『若者が働くとき――「使い捨てられ」も「燃えつ
き」もせず』
熊沢 誠 20060220 ミネルヴァ書房,220p.
■熊沢 誠 20060220 『若者が働くとき――「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず』,ミネルヴァ書房,220p. ISBN-10:
4623045935 ISBN-13: 978-4623045938 [amazon]/[kinokuniya]
■内容(「BOOK」データベースより)
近年ニート、フリーターに象徴される若者労働に関する類書は多いが、社会学や心理学に論点をずらすものが多い。本書は、ニート、フリーター、正社員を相互
に無関係ではない地続きの存在として、若者労働をとりまく厳しい状況(=労働問題)に注視し、どの雇用形態でも働く若者が労働条件を改善できるような発言
の仕組みを獲得すること、すなわち経営者や労働組合が何を変えうるか、既存の労使関係の再構築を提言する。労働問題屈指の論客が、漂流する現代若者労働を
多面的に考察し提言する「気づきへの促し」の書。
■内容(「MARC」データベースより)
ニート、フリーター、正社員を相互に無関係ではない地続きの存在として、若者労働を取り巻く厳しい状況(=労働問題)に注視し、漂流する現代若者労働を多
面的に考察して、既存の労使関係の再構築を提言する。
■著者について
熊沢誠[クマザワマコト]
1938年三重県に生まれる。1961年京都大学経済学部卒業。1969年京都大学経済学博士。甲南大学経済学部教授(本データはこの書籍が刊行された当
時に掲載されていたものです)
■目次
序章 若者の労働をめぐって
1章 若者労働の状況と背景
2章 状況のもたらす社会的影響
3章 若者労働 状況変革へのチャレンジ
4章 教室と職場
補章 フリーター漂流
終章 いま若者たちにとって仕事とはなにか
参考文献
■引用
「大阪府の例をあげれば、自治労は「公共サービスユニオン」とよばれる、コミュニティユニオンに似た個人加盟組織をつくって未組織労働者の数々の受難に対
応しようとしています。そこには、たとえば「奉仕の強要」、サービス残業、休憩時間のカットに悩む保育士たち(聖花保育園の例)、「働き続けられる職場」
を求めるケアワーカーたち(社会福祉法人「いちょうの森」の例)、なんの補償もなく一方的に解雇された病院のヘルパーたち(小泉病院の例)が相談に訪れ、
この組織の援助のもとに主体性を発揮して、労働条件の改善や組合組織化を達成しています。これまで組合なんて知らなかったし、使命感に燃えて選んだ仕事な
のにひどい処遇には辞めるしか方途を考えられなかったという、二〇代、三〇代の若者男女のはじめての連帯的な営みです。いま福祉施設で働きたいという若者
はずいぶん多いのですが、処遇が「近代以前」という職場も多く、離職率は大変高いといわれます。しかし、組織化されて労働者の発言権が確保されれば、実
際、定着率は飛躍的に高まっているのです。」(p.117)
「ことの性質上はっきりとは時期を明示できませんが、およそ九〇年代以降の若者は総じて、就職先や職種や雇用形態の選択については、あなたの個性を発揮で
きるようにあなた自身が選びなさいと投げ出されています。若者は長期にわたる「自分探し」が許され、「自分」が見つかるまでは、つまり「本当にやりたいこ
とが見つかるまでは」、学校卒業後も就業上のステイタスは「とりあえず」でよいと認められています。ここには実は大きな階層差があって、恵まれない階層出
身の若者ほど無収入の「自分探し」を許されていないのですが、今では「就職斡旋力」の衰えた学校はもとより、貧しい親にしても、子弟を「いやでも地味な仕
事に就かせる」説得力を喪っているのです。」(p.119)
「およそ一五〜二〇年ほど前まで、日本の家庭や学校や企業は、次代を背負う若者たちにしかるべき成熟を遂げさせるように一種の「まともさ」を強制してきた
と思います。」(p.120)
「家庭、学校、企業という三つのエスタブリッシュメント(既存の権威)が若者に迫ってくる「まともさ」への、ソフトに言えば誘導に、ハードに言えば強制
に、当時の若者は大勢としては従い、地味ながら堅実な生活者に成熟してゆきました。そして、そこに管理社会の支配を感じとった少数者は、反主流派の労働運
動や、八〇年代にはかろうじてまだその名に値した革新政党や、学会や言論界に立てこもって別の生きざまを模索する「左翼」になりました。ともあれ、ここで
もっと注目すべきは、上に述べたような既存の権威による若者の誘導または強制は、一九九〇年の頃から急速に後退しているようにみえることにほかなりませ
ん。」(p.122)
「このような「まともさ」への誘導または強制の後退は、つい最近に政府が若者労働対策に乗り出すまで、新自由主義という時代のキーワードだけを掬いとった
スローガン、「自己選択」「個性尊重」の名のもとに正当化されてきました。つまり職業・職場選択の文脈では、「自分探し」は若者自身に丸投げされているの
です、「やりたいこと」はきみ自身が探すんだよ、と。ちなみに基本的な感性がつくられるのは一五〜二五歳の時期といわれますが、二〇〇五年のいま、三五歳
の人の感性形成期は八五年〜九五年、いま二五歳の場合は九五年〜〇五年に当たります。いずれも完全に上の「後退」以降に属します。問題はこの「丸投げ」さ
れた「自己選択」の現状なのです。」(p.124)