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『人体ビジネス――臓器製造・新薬開発の近未来(フォーラム 共通知をひらく)』

瀧井 宏臣 20051020 岩波書店,255p.

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■瀧井 宏臣 20051020 『人体ビジネス――臓器製造・新薬開発の近未来(フォーラム 共通知をひらく)』,岩波書店,255p. ISBN-10: 400026348X ISBN-13: 978-4000263481 \2100 [amazon][kinokuniya]

■内容(「MARC」データベースより)
人体パーツが再生可能になりつつある。人体が交換可能な物になると、人間の尊厳は損なわれ、生態系は壊されていくのではないか? 医学研究や医薬ビジネスの現場から、人類の前途に警鐘を鳴らす衝撃のルポ。


■目次

序章 ミミネズミの衝撃  1

第一章 再生医療とビジネス  9
 一 BCRという異界/二 再生骨による治療が始まった/三 再生医療/四 皮膚再生/五 皮膚再生ビジネスの現場/六 心筋細胞/七 再生医療ビジネスの未来

第二章 万能細胞とヒトクローン  39
 一 強行採決の衝撃/二 万能細胞/三 ES細胞研究とビジネス/四 不老不死の野望/五 異常が多発するクローン技術/六 先送りされた課題/七 細胞はモノか、いのちか

第三章 中絶胎児は研究材料か  71
 一 海を渡る日本人/二 それぞれの決断/三 厚生労働省専門委員会/四 中絶胎児研究の実態調査/五 大阪病院のプロジェクト/六 ヒト胎児コレクション/七 臨床試験の検証/八 中絶胎児利用の問題点

〈番外ルポ〉ゴミとなった中絶胎児  109
 一 中絶胎児ゴミ捨て事件/二 中絶胎児の葬儀/三 赤ちゃん寺/四 胞衣業という仕事/五 女性たちの悲しみ/六 胎児を捨てた理由/七 病理検査というクッション

第四章 人体製品の現状  135
 一 血液製剤の悪夢/二 薬害ヤコブ病/三 おふくろの執念/四 汚染の原因/五 国の不作為/六 薬害ヤコブ病の教訓/七 胎盤製剤/八 胎盤利用の歴史/九 胎盤製剤の安全性

第五章 臓器移植の光と闇  169
 一 いのちのリレー/二 臓器移植の現状/三 生体移植と河野父子/四 脳死移植はなぜ進まないのか/五 ゆらぐ「脳死」/六 空輸されるヒト組織/七 臓器売買

第六章 遺伝子ビジネスの現場  207
 一 遺伝子検査ビジネス/二 遺伝子検査の落とし穴/三 変わる創薬/四 アメリカでの論争/五 日本の生命保険/六 諸外国の動向/七 簡易保険加入拒否事件/八 保険加入拒否の論理/九 遺伝子差別の実態/十 新たな優生思想

終章 人体利用のゆくえ  243

あとがき  249
参考文献  253


初出一覧(p251)
 序章 『科学』二〇〇一年四・五月合併号「手塚治虫の遺言」
 一章・二章 『世界』二〇〇四年九月号「ルポ再生医療」
 三章 『論座』二〇〇五年二月号「中絶胎児の研究利用は許されるのか」
 番外ルポ 『婦人公論』二〇〇四年一二月七日号「ゴミになった中絶胎児」
 四章・五章・終章 『世界』二〇〇五年四月号「人体利用の現在」
 六章 『世界』二〇〇二年三月号「遺伝子情報ビジネス」
     『週刊現代』二〇〇二年四月二七日号「遺伝子差別生命保険に入れない」


