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『生命倫理と法――東京大学学術創成プロジェクト「生命工学・生命倫理と法政策」』

樋口 範雄・土屋 裕子 編 20051230 弘文堂,423p. ASIN: 433535343X 2940


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樋口 範雄・土屋 裕子 編 20051230 『生命倫理と法――東京大学学術創成プロジェクト「生命工学・生命倫理と法政策」』,弘文堂,423p. ASIN: 433535343X 2940 [amazon][kinokuniya] ※, b be d01

・東京大学のHP
 http://www.j.u-tokyo.ac.jp/biolaw/
・弘文堂のHP
 http://www.koubundou.co.jp/books/pages/kbn2731.html

■内容

(「BOOK」データベースより)
医療の法化現象に初めてのアプローチ!生命倫理に関する基本的な概念を問い直し、法や法律家が生命倫理の問題にどう関わるべきかを問う。

(「MARC」データベースより)
生命倫理に関する基本的な概念を問い直し、法や法律家が生命倫理の問題にどう関わるべきかを問う。医療の法化現象にアプローチした、22本の論稿を収録。

■目次

第1章 生命倫理と自己決定権
第2章 医療におけるソフト・ロー
第3章 医療情報の保護と利用
第4章 法曹倫理と生命倫理
第5章 人工生殖出生子をめぐる法的問題
第6章 医療技術の発展と法

◇詳細目次

第1章 生命倫理と自己決定権
 1 自己決定権を飼いならすために――自己決定権再考(マーシャ・ギャリソン/土屋裕子訳)  紹介↓
 2 臓器移植と自己決定権――ミュンヘン会議からの示唆(安部圭介・米村滋人)
 3 尊厳死と自己決定権――オレゴン州尊厳死法を題材に(久山亜耶子・岩田太)

第2章 医療におけるソフト・ロー
 1 医療を規律するソフト・ローの意義(位田隆一)
 2 アメリカにおける医療倫理規定の機能的分析(ロバート・B・レフラー/佐藤智晶訳)
 3 医師の職業倫理−アメリカ医師会倫理規定に学ぶ(土屋裕子)
 4 アメリカ医師会倫理規定の特徴(三瀬朋子)

第3章 医療情報の保護と利用
 1 アメリカにおける医療情報保護−HIPAAプライバシー・ルールの現状(ベット=ジェーン・クリガー/樋口範雄訳)
 2 臨床場面における診療情報の保護と利用の問題点(開原成允)
 3 医療分野における個人情報保護に対する取組み(安川孝志・吉川展代)
 4 医療における個人情報保護(樋口範雄)

第4章 法曹倫理と生命倫理
 1 生命倫理と法曹倫理−医療と法における利益相反(レベッカ・ドレッサー/樋口範雄訳)
 2 法曹と医療専門家における利益相反(ピーター・ジョイ/樋口範雄訳)
 3 医療倫理と法曹倫理−新たな「公共性」の地平をめざして(児玉安司)
 4 法曹倫理と医療倫理の対比−自律と強制、倫理と法の関係をめぐって(田中成明)

第5章 人工生殖出生子をめぐる法的問題
 1 スウェーデンの人工生殖法−非配偶者間人工生殖における「子の福祉」(両角道代)
 2 代理出産における母子関係−アメリカ法の場合(織田有基子)
 3 人工生殖の母子関係の準拠法の決定について(佐藤やよひ)
 4 渉外的代理母出生子の国籍(佐野寛)

第6章 医療技術の発展と法
 1 身体や臓器について所有権で語る議論への批判(ローヌ・スキーヌ/朴或・樋口範雄訳)
 2 幹細胞技術の規制−制限か許可か(ドナルド・チャーマーズ/土屋裕子訳)
 3 外科手術の技術革新−法的責任と規制(アンナ・マストロヤンニ/溜箭将之訳)


 
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■Garrison, Marsha 20051230 「自己決定権を飼いならすために――自己決定権再考」
 土屋裕子訳,樋口・土屋編[2005:001-025]

