HOME > 安楽死・尊厳死 > 安楽死・尊厳死 文献解説 

井形昭弘「今、なぜ尊厳死か」

2006 
医療教育情報センター [編] 『尊厳死を考える』,中央法規.

last update:20100615

■内容


◆はじめに、生と死、緩和医療の定着、高齢社会における生と死:
脳死及び臓器移植に関する議論、がん治療における緩和医療の定着、長寿高齢社会における死生観(健やかに長生きをしたいと思う反面、末期の延命措置に伴う苦痛は拒否したいという願望)を背景に日本におけるかつての延命至上主義は見直されていると主張。

◆尊厳死運動の系譜:
1976年のカレン・アン・クィンラン裁判で回復不可能な植物状態にある患者の人工呼吸器取外しが認められ、同年にカリフォルニア州で自然死法が制定。その後、各州において法制化がなされた。1990年にはナンシー・クルーザン事件で本人意思に基づく経管栄養の中止が認められ、1991年に患者の自己決定権法が連邦法として制定。いまやアメリカ全土や欧州の多くの国で尊厳死は法制化され、未だ法制化していない国でも患者の意思を尊重する流れが定着していると主張。さらに、法王庁も安楽死と尊厳死を区別して、尊厳死については認めていると指摘。

◆わが国における尊厳死運動:
1976年、国会議員の太田典礼によって日本安楽死協会が設立。1983年には「尊厳死=安楽死」という誤解を避けるため、日本尊厳死協会と改称。その後、昭和天皇の延命治療問題、ライシャワー大使の尊厳死、東海大学事件、射水市民病院事件などを背景に尊厳死問題が関心を集め、高齢者を中心に会員が増加。2006年時点で会員数は12万人(8割が高齢者)に達し、世界の類似団体の中でも最大の規模を誇って活動を展開。2005年6月には14万人の署名を添えて尊厳死法制化の請願を国会に提出し、約80名からなる議員連盟が尊厳死法制化を視野に活動していることを説明。

◆リビング・ウィル、主治医と患者間でのリビングウィルの伝達、インフォームドコンセントと尊厳死:
日本尊厳死協会では、リビングウィル(尊厳死宣言)を推奨しており、その骨子は以下の三点に集約される。
1)不治、末期には意味のない延命措置を拒否する。
2)回復不能な植物状態における延命措置を拒否する。
3)たとえ命を縮めることがあっても、苦痛を取り去る治療は十分に行なってほしい。
日本尊厳死協会のリビングウィルには、@延命措置の項目別選択がない、A本人の意思のみを尊重し、家族による代理決定を認めない、といった諸外国のリビングウィルとは異なる点もあると指摘。いくつかの点は改良・修正される必要もあろうが、家族による代理決定は本人の意思を証明できる家族に限定されるべきで介護の面倒さや遺産関係の理由で治療の中止や差し控えがあってはならないと主張。

◆積極的に死期を早める安楽死と延命の中止、射水市民病院事件、安楽死及び医師による自殺幇助:
人工呼吸器なくして生きられない状態は不治、末期にあたり、その状態における人工呼吸器の中止は延命措置の中止にあたり殺人ではないと主張。延命措置の不開始と中止は同義であり、延命措置の中止は殺人に該当しないが、この点について社会的コンセンサスが必要で、尊厳死の法制化によって明らかなルール設定が必要と主張。多くの病院では「あうんの呼吸」で現実的な処理がなされており(読売新聞の調査では大病院の56%以上で延命措置の中止がなされている。)、2006年2月に起こった富山県射水市民病院事件(患者本人の意思を確認せずに行なわれた人工呼吸器の取り外し事件)は一定のルールがないために起こった事件であると主張。2000年以降にオランダ、ベルギー、アメリカ・オレゴン州では厳格な条件下での安楽死・医師による自殺幇助が合法化されたが、日本尊厳死協会は尊厳死を主張するのみで安楽死は主張していない。しかし、長い目で見れば人類は死ぬ権利を要求する日がくるかもしれないと指摘。日本では、1962年に名古屋高裁で世界初の安楽死6条件(@本人の意思、A不治・末期、B医学的対処が不可能、C耐え難い苦痛、D医師の手による、E人道的な方法による)が提示され、1995年に東海大学事件でも類似の4条件が示されたが、2004年羽幌病院事件の不起訴や2005年川崎協同病院事件の執行猶予付き有罪など、司法の判断は時代とともに揺れ動いており、尊厳死に関する法制化が不可欠と主張。