引用

序章 ミミネズミの衝撃
(p4)
 ミミネズミの映像を見て、私は「おぞましい」「身の毛がよだつ」「吐き気を催す」といった形容詞でしか表現できない、ひどい気分だった。
 その時、頭に浮かんだのは「狂気」という言葉である。科学者がすることとは、とうてい思えない狂気の沙汰に、腹の底から憤りを覚えたのだ。
(pp5-7(
 科学的な思考は、人間主義の思潮と相俟って、抑圧や差別がシステム化された封建的な社会から、人間を解放する原動力となった、と私は思う。
 ところが、今や事情は全く変わってしまった。科学が賞賛された牧歌的な時代は過ぎ去り、科学はむしろ現代のさまざまな危機の源泉となっている。その背景として、科学がふたつの点で変質したことが挙げられると思う。
 ひとつは、科学が科学の世界だけで完結できなくなったことだ。
 科学は今や、技術と一体となって、市場経済や国家権力の見えざる意志を体現するもの、市民の果てしない欲望を具現するもの、あるいはそのすべてを溶かし込んだアマルガム(混合物)と化している。そして、あらゆる分野で異常な増殖を続けているのである。
 その意味で、私は単に科学という単語でなく、科学技術あるいは科学技術文明、テクノ文明という熟語を使うことにしている。
 もうひとつは、科学のテーマが単に自然の摂理を観察し、その謎を解明する段階から、自然を支配し、改造する段階へとバージョンアップしたことである。
 これは、科学本来の性向というより、西欧固有のキリスト教的な自然観が全面に出てきたものではないかと私は考えている。人間のためなら自然をどう改変し、破壊しようが構わないという思想は、すでに公害や地球環境の破壊という手痛いしっぺ返しによって修正を迫られているのではなかったか。
 にもかかわらず、ティッシュ・エンジニアリングをはじめ、遺伝子組み換え、クローン動物、ヒトゲノム、臓器移植、生殖医療などの分野で、科学技術は人間を含めた生物の改造から、ついに生命の創造へ、言い換えれば神の領域へと歩を進めているのである。
 生命操作の科学技術で私が最も懸念するのは、生命の尊厳を踏み躙っている、という一点につきる。
 ミミネズミのような怪物を造り出す一方で、子供たちにどうやって生命の大切さを教えろというのか。科学者の多くは教育者を兼ねているのだから、その点をよく考えてほしいと願う。
 私は門外漢ながら、取材者として大勢の科学者や技術者に会って話を聞く機会に恵まれてきた。彼らの夢や情熱、新発見に立ち会った時の喜びや、日頃の地道な努力をある程度理解できるし、研究の自由、学問の自由をできる限り尊重したいと考えている。
 しかし、私の感覚からすれば、科学技術の多くはすでに、批判的な知性としての本来の在り方を見失い、狂気の領域に入っていると言わざるをえない。
 科学は私にとって、依然として生きていくうえで不可欠な思考のツールでありながら、同時に闘わなくてはならない対象、おそらく現代文明を破綻に導く最大の敵として立ち現れているのである。
(p8)
 いずれにしても、ミミネズミの映像があまりに衝撃的だったため、私はその後コツコツと、再生医療を含めた人体利用の研究とビジネスの実態について情報収集を進め、取材した内容を断続的に雑誌に発表してきた。
 本書は、そうした取材の果実をまとめたものである。