 *作成:的場和子


論文構成
1.はじめに
2.自己決定権理念の根源――技術革新、官僚主義、そして不信
3.自己決定権に対する批判
  [1]自己決定権は角に単純化され歪んでいるという批判
  [2]より具体的な批判点
    1)自己決定の理念は患者の意思決定の実情をとらえているか?
    2)自己決定権の理念は自立性のないものを保護できるか?
    3)自己決定権は重大な社会的利益の価値を減少させるのか?
4.結論

1.はじめに

・自己決定権(Autonomy)は生命倫理原則のうちのひとつで4原則のうちもっとも重要なもの
自己決定権は医療倫理の伝統的原則ではなかった〜「今や生命倫理問題全分野において最も重要な原則になっている(p1)
IC=この原則を実質的に法理の形であらわしたもの
「この原則を実質的に法理の形で表現したインフォームドコンセント法理から、自殺幇助、末期医療、遺伝子研究、人口生殖などのあらゆる議論に至るまで、すべての生命倫理の問題が患者の自己決定権という観点から分析することができるし、また現にそうされている。(p1)」

・近年、自己決定権=「痛ましいほどに排他的な正確のもの」と主張する人々あり
   ex.Daniel Callahan:「私たちの世界において、個人の自由の価値が低いなどという者は、私を含めて誰もいない。・・・・・・個人の自由はわれわれの法や慣習の根本であり、意味のある人権論にとってかけがえのない要素である。このような背景に照らせば、アメリカの生命倫理は自己決定権に主眼を置き、それとともに存立するものでなければならないことがよくわかる。しかしながら、それほどよくわかるといえず、気がかりなのは、自己決定権があまりにも多くの場面で他の原則を排除するような役割を担うようになった点である。・・・・・・問題は自己決定権が何を許容するかということばかりではなく、意図するとせざるを問わず、何を排除してしまうかという点なのでである。(p1−2)」
・自己決定権(という規範)が排除するものは何?=生命倫理から人間性や人間の動機に関する現実を排除してきたという論者あり:
  「自己決権定が自律的な意思決定のできない患者の利益を押しのけ、『社会問題として定義されるものと倫理問題として定義されるものの間に楔を打ち込む』ことにより、特に貧しい人々や力のない人々に対する重要な社会的関心を組織的に減じてきたと主張する。(p2)」
・この主張が正しいとすれば=自己決定権原則それ自体に重大な欠陥があるという本質的な批判となる。生命倫理と法の教材を執筆するにあたりりこの問題に関連のある事実を収集し評価する機会があり本稿の大半はその評価の要約である。
・そのまえにまず自己決定権がどのように生命倫理の中で重要視されるようになったのか歴史的背景を説明する

「『歴史研究は合理的な研究の一部である。なぜなら、それは懸命な賢明な懐疑主義への第一歩、つまり、それらのルールが有する価値について熟慮し再考する第一歩だからである。竜を洞窟から平原に連れ出し、陽の下にさらせば、その歯や爪の数を数えることが可能となり、竜の強さがどれほどのものか知ることができる。しかし竜を連れ出すことは、ほんの第一歩に過ぎない。次の一歩は竜を殺すか、または飼いならし、役に立つような動物にすることである。』自己決定権をその洞窟から日の光の中へと連れ出すためにはまずどのようにして洞窟の中に入ったのかを知らなければならない。(P3)」

2.自己決定権理念の根源――技術革新、官僚主義、そして不信(p4-6)


アメリカの生命倫理誕生時期:1960年代~1970年代
この時期医療の性格が2つの点で変化
  第一点:「技術の革新が治療の選択やそれに関連する論理問題の範囲を大いに拡大」
  第二点:「医師の専門家が進み、医療の資金面における政府の役割が増大したことにより、1対1の長期的な医師・患者関係ではなく官僚的な医療を徐々に生み出した」

「それはまた不信の時代でもあった。医療という権威に対する不信は研究に関する一連のスキャンダルによって火がついた。ひとは初めてタスキギー事件を知った。・・・タスキギー事件についでニューヨークのウィローブルックスクールにおける研究の濫用が明るみに出た。・・・これと同時期に、元アメリカ軍人が、知らないうちに幻覚誘発剤やその効果に関する被験者になっていたことを広く世間に暴露した。研究に関するこれらのスキャンダルによって引き起こされた医師に対する不信は、その他あらゆる権威に対する不信感の増大を受け、いっそう高まった。つまり、医師だけでなく教師や両親、そして大統領までが彼らが尽くした人々の信頼を失ったのである。・・・学校制服着用のきまりから結婚前の貞節に及ぶ長く続いてきた社会的慣習も、自己表現に対する退屈な制約だとして、ほとんど一夜にして捨てられた。個人の自由と権利が理想化され、権威は至るところで疑わしいものとされた(p4-5)」

