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『変化する社会の不平等ー少子高齢化にひそむ格差』

白波瀬 佐和子 編 20060216  東京大学出版会,244p ISBN: 4-13-051124-6 2500


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■白波瀬 佐和子 編 20060216 『変化する社会の不平等――少子高齢化にひそむ格差』,東京大学出版会,244p ISBN: 4-13-051124-6 2500 [amazon][kinokuniya] ※

■内容

◇「BOOK」データベースより
再発見される不平等。どこに格差があるのか。あなたは足もとの揺らぎに気づいていますか。
◇「MARC」データベースより
再発見される不平等。どこに格差があるのか? 少子高齢化という社会の変化に注目して、機会・雇用・教育・健康といった不平等に関する諸問題を、実証データをもとに明らかにする。

■目次

序 少子高齢化にひそむ格差  白波瀬佐和子
1 爆発する不平等感―戦後型社会の転換と「平等化」戦略  佐藤俊樹
2 不平等化日本の中身―世帯とジェンダーに着目して  白波瀬佐和子
3 中年齢無業者から見た格差問題  玄田有史
4 少子高齢化時代における教育格差の将来像―義務教育を通じた再配分のゆくえ 刈谷剛彦
5 健康と格差―少子高齢化の背後にあるもの  石田 宏
6 遺産、年金、出産・子育てが生む格差―純金融資産を例に  松浦克己
7 社会保障の個人勘定化がもたらすもの―リスクシェアリングとしての公的年金  宮里尚三
8 変化する社会の不平等  白波瀬佐和子

あとがき 白波瀬佐和子




序章 少子高齢化にひそむ格差  白波瀬佐和子 1-15

 1 少子高齢化と不平等
 「世の中が複雑で、中味のメカニズムがわからないからこそ、単純明快で過激な言葉に人々は何のためらいもなく反応する。「少子化のどこが悪い!」「負け組み(ママ)が日本を滅ぼす!」などといったメッセージが鬱積した人々の心理をがっちりと捉える。」(白波瀬[2006:1])


1章.爆発する不平等感――戦後型社会の転換と「平等化」戦略    佐藤俊樹  17-46

◇ノート 作成:的場和子*(立命館大学大学院先端総合学術研究科
 *http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/g/mk04.htm

1.不平等化の中身17-18
 「1990年代の終わりごろから日本社会の不平等化がさかんに言われるようになった[…]17<18『不平等化』はせいぜい10年ぐらいしかない。それ以前はむしろ『日本社会は平等』という意見の方が多かった.(17−18)  「社会には慣性とでもいうべき力があって、根底から変わるのには時間がかかる。あるいは、世代間職業継承性のように、その性質上、数十年ぐらいの時間幅(親と子の年齢差でしか測りえない変化もある. 「不平等化」と呼ばれる事態はこの種の変化とも深く関連している。(18)」

2.[不平等感の爆発」という事件 18-20
 「感じ方は実態を忠実に反映するわけではない。所得格差や世代間職業継承性の動向をめぐる論争でわかるように、統計的データではかれる『実態』の上では、たとえ変化があったとしても、それは争われる程度のもの、つまり誰が見ても『変わった』といえるものではない.それに対して感じ方の上ではそれこそ『誰が見ても変わった』かのように語られている.そういう感じ方も、統計データと直接関係するにせよ、なんらかの実態に対応しているのではないか。そういう複合体complexを現す言葉としてここでは『不平等感の爆発』を使っている.(19)」

これは3種類の変化が組み合わさっている。
  a)中期的変化(数十年単位):戦後型社会のしくみの喪失
  b)短期的変化【10年単位):バブル崩壊後の不況とグローバル化
  c)政策的な「失敗」:不平等や不信を結果的に増大させる政策の採用

