『貧困と共和国――社会的連帯の誕生』
田中 拓道 20060131 人文書院 300p.
■田中 拓道 20060131 『貧困と共和国――社会的連帯の誕生』,人文書院 300p.
ISBN-10: 4409230379 ISBN-13: 978-4409230374 3990
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■出版社/著者からの内容紹介
20世紀に登場する福祉国家とは何だったのか?
フランスでは、1789年のフランス革命の中で、人間は「権利において平等なものとして生まれ、生存する」と宣言された。一方、19世紀を通じた産業化
とともに、都市労働者層の間に「社会問題」と称される膨大な貧困が現れた。
「自由」「平等」「友愛」などの革命期の諸原理は、こうした現実を前にどのような変容を蒙ったのか?フランス福祉国家の基礎となる「社会的連帯」の理念
は、どのような過程を経て生まれたのだろうか?
本書は、フランス革命から約120年間の知的格闘の跡を、政治思想、社会思想、経済思想、政治史、社会史、哲学などを横断しつつ辿りなおし、20世紀に
成立する「福祉国家」の光と影を明らかにしようとした思想史研究である。
内容(「MARC」データベースより)
貧困、不平等から社会的連帯と公共性へ-。フランス福祉国家を準備した19世紀の支配層の諸思想を、「政治経済学」「社会経済学」「社会的共和主義」「連
帯主義」の4潮流に区分し、これらの思想史的過程を包括的に解明する。
■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
田中 拓道(たなか・たくじ)
1971年西宮市生まれ。1995年国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。2001年北海道大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。北海道大学
大学院法学研究科専任講師、博士(法学)。専攻、政治思想史、現代福祉国家論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
序章
第一章 社会問題
第一節 導入
第二節 革命期――〈市民的公共性〉と〈政治化された公共性〉
一 「公論」
二 「友愛」
三 「貧困」への視座
第三節 世紀転換期のイデオローグ――〈社会科学の公共性〉
一 「王立科学アカデミー」から「フランス学士院」へ
二 「社会数学」と「社会生理学」
第四節 一八三〇年代――「社会問題」の登場
一 七月王政期支配層の秩序像
二 大衆的貧困
三 社会問題
(1)統計 (2)モラル (3)危険
第二章 社会経済学――「新しい慈善」
第一節 導入
一 先行研究と視角
二 言説の場――道徳政治科学アカデミー
第二節 政治経済学
一 十九世紀初頭までの政治経済学
二 七月王政期の政治経済学
第三節 社会経済学
一 社会経済学用法史
二 社会経済学の秩序像
(1)富と幸福 (2)新しい慈善 (3)参与観察 (4)博愛主義批判 (5)平等と階層化
三 社会経済学の統治像
(1)アソシアシオン (2)国家
第四節 社会経済学の展開
第三章 社会的共和主義――「友愛」
第一節 導入
一 先行研究と視角
二 言説の場
第二節 社会問題と共和主義
一 未完の革命
二 人類という宗教
第三節 「友愛」の共和国
一 アソシアシオンからナシオンへ
二 普通選挙と労働の権利
第四節 「友愛」の隘路
一 「法」と「モラル」
二 「人民」の「代表=表象(repuresentation)」
第五節 第二帝政期――「友愛」から「連帯」へ
一 第二帝政の成立
二 共和主義の再構成
(1)「友愛」批判 (2)「デモクラシー」
第四章 連帯主義――「連帯」
第一節 導入
一 先行研究と視角
二 言説の場――「知識人」
第二節 「連帯」の哲学
一 「科学」と「実証主義」
(1)コント (2)ルヌーヴィエ
二 自由と決定論
三 契約・権利・連帯
第三節 「連帯」イデオロギーの成立
一 連帯主義
二 デュルケーム社会学
(1)社会的連帯 (2)アノミー (3)同業組合と国家
第四節 「連帯」の制度化
一 フランス福祉国家形成研究史
(1)保守主義的解釈 (2)自由主義的解釈 (3)急進主義的解釈
二 言説の場の複数性
三 社会的なものの拮抗
(1)労働災害補償法 (2)退職年金法
終章
あとがき
文献
索引(人名・事項)
■引用
「本書の課題は、大革命から二十世紀初頭までのフランスを対象として、産業化とともに現れた「社会問題」への対応を、自由放任主義と社会主義の間に立って
行おうとした支配層の諸思想を検討し、フランス福祉国家を準備した思想史的過程を解明することである。
具体的には、以下の二つの論点を主題とする。第一に、フランス革命期に現れた「近代的」秩序像が、産業化に伴う新しい貧困現象の登場によってどのように
問い直されたのかを、思想的な水準において検討することである。ここでは、十八世紀広範に成立する「公共性」への新たな理解を軸に据え、革命以降の「貧
