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『集団の再生――アメリカ労働法制の歴史と理論』

水町 勇一郎 20051130 有斐閣,249p.


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水町 勇一郎  20051130 『集団の再生――アメリカ労働法制の歴史と理論』,有斐閣,249p. ISBN-10: 4641143536 ISBN-13: 978-4641143531  \6300 [amazon][kinokuniya] w01 w0112

■内容(「BOOK」データベースより)
「自由と競争の国」であるアメリカから、知られざる「集団」的制度の歴史と最新の理論を紹介。日本のあるべき姿を探る意欲的作品。

内容(「MARC」データベースより)
「個人の自由」を重視するアメリカにも「集団」の再生が模索されていた! 「自由と競争の国」であるアメリカから、知られざる「集団」的制度の歴史と理論を紹介し、今後の日本のあるべき姿を探る。

■著者紹介
水町勇一郎[ミズマチユウイチロウ]
1967年佐賀県に生れる。1990年東京大学法学部卒業。東京大学法学部助手、東北大学法学部助教授、パリ第10大学客員研究員、ニューヨーク大学ロースクール客員研究員等を経て、東京大学社会科学研究所助教授、パリ第10大学客員教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次
第1章 いま論じるべきことは何か?――問題状況と本書の目的
第2章 プロローグ――アメリカ的な「個人の自由」。そして「集団」の台頭、凋落
第1節 アメリカ的な「個人の自由」の形成―アメリカの原初的労働社会(17世紀〜19世紀半ば)
第2節 「個人の自由」の歪みと「集団」の模索―産業化の進展と労働運動の生成(1860年代〜1933年)
第3節 「集団」の台頭――ケインズ主義的政策と産業民主主義の確立(1933年〜1960年代)
第4節 「集団」の凋落――労働組合の凋落と労働問題の変容(1960年代〜)
第3章 「集団」の再生―その理論的基盤と手法
第1節 基本概念――「自由」「発言」「交渉」「構造」
第2節 改革案
第4章 学びとるべきものは何か?――アメリカの議論のまとめと日本の課題
1 アメリカ労働社会の歴史
2 アメリカ労働社会の理論
3 日本への示唆
 4 アメリカを越えて――さらに考察すべき点

■引用
「現在,日本で改革が叫ばれるとき,ひとつの(かつかなり有力な)モデルとして念頭に置かれているのが,アメリカ流の個人主義・自由主義モデルである。そして,このモデルをグローバル・スタンダードだとみて,「個人」を基調とした社会を築いていこうとする改革が現在具体的に進められている(11)。
 しかし,前に述べた点からもわかるように,アメリカにおける議論はそれほど単純なものではない。むしろ今日では,行き過ぎた「個人主義」社会のゆがみを直し,より効率的な社会を実現していくためにも,人びとの間に「集団」的な基盤を作ることが重要であることが改めて認識されているのである。ただし,ここでの「集団」のあり方は,本書のなかで具体的に述べるように,かつてのような画一的なものではない。
 たしかに,これまでの日本の「集団」(典型的には企業と企業内正社員組合との関係)がもっていた性格(閉鎖性・不透明性や集団による個人の抑圧など)(12)を考えると,相対的に「個人」(特に労働者個々人の自由や自律)を重視する社会を築くべきとの主張(13)にも肯くべき点はある。しかし,単純に「個人主義」を信奉しその社会的帰結や経済的弊害を考慮することなく単線的に改革を推し進めていくことが危険であることは,アメリカの経験や議論が教えてくれている。「個人主義」は社会不平等の拡大という弊害をもたらし,経済的に非効率な事態を招くことになりかねないのである。
 本書の目的は,以上のような問題意識に立ち,「個人の自由」の国といわれるアメリカの労働社会における「個人」と「集団」(14)の関係とそれをめぐる議論を正確に紹介し,今後の日本の議論に対する示唆を得ることにある。(…)」(pp.6-7)

「(14)本書で用いている「集団」という言葉は,労働組合のみを指すものではなく,労働組合以外の労働者の集合体,使用者・外部者等をも含めたコミュニティ,労働法の保護対象とされるような抽象的な労働者集団,および,それらを支える集団的な社会システムなどを包摂した広い概念である。このような広い概念を用いる狙いは,「集団」のあり方の多様性と移り変わり,およびその背景を描き出すことにある。」(p.7)

第2章第1節
「このように17世紀アメリカの労働関係は,職人,肉体労働者についても,徒弟にしても,使用人にしても,本国イギリスの主従法の強い影響を受けながら,人的な支配・拘束の下に置かれていた。なかでも主人・雇用主と同居していた徒弟や使用人は,妻や子供と同じように主人を頂点とする家族的依存関係のなかに位置づけられ(21),また,雇用主と別の独立した住居に住んでいた職人や肉体労働者も,自由人ではなく,町(town)という共同体のメンバーとして共同体の支配に服する(その労働は共同体の共有資源である(22))との考え方が,17世紀のアメリカには強くみられていたのである。」(p.15)

「18世紀の植民地アメリカでは,職人や肉体労働者の「自由」化の対極で,「物」と同視されるようになった年季奉公使用人の「不自由」(32)化が進んでいったのである(33)。」(p.17)

「(32)ここでいう「不自由」とは,後で述べるように,肉体的自由の欠如(他者による行動の強制)を意味するものである。」(p.7)