 「簡単にいうと、a)およびb)の変化によって不平等、とりわけ機会の不平等に対する敏感さが潜在的に醸成されつつあった.にもかかわらず,あるいはだからこそ、なのかもしれないが、その敏感さを逆なでする方向に政策の舵を切った。  具体的に言うと、人々が機会の不平等に敏感になりつつある状況19<20で、経済運営や税制、教育政策などの、いろいろな分野での機会の不平等を無視したり、その存在を否定するような政策を採用した.もともと人々が敏感consiousになっているのに、政策の方は逆にそれに鈍感inconsciousな方向に変化した.その分、人々はいっそう敏感にならざるを得ず、それが不平等感inequality-consciousnessを爆発的に増大させた.(19-20」)
 「この仮説が部分的にせよあたっているとすれば、不平等化には、相互に関連しているが、種類のちがういくつかの変化が関わっている。[…]『不平等化』はただひとつの原因で起きたわけではなく、それゆえそれを最終解決するただひとつの特効薬も存在しない。数年単位の政策の展開だけでなく、数十年におよぶ粘り強いモニタリングと社会全体のしくみでの対応を必要とする。(20)」

3.もうひとつの事象:「不平等感の消失」20-22
 「90年代の終わりから日本では不平等感の爆発が起こった。つまりは実態以上に強烈に『不平等化』が感じられるようになったが、それ以前は『平等社会である』という感じ方が強かった.  実はここにも実態と感じ方のずれが見出される.石田浩や盛山和夫らがすでに指摘しているように、 『平等社会』といわれていた時期でも、世代間職業継承性でみれば日本社会はイギリスやドイツに比べて、特に平等であったわけではない.つまりこの時期には、実態以上に強く『平等』だと感じられていた.『不平等感の消失』が起きていたのである.(21)」

 「戦後の日本が作り上げた社会には、そういう仕組みが備わっていた.いわば機会の不平等をより軽く感じさせる'原文傍点)しくみを持つ社会だったのではなかろうか.[…]戦後型家族は不平等感を消失させるしくみとして働き、その戦後型家族が解体しはじめることで不平等感は消失しなくなった.[22]」
 「90年代後半から注目されてきた二つの巨大な変化、『少子高齢化』と通称される家族―人口のしくみの変容と、『不平等化』として注目された資源獲得―配分のしくみの変容はつながっている.(22)」

4.「機会の平等」を脅かす家族 22-24
 「近代社会は『機会の平等』を社会の原理として掲げる.正確にいえば、『機会の平等』原理にあたるものを掲げる社会が近代社会に見えるわけだが(佐藤 1995;2001)家族はその『機会の平等』原理をさまたげる要因になってしまう.(23)」

例:アメリカ合衆国ピューリタン:究極の自己責任⇔親子関係?=末裔であるUSAもこれを解決できていない.

 「家族という制度はそのメンバー間の、例えば親と子の人格的な連続性を要請する.それは自己責任原則を破り、『機会の平等』原理を脅かすのである.(24)」

5.「機会の不平等」を消失させる家族 24-26
 「家族は『機会の平等』原理を外から脅かすが、この原理にはもうひとつ窮めて厄介な問題が内在する。機会という概念には不確定さがふくまれているため、現時点での職業や収入が将来どのような帰結をもたらすのかも不確定だと考えざるを得ない。24<25[…]』機会の不平等を正確に測るためには、取り分が確定されるまで(死ぬかあるいは他の要因で保有資源が変更不可能になるまで)待つ必要がある.だがその時点で確定されているゆえに、その不平等を是正できない.そういう逆説(パラドックス)をこの原理は抱えている。[…]もし不平等を是正しようと思えば、[…]『不平等だろう』という見積もりの上で政策展開せざるを得ないが、見積もりは不確定なものであり、不正義の疑惑をまぬか(ママ)れない.それゆえ[…]各人の生を左右するものであればあるほど是正処置は大きな反対を受ける.それが新たに実施されることで不利益をこうむる人々からみれば、不確かな根拠で重要なものをうばわれることになるからだ.(24-25)」
 「自己責任をおしつける側だけではなく、不平等の是正を求める側も25<26測り得ないものを測っているかのような強引さを帯びるのである(佐藤2005).(25-26)」
 「ピューリタンのにおいては不平等の確定と是正という問題は発生しなかった.完全な観察者兼記録者である神が『この世』での本人の行いの善悪を『あの世』で評価してくれるからだ.現実の社会はそうはいかない.『この世』での本人の評価は『この世』でなされなければならない.それが深刻な矛盾を引き起こす.けれども[…]本人の代理人となる“準本人”がいれば、本人に発生した不公平を“準本人”の上で[…]相殺できる可能性が出現する[…][26]」
「個人を基本単位とする近代社会では、“準本人”という考え方は一般には認められないが、例外となりうるものがある.家族のメンバー,とりわけ親と子どもの間に設定される連続性である.それがあの逆説を解決する妥協策となりうる[原文傍点).