第1章 再生医療とビジネス
(pp20-21)
 つまり、形態から言えば、再生医療は(一)体性幹細胞と足場を組み合わせるティッシュ・エンジニアリング、(二)培養した体性幹細胞を注入して患部の再生を促す細胞治療、(三)ES細胞や体性幹細胞を培養して体外で臓器や組織を再生し、体に戻してやる再生臓器、再生組織の移植という三つのカテゴリーに分かれる。また、クローン技術を使って人体を丸ごと再生することも理論的には可能になっている。
 このうち、再生臓器はまだ夢の段階、細胞治療は臨床試験の段階だが、ティッシュ・エンジニアリングは日本でも培養骨や培養皮膚を皮切りに、いよいよ産業化する段階を迎えているわけだ。
 アメリカでは、すでに一九八○年代末に自家培養表皮が、一九九〇年代後半には培養軟骨や同種培養皮膚が製品化され、ティッシュ・エンジニアリングの分野に参入している企業は四〇社に上っている。
 上田教授は言う。
 「今のところ、現実に実用化されているのはティッシュ・エンジニアリングだけです。ES細胞やクローンにも可能性がありますが、倫理的な問題が残されています。私はES細胞やクローンを必要としない再生医療の実用化に的を絞っていますが、それはいま目の前にいる患者さんを救うこと、その一点をめざしているからです」
 上田教授が再生医療の実用化に向けて、当面のラインナップに掲げている組織は皮膚、骨、軟骨、角膜、心臓弁、神経、歯、歯胚の八つである。異種移植や同種移植はあえて避け、患者自身の細胞を培養して元に戻す自家移植に限定している。
 また、再生医療実用化の原則として、(一)低侵襲、(二)即日治療、(三)局所麻酔の三点を挙げている。低侵襲というのは、細胞を採取する際も移植する際も、手術などによる患者へのダメージが少ないことを意味する。
 上田流の再生医療は、これまでの現代医学や移植医療の問題点をふまえて、患者の立場に立った新たな医療をめざしているのである。
(pp25-26)
 J-TECが最初に事業化を目指しているのが、重傷の火傷を負った患者本人の皮膚を培養して治療する自家培養皮膚だ。上田教授から技術移転を受けるとともに、グリーン教授からも指導を受けている。
 製造工程はまず、医療機関で患者から切手一枚分、およそ二平方センチの皮膚を採取し、J-TECの製造施設まで冷蔵状態で運び入れる。施設ではポビドンヨードや抗生物質を使って皮膚組織を消毒した後、皮膚の表皮層と真皮層を分離。トリプシンという酵素を使って結合している表皮細胞をバラバラにし、3T3と呼ばれる繊維芽細胞の上に撒いて温度三七度、二酸化炭素一〇%の環境に設定し、フラスコ内で培養する。すると、表皮細胞は増殖を続けて重層化してシート状になる、これをディスパーゼという酵素で処理してフラスコから剥がし、製品ができ上がる。約三週間でハガキ半分のサイズの培養表皮シートを五〇枚あまり製造し、医療機関に供給する。まさにオーダーメイドの製品だ。
 これが、グリーン型と呼ばれる培養方法だが、そのポイントは3T3と呼ばれるマウスの繊維芽細胞だ。通常の細胞培養では細胞は一層にしか広がらず、表皮を形成することができなかった。ところが、グリーン教授の実験室で、3T3細胞が偶然に混入したところ、表皮細胞が重層化していったのだという。ただし、なぜマウスの繊維芽細胞を使うと細胞が重層化できるのかはわかっていない。まさに、結果オーライの世界なのだ。
(p28)
 山田講師によると、現在開発されている培養表皮を火傷の治療に使う場合、使えるケースは限られてくる。山田講師が診ている患者では、培養表皮がうまく生着すると思われるケースは年に一、二例しかないという。
 「体内に移植するのであれば、患者には見えないので生着率が悪くてもすみますが、皮膚の場合は結果が目に見えますから、患者はきれいに治らないと納得しない。ですから、これならきれいに治ると思われるケース以外は使いにくいのです。むしろ、同種培養皮膚の方が使いやすいのではないでしょうか」
