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『「臨床心理学」という近代──その両義性とアポリア』

大森 与利子 20051111 雲母書房,339p.


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■大森 与利子 20051111 『「臨床心理学」という近代──その両義性とアポリア』,雲母書房,339p. ISBN-10:487672184X ISBN-13:978-4876721849 \2730 [amazon]

■内容(「BOOK」データベースより)
近代を批判的に透視したフロイト、マルクス、ラカン、アルチュセールらの理論や社会学の知見にも依拠し、「共生・共存」に根差した「節度の臨床心理学」復活への道筋を探究。

■内容(「MARC」データベースより)
近年、特権的な意味付けがなされつつある臨床心理学。しかし、注目されつつある今こそ、大変なアポリア(難局・難問)に直面しているのではないか-。「臨床心理学」という近代知を吟味・検証し、別視角から捉える試み。

■目次
T部
第一章 「臨床心理学」の問題系
1 「臨床心理学」という突出現象
@今、なぜ「臨床心理学」なのか
A突出現象の裏側

2 ポピュリズムと心理学
@ポピュリスト・ナショナリズム
A心理学知見と市場主義経済

3 「心いじり」に群がる人々
@学校や家庭を覆う心理学熱
A「心の教育」と臨床心理学
B不安緩和剤としての「心いじり」

4 もうひとつの「逆転移」〜臨床家の「シニフィアン」と「シニフィエ」〜
@臨床家とは?
A指導者の言説
B脱・主流言説の周辺
Cもうひとつの「逆転移」

5 「臨床心理学」というイデオロギー〜人間観を追う〜
@心理学成立の経緯
A臨床心理学の今日像
Bセラピー・そのイデオロギー
C「病者」=当事者の眼差し

第一章の【注】

第二章 市場競争原理主義と「心理学」の台頭
1 個体還元論(こころ主義)の蔓延
@「こころ」が言挙げされる時代
A「こころ主義」の陥穽

2 消費社会における個人化の進展と「心理学」の役割
@消費財としての家族
Aグローバル経済の中の個人
B個人化の進展と専門家依存

3 自己責任論と自助努力論
@心理学言説の群れ
A教育場面と心理学的ロジック
B地域社会と心理学的ロジック
C企業社会と心理学的ロジック

第二章の【注】

U部
第三章 「臨床心理学」という近代
1 「臨床心理学」のアポリア
@わが国における歴史的展開
A歴史的シンポジウムそして対論
B臨床心理学のアポリア

2 「個人の病理」と「関係性の病理」
@病理把握の根源的相違
A近代性把握の根源的相違

3 「語ること」と「語らされること」〜ナラティヴ・セラピーという試み〜
@セラピストの《語り》とクライエントの《語り》
Aアンチテーゼとしての「ナラティヴ・セラピー」

第三章の【注】


第四章 近代性と精神分析
1 精神分析の深淵
@ラカン・アルチュセールのフロイト解釈
A「精神分析」私見

2 フェティシズムと近代性
@フェティシズム形成のメカニズム
Aわが国における近代性批判の潮流

第四章の【注】

終章 アポリア超克は可能か〜パラダイム変換への視座〜
1 「臨床心理学」の射程と限界
@職業的倫理について
A生活・援助場面の心理主義化
B知識社会学の示唆

2 「エスノメソドロジー」という視点
@現実の社会的構成
A「エスノメソドロジー」とは?
Bセラピー言説の拡張
C社会学の刺激的試み

3 「共生・共存」へのアプローチ
@「弱さ」との「共生・共存」
A当事者性ということ
B教育場面における「共生・共存」
C結び

終章の【注】

■引用

■書評・紹介
まえがき (前川智恵子が要約)

