『アウシュヴィッツの〈回教徒〉――現代社会とナチズムの反復』
柿本 昭人 20051020 春秋社,534p.
■柿本 昭人 20051020 『アウシュヴィッツの〈回教徒〉――現代社会とナチズムの反復』,春秋社,534p. ISBN-10: 4393332415 ISBN-13: 978-4393332412 \3675 [Amazon]/[kinokuniya] ※
■内容
出版社/著者からの内容紹介
「第二次世界大戦を経て勝利したのは、実はナチズムではなかったか」――。
フランスのある哲学者がそう評したのは、人間を「有用な者」と「無用な者」に分け、後者を排除するナチズムの思考を飽くことなく繰り返し、むしろそれを徹底する方向へと舵を切っているかに見える現代社会の有り様を指してのことです。「脳死」や「出生前診断」をめぐる現在の論議に、あるいは日々、新聞やテレビに踊っている「余剰人員のリストラ」という文字に、そういった事情を容易に見て取ることができるでしょう。
本書、『アウシュヴィッツの〈回教徒〉』は、ナチ強制収容所において用いられた「回教徒」(Muselmann)という語彙が一体、何を意味していたのかを、上述のような意味でナチズムを「反復」し続ける現代社会の問題として、徹底的に検証します。
「回教徒」とは「死にかけの抑留者」を指して用いられた「隠語」であり、その名付けの理由は、「毛布にくるまった死にかけの抑留者の姿が、祈りの際に地面にひれ伏すムスリムの姿に似ているから」とされています。「毛布にくるまれた骸骨」。これが「回教徒」の一つの表象/イメージです。
しかし、「回教徒」はもう一つの、それとは全く相反し、矛盾するイメージによって挟み撃ちにされてもいるのです。そのイメージとは、「身体が砕け散っても指令を貫徹しようとする戦闘機械」という表象です。「『生きようとする意志』を欠き、『自己意識』がなく、『精神が死んでいる者』であるために、『動物の生存と結びつく事象』にのみ反応する『回教徒』」――。こうした記述に、我々は本書の中で、繰り返し出くわすことになります。
「生ける屍」がこのような含意のもとに「回教徒」と呼ばれたことは、どんな結果を生み出したでしょうか? 現在にまで及び続けているその結果を、私たちは日々、目にしているのではないでしょうか? つまり、「ムスリム」は一方では原理主義を奉じる無意志のテロリストとされ、もう一方では、「生存しない人間」、「生きている価値のない人間」、「人間ならざる人間」の側へと「整理」されてきたのではないでしょうか? ユーゴスラヴィアのスレブレニッツァでは、セルビア勢力による「民族浄化」を怖れて避難してきたムスリムの保護に当たっていたはずの国連平和維持軍がムスリム虐殺の傍観者となり、ついには暗黙の共犯者となってしまったことを、我々は知っています。そして特に、2001年の「9・11事件」以後、ムスリムは、「この世の悪/人間外の人間」を体現するものとして、偏向した眼差しのもとに語られてきたのではないでしょうか?
「二度とアウシュヴィッツを起こしてはならない」と言い続けながら、しかし同時に、「人間と非人間の識別/非人間の殲滅」というナチの思考を温存し、反復し続けている現代社会とは一体、何なのか? ムスリムをめぐる課題は、こうして、ナチズムを反復し続ける現代社会の問題に他ならず、その問題の核心にあるのは、「思考のナチズム」を根底からどう打ち倒すことができるのか、という課題であることを、本書『アウシュヴィッツの〈回教徒〉――現代社会とナチズムの反復』は、膨大な文献精査を通じて訴えます。
(「BOOK」データベースより)
ナチ強制収容所において、生きるべき価値を持たない者として「焼却処分」にふされた人々がいる。それら「死すべき抑留者」に与えられた名―「回教徒」(Muselmann)。なぜ「回教徒」なのか?その生と死を、我々はどう語ってきたのか?戦後60年を迎えた現代社会を規定し続ける「思考としてのナチズム」、その核心への問い。
■目次
はじめに――アウシュビッツの「回教徒」とは
序章 皮膚――歴史の器官 本編へのエチュードとして
第0章 回教徒(Muselmann)/ムスリム(Muslim)/イスラム教徒(Moslem)
第1章 残忍な自己嘲弄?―アウシュヴィッツの「回教徒」をめぐる侮蔑と享楽
第2章 意志を喪失した者たち―アウシュヴィッツ強制収容所の抑留者が描く「回教徒」
2-1 その知力は死に瀕しているか、死に絶えていた――「ユダヤ人」抑留者の側から
2-2 祈りを捧げるムスリム、その単調な揺れの動き――非「ユダヤ人」抑留者の側から
第3章 人間の影―他の強制収容所の抑留者が描く「回教徒」
3-1 見境なく運命を受け入れるマホメット教徒――「ユダヤ人」抑留者の側から
3-2 価値がないと見なされる者たちを追放する「無理からぬ傾向」――非「ユダヤ人」抑留者の側から
第4章 生ける屍=戦闘機械―親衛隊員による「回教徒」という用語の使用
第5章 無意志の帰依/野蛮なる受動
――「回教徒」という用語が研究者その他によって公的に登録される時
結び 人間と人類の名において
註
あとがき
文献一覧
■引用
■書評・紹介
■言及
*作成:三野 宏治