(p29)
 山田講師の話で一番ショックだったのは、培養皮膚を移植した場合、うまくいってもツルツルの皮膚で、毛穴や汗腺は修復されないという点だ。ちょうど乾燥肌のようになるため、ハンドクリームを塗るなどのまめな手入れが必要だという。
 「培養表皮は一九七五年にグリーン教授が開発したもので、以来三〇年が経っていますが、なかなか代わるものが出てきていません。アメリカでは確かに販売されていますが、販売が続いていないケースが目立ちます。もっといい培養皮膚ができれば別ですが、今のところ、治療に一番いいのは患者本人の皮膚です。お尻や背中から採取して移植するのですが、よく生着し、痕もきれいです。培養皮膚はまだ本人の皮膚にはかないません。同種の場合は拒絶反応が強く、自家の場合はがん化しないかが心配です。効果とリスクをよく見究めて慎重に使う必要があるでしょう」
(pp30-31)
 心筋細胞再生の研究は、一九九〇年頃からスタートした。目的は再生心筋細胞を移植して、心筋梗塞などで心筋が壊死(えし)し、低下した心機能を改善することである。
 当初は細胞の中で遺伝子発現を調節するマスター遺伝子を探していた。(略)残念ながら見つからなかった。
 次に試みたのは、マウスの胎児から取り出した心筋細胞を分裂させるというアイデアだったが、これも失敗した。
 最後に思いついたのが、幹細胞から心筋細胞を造り出すというアイデアだった。ちょうど骨髄にごく微量含まれる間葉系幹細胞が骨や軟骨、脂肪細胞などに分化することが明らかにされた頃だったため、.福田講師もES細胞ではなく、間葉系幹細胞にターゲットを絞って培養を試みていた。
 細胞の培養は手がかかり、しょっちゅう顕微鏡を覗いているだけでなく、三日ごとに培養液を取り替えなければならない。実験を始めて一年近くが経ったがなかなか成功せず、半ばあきらめて放っておいた頃だった。大学院生があわてふためいて、呼びに来た。
 「先生、大変です。見に来てください。細胞が拍動しています」
 福田講師は書きかけの原稿を放り出して培養室に急いだ。顕微鏡を覗くと、確かに細胞が動いていた。
 培養液をこまめに交換せず、最低でも二週間ほど待つ必要があったのだ。たまたま放置しておいたための成功で、ビギナーズラックだったと福田講師は振り返る。
(p35)
 骨や皮膚、心筋の他にも、角膜や神経、毛髪、軟骨などで培養細胞の製品化、産業化に向けた動きが進行しているが、国側の安全面での厳しい審査が行なわれていることもあって、日本の再生医療はまだ夜明け前の段階にあると言えそうだ。
 ヒトES細胞の作成やクローン技術によって、臓器の再生が今にも実現するかのように大騒ぎしているマスコミ報道との問にはかなりの落差がある。
 しかし、産業化に向けた動きが着実に進んでいるのも事実だ。
 現在推定されているティッシュ・エンジニアリングの市場規模は四八兆円。このうち日本で五兆円と言われている。
(pp36-37)
上田「昔は大学で研究した成果の判断を企業に委ねましたが、今は大学の方から企業に売り込むようになった。そうすると、必要以上に大きな成果だと売り込んでしまうのです。それから金儲け主義も出てきている」
 ――どういうことですか?
上田「ある大学で大学院生を相手にベンチャーを立ち上げた経験談を話したときのことですが、「どういう分野がこれから儲かりますか?」と院生が質問するんですね。研究者としてのモラルはどうなっているのか、大変気がかりです」
 研究開発の果実はそのままでは普及しない。普及させるためには、企業が製品化し、市場に流通させることが必要になる。実用化とは、全国の大規模病院でルーティンの治療に使われることだと上田教授は指摘する。
 だからこそ、上田教授も自らが開発した培養皮膚や培養骨などを実用化するために、ベンチャー企業の設立に動いたわけだが、どうやら大学の研究者側にモラルの揺らぎが引き起こされているようだ。