この時代に誕生した研究分野=生命倫理:医療倫理の伝統的な原則(技術革新によって生じた新しい問題を考えておらず、あいまいで実効性なし)を不十分とみなしたのも当然
不信の時代において自己決定権が広く強力にもとめられたのも当然=信用という問題に巧妙な対策を用意してくれていたから。

 「自己決定権は、その問題を解決しようとするのではなく、それを取り除こうとする。つまり、個々の患者が自らの治療に関する運命を決定する主役となり、医師による正しい行為を当てにする必要がなくなるのである。情報という武器を備え、自己利益によって動く自律的患者は、自らの個人的価値観にもとづく医療上の決定を行なうことにより、医師の行動が医療の善行という目的、つまり、医師が患者のためになることをするという目標に一致する結果を保証するのである。(p5-6)

インフォームドコンセント法理:
・法の強制力を得ることで、自己決定権理念を強化。
→患者からICを得られなかった医師=不法行為責任追及+賠償金支払いの危険性
・連邦の規制基準
→IC理念を忠実に守っていることを示さないと、連邦からの研究費を失う
これら単純かつ実用的な方策:自己決定権の迅速な勝利が確定=新たな生命倫理運動の導きの星へ

3.自己決定権に対する批判(p6-24)
  [1]自己決定権は過度に単純化され歪んでいるという批判
 現在の自己決定の理念は
  ・過度に単純化され、多くの重要なケースにおいて機能しなくなっている。
  ・医療における善行という伝統的な目的についての理解をねじ曲げ、それによって正された問題と同じくらい困難な倫理問題を新たに生み出している。

 「このようにいうことは、自己決定権の批判者たちが、被験者の同意なしに医学研究者が研究参加の患者―主に貧しく力のない人々―を自由に選んでいた時代に戻ろうとしている意味ではない。医療倫理の中に患者の同意という要件を含まなければならないという命題に異議を唱えるものなど誰もいない。しかし、患者が非常に取り乱し、混乱していて、自らの健康状態に関する提供を望むことすらできない場合、自己決定権とは何を意味するのだろうか。患者の選択が他の誰かの利益に影響を与える場合、例えば女性が妊娠している場合や、将来生まれてくる子供の性別やその他の特性を前もって決定するような人口生殖技術の利用を望む場合、自己決定権は何を意味するだろうか。(p7)」

  [2]より具体的な批判点
1)自己決定の理念は患者の意思決定の実情をとらえているか?
  自己決定権の前提とする意思決定者=「自らの病状に関する情報を理解でき、その情報を得て、自分の目的と価値観に一致するような医療上の選択をしたいと望み、正しい選択、すなわち自らの個人的な希望に最も適うような医療上の選択をすることのできる能力を有する、理性的で理論的な患者」
批判者:「『ナイーブで、人間の動機付けに関する適切な理解からかけ離れており、最終的に哲学的にも道徳的にも支持できない(Gaylin,Willard;1995)』と主張する。この批判が正しいことは幾多の研究の蓄積によって示されている(p8)」(以下のように)
1):受け取った情報理解〜極めて不十分
  要因1:病気に伴う痛みや不快感→混乱を生じさせ、正常な思考過程を阻む
  要因2:(患者が)統計学的訓練を受けていない(治療選択に関わる情報の価値の理解×)  要因3:(患者は)医学教育を受けていない=基本的な医学用語、解剖学上の基本原理の理解×→適切な質問をすることさえできない。

2)患者:
・情報はほしいというが、一方で「落胆する」様な情報や「多すぎる」情報はほしくないという患者も多い。
・必ずしも自らに関する治療上の決定をしたがるわけではない。〜家族の関与を求める患者+医師の役割に期待する患者が多い。

