『認知症を「手術で」直す男――L-Pシャント手術の先駆者として』
桑名 信匡 20060120 悠飛社,175p.
■桑名 信匡 20060120 『認知症を「手術で」直す――L-Pシャント手術の先駆者として』,悠飛社,175p. ISBN-10: 4860300858 ISBN-13: 9784860300852 \1400 [amazon]/[kinokuniya] ※
■内容
内容(「BOOK」データベースより)
ベン・ケーシーにあこがれて…。治る痴呆「特発性正常圧水頭症」に挑んだ医師の軌跡。
内容(「MARC」データベースより)
痴呆を引き起こす難病「特発性正常圧水頭症」。この病気に敢然と立ち向かい、画期的な術式を編み出した脳神経外科医の物語。L-Pシャント手術とその関連で携わったガイドライン作り、医学部紛争を核として記す。
著者略歴(「BOOK著者紹介情報」より)
- 桑名 信匡
- 1943年福島県に生まれる。1969年東京医科歯科大学医学部卒業。1970年関東逓信病院脳神経外科レジデント。1974年横浜市立大学医学部脳神経外科講座助手。1977年横浜南共済病院脳神経外科初代医長。1983年同部長。1987年米国ニューヨーク州マウントサイナイ医科大学、仏国リヨン神経病院へ出張。2001年横須賀北部共済病院副院長。2002年同院長に就任。日本脳神経外科学会専門医、同学会代議員、日本脳卒中学会専門医、日本正常圧水頭症研究会世話人、他に、日本小児神経外科学会、日本脳卒中の外科学会等。
■目次
第1章 脳神経外科医の忘れられないエピソード
エピソード〔1〕盛田投手の脳腫瘍克服と感動の復活
横柄な態度の患者
一流アスリートの脳腫瘍手術
手術後の経過を見守る
病気の克服、そして……
エピソード〔2〕最初ドキドキ、やがて堂々、若き日の国際学会
YMCAに駆け込む!
緊張の14番目
喧嘩腰で質問してきたホフマン教授
とにもかくにも乾杯
国際学会で知り合えた大先生方
国際学会発表を機会に広がった人脈
第2章 治る痴呆「正常圧水頭症」とL-Pシャント手術
研修中の偶然の出来事
L-Pシャント手術、感動の第一例
シリコンメーカーとの出会い
若い医師と若い営業マンの思い出
L-Pシャント手術桑名式の完成
第3章 特発性正常圧水頭症との出会い
シャントの武闘派!?
特発性正常圧水頭症の伝道師になろう
シャントの流量を変えられないか?
圧可変バルブの導入‐赤面の至りから反省へ
厚生省難治性水頭症調査研究班
日本正常圧水頭研究会の立ち上げ
EBMとは何ぞや――ガイドライン作成委員会の発足
合宿の成果――ガイドラインの骨組み
ガイドライン出版へ向けてラストスパート
いよいよ待望の「ガイドライン」出版
第4章 医師をめざして
開業医を嫌った父
子どもの教育のために一家で東京へ
社会が六〇年安保に描れるなかで
ベン・ケーシーにあこがれて
脳神経外科医を専門に
第5章 医学部紛争収拾への道
インターン闘争始まる
問題意識をもったノンポリ
このままじゃ、まずいんじゃないのかな?
自分たちが決めたことは自分たちが撤回すればいい
エスカレートする活動家たち
スト収拾のために動き出す
全学共闘会議の議長となり、話し合い解決へ
九ヵ月に及ぶストライキを平和解決
闘い終わって
乾いた砂が水を吸い込むように
全学共闘会議議長のその後
第6章 これまでもこれからも臨床重視
臨床の現場から壁を開けて
臨床から教科書を書き換える仕事を
地域密着の臨床医療
脳外科医の仕事は毎日がドラマチック
ボンネットの上の米袋
サッカーがもたらしてくれたもの
元気の源は最愛のサッカー!
和が病院を元気にする――今、院長として
あとがき
■引用
■書評・紹介
■言及
*作成:樋口 也寸志