第2章 万能細胞とヒトクローン
(pp47-48)
 人工的に造った精子と卵子を受精させれば新たな生命が誕生するため、ヒトのES細胞から精子や卵子を造ることは日本をはじめ、多くの国で禁止されている。この点を認めつつも、野瀬主任研究員は言う。
 「卵細胞の持っている力は計り知れず、どこから持ってきた核でも初期化して個体にしてくれます。ES細胞から人工的に卵子ができるようになると、女性に提供してもらう必要がなくなり、研究のためだけでなく再生医療にも利用できる可能性があります。とすれば、ヒトES細胞から卵子を造ることを禁止するのは弊害が大きくはないか、と個人的には考えています」
(p64)
 今回の取材では、複数の研究者から動物実験での研究成果を画像で見せてもらったが、マウスの背中にヒトの耳を造ったヴァカンティ教授らのミミネズミのように、成果を示すために造られた奇妙な改造生物をいくつも見ることになった。
 私はおぞましいと感じる自分の感性がまともであると信じたいが、実際のところどうなのだろう。テクノ文明の時代にあって、感性のスタンダードはすでに私たち一般市民の側ではなく、研究者の側にあるのだろうか。


第3章 中絶胎児は研究材料か
(pp72-74)
 二〇〇四年夏、中国で中絶胎児の細胞移植手術を受けるため、脊髄損傷の日本人が相次いで海を渡っている、というショッキングな事実が明らかになった。
(略)
 これまで有効な治療法がなかったが、いま脊髄損傷者たちに希望を抱かせているのが再生医療だ。一九九〇年代に入って、中絶胎児の細胞を移植して傷ついた脊髄を再生させる治療法の研究が始まり、ラットやサルなどの動物実験での効果が注目されてきた。映画『スーパーマン』で主役を演じた俳優のクリストファー・リーブは落馬事故によって脊髄損傷になったが、基金を作って再生医療を支援している。
 まだヒトに応用する段階には至っておらず、あと二、三年の基礎研究でどの程度の治療効果が望めるのかはっきりする、というのが研究者の共通認識だったが、中国でいきなり治療が始まったのである。
 患者団体である日本せきずい基金によると、中国でこの治療を実施しているのは、北京市にある首都医科大学附属朝陽病院の黄紅雲教授。黄教授はこの治療法を研究しているアメリカ・ラトガーズ大学のワイズ・ヤング教授の研究室にいたとされる。
(略)
 黄教授は二〇〇一年秋から三年近くの間に、中国人やアメリカ人ら三〇〇人以上に手術を実施している。中絶胎児(妊娠一二週から一六週)の鼻の粘膜からOEG細胞(嗅神経鞘グリア細胞)と呼ばれる神経細胞を採取して二、三週間にわたって培養し、患部に注入することによって損傷した脊髄の神経細胞の再生を促すものだ。当初は背中を一五センチも切り開く方法だったが、いつの間にか背中のニカ所にスプーンほどの穴を開けて注入する方法に変わっている。
 日本人の手術枠は月にふたりで、二〇〇四年一月から九月までに一一人の日本人が移植手術を受けている。三週間ほど滞在して手術を受けるが、費用はアメリカ人患者より五〇万円あまり多い二八○万円。日本人ブローカーが斡旋(あっせん)のマージンを取っていると見られる。
(略)
 通常、神経の軸索が伸びるのは一日一ミリと言われる。移植した細胞が生着するまでには数週間かかるはずで、翌日から効果が出ていることには懐疑的な声が多い。また、黄医師は、中絶する母親からはインフォームド・コンセント(説明と同意)を取っており、肝炎やエイズなどの検査も実施したうえで移植していると説明しているが、中絶胎児をどこから調達しているのか、患者ひとりにつき何体の胎児を使っているのか、患者の脊髄のどの辺りに何カ所ぐらい細胞を入れているのか、細胞培養にウシ胎児の血清を使っているのか(細胞培養には通常ウシ胎児の血清が必要だが、BSE(海綿状脳症)に感染するリスクが危惧される)といった肝心な点についてはわからないままだ。
(pp87-88)
 中畑「一九九〇年代になって、各施設のIRBで審査し、承認を得た上で研究を進めるケースが出てきていますが、委員の審査能力に疑問符が付くようなIRBも見受けられます。医師への免罪符を与えているだけではないか、という声もあります」
 ――施設によってIRBのレベルが違う?
 中畑「IRBのレベルが、あまりにも違いすぎる。どこの病院でもどんな医療をしてもよいというのが国民皆保険の医療ですが、IRBがない病院で熟練が必要な移植医療が行なわれたりするのは問題です。細胞の無菌的処理やドナー(臓器提供者)の条件、安全性、それにインフォームド・コンセントやプライバシーの担保。そういったさまざまな問題を議論して決めなくてはならないにもかかわらず、IRBがない病院すらあるのです。私の専門は小児がんや白血病の治療ですが、骨髄や膀帯血移植を行なっている施設がアメリカですら四〇施設しかないのに、日本には二〇〇以上もある」
 ――もっと限られた施設でやるべきだと?
 中畑「そうです。死亡胎児の利用はもとより、再生医療も限られた施設でやるべきです。年に一、二度、移植医療をやっても医療の進歩に結びつかない。高度な先端医療は集中化して患者を集め、技術を進歩させる必要があります」
(pp102-103)
 福島「次々に概念が革新されていきますが、その根底にはビジネスがある。狸猛なキャピタリズム(資本主義)あるいはリバタリアニズム(自由至上主義)の中で起きている、その奴隷になりつつあるという点を理解しておかないとこの事態に対応できません。今の世界は自由という理念の下に動いていますが、自由を享受しているのは金持ちで、市場原理の中で強い者しか勝てない状況になっている。私は最近、自由主義という名の全体主義になりつつあるのではないかと思っています」
 ――……
 福島「そうしたなかで医療も位置づけられていますが、医療は従来の経済理論では把握できないのです。医療の分野での需要は病気ということになりますが、病気を作り出すことはできないし、病気をなくすことが人類の悲願です。それから、たとえばコンピュータはイノベーションによってコストダウンが可能になりますが、医療の場合は逆にコストが上がる。ですから、市場原理に沿うという意味で医療に求められているのは、病気を治すことではなく、病気を予防し、健康を管理することです。そうした大きな流れの中では、再生医療や遺伝子治療はマイナーな取り組みにすぎないのです」
 ――健康管理に金を使うべしと。
 福島「そうです。一〇〇億の金を再生医療に投じても、成果が出るかどうかわからない。むしろ、PET(陽電子放射画像診断法)など検査技術のイノベーションにお金を使った方が、ずっと意義があるのではないでしょうか」