3)複雑な医療情報を理解でき、医療上の選択をしたい患者:
 必要とするすべての情報を得ることはできない場合あり
∵複雑な医療情報を伝える=実際問題として時間がかかり困難〜インフォームドコンセント法も医師が知っていることを「完全に公表」することを義務付けず。
  Braddock,CH[1999]の調査(何千もの医師・患者間の話し合いの記録を調査)→9%しか、充分な情報提供にもとづく意思決定の基準を満たさず=「はっきりえば、医師たちは『患者がその決定について理解いていたかを調べようとすることはめったになかった。』(p9)」。

4)3)をクリアした患者であっても、「治療上のリスクや利点に関して合理的に評価した上で、意思決定を為すことは、ほとんどない」患者:1つか2つの際立った事実=治療に関する医学的な利点と全く関係のないものにもとづき急いで決断を下す傾向にある。
  Schiderの透析患者のインタビュー調査:どの透析方法がもっとも生命や健康を保持するか尋ねた患者はひとりだけ。cf.人工透析

「患者は通常『彼にとって印象に残る事実を耳にするまで話を聞き、それを耳にした後では、その事実にもとづいて意思決定をする」のである。『印象にのこる事実』は、時に健康にする考慮から全くかけ離れていることがある。たとえば、ある患者はボーリングが好きで、どの透析方法がボーリングをする際にもっとも大きな妨げになるかという点だけに関心を示した。(p10)」

5)患者の意思決定:自己決定の理念から排除される痴呆やうつ病といった健康状態に大きな影響を受ける
  ex. 末期患者のうつ病(非常に稀だが)=死期を早めることへの関心と強く結びついているという報告
    うつ病の治療〜必要な治療を受けないという決定を患者が変更する、という報告

「しかし、自己決定権の理念は専ら患者の合理性に焦点をあてているため、われわれは、無力さや被害妄想、絶望といった治療可能な感情によって引き起こされた可能性のある患者の自律的な選択をも引き受けなければならないのである。p10)」

要約「患者は自己決定権の理念が前提としているほど、自らの治療に関する運命を決定したいと思ってはいないし、またそうする能力も有していない。患者が意思決定を行なう仮定には自己決定権の理念が基準ととして考えている『合理的な行為者」というモデルはそぐわないのである。(p10)」

2)自己決定権の理念は自立性のないものを保護できるか?
合理的な選択を行なう能力にかける患者のために治療上の決定を行なわなくてはならないこのが多い事実:
 ・こども
 ・死期を迎えた患者の多く
 ・精神発達遅滞者
 ・精神病者の多く
 ・臓器提供の可能性のある脳死患者
 ・永久的植物状態にある患者
→自己決定の理念はこういった人々に有効に適用できるのか?

◆裁判所「確かに裁判所や論者はこのような適用を試みてきた。なぜなら、自己決定権の理念は大きな説得力を有するものであり、また上記のようなケースの中には、無能力者のための治療上の決定をなす際に伝統的に用いられてきた『最善の利益』テストでは、当面の課題に十分適応できないと思われるものもあったからである。たとえば、われわれは延命治療を中止することは末期患者の最善の利益に資するということができるだろうか。この問いに対してイエスということは、生きることよりも死ぬことの方が望ましいと宣言するようなものであるから、裁判所は「最善の利益」という基準を用いてこのような判断をすることを躊躇してきた。その代わりに裁判所は患者が能力者であったときに表明していた希望や価値観にもとづいて、無能力者のために治療上の決定をなすという『代行判断』アプローチを用いることにより、自己決定の理念に頼ろうとしてきた。(p11)」

さらに
・精神保健法の領域にも適用
→「自律性のある」精神病患者を彼らの欲しない治療や監禁から保護するための手続きの制定
・子供・精神発達遅滞者
(いまだかつて自律的意思決定者となったことなく、裁判所が依拠できる自律的な希望や価値観の表明ができない者)
にも自己決定権の理念を適用しようとしてきた。

◆議会
自律性のないものへ事前の意思決定により自己決定権を促進する法制定
・死体からの臓器移植
・事前指示書
・家族による代行決定

これら自己決定権を自律性のないものの人生に適応しようとする前提
1)患者が自らの自己決定権を行使したいと望んでいること、
2)将来無能力になったときのことを計画したいと考えていること
3)なにを望むか予測することができること
4)医師に対し意味のある指示となるほど、特定された自らの希望を伝えることができること
5)明白な指示を残せなかった場合でも、裁判所・倫理委員会・家族など第3者が患者の希望や価値観を示すものによって何を望んでいたかけっていできること