◆反対論への反論:
尊厳死への反論には以下の5つのものがあると指摘。各論への反論は以下の通り。
1)命軽視の風潮強化に伴う、弱者への無言の圧力
2)医療費抑制のための尊厳死
3)尊厳死法制化に伴う尊厳死概念の押しつけ
4)本人意思の可変性
5)不治・末期の定義の不明瞭さ

1)については、尊厳死が法制化された欧米諸国で反対派が憂えるような事態が発生していないために杞憂であると主張。
2)については、尊厳死協会の主張は医療費抑制の議論と全く無縁であると主張。
3)については、死はあくまで本人の問題であり、本人意思を尊重するだけで、全ての死に尊厳死を押し付ける意図はないと主張。
4)については、尊厳死は繰り返し確認された意思によるべきで、気持ちが変わったら意思を撤回すればよいだけで、それを妨げる条件はないと主張。
5)については、法制化の段階で合理的な不治・末期の条件が整備されるはずであると主張。

◆遷延性意識障害(植物人間)と筋委縮性側策硬化症:
日本尊厳死協会では「延命措置なしに生きられない状態」を末期としており、回復の可能性がないと考えられる6カ月以上の植物状態を末期と見なしている。ALSについては、人工呼吸器装着の選択が医師の裁量権に任され、装着しなくても法に問われないために、「患者の選択」が強要されている。しかし、現状では人工呼吸器の利益・不利益が不明瞭な段階で、装着の意思決定が強要されるために、患者が装着して生き抜く可能性に賭けることを拒否してしまうことになる。その問題を回避するためにも人工呼吸器の不開始と中止は同次元で論じるべきで、装着の選択も、装着後の中止の選択も本人の意思によるべきだと主張。

◆在宅医療と尊厳死:
高齢者は住み慣れた地域、自宅で最期を迎えたいと希望している。在宅死では自然死が多く、高度延命措置が行なわれることは稀で尊厳死の希望が叶えられやすい。近年の在宅医療への流れの中で尊厳死の可能性が増えているが、それに伴うと予想される医療費減少は在宅医療の流れの結果であり、まず先に医療費ありでは問題の本質が失われると主張。

◆尊厳死と認知症:
日本尊厳死協会では1996年に認知症を尊厳死の対象にすべきか議論があったが、弱者切り捨てという批判に配慮して時期尚早と結論付けた。認知症は不治・末期ではなく、患者は懸命に生きようとしており、記憶が減った分だけ感性が豊かになり、人間としての尊厳さを必ずしも失っていないと主張。

◆麻薬を巡る問題:
日本では麻薬に対する誤解が多く残っており、麻薬取り扱いの煩雑さから麻薬使用認可を取らない医師も多いために、麻薬使用量が先進国の中では極めて低い。そのような現状に対処するためにも、あえてリビングウィルに「苦痛を取るためには麻薬を十分使用してください。もしそれが過剰で死期を早めることがあっても異存はありません。」とした。

◆おわりに(以下、「おわりに」をそのまま掲載。):
私は過去において、多くの患者に不治・末期に無意味な苦しみを与え続けたことを忸怩たる思いで後悔しており、主治医は患者の立場になって患者の苦痛を共感し、本人の意思に従うべきことを痛感している。
ここでは再度「健やかに生き、やすらかに死ぬ権利を自分自身の手で守るために」とのスローガンを強調しておきたい。安らかな死は未来社会のキーワードである。

■引用


■言及



*作成:坂本 徳仁 
UP:20100615 REV:
安楽死・尊厳死  ◇安楽死・尊厳死 文献解説 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)