〈番外ルポ〉ゴミとなった中絶胎児
(p122)
 担当者の話で驚いたのは、焼却現場の実態だ。病院では感染性廃棄物を分別して出しているところもあるが、用途ごとに焼却場を分けることなどありえないというのだ。感染性廃棄物専門の焼却場はめったになく、産業廃棄物の焼却施設で混焼している。つまり、せっかく分別しても同じ焼却場で燃やされるケースがほとんどというのが実情のようだ。
 なるほど、感染性廃棄物については医療機関のモラルしだいであり、医療機関側が無断で中絶胎児を感染性廃棄物の容器に入れていても、業者サイドでは確認できない仕組みになっているわけだ。
(pp132-133)
 こうして三カ月に及ぶ取材の結論は、一二週未満の中絶胎児は一部の例外を除いてゴミとして捨てられている、ということだ。ほとんどは感染性廃棄物として焼却処分されているが、一部の病院が一般ゴミとして捨てている可能性も否定できなかった。
 なぜ、いのちをこんなにも粗末に扱うのか。人間の胎児をゴミとして捨てていて、学校で子供たちにどうやっていのちの大切さを教えようというのか。神戸の連続児童殺傷事件で小学生の首を切り落とした少年Aが「人のいのちも蟻やゴキブリと同じや」と自らの殺人を正当化していたことを思い出した。
 死産届や胞衣条例などは、いずれも昭和二〇年代に定められている。中絶をタブー視する風潮があったことも一因に違いないが、終戦後のドサクサにまぎれてよく検討もせずにでき上がったシステムが、その後見直されることもなく六〇年も続いてきた、というのが事の真相のようだ。
 だとすれば、事件をきっかけに社会問題になった今がチャンスである。人間の尊厳に関わる問題だけに、この機会に政府は検討委員会を設置してシステム自体を見直し、小さないのちをどのように弔うのか、その道筋をはっきりとさせるべきではないだろうか。
 中絶胎児を研究や医療、ビジネスに利用すべきかどうか、利用する場合、どのような条件で認めるか、という課題と表裏一体の問題として、トータルに考え、検討する必要があるだろう。


第4章 人体製品の現状
(p165)
 メルスモン製薬はヒト胎盤の小さな肉片を販売していたわけだが、販売先は日本胎盤医療研究会という医師のグループだった。前述した埋没療法に使う肉片を医師たちに頼まれて製造販売していたわけだが、認可を取得していなかったのだ。
 不思議なことに、医師自らがヒト胎盤を処理して患者の治療に使う分にはお咎めがないが、それを製薬メーカーが請け負うと薬事法違反になる。このため、日本胎盤医療研究会では厚生労働省に抗議し、話し合いが行なわれたが、メルスモン製薬も胎盤医療研究会会長で東京中央医療生活協同組合鉄砲州診療所の沖山明彦医師も取材を拒否したため、実態はよくわからないままだ。


