『フリーター漂流』
松宮 健一 20060210 『フリーター漂流』,旬報社 204p.
■松宮 健一 20060210 『フリーター漂流』,旬報社,204p. ISBN-10: 4845109700 ISBN-13:
978-4845109708 1470 [amazon]/[kinokuniya]
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■出版社/著者からの内容紹介
工場で働く若者たちの声。フリーターの取材を続ける原動力となった。フリーターの問題は、企業の論理を優先していては決して解決されない。フリーターを取
材し続けて3年、NHKディレクターによる渾身の取材記。
工場で働く若者たちの声。
フリーターの取材を続ける原動力となった。
フリーターの問題は、企業の論理を優先していては決して解決されない。
フリーターを取材し続けて3年、NHKディレクターによる渾身の取材記。
1 フリーター漂流(モノづくり大国を支えるフリーター;「朝起きたら、このままじゃまずいなって思います」;「人生は一度きり妥協して就職したくない」
ほか)
2 フリーターになる若者たち(「学校の先生とか、ハローワークの人とかは僕が全然行きたくもない就職先を勧めてくるんですよ」;「会社はいまの仲間たち
ほど自分を必要としているのだろうか」;「100円玉を握りしめて、今日はパンにしようか、おにぎりにしようかずっと考えていることもあります」 ほか)
3 急増する中高年フリーター(「いつでもやり直せると思っていました」;「奥の手を出して負けたら、もうどうしようもない」)
■著者について
松宮健一[マツミヤケンイチ]
NHK報道局番組部ディレクター。埼玉県生まれ。サンダーバード国際経営大学院卒業。NHKスペシャル、にんげんドキュメント、クローズアップ現代などの
番組を担当している。フリーターを特集したNHKスペシャル「フリーター417万人の衝撃」「フリーター漂流―モノ作りの現場で」を制作。今も全国各地で
フリーターの若者たちを取材している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■もくじ
はじめに
「出稼ぎ」フリーターたちとの出会い…フリーターの夢と現実
T フリーター漂流
モノづくり大国を支えるフリーター
「朝起きたら、ここままじゃまずいなって思います」
モノづくりを支える請負会社 グレーゾーン 生産変動に支配される現場 漂流するフリーター
「人生は一度きり妥協して就職したくない」
「40歳、50歳になって、このままというわけにはいかない」
反響
U フリーターになる若者たち
「学校の先生とか、ハローワークの人とかは僕が全然行きたくもない就職先を勧めてくるんですよ」
雇用のミスマッチ 1年後の曳田君 フリーター・ビジネス
「会社はいまの仲間たちほど自分を必要としているのだろうか」
「100円玉を握りしめて、今日はパンにしようか、おにぎりにしようかずっと考えていることもあります」
貧乏生活に負けない ファーストフード店にあった甘いわな 最後の挑戦 母親の死
「いま、欲しいのはモノじゃない、将来の安心が欲しい」
派遣社員になった理由 人材派遣会社で働く現実 社員になることができない フリーター家族
V 急増する中高年フリーター
「いつでもやり直せると思っていました」
怪しいアルバイト 父親の死
「奥の手を出して負けたら、もうどうしようもない」
会社経営者への道 市外局番にあったビジネスチャンス 会社存亡の危機
おわりに
■引用
「青森のように正社員の求人が限られた地域では、やむをえずフリーターになるケースも多く見られた。
しかし、求人数が比較的多い首都圏の若者たちは自分のやりたいことを最優先させる傾向が強かった。
高校や大学を卒業したばかりの若いフリーターたちは強気で、その気になればいつでも就職先は見つけられると思っていた。」(p.30-31)
「大手メーカー各社に取材を申し込んだが、ことごとく断られた。
フリーターを使っている事実が知れ渡ると、商品のイメージが悪くなるというのがおもな理由だった。結局、取材に協力してくれたのは栃木県にある携帯電話
などの通信機器を製造する中小企業だった。
このメーカーの社長は、血の滲むような努力を重ね、工場の礎を築き上げていた。安価な労働力を得るために中国などに生産拠点を移さず、国内に懸命に踏み
とどまっていた。社長は岐路に立たされた日本の製造業の現状をしっかり伝えてほしいと全面的な取材を許可してくれた。」(p.36-37)
「いま、高校を卒業してフリーターになる若者が増えている。
「先生、やりたい仕事が見つからないから、フリーターになるよ」
「そう、よかったね。まだ若いんだから、無理に就職する必要はないよ、自分のやりたいことを見つけてからでも遅くはないからね」
何人もの高校生から、フリーターになることを認める教師が少なくないことを聞いた。「ナンバーワンはなくてもいいから、オンリーワンになろう」と指導す
る教育方針が根底にあるように感じた。」(p.98)
「この集配センターには、仕分けの仕事を下請けする会社が4社入っていた。働きはじめて半年後、荒牧さんは、そのなかの1社の現場のリーダーに任命され
た。荒牧さんが指揮するのはアルバイトとして会社がかき集めた10人。仕事の分量から考えるとギリギリの人数だ。リーダー手当として、月に2万円支給され
たが、とてもそれでは割に合わなかった。皆すぐに辞めてしまうため、人手は常に不足していた。2人欠けると、現場は混乱し、ラインを何度も止めなくてはな
らないような状態になる。ラインを止めるたびに、荒牧さんは集配センターの社員たちから怒鳴られた。しかし、下請け会社は、たとえ4人しか現場に来なくて
も、10人分の仕事をこなすように指導していた。荒牧さんは、人手が半分以下になりそうな場合は、自分の弟や友達に応援を頼み込んだ。
リーダーになって半年後、荒牧さんの疲労はピークを迎えてきた。急に意識が遠くなる症状が出ていた。仕事帰りに床屋で散発してもらっていたとき、突然、
冷や汗がどっと流れ出した。顔色が真っ青になり、そのまま気を失ってしまった。またトイレで小便をしていたときも、目の前が急に真っ白になって、仰向けに
倒れた。しばらく横になると、楽になったため、病院には行かなかった。社会保険に加入していなかったこともあり、病院には極力行きたくなかった。深夜の重
労働は、着実に荒牧さんの体力を奪っていた。」(p.178-179)