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『マイトレァ・カルナ――ある脳性マヒ者の軌跡』

小山正義 20051220 千書房,127p.


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■小山正義 20051220 『マイトレァ・カルナ――ある脳性マヒ者の軌跡』 千書房,127p.  ISBN-10: 478730044X ISBN-13: 978-4787300447 1260 [amazon][kinokuniya] ※ o/a01.

■出版社/著者からの内容紹介

 著者は生まれて四ヶ月目で、高い熱に侵され、脳性マヒという重度障害を負いました。独立心が旺盛で、新聞の拡張員から、朝夕の納豆売りと、徒党を組んでの万引き、工場勤めまで、自立するためには何でもやり、ついには川崎競輪場の売店のオーナーになりました。その一方で、青い芝の会神奈川県連合会の創立に尽力し、障害者解放運動の一つの源を開いたのです。
 本書は、その過程を赤裸々に物語り、自らの生い立ちだけでなく、人間社会における障害者の位置をみつめ、人間が共に生きるとはどういうことかを追求し、六十年間に及ぶ書者の軌跡をたどります。戦後日本の障害者運動史の資料としても興味深い一冊ですが、とりわけ障害のある子の親御さんに、ぜひこの本を読んでいただきたいと思います。
http://www.sensyobo.co.jp/sen1-shin.html

■目次

第1話 幼い頃
第2話 大人への旅立ち
第3話 青い芝の会との出会い
第4話 ある恋の物語
第5話 共同体建設・己との葛藤
第6話 結婚そして二世誕生
第7話 障害者として、生きて闘って、今、思うこと
第8話 大佛お和尚さんのお説教
第9話 日本の自立生活運動はどこかおかしい
あとがき
年譜

■紹介・引用

「私たちの仲間のみんなが、恋愛をしていざ結婚という段階になると、周囲から、障害者は、異性のことを好きになってもいいが、愛してはいけない。どうしても愛してしまったら、恋愛はしてもいいが、結婚をしてはいけない。それでも結婚をするなら、結婚はしてもいいが、子どもをつくってはいけない、と言われ反対されます」(pp.94-95)

「社会福祉というものがここに出発します。"生かさず殺さず"。
 権力は意図的に下層と呼ばれる人々を作り出しています。
 社会福祉政策とは、哀れな人々を一般民衆にさらし、労働者よ働け! 働け! 一生懸命働かないと……
 錯覚してはいけません。社会福祉政策なるものは、哀れで気の毒な人々を幸福にしてあげるものだ、などと思ってはいけません
 年齢や肉体の条件で働けない人々が、自分より多くの年金や生活保護などもらい、自分よりよい暮らしをしていることを喜ぶひとがいたら、それは聖人か変人なのです。
 人間は、他人の不幸を見ることに幸福を感じるという、嫌らしい性質を持っています。それを同情だとか、協力だとか、連帯などといって、偽りごまかします。同情とか協力は多くの場合、もっとも嫌らしい自己優越の確認なんだ、と知るべきです」(p.98)

「権力は一部の人を不道徳な犯罪者に仕立てることによって、他の人々に相対的優越感を与えて虚偽の多数派を作り、自分の土台にしていくのです」(pp.98-99)

「人は権力が悪だといいます。
 しかし、その悪の象徴のような権力をつくり出すメカニズムは中流意識だと言っても過言ではないでしょう。
 つまり、権力を支えているのは、紛れもなく下層階級を踏みつける人々であって、権力が権力を構成しているのではないからです。
 不平を言いながらも、下を見ればまあ我慢ができる、という形で権力を支えているんです。
 現在の生活が良いのではない、下を見ることによって自己を慰めているのです。だから権力は、下層階級を上手に作り出せば、それで安泰になるのです」(p.99)

「このように所詮、人間は矛盾した存在でしかありません。愛という人間のもっとも美しいとされる行為こそ、もっとも嫌らしいエゴなしには成立しません。だからこそ尊いのです。それは乗り越えるべき矛盾を持っているからこそ尊いものなのです。苦しみなしに愛が成立するならば、それは尊くも何ともありません」(p.100)

「愛の行為は錯覚、エゴでしかないのです。だからこそ愛が尊いのです。
 しかし、エゴがそのまま愛だと錯覚し、自己満足をしてはなりません。あくまでもエゴはエゴでしかありません。そこをごっちゃにしては何の価値もなくあるからです。
 矛盾しているからこそ尊いものだし、乗り越えなければなりません」(p.101)

「今や人権擁護とか人命尊重論が花盛り、これを金科玉条とする人々が多くいます。
 しかし、大事なことは、人間は生きるためには人をも殺さねばならないし、事実、人を傷つけ、あるいは相手を殺して生きているのです。
 このことに気がつかず、この業を見つめずに、人権擁護とか人命尊重を叫ぶ人々の馬鹿馬鹿しさ。いや、馬鹿馬鹿しいなどと言っている場合ではありません。
 このことと徹底的に闘わなければならないのです」(pp.102-103)

「障害者の「介助者」には「専門性」は要らないのです」(p.112)

「青い芝の会は何故「介護」と「介助」を分けたのでしょうか。自分が歩けなくなって真に気づいたのですが、自分たちの価値観・習慣などをはっきりと持って生活している障害者には、極端に言うと「手足に徹底してる人であれば誰でもいい」というわけで、自分たちの価値観や習慣、意識の中まで入り込まない、ただ手助けをする人を、則ち「介助者」と呼ぶようになったのです。
 ベッドに寝たきりや透析などの医療を伴うような、障害者や高齢者の世話をする人たちを「介護者」といい、多少の専門性が必要な仕事として、位置づけられるでしょう」(p.112)

「ホームヘルパーや介護・介助者の専門性を重要視する傾向が見られますが、私たち障害者にとって「専門家たち」は、自分たちの生活を規定し生活を支配するという実感があり、何故かなじめないでいますが」(p.112)
「利用料の一部負担と言いますと、利用が多ければ多いほど、負担額が増えるということで、障害の重い人やベッドに寝たきりの高齢者には、大変な重い負担となります。
 これでは財産やお金のない人々、障害の重い障害者・ベッドで寝たきりの高齢者は、お国のために早く死になさいと言っているのと同じです」(p.122)

「私たち重度障害者の残された道は、己を深く自覚し、哀れみと力(労働)に負けず、常に問題提起を投げかけていき、「共生・共存」の思想を広めていくことが一番大事だと思います。「自立」の概念を全てお金がものを言う、大陸国で個人主義のアメリカ型にしていこうとしているのが、介護保険制度であり、支援費制度であります」(p.122)

「「自立生活運動」の流れは、欧米諸国、特にアメリカのサンフランシスコはバークレーから、「国際障害者年」以降に日本へ輸入されたものだと言っても過言ではありません。徹底した個人主義で資本主義の社会なら「自立生活」の思想は、個人が生きていくには、個人の力、個人の考え、個人の責任、あらゆる人権尊重は当然の成り行きになります」(p.123)

■書評・言及


UP:20071114
小山 正義  ◇青い芝の会  ◇障害者(の運動)史・人  ◇障害者(の運動)史  ◇病者障害者運動史研究  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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