困」認識の変遷の中で、そこに内在する問題がどう問われたのかを検討し、一八三〇年代に生まれる「社会問題」という認識を、支配層における秩序像変容の画
期として位置づける。
第二に、「社会問題」への対応として七月王政以降の支配層に唱えられた諸思想を、「政治経済学」「社会経済学」「社会的共和主義」「連帯主義」という四
潮流に区分し、それらの対抗関係の中で、二十世紀初頭にフランス福祉国家の原型が導入されていく過程を検討する。」(p.10)
「(…)さらに一八三〇年以降、「社会」が「貧困」との関わりで問題化されるにつれて、それは私的自律を有する個人によって構成される規範的秩序ではな
く、逆に個人に先立ち、その思考や振る舞いを規制するような、具体的な生活環境・行動様式・交友関係・家族形態・労働習慣・モラルの集合を指すようにな
る。一八三〇年代に現れる「社会問題」とは、公と私、国家と個人の二元的秩序像を問い直し、両者を媒介する「社会」の組織化を、新たな思想的主題として示
した認識であった。」(p.12)
「革命期において「労働」とは、扶助の手段にとどまらず、「市民」の義務と資格を定義する指標であった。シエイエスは、「労働」を基準として「有用」な第
三身分と「無用」な貴族階級とを対照し、前者のみが「ナシオン」を構成すると主張する。後にイデオローグのカバニスは、「労働」こそが「人間の尊厳」と
「独立心」とを育むと論じ、労働能力のある貧民に就労を強制するよう主張した。ラ・ロシュフーコー=リアンクールは、「救貧委員会第一報告」において、次
のように言う。「生存する人々が、社会にたいして『生存を保障せよ(faites-moi
vivre)』と言う権利を有するのならば、社会もまた『労働を提供せよ』と答える権利を有している」。彼によれば、扶助は労働不能貧民(真の貧民)のみ
に限定されねばらなず、労働可能な貧民(偽の貧民)や乞食は、労働へと強制するか、施設に収容し、厳しい処罰を与えなければならない。さらに、扶助を受け
る労働不能貧民は、扶助を必要としない者よりも劣悪な生活条件の下に置かれなければならない。このように「扶助の権利」とは、あくまでも所有権を侵害しな
い限りにおいて、すなわち「労働」によって富を生み出す者の権利を脅かさない限りにおいて承認されるものであった。」(p.51-52)
「一方、一七九三年以降の共和主義者は、「貧困」を「人民」という主権者の大部分に見られる秩序の正統性にかかわる問題と捉えた。彼らによれば、貧民の救
済は、個人にたいする「社会」の「神聖な負債(dette
sacree)」である。一七九三年四月二十四日の国民公会で、ロベスピエールは言う。「社会は、労働の供与であれ、労働不能者にたいする生計の保障であ
れ、全成員に扶助を与える義務を負っている。」「貧窮者にたいする必要な扶助は、富者の貧民にたいする負債(dette)である」。同じく一七九四年五月
十一日の国民公会で、バレールは言う。「物乞いは、人民の政府(gouvernement
populaire)と両立しない」。共和派の主導によって作成された一七九三年六月二十四日憲法では、第二十一条に次のように宣言された。「公的扶助は
神聖な負債である。社会は、不幸な市民に労働を供与し、労働不能者に生計の手段を確保することによって、不幸な市民の生存を保障しなければならない」。」
(p.52)
「この時代の思想家にとって、「大衆的貧困」とは、従来の枠組みによっては説明が困難な「まったく新しい現象」であった。(…)このような集合的問題への
対応は、もはや個別の慈善や、個人への労働の強制に拠るだけでは十分ではない。
第二に、それは「労働者階級(classes
ouvrieres)」全般に広がっている。「労働者階級における貧窮は、現代の問題となった」。十九世紀初頭までの自由主義者や博愛主義者によれば、貧
困とは、旧体制の誤った政策の帰結にすぎなかった。労働の自由を実現することで、それは消失するはずである。ところが「大衆的貧困」は、「産業の生産の増
大そのものによって、増え続ける傾向にある」。この貧困は、むしろ工場における劣悪な労働環境、労働者階級の知的・道徳的衰退など、「労働」と結びついた
場や環境から生まれている。」(p.74-75)
「以上のように、ブルジョワにおいて「連帯」とは、個人と社会との擬似「契約」関係に基づく相互義務を意味している。そこでは「人間」に関する規範的省察
は、もはや重要な位置を占めていない。例えば彼は、次のように述べている。「我々が想定しているのは労働する個人であり、労働によって生きるための給与
(salaire)を得て生存を保障される存在へと縮減される。「分業」「相互依存」「有機体」などの抽象的語彙にもかかわらず、実質的にそこで想定され
ているのは、給与所得者によって担われた産業社会である。ブルジョワの思想は、「連帯」の思想を産業社会に適合する「イデオロギー」として語ったものと位
置づけられる。そこでは、想定された役割に適合することを自ら選択しない個人は、「社会」の外部にある存在、すなわち「異常」者として指示され、矯正の対
象と見なされるであろう。」(p.212)