第5章 臓器移植の光と闇
(p175)
 私自身は他人から臓器をもらってまで生き永らえたいとは思わない。しかし、自分の子供がもし「臓器移植以外に助からない」状態になったら、子供本人が強く拒絶しないかぎり、迷わず移植への道を追い求めるに違いない。
 それは、理屈を超えた親の情である。
(p204)
 私はひとりの親として、臓器移植で助かる子供を何とか救ってやりたいと思う。と同時に、第三世界で臓器売買が蔓延するのを黙認するわけにもいかない。臓器の闇売買を誘発する海外渡航は原則としてすべきではないのである。とすれば、脳死での臓器移植を増やし、子供も国内で移植ができるようにするしか道はないが、医療サイドで肝心の脳死の判断がゆらいでいては話にならない。


第6章 遺伝子ビジネスの現場
(pp225-226)
 実際、生命保険契約の現場では、どのような査定が行なわれているのか。その内容については、保険会社ごとに異なると言われるが、一切公表されないので実態は闇の中でほとんどわかっていない。
 今回入手したある大手生保会社の告知書によると、がんや心臓病、腎臓病などの過去五年以内に患った主要な疾患については申告する義務がある他、喫煙についても任意ではあるが一日に吸うたばこの本数まで尋ねている。
 また、顧客に面接して会社に情報を上げる面接士の報告書によると、体形や顔色、言語・知能や歩行状態、異常運動などについて気がついた点を記載するようになっており、顔と両手の指の絵が書かれている。
 この大手生保の元外交員の話によると、がんや心臓病、腎臓病などの重大疾患にかかっていることがわかった場合は、ほぼ間違いなく受け入れ拒否。高血圧の場合は再検査をして数値が上がっている場合は拒否、下がっている場合は保険料の割増をして受け入れ可だという。また、指を詰めた人は足を洗っていても公序良俗に反するとして拒否、犯罪歴のある人も、たとえ更正していても例外なく拒否だという。
 しかし、激烈な販売競争が展開されているのも事実である。保険業界にはGNPといって「義理(G)人情(N)プレゼント(P)で落とせ」という言葉もあるくらいで、会社によっては顧客に重大な病気があるとわかっても、一時の業績アップのために加入させてしまうケースもあるようだ。
 一方、顧客は顧客で、重大な病気にかかっていることを隠して加入しようとするケースも後を絶たないという。
 「顧客の評価をきちんと行なうと業績アップにつながらないというジレンマがあり、保険契約にはキツネとタヌキの化かし合いのようなところがなきにしもあらず、なんです。現在では遺伝子検査の結果どころか家族の病歴も聞いていません(英米では必ず聞く)が、喫煙の本数を参考にしているぐらいですから、遺伝子検査のデータも営業上は必要だと思いますよ」(元外交員)
(p228)
 欧米でこれだけ論議になってきたにもかかわらず、日本の政府も生保各社もこれまでこの問題をまともに扱ってこなかった。生命保険協会に至っては、せっかく協会自らが諮問して各社の有志がまとめた貴重な調査報告を「協会には関係ない」として切り捨てるという姑息な姿勢に終始し、その前時代的な対応には開いた口が塞がらない。
 日本がもし先進国であるならば、きちんと問題を提起し、広く議論を起こした上で、国民が納得できる結論を導く必要があろう。
 その意味で、二〇〇〇年以降」遅まきながら保険学会などで活発な論議が行なわれるようになったことは歓迎すべきことだが、逆に言えば、ここまで論議が遅れている日本で、生命保険の査定にいきなり遺伝子検査の結果を利用するなど以てのほか、と言ってよいだろう。
(pp231)
 加入拒否の事件は、障害児の親たちで作っている情報ネットのメーリングリストを通じて全国に伝わり、障害児を持つ親や支援者に不安と動揺が広がった。
 この件について、九州郵政局保険部業務企画課の有田憲一課長は、取材に対し、「個々の事例については守秘義務があるのでお答えできませんが、ダウン症の場合はたとえ健康であっても、健康状態が変化したり合併症を起こしたりする可能性が高いので、一律にお断りしています」と答え、ダウン症を理由に保険への加入を拒否していることを認めたのである。