6.親と子の連続性がつくる公平さ 26-28
 「第一に本人の上で是正しなくともいいので、資源配分がかなり確定した状態で不平等を測ることができる.是正処置で不利益をこうむる側であってもそのほうが受け入れやすい.第二に本人の上での是正でなくとも、代理となる“準本人”の上で是正するのであれば、代替処置として正当性をもつ.つまり“準本人”がいれば、26<27不平等を確定的な形で測りつつ、有意義な是正処置をとれるのである.[…]本人がこうむった機会の不平等を確定的に測りつつ,それを本人の子どもの上でおこなえば、不平等度を確定的に測りつつ、それを本人(の代理)の上で是正できる.[…]現実には[…]地位達成のゲーム全体で、不平等の要因になるものを減らして、より平等なゲームにしてゆくことになるが,これは『機会の平等』原理の不確定性ともうまく合致する.[…]水掛け論をやるよりは、新たなゲームの上で既知の不平等要因を失くす方が合理的だといえる.[27]」<br>  「戦後の日本でよく使われた言い方にそっていえば、『自分』すなわち本人が子どものときは親が貧しかったとか、兄弟が多かったといった理由で、通学を断念したり、不本意な就職をしなければならなかった.けれども、将来は自分の実力をもっと発揮できる機会が開けるだろうし、自分の子どもであれば、いっそう広い機会に恵まれるであろう.――そう考えることで、あたかも本人がこうむった不平等も補償されるかのように思える.“準本人”としての子どもを通じて、より平等になったゲームに再挑戦できるかのように思える.(28)」

7.「空白」の代理とジェンダー 28-30
 「戦後型家族では母親は自らの父親の職業や学歴だけでなく、ジェンダーによっても機会の不平等にぶつかる.それゆえ母親は『本来ならば得られるはず』の社会的地位の、その代理達成を男の子に求める.そこまでは父親と同じだが、その一方で母親はそういう代理達成を求める自己の現状の追認を女の子に求める.(28)」
 「女の子は父親にとっては、男28<29の子がいないか十分に期待できない場合に,男の子の代わりとなったが、母親にとっては、将来のゲームでの代理人であるだけでなく、現在の母親のあり方を受け継ぐことで、母親の現在を肯定してくれうる存在でもあった。女の子は母親という2重に排除された存在を、抜け出すこととあらためて選び取ることを同時に期待されていた(佐藤 2003).(28-29)
「既婚女性の階層帰属意識が配偶者の収入や学歴に左右されることは良く知られているが(例えば白波瀬 2005 第2章)子どもを教育する主婦は、収入や職業が測定できないだけでなく、もっと根底的に『空白』だったのではないか.その地位は何か別の代理によって書き込まれると了解されていたのでがなかろうか.同時的には男性配偶者の地位、事後的には子ども(主に男の子)が獲得した地位などによって.
 「[…]『世代間intergenerational移動』は正確には『世代間』ではない.本人の世代内移動の一種で[…]」本人の就業前の地位として、親の職業的地位が用いられて29<30いる.(29-30)」

8.戦後型の平等社会 30−32
人口統計:日本での『中産階級』『労働者階級』の出現〜1920年代:家族の転換点 子どもの数の減少→「少なく生んでしっかり育てる」「教育する核家族」の登場
戦後:「中産階級」的家族→勤勉な(=勤めに努める)親と勤勉な(=勉強に勤しむ)子といった組み合わせが、事実上の標準
 「これを支えたのが、戦後ずっと続いた格差の『下り坂』=縮小30<31傾向である.『機会』という名の資源配分―獲得ゲームはこれまで次第に平等になってきた.だからこれからももっと平等になってゆくだろう,と信じることができた。自分よりも自分の子どもたちはより平等なゲームで、本来の実力どおりに正しく評価してもらえるだろう,と思い込むことができた.(30-31)
  「現在ー未来の話に移りがちなのは、[…]日本社会の構成員にとって切実な問題だったからではないだろうか.今後どうなるかは本人には直接関係ないが“準本人”であるこどもにとっては一番重要なことである.31<32 逆にいえば、格差がこれから縮小しなくなれば、子どもを通じた代理達成も期待できなくなる。それは子どもにおける将来の不公平をうむだけではなく、本人における現在の不公平も『解決』できなくなる。格差の縮小停止という事態は『下り坂の錯覚』をもたらすだけでなく、もっと中身のところで二重の意味で深刻な問題を引き起こす.[…]子どもによる親の代理達成という考え方がもはや自明に受け入れられるものではなくなってきている.その面でも『機会の平等』原理は重大な困難にぶつかりつつある.(31-32)

