HOME > BOOK >

『戦時医学の実態』

軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会 編・講演/末永 恵子 20051030 樹花舎,71p


このHP経由で購入すると寄付されます

■軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会 編・講演/末永 恵子 20051030 『戦時医学の実態』,樹花舎,71p. 500+税 ISBN-10: 4434067648 ISBN-13: 978-4434067648 [amazon] ※ b mw e04 c0132

■内容(「MARC」データベースより)
日中両国の学生に医学を教え、大陸で活躍する医師の養成を目的とし、満鉄によって設立された旧満洲医科大学。そこで行われた戦争時の医学犯罪とは? 人骨発見16周年集会における講演に加筆訂正して刊行。

■目次
はじめに 常石敬一

戦時医学の実態 旧満州医科大学の研究 末永恵子
はじめに 旧満洲医科大学歴史研究の意義
1 満洲医科大学とは?
2 医学研究の特徴(微生物学教室
 生理学教室
 病理学教室
 実習用屍体が豊富にあった解剖学教室
 戦後も活用された組織標本)
3 満洲医科大学の人体標本はいかにして収集されたのか?
 墓荒らしをして標本収集
 膨大な人体標本
 生体解剖
 「新鮮な人の脳」を使った論文
 隠蔽された業績
 奉天監獄とのつながり
 死刑執行の場に赴いて解剖する
 熱河侵攻に便乗して地方性甲状腺腫を研究する
 医学犯罪を生む要因
 異分子・弱者への蔑視
 生体実験を拒否した生理学者
質疑応答
満州医科大学関連文献
あとがきにかえて 「軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会」の活動

■紹介・引用

「死刑執行の場に赴いて解剖する
 以上は、大学に送り込まれ構内で解剖されたケースです。しかし、標本の収集は学内にとどまらず、研究者が出向いて解剖することもありました。病理学教授久保久雄は、死刑執行の場に赴いて「匪賊」を解剖したことを得々と書いています。「匪賊」とは、現在の辞書には「集団をなして出没し、殺人、略奪などをする盗賊」とありますが、当時「満州」では反満抗日の集団に対してもこの言葉が使われていました。彼の「武勇談」を少し長くなりますが次に挙げてみます。

 「私は昭和八年十一月中旬、農安という北満の片田舎で、討伐に際し捕虜となった二十七名の匪賊が死刑に処せらるると云うことを確かな筋から聞知した。教室の病理解剖材料をどうかして、もっと増加さしたいという考えを持って居るし、又私が同年夏熱河の地方性甲状腫流行地で解剖した材料に対する比較対照にもなるし、其他研究上得難い資料でもあるので、直ちに関係筋へ死刑者の病理解剖を願出たところ、満州国側当事者も私の意のある所をよく了解してくれて解剖を承諾せられた。(中略、十二月二十八日)死刑の執行は、農安城西門外二支里の茫漠たる原野の中にある墓地を臨時の刑場として行われたが、幸か不幸か私供は所用の為め刑場に到着するのが少しく遅れたので、黒山の如き群集の彼方で打ち続く小銃の音を聞きながら群衆を押し<039<分けて駆けつけた時には十三名は既に此の世の人ではなかった。(中略)病理解剖は頭目を除く十二名丈け許可された。(中略)(近隣の寺の裏庭に遺体を運ばせて)茲に於て予め用意してあった高梁稈を焚き、之に薪炭を加えて火を熾し、私と吉田敬助君とで手分けして解剖を始めた、(中略)こんな所での解剖は出来る丈け早く片づけてしまうに限る。私共は全く無我夢中であった。二体の解剖をすました時に手指が充分動かず微細な仕事が出来なくなって居るのに気が付いた、寒冷の為めである。それで手を暖め暖め元気を出して一気呵成に十二体の解剖をなし終わった。正午に始め、午後二時頃に終了した、ちょうど二時間である。(中略)その日は宿舎に於て、夜遅くまでかかって採取した材料の荷造りを済し、翌二十九日朝十時に思出深き農安に別れを告げ、自動車を駆って朔風を衝き凍土の上を疾走して新京に向った。途中の茫漠たる原野は見渡す限り白雪皚々、寒気益々加わり零下三十度にも達する北満本格的の酷寒である、自動車の中で居ってする寒気骨髄に徹する。しかし、目的を達して帰途を急ぐ私共の胸裡はいとも明朗であった。(中略)終りに○み私共今回の仕事に絶大の援助と配慮を賜りたる吉林警備騎兵第一旅長劉玉混少将、吉林省騎兵第一旅団軍事指導官騎兵少尉石橋孝一及び農安日本領事館分室の各位に衷心の感謝を捧ぐ」(久保久雄「二時間に十二体を解剖す――匪賊の末路」東京医事新誌二八六五、一九三四年、三五〜三六ページ)

 久保は病理学教室の解剖材料を増やしたい、また地方性甲状腺腫の比較研究のために標本を得たいという希望を持っていました。そこで予め死刑者の解剖を関係筋へ願い出ていたら承諾された。そこで死刑の現場に赴き、厳寒の中で十二名の刑死者を二時間で解剖し、病理解剖の材料を仕入れた。そのことを誇らしげに書いているのです。引用文の末尾をみてください。「目的を達<040<して帰途を急ぐ私共の胸裡はいとも明朗であった」とあります。全く罪の意識はありません。久保には、自分たちは正義の行為をした、医学に貢献しているという思い込みがあったことがわかります。
 もう一つ注意すべきは、最後の謝辞です。
 「絶大の援助と配慮を賜りたる」満州国軍の軍人と日本領事館に「感謝を捧」げているのです。これは満州国軍と日本領事館という国家組織が、研究者に協力して刑死体の解剖を実現させたことを意味します」(pp.39-41)



*作成:櫻井 悟史
UP:20080402
身体×世界:関連書籍  ◇戦争と医学  ◇人体実験  ◇死刑  ◇BOOK
TOP HOME (http://www.arsvi.com)