(pp235-237)
 蒔田医師は、自分の患者のケースだけでなく、ダウン症を理由に簡易保険の加入を拒否された事例もあることを知り、旭川医科大学の羽田明教授と話し合って実態を調査してみることにした。
 全国一〇の小児病院の医師に依頼して、新生児のマススクリーニングで先天性甲状腺機能低下症と診断された子供たちが生命保険に加入できているかどうか、二〇〇一年の夏にアンケート調査を実施したのである。
 先天性甲状腺機能低下症は、甲状腺ホルモンが不足する遺伝性疾患だ。放置すれば低身長や知恵遅れになる恐れがあるが、障害を引き起こしたり死に至ったりすることはなく、薬を飲んでいれば普通に生活できることがわかっている。
 調査によると、回答のあった七五件のうち六六件が生命保険や簡易保険への加入を試みていたが、そのうちちょうど半数の三三件が加入を拒否されていた。内訳は生命保険が一七件(うち学資保険が五件)、簡易保険が一六件(うち学資保険が一四件)だった。
 拒否された後にどうしたかという点については、加入を拒否しない生協や外資系生命保険に変更して加入したケースが四件、告知せずに別の生命保険や簡易保険に加入したケースが三件あったが、二六件は泣き寝入りしていることがわかった。
 一方、加入できた三三件についても、病名を告知せずに加入しているケースが二六件、妊娠中に加入しているケースが五件、外資系生命保険が二件だった。病名を告知せずに加入したケースでは、入院給付金を申請した際に診断書に病名が記載されていたために、告知義務違反で保険契約を解除された例が三件あった。
 つまり、日本の簡易保険と生命保険の場合、遺伝性疾患の病名を告知すれば全員が加入できないという驚くべき実態が明らかになったのである。
 このため、蒔田医師は二〇〇一年の一一月に、福岡県の事例同様に北海道郵政局長宛てに審査基準に関する行政文書の開示請求を行なったが、結果はやはり不開示だった。
 これについて、羽田教授は危機感を募らせている。
 「発症していないのに遺伝病を告知すると加入を拒否され、告知せずに加入すると病名がわかった時点で告知義務違反により契約を解除される。これでは、遺伝病や病気の原因遺伝子を持つほとんどの人が差別されることになります。さらに、これからのオーダーメイド医療の時代では、生活習慣病の発症しやすさを遺伝子で調べることになり、ほとんどすべての人が遺伝子の欠陥を持つことが明らかになります。今のうちにきちんとしたルールづくりをしておかないと大変なことになってしまいます」
 羽田教授は二〇〇二年四月に名古屋で開かれた日本小児科学会でこの調査結果を報告し、会員の医師たちに問題提起した。
 遺伝性疾患については、東北大学大学院の松原洋一教授も、新生児マススクリーニングの対象であるPKU(フェニルケトン尿症)と診断された子供たちが生命保険に加入できたかどうか調査を行なっているが、やはり加入を試みた二四件のうち一〇件が拒否されるという結果が出ている。
(p238)
 少なくとも簡易保険や生命保険で、遺伝を理由に加入拒否されるケースが頻発している以上、国や生命保険会社は実態を調査し、不当な人権侵害を受けている当事者を一日も早く救済すると同時に、現在採用している審査基準を早急に見直す必要がある。
 その際には生命保険の論理に留意しつつも、できるだけ事実を公開し、国民的な論議を行なった上で新しいゲノム時代のルールづくりを進める必要があるだろう。


*作成:植村 要
UP:20080906 REV:
遺伝子検査(と雇用・保険)  ◇ヒト細胞・組織/ES細胞/クローン…   ◇臓器移植 organ tranpslantation/脳死   ◇臓器売買 Organ Sale   ◇人工妊娠中絶/優生保護法/母体保護法   ◇身体×世界:関連書籍 2005-  ◇BOOK
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