9.戦後型家族の喪失 32-34
 データからの裏づけ:
少子化〜もっともわかりやすい←「出生コホート」
戦前:子どもを持てない家族:10%
戦後:子ども0は4%、子ども2人がほぼ半数 
最近:有配偶率低下、子どもを持っても代理とみない
                ↑女性の生まれ変わったら『男』という回答率 64%(1958)→28%(1998)
                  子どもをもたなくてよい 40%(1993)→50(2003)% 
                   持つのがあたりまえ:54%→44%(NHK「日本人の意識」調査)

10.未来志向の消滅 34-35
生活目標:未来志向が衰退:現実志向の増加(NHK「日本人の意識」調査)
 73年調査:30〜50歳(子育て期)―未来志向>現在志向:10〜20代ではなく.
 03年調査:全年齢層―現在志向>未来志向:20〜65歳ほとんど差がない.
「“準本人”による代理達成という論理は、過去での不平等を未来のより平等なゲームで埋め合わせようとする.だから未来志向的な態度を必ず伴う.[…]もちろんこれは70年代に『子どもによる代理』という考え方があった直接的な証拠にはならないが、00年代にはこの考え方は成り立たなくなっているとはいえる. […]90年代に変化が生じたようだ.(35)」

11.「不平等感」が物語ること 35-37
「不平等要因が本人に帰責できないものだと了解されながら、家族制度がメンバー間の人格的連続性を暗黙のうちにせよ認めている以上、親が子共に影響を及ぼすのも遮断できない.35<36[…]近代社会において家族がうまく位置づけられない,すなわち近代社会の原理から家族を論理的に導出できないことによる.近代社会には家族を正当化する積極的な論理がない,それゆえ,家族が自己責任原則という原理と真っ向から衝突しても,その間を調停する論理も組めない.(35-36)」
 「戦後という時代は,格差の長期的な『下り坂』=縮小傾向という階層論的な面でも、『教育する核家族』という家族論的な面でもこの消失効果が働きやすい環境にあったとはいえる.[…]あの17世紀のニューイングランドのピューリタンたちと良く似た状況に、今、私たちは立っているのである.[…]平等/不平等という,資源獲得のあり方だけではない、戦後型家族というもう一つの大きなしくみも不平等感の『消失』や『爆発』に関わっている。そういう社会全体を巻き込むような巨大な変化を感じているからこそ、36<37人々は不平等化という言葉に強烈なリアリティをもつ。  だが、その感じ方と真剣に向き合うこと[…]とその感じ方を不平等の実態との反映としてそのまま肯定することとはちがう.感じ方そのものは重要な事実であり、社会の変化を肌で感じ取る当事者の的確な直感からきているが,だからこそ,政策的な対応や社会科学の研究においてはその直感がどこから来ているのか、どんな変化がどのようにからまりあってそう感じとらられるのかを、できる限り明確に,明晰に切り分けら上で再構成しなければならない.複雑にからまりあっているからこそ、過度に単純化することなく,的確な見取り図を作る必要がある.  その意味で言えば『不平等感の爆発』を肯定するのも否定するのも,間違いだとわたしは思う.それは社会学にとっても政策立案にとっても,いいとか悪いとか,見下ろして判定するものではなく,挑戦すべき課題なのである.(36-37)」