「(…)17世紀から18世紀のイギリスでは,奴隷や農奴を除く通常の労働関係については,かつて階層的身分関係という認識で行われていた職人や使用人などに対する拘束・強制(中途離職の禁止,逮捕・連れ戻しなど)が,当事者の合意に基づくものとして定式化され直す形で,再肯定されたのである。このように労働関係が伝統的な身分関係から近代的な所有権・契約に基づく関係と認識され直されたことは,必ずしも労働者の人間的な自由をもたらしたわけではなかった。罰則による労働の強制(中途離職の禁止)が認められていた点は,使用者や徒弟だけでなく,職人や肉体労働者についても同様であった。」(p.18)

「しかし,このような動きのなかで,ひとつの大きな変化が生まれるようになる。職人たちが,親方(master)と使用人(servant)という伝統的な階層関係に立つことに強い抗議の意を示し,親方と平等な立場に立つ存在であることを主張した(51)ことによって,労働関係を親方と使用人との従属関係とみる見方が次第に希薄になっていったのである。(…)」(p.22)

「(51)例えば,フィラデルフィア靴職人事件等の事件では,雇われ職人の弁護士たちによって,「雇われ職人たちが拒否しているのは奴隷的な従属関係の下に置かれることである」,「あらゆる者は自らの唯一の所有者であり,自らの財産や労働の支配者であって,それらの価格を決める権利をもつ」,「雇われ職人たちは奴隷ではなく,自由で平等な立場に立つ市民である」ということが繰り返し主張されている(See Steinfeld 125-126)。」

「この会話に象徴されるように,19世紀初めのアメリカには,少なくともヨーロッパでみられていたような「主人と使用者(master and servant)」と呼ばれるような従属的関係はみられなくなり,「使用人(servant)」という言葉も日常的には使われなくなっていた(53)。その理由として,歴史家のL. M. Salmonは,@「使用人」という言葉に結びついた恥辱の念,Aアメリカ南部では黒人奴隷に「使用人」という言葉が用いられるようになったという事実,B新たな国において常にひろがっていく平等傾向,Cフランス啓蒙思想やアメリカ革命から育まれていった新たな理念の存在といった点をあげている(54)。
 このようにアメリカ革命を経るなかで,少なくともアメリカの白人成年の間では,ヨーロッパ的な使用従属関係という意識は希薄になり,労働関係は「自由で平等な市民」間の契約関係であるとする見方がひろがっていったのである。」(p.23)

「年季奉公における労働の強制は自発的な契約に基づいている以上自発的(voluntary)なものといえるのか,アメリカ生まれの白人成人が締結した年季奉公契約は無効であるのに自由人である黒人が締結した年季奉公契約は(一定期間内のものであれば)有効なのか,といった問題である。」(p.25)

「このような判決が出た背景には,当時のアメリカの状況を反映したいくつかの事情が存在していた。第1に,アメリカ共和制の「自由で平等な市民」という精神がアメリカ革命後徐々に普及・浸透していき,年季奉公使用人の拘束・強制もその精神と相容れないと考えられるようになっていったこと。第2に,かつて奴隷であった黒人が年季奉公使用人として利用されるようになるなかで「非自発的な奴隷」と「自発的な年季奉公使用人」とを区別することが難しくなり,年季奉公使用人の「自発性」にも疑念がもたれるようになったこと(62)。そして第3に,19世紀前半の領土膨張,北部製造業の発展などに伴って労働力不足傾向が強まるなかで,労働者はよりより条件を求めて移動し,使用者もこの自由な移動を阻止することが困難となっていった。そのなかで使用者側にも,労働者を固定化するより,流動的な労働者への自由なアクセスを保障する方が公正な競争であり利益にもつながるというコンセンサスが形成されていったこと(63),などである。
 このような背景のなか,1810年から20年代にかけて,労働者の流動性はアメリカの労働市場の一般的な特徴となっていった(64)。また法的にも,1821年のMary Clark事件判決に象徴されるように,労働者はいつでも(契約期間満了前であっても)理由なく離職することができる(肉体的な強制は受けない)という労働者の随意雇用原則(employment at will of the employee)が19世紀前半に確立されていった(65),(65)。アメリカ労働市場の流動性は,ここにその法的起源をもつ(67)。」(pp.26-27)

「このようにアメリカの労働者は19世紀前半に労働と政治の場において自由・自治を獲得していったが,その反面として,経済的には不安定で他者に依存する状況に置かれていった。法的・政治的な領域で自らのことを自らで統治している者と主張していたために,経済的な財産所有の問題はそれぞれの私的な領域の問題と位置づけられるようになり,自らの貧困が他者からの支配に従属しているせいであるとしても,そのことを公的に主張することが困難となった――公的に自治・独立した存在として位置づけられたために,実際上経済的(私的)に他の者に依存し困窮していたとしても,それは独立した存在である自らの責任である(私的な問題である)と考えられた――のである(71)。」(pp.28-29)

第2章第2節
「かくして19世紀末のアメリカでは,個人主義的自由主義放任主義に代わる可能性のあるモデルとして,団体交渉による産業民主主義モデルが生き残ることとなった。それは,資本主義・自由主義自体をくつがえそうとするものではなく,自由放任主義のなかに集団的な団体交渉の自由を取り込もうとするものであり,集団的自由放任主義ともいいうるものであった。」(p.48)


*作成:橋口 昌治 
UP:20080911 REV:
労働 ◇労働運動・労使関係  ◇BOOK
 
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