 近年、心理学、とりわけ臨床心理学に特権的な意味付けがなされつつある。
振り返れば、臨床心理学界は四十年余の歴史の中で、あくまでも隠花に定住していくことを学問的良識とする立場と、洗練された学問体系を拡大し顕花への道を邁進しようとする立場とが激論を重ねていた真摯な時代も、たしかに存在した。
 前者は、「関係性・社会性」をキーワードにしつつ、構造的視点から人の脆さを捉えようとする。一方、後者は、「個人性」を説明原理として、人の脆さや問題点を吸い上げていく。
ここ十年間は、基本的な対論姿勢すら失せ、後者の立場の言説が臨床心理学の主流となった。その主因として、「分断社会の到来」による個人化傾向が、個人還元論を標榜する臨床心理学への依存度を高めてしまったという時代背景をあげることができよう。何も臨床心理学という学問の正当化が評価されたということではないのである。
 依然として臨床心理学の世界は決して一枚岩ではない。伝統的言説の祝祭的ムードの陰に回り、静かな闘いと化してはいるが問題意識を持ちつつ、関係性、公共性の意味を丹念に掘り起こそうとする人たちも厳然と存在する。臨床心理学発展への手放しの礼賛や現実追随ではなく、学問としてのあり方に立ち戻る道筋の模索者たちなのである。
 実のところ、臨床心理学は注目されつつも、今、大変なアポリア(難局・難問)に直面しているのではないか。そうした現況下、隣接領域(臨床社会学、知識社会学、教育社会学、教育方法学など)においては、《心理主義化する社会》や《セラピー語法化する社会》を危惧し、批判的に問い直す論稿が目立ってきている。
 現状の「個人性」からのアプローチを旨とする伝統的方法論だけでは、そもそも限界があり、そのことがますます色濃く露見されていくことになると思われる。そうした時、臨床心理学の原点に戻り、範囲と限界への冷徹で均衡ある洞察を深めるか、それとも「個人性」だけではなく、社会、関係構造をも包摂した大局的な知見へと視野を広げ、さらには隣接領域との学問的「共生・共存」の道へと方向転換していくのか。おそらく、こうした局面に遭遇することになるのではないか。
 「社会構築主義」では、言葉のリアリティを構築してしまうという捉え方をしているが、まさに臨床言語の氾濫は、リアリティ構築に加担してしまうであろう。「問題化」することで、問題を肥大・拡大させてしまうのである。
 だが、本書では、臨床心理学の今日像を根底から否定しようとしているわけではない。全編を流れる言及の特徴は、臨床心理学否定ではなく、あくまでも吟味・検証である。
 第一章は、臨床心理学自体が孕み持つ思想、人間観などを検証しながら、今日の産業・社会構造との親和性を捉えていく。臨床心理学への社会的要請の真相は何なのか。それは、学問自体の正当性、真理性を意味しているものなのか。それとも、「心いじり」に群がる人々の手頃な解釈装置にすぎないのか。
 第二章では、メジャーの地位を獲得しつつある臨床心理学が、今日の市場競争原理の中に否応なく取り込まれていく様相を捉えていく。臨床心理学特有の個人還元論は、自己責任、自助努力というロジックの理論的支えとなり、時の支配層の対人管理術として都合よく機能してしまうことも起きる。
 第三章では、わが国における臨床心理学の学問史を辿る。
「個人の病理」だけでなく、「関係性」の中で病理を捉える道筋が、まだ残存していた時代があったのである。今や、「関係性」という視点は消滅の一途を辿っている。しかし、だからと言って、「個人の病理」という視点に限局させていけば事態が収束し、本質的な解決が得られるという意味ではない。一視点だけが突出している生活世界は、やはり危機的閉塞的状況なのではないか。
 終章では、今日の臨床心理学界の伝統的言説からは創出されにくい「共生・共存」思想へとアプローチしていく。そのためには、パラダイム(認識枠組み)変換への視座を育まなければならないわけである。
しかし、臨床心理学界内の自明知に停滞しているだけではなく、外からの考察に喚起されながら、自明世界の相対化やオルタナティヴな方途を見いだすことができるであろう。ここでは社会学、特に知識社会学の知見を援用していく。日常社会、常識世界の相対化を試みる「エスノメソドロジー」に関しても論じる。
 近代的産物である臨床心理学は繁栄的趨勢を見せているが、実は切実なるアポリアに直面しているのではないかという問題意識から発した本書であるわけだが、この終章の役割は、「共生・共存」というテーマを捉え、射程と限界を踏まえた「節度ある臨床心理学」の復活の手立てを提示することである。

〈全体的な印象〉
 現在、臨床心理士として心理療法を実践している臨床家には是非一度は目を通していただきたいと感じる文献である。また指定大学院などで臨床心理士を目指し、訓練中の大学院生の皆さんにも現場に出て臨床活動を開始する前に是非、一読していただきたいと感じる。本書は臨床心理学という学問領域の限界性を意識化する取り組みを行う上で、大変参考となる良書である。また社会現象ともいえる臨床心理学のアポリアを客観視しながら、論じられた文章は学際的な視点を提示するだけではなく、今後の心理学的・社会学的課題を明確化する上での、議論の出発点を予見するものと感じられる。
 臨床家である著者ならではの説得力も各所に感じられる。また地域で臨床活動を実践している臨床心理士にとっては、日常的に遭遇する業務上の困難が共に響きあう言葉として感じられるのではないだろうか・・・。臨床心理士である私自身も今後は、さらに「節度ある臨床心理学」の実践と学問的構築に取り組んでいきたいと考える。

■言及


*作成:前川 智恵子
UP:20080804 REV:20081102
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