12.政策的「失敗」のからくり 37-39
 「現在の日本では“準本人”は設定できなくなりつつある.『親と人格的に連続している子供がいる』ことを事実上の標準にできない.その一方で本人には必ず親がいる.つまり、生きている本人は常に誰かの子どもであり,その影響を受けてしまう. それゆえ,現代の私たちは『本人がこうむった機会の不平等を本人の生存中に是正する』という課題に正面から取り組まなくてはならなくなっている.人々はこの課題に従来よりはるかに敏感であり,37<38それがどの程度解決されるかは社会の原理レベルでの信頼性に関わってくる.そこでは政策とか政府とかをさらにこえて、いわば『社会をやってる』ことそのものへの信頼が問われてくる.(37-38)」
   しかし:政策的な失敗=人々の不平等の感受性を逆撫でする政策が採られた!!
 「その最悪さにも理由はちゃんとある.従来の消失効果が働かなくなったのに,ではない.働かなくなったからこそ,不平等なぞないふりをしたくなったのだろう.今までどおり解決できなくなったからこそ問題そのものから逃げ出したくなった.(38)」
    痛みに薬が効かなくなった→「痛みなんぞないんだ」ということにした。
   = 不良債権を解消策が聞かなくなった→「不良債権なんてないんだ」ということにした (子会社に不良債権をとばすとか)
[人間なんて,たかだかそんなものかもしれない.少なくとも私は,有限の知しかもたない人間に神のような完璧さを求める気にはなれない.だが気づいてしまった以上、引き返すことはできない.[…]38<39そうであることを踏まえて機会の不平等に新たな『解決』を編み出してゆくしかない.(38-39)」                         
                     
13.5つの戦略:新たな「解決」にむけて 39-44
  1)本人の生存可能性・参加可能性を確保する
 「不平等を本人の上で是正するためには,本人が生存しつづけ、かつ地位達成の過程に参加できる可能性が確保されなければならない.わかりやすくいえば、『子どもの将来』よりも,まずは『本人の将来』を確保する必要がある.したがって、社会保障制度の制度、とりわけ健康の維持が大事になってくる.[…]生存可能性・参加可能性の確保は他の4つの戦略の大前提になるものである.一般に機会の不平等は『後からしかわからない』(佐藤2000a)(強調引用者)つまり不平等が発見された場合には手遅れになりやすいが、とりわけ寿命や身体的不平等歯取り返しがつかない.それゆえ,かなり敏感に持続的にモニタリングする必要がある.

  2)個人単位のバランスシートを厳密化する
“準本人”的な考え方がなくなれば、そういう曖昧な未来への期待では現在の不平等感を解消しがたくなる.その分、社会保障の仮想的な個人勘定化といった、厳密に個人単位での不平等是正が要請されてくる.[…]どんぶり勘定でやるのではなく、個人単位の赤字黒字をはっきりさせた上で,世代間、世代内での調整を明示的な合意の上で進めなければならない、ということである。(40)

  3)不確定性を考慮した再配分を目指す
 「本人の上で不平等を是正するとすれば、どんな要因でどの程度不平等だったのかを確定できないままで、是正処置をとる必要がある.『本当にそのせいか・・・』と細かく厳密に検討してゆけば水掛け論になりやすい.少なくとも容易に水掛け論にしてしまえる.そうなると明らかに不平等な状況も結果的に固定されてしまう. したがって是正処置はある程度不確定のまま進めるしかない. 逆にいえば、無平等の是正を図る際には不確定さが致命的な血管にならないようにするのが望ましい.もう少し丁寧にいうと,個人個人の貢献度を出発点の不平等を考慮して正確に測りなおすのが一番いいが,現実には正確に測ることができない.強引に『測れた』とすれば,別の不平等をふやす可能性さえある.それよりはむしろ全員に一律に再配分する処置を考えたほうがよい.  いいかえれば、立岩真也が指摘しているように(立岩2004),『機会の平等』だけを求める立場からも結果的には(原文傍点)『結果の平等』になる是正処置のほうが現実的であるだけでなく、更なる不正義を生みにくい、という点で正当性を持つ場面が多い.(41)」