→これまでの研究結果でどれにも重大な欠陥があることが示された。

1:ほとんどの患者は自らの自己決定権を行使したいと思っていない*1
2:自分が何を望むか予測することなどできない*2
3:親しい家族であっても最愛の家族が何を望んでいるか推測不可能*3
*1
*2
*3


Martin Wendland
自己決定権の理念の無能力者への適応=極めて捕まえにくいものになる

「もしも痴呆患者になったとしても、その者がいつ生きるに値する価値を自分の人生の中に見出せなくなるのかということがいったいだれにわかるのだろうか。長年にわたりさまざまな勧告がなされたにもかかわらず、ほとんどの人々はこのような憶測に価値があるとは納得しておらず、事前指示書を残したいともってる人の中でさえ、正確で臨床的に見て適切な指示を与える見識や能力を有している人は本当に少ない。自己決定権の追求には、費用と時間がかかることもわかった。さらに悪いことに、それは社会においてもっとも傷つきやすい患者たちの健康や福祉に危険を及ぼすことも判明した(19-20)


 3)自己決定権は重大な社会的利益の価値を減少させるのか?
自己決定権のアピール:
「信頼という問題を回避することによってその問題を解決するところにあった。患者が各自で自らの治療に関する運命を決定するのなら、自分にとって最善の利益の実現を医師にたよる患者はいなくなる。(p20)」
しかしわれわれの誰もが他者から完全に独立して行動できない。=個人による治療に関する決定が、特定の個人や社会全体の利益に影響を与える場合が少なくない。
=自己決定権批判者:孤立主義的な傾向がそれ以外の利益を体系的に低くする
=証拠はあるが決定的なものは示せない。

国際比較を状況証拠として
・アメリカの個人主義=アメリカ社会の支配的特徴
→医療問題の個人主義的解決策―ICや事前指示―が顕著
→国民に基本的な医療のアクセスを保証してない唯一の先進工業国
単なる偶然か?

◇自己決定権規範がどのように他者の利益を減じ、全体の問題に取り組む提案を抑制するか
1)自己決定権は多くの場合権利として指定される=「権利を有するものは自らの行為を正当化する必要がない→バランス論でなく絶対的な議論になる傾向◇1
2)言葉と方法=焦点が個々の意思決定者にむけられている=“We”ではなくて”I" ◇2
3)意思決定という行為の理想化 ◇3
 ◇1
 ◇2
 ◇3

4.結論


「自己決定権を『洞窟の外に出せば』、それが役に立つ動物であることがわかる。そしてその動物が危険な牙や爪を持っていることもわかる。自己決定権を飼いならすことは、自己決定権を殺してしまうよりもはるかに賢明であるばかりでなく、それこそが実に望ましいことだと思われる。 (p24)」

自己決定権を飼いならすためにすべきこと。
1)患者の本当の希望や能力、医療制度の現実を無視せず、より精巧に患者の意思決定を捉えること
2)自律性のないものの関与するケースではこれまでより頼りべきではないという決断もすべきであること
3)その他の社会的価値とバランスをとらなければならばいということをより明確にすること

「自己決定権が生命倫理において生命倫理において支配的になった理由は、それが、医療の善行という主要な目的の達成を保証するための単純かつ実用的な方法を与えると思われたからである。大きな効用があるのは認めるとしても、自己決定権はもっと大きな目的を覆すものになってはならない。患者の自己決定権が主要な目的となると、医療倫理の内容を薄め、その結果、他者や社会、さらには患者自身にすら害をなすリスクがあるのである。(p24-25)」


■言及

◆久山 亜耶子・岩田 太 20051230 「尊厳死と自己決定権――オレゴン州尊厳死法を題材に」,樋口・土屋編[2005:51-69] cf.安楽死・尊厳死:合衆国・オレゴン州

◆立岩 真也 2008 『唯の生』,筑摩書房 文献表


UP:20061213 REV:20071028 20080817
樋口 範雄  ◇生命倫理[学]  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK 
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