から自由になりたかったからだ。自分が「女」から「女ではないもの」になるには、別に「男」である必要は全くない。男性ホルモンを定期的に投与し、一見「男」に見える外見にはなったが、女性器はついたまま。乳房は取るので乳なし、女性器あり、の一般常識からすると不思議な身体だ。しかし、私はこの身体となら仲良くしていけるだろうと思う。」(pp.40-41)


「「性同一性障害者性別取扱特例法」(資料1)が施行された。その特例法においては以下の要件を満たす人のみが家庭裁判所に戸籍の性別の取扱いの変更の審判を求めることが出来る。@二〇歳以上であること、A現に婚姻をしていないこと、B現に子がいないこと、C生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること、Dその身体について他の性別に係る部分に近似する外観を備えていること。」(91)


「虎井の解説によるとトランスセクシュアルとトランスジェンダーの分別はこうだ。

「突然神様があらわれて、あるFTM(♀→♂)にこう言ったとしよう。
『誰から見ても男にしか見えない、しかも男として幸福なエリート社員の道が開けている人生を与えよう。しかし肉体は、服を脱いだら女体のままである。
 もう一つ、スカートをはいて女として、OLとして暮らさなくてはならないし周りからも女だとみなされるけれども、服を脱げば一変、まごうかたなき男体である、という人生も選べるぞ。
さあ、どちらがよいか。』
――TGは前者を、TSは後者を選ぶ。
これは極論ではある。TSも無論、異性装として生きる道などまっぴらであろう。しかしどうしてもどちらか一つと言われたならば、やはり実生活よりも、肉体上の性を採る。TSにとっては性器こそが最大課題なのだ。」

ぬぐいようのない性器違和感。虎井はそれを強調する。しかし、そこから性転換してもなお、書類上の性別は「女」のままだった。
 そして、時代は後から追いかけてくる。埼玉医科大で一九九八年より性転換手術が合法的に行われるようになり、マスメディアも取り上げ始め、ネットワークも拡大してきた。近年はGID(性同一性障害)研究会が毎年国内でも開かれ、トランスジェンダーの運動団体や個人の交流会も開かれている。そんな中、特例法が通り、虎井をはじめ、何人かのトランスセクシュアルが書類上でも完全に性転換を果たすことができた。
 虎井は経験と情報量を活かし一九九四年からニュースレター『FTM日本』を出している。ここには一つのコミュニティがある。
 しかし、全ての広義のトランスジェンダーが虎井と同じではない。彼はそれを分かっているが、自分の思想と経験から見えるものしか書けない。私は虎井がトランスセクシュアルであることをカムアウトして運動していることに敬意を表するが、ジェンダーバイアスが掛かり過ぎとも言えるそのビジョンには窮屈さを感じる。
 この本は、一人のFTMトランスセクシュアルの歴史と経験として貴重なものである。しかし、以下の言葉にはショックを受けた。
 「フェミニズム――という言葉からも、『歯ブラシ』だとか『たんす』だとかいう単語から受ける印象以上のものは感じない。つまり、別に何も感じないのだ。」
(虎井まさ衛「〈人権〉という家の中の部屋」)

彼は戸籍上も男性に変わり、女体であったことを完全に「なきもの」にした。二〇〇五年秋、女性と結婚もしたという。日本で一番有名なFTMである虎井まさ衛。もちろん影響力もある。しかし、彼は典型的トランスセクシュアルだからこそストレートに分かりやすく、社会に受け入れられていると言えよう。彼の歴史から何を学ぶか。それは読者一人ひとりの意識にかかっている。」(pp.102-104)


「私はそんな戸籍制度の中の性別変更のために「正規ルート」を取ろうとは思わない。正規ルートの場合、精神科医に「本物の女」「本物の男」として「認めて」もらわなければホルモン投与や外科手術ができず身体が変えられないので、わざとMTFはスカートをはき、メイクをし、FTMは短髪にしてできるだけ男っぽい服装で行く。GID研究会など、研究者と当事者が一緒に参加する場所では、FTMはネクタイにスーツが多く、MTFは女っぽスカートのスーツからミニスカートまでいる。「自分は性同一性障害だ」という過剰なアピールがそこにある。もちろんカウンセリングでの医者からの質問も推して知るべしだ。
 たまたま自分の好みがジェンダーステレオタイプに合っている人なら構わないが、MTFはより女っぽく、FTMはよりマッチョに、ふるまう。それが「正規ルート」が持っているジェンダーバイアスを強化してしまうことになる。一般には、女でもボーイッシュな人はいて、短髪、ノーメイク、ノーブラ、パンツルックしかしないという人は大勢いる。男でもメイクをしたり、髪を伸ばしたり、おしゃれをする人もたくさんいる。しかし、精神治療はそれを無視し、当事者たちの「認めてもらう」ための、ジェンダーステレオタイプにはまったアピールをそのまま受け取っている。それで蓄積されていく精神科の「性同一性障害(GID)」データは、現実をゆがめている。これではおそらく精神科は偏った情報しか持てない。これでは「男は男らしく」「女は女らしく」させたい保守勢力の強化になるとしか思えない。
 GID診断の必要性とは何かと言うと、当事者が「性転換」したことを後悔しないようにという思いが強いように思う。確かに身体を変えることは大きなことであり、いろんなストレスがかかってくる。例えば、会社の正社員として働いている場合、健康診断の扱いやトイレの使用など、トランスジェンダーとして日常的に厳しいことがたくさんある。そこに「GIDで正規治療を受けている」と医者の証明が得られれば、上司の理解を得られる確率はまだ高い。」(p.107)


「それぞれの人間が決断し、身体を変えていくことには、医者がジェンダーバイアスに基づいて「GID」と認識しなければならないことは要らないはずだ。精神医学では「精神異常」とされてきた「同性愛」は、運動の甲斐あって疾患から外れたが、トランスジェンダーは「性同一性障害」と診断される。つまり、ある種の精神障害とされているわけなのだ。「障害」が悪いわけでも恥ずかしいわけでもないが、精神障害や精神疾患などと自分のジェンダーや身体を変えたいということは別のことだ。
 一番大切なのは、トランスすることでどんな弊害があるか、身体への負担や金銭的負担、社会的差別の問題などを明らかにし、そういった情報を提供した方が現実的だと思う。」(p.109)

■書評・紹介

■言及


*作成:高橋 慎一
UP: 20080520 REV:20081001
フェミニズム (feminism)/家族/性…   ◇トランスジェンダー/TS・TG/性同一性障害  ◇身体×世界:関連書籍 2005-   ◇BOOK
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