  4)親と子の連続性の負の面を縮小する
 「本当はどこまで厳密に是正すべきか自体も選ぶことができる。厳密な是正は実際には不可能であるか、実際には個人の自由などの他の基本原則に抵触するが、だからといって是正すべきではないとはいえない。是正に伴う不正義と是正せずにほっておく不正義を常にひかく考量すればよい.厳密な是正などできないのだから、「厳密な是正をしたらこうなる」という極端なケースをもちだして、賛成や反対の直接的な論拠にはできない.不平等をめぐる議論は、論理を明確にするために極限的な事例や思考実験を持ち出すことがあるが、そもそもそういうケースを議論する必要があるのか、そこからまず考えてゆくべきである.(42)」
 「家族制度がある以上、親の子供への影響を遮断することはできない.だが、そのなかでどれを認め、どれを認めないかは取捨選択できる.例えば子どもの教育に親が積極的に関わることを禁止するのはむずかしいが、収入が少ない場合でも学費の高い学校に進める補助金制度を創ることはできる。[…] 親が子にあたえる影響をつまり機会の不平等の要因になりうるものをすべて否定することはできないが、だからといって全てを肯定42<43しなければならないわけではない.

  5)選択可能/不能の切り分け基準を約束する
 「[…]親の学歴や職業の影響を『平均的にこの程度』と測ることはできるが、個人個人で何がどの程度影響しているかを確定することは、少なくとも現実的にできない。[…]それゆえ、個人で選択可能/不能という要因の切り分けはつねにある程度『社会的』なものにならざるを得ない.社会学風にいえば『社会的に構築される』わけだが、もっと根源的な意味でこれは約束事としてあつかう(本文傍点)しかない.
 約束事で一番大事なのは、一度約束したことを守ることである.単純な話、親からの遺産相続を認めるのであれば、貧富を最後まで自己責任にしては成らない.家庭での教育を認めるのであれば、教育達成をすべて個人の業績にはできない。[…]常に程度問題であることまで含めて、選択可能/不能のきりわけ基準に関して一貫した態度を取るべきである.(43)

14.平等化戦略がめざすもの 44-45
機会の不平等の改善〜困難=<不確定性>および<家族(より基幹的な制度上の)>

「[…]現在の現代社会を基幹的な部分まで大きく変更しない限り、これら困難をゼロにはできない。ゼロにはできないが放っておくこともできない。機会の不平等は常にそういう問題でありつづける。[…]最終的な解消が望めない状況下でも、一人一人の生を立ち直り不可能なまでに損ねることなく、資源ー配分のゲームを原理的にではなく、現実的にできるだけ公平な方向にもっていきつづけられる方策.そういう[解決」が求められている。(44)」

「[…]およそ社会の原理というのは、現実を超えた理念であるだけでなく、社会の当事者である人々が信頼を寄せる拠り代である.[…]社会の原理は具体的に達成されないことではなく、人々の信頼が44<45失われることによって壊れてゆく.[…]それゆえ、社会の原理に関わる政策は、困難や課題の完全な無化ではなく、困難や課題にどれだけ敏感であるかが重要になる.(44-45)」

「『機会の平等』ははるかかなたの終着点である。遠いかなたにあるものは、めざすよりもなげく方が、届かない痛みを記憶しつづけるよりも見えないことにする方がたやすい。機会の不平等をめぐる議論が常に過剰に原理的となり、また原理的な議論好きの人々の玩具になってきた背後にもそういう心理がはたらいているのではないか。 極論したくなるし極論する方がたやすい.不平等とはそんな主題である。だがたやすいだけの旅路も退屈でつまらない、と私は思う.(45)」

2章. 不平等化日本の中身―世帯とジェンダーに着目して  白波瀬佐和子 47-78

3章. 中年齢無業者から見た格差問題  玄田有史   79-104

4章. 少子高齢化時代における教育格差の将来像
       ―義務教育を通じた再配分のゆくえ 刈谷剛彦   105-135

5章. 健康と格差―少子高齢化の背後にあるもの  石田 宏 137-164

6章. 遺産、年金、出産・子育てが生む格差―純金融資産を例に  松浦克己165-195

7章. 社会保障の個人勘定化がもたらすもの
       ―リスクシェアリングとしての公的年金  宮里尚三 197-218

8章.変化する社会の不平等  白波瀬佐和子 294-231


UP:2007 REV:20070711
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