『いまどきの「常識」』
香山 リカ 20050901 岩波新書,203p.
■香山 リカ 20050901 『いまどきの「常識」』,岩波新書,203p. ISBN-10:4004309697 ISBN-13:9784004309697 700[amazon] m.
■内容
(「BOOK」データベースより)
「反戦・平和は野暮」「お金は万能」「世の中すべて自己責任」…。身も蓋もない「現実主義」が横行し、理想を語ることは忌避される。心の余裕が失われ、どこか息苦しい現代のなかで、世間の「常識」が大きく変わりつつある。さまざまな事象や言説から、いまどきの「常識」を浮き彫りにし、日本社会に何が起きているのかを鋭く考察する。
■目次
まえがき
1 自分の周りはバカばかり――人間関係・コミュニケーション篇
「あの人はバカ」と言う自分はバカじゃない/世界の中心は自分/悪いのは私ではない/涙が切り札/少年事件には厳罰を
2 お金は万能――仕事・経済篇
結局、お金がものをいう/現実には従うしかない/自分らしい仕事をしよう/ゆっくりしたい、ラクしたい
3 男女平等が国を滅ぼす――男女・家族篇
男は男らしく、女は女らしく/結婚しないと幸せになれない/三世代家族が子どもを守る/不倫は文化だ/ゆとり教育は失敗だった
4 痛い目にあうのは「自己責任」――社会篇
すべては「自己責任」の結果/「偉い人」には逆らうな/競争には勝たなければならない/病気も障害も「負け組み」/インフォームド・コンセントは患者を救う
5 テレビで言っていたから正しい――メディア篇
ノーテレビデーで子どもを守れ/B型人間は自己中心的/人は死んでも生き返る/外国人は危険
6 国を愛さなければ国民にあらず――国家・政治篇
「平和」や「反戦」にとらわれるのは頭が古い証拠/ナショナリズムは普通で健全で自然/何よりも「国益」優先/過去にこだわるな/軍を持ってこそ「普通の国だ」/テロに屈するな/平和のためなら死んでもいい
あとがき
■引用
・心の傷の遷延化と自己責任
「精神科の現場では、いったん「うつ病」といった病名が確定した人が、症状がある程度、快復したにもかかわらずなかなか「あと一歩」が踏み出せず、社会復帰もままならない……という「軽症遷延例」が大きな問題になっている。(…)ある精神科医は遷延化の理由をこう推測する。「うつ病の長期化に伴って、患者が「病人アイデンティティ」を確立し、病人の立場を利用して周囲の人々を操作するという事態が起きているのではないか」」p.17
「「重いうつ病です」と言われるのもつらいが、「もう、うつ病は治りましたから、また働けますよ」と言われて、同僚に水をあけられたところからまたやり直すのもつらい。それならまだ、「あなたは本来の実力は他の人以上にあるのですが、軽いうつがまだ続いているので仕事や勉強ができなくなっているのです」と言われるほうが、安心できる……。こういう心理的メカニズムが、「病人アイデンティティ」と呼ばれるものの底にはあるのだろう」p.18
「自己責任論が幅をきかせればきかせるほど、一方で「これは私のせいじゃない、病気が悪いんだ」、「これは私がやったのではなくて、もうひとつの人格がやったことなのだ」と問題を病気という形で切り離し、自分の責任ではないとしようとする人たちが増えているように思う。「その貧しさは、自己責任です」と言われ、一方で「そのツラさは、病気です」と言われる。案外、そうやって人や社会はバランスを取っているのかもしれないが、その中間、つまり「すべて他人のせいでもないけれど、自分ばかりが悪いわけではない」というスタンスはいったいどこにいってしまったのだろうか」p.20
言及文献:西所 正道 2005 『そのツラさは、病気です』新潮社
・得をしない人が「自己責任」を言うこと
「なぜ「自己責任」ということばがあっという間に浸透し、みながそれを声高に語るようになったのだろう。(…)立岩真也は、『AERA』(二〇〇四年四月一六日号)のインタビューに答えてこういっている。「「自己責任」という言葉がとくに九〇年代以降、経済や政治の世界でむやみに使われ、攻撃的な気分にもっともらしさをかぶせる言葉として広がってしまった。自分の力で自らを救えないものは救われなくてもいいとなると、人のために何もせずにすんで得をする人がいる。だから自己責任がそういう人たちに支持されるのはわかる。だが、どうも得をしない大勢の人たちも、乗せられてしまっているふしがある。」」p.97
「「得をしていない人」までが自己責任を語るのは、どうしてなのだろう。そこにはふたつほどの理由があるのではないか、と私は考える。まず、問題を社会的次元から個人的次元に矮小化すれば、「現実を見据えて深く考えること」の厄介さや恐ろしさに向き合わなくてすむから、ということ。それからもうひとつ、自己責任論には、自分をほとんど変わらない立場の人の失敗や困惑を「それはあんたの自己責任だろう」と激しく責めて窮地に追い込むことで、「私はこうではない」ととりあえずは自分の身の安全を確保できるという“効果”がある。」p.98
・現代の病気の捉えられ方
「ここに来て、こんな疑問が世の中に広まりつつある。「障害のある人も「社会の一員として普通に生活を送ることができる社会」は、障害のない私たちにとっては暮らしやすい社会とはいえないのではないか」……。そして、「障害のある人のことを考えるよりも、まず障害のない人たちの安全や利益を確保しよう」という動きも実際に出てきている。」p.116
以下、触法精神障害者の処遇をめぐる言説を例に挙げる。
「私たちは、「“弱い人”の立場になって考える」ことの面倒くささから逃れるために、病気や障害を持つことになってしまった人たちまでを、「あの人たちは“負け組み”なんだ」と考えようとしているのかもしれない。そうすれば、「“負け組み”が暮らしやすい社会」のことまでは考えていられないよ、と片付けることができるからだ」p.120
・インフォームド・コンセントの患者モデル
「余命や重い後遺症などを含んだシビアな説明を、すべての人が冷静に受け止められるわけではない。パニックに陥ったり茫然自失になったりする人がいるのも、当然のことだ。インフォームド・コンセントの概念の中では、「医師の説明を静かに聞き入れ、理性的に自分にとって最適の治療内容を選択する」という患者モデルだけが想定されており、それ以外の反応をする人は“問題のあるケース”と考えられ、すぐに精神科受診がすすめられる」p.124
・過去にこだわること
「政治や憲法、あるいは国際問題の次元では「過去にこだわるな」という価値観にシフトしつつあるようだが、一方で個人のレベルでは、過去に受けたこころの傷、いわゆるトラウマに苦しめられる人の数は年々、増加しているという事実もある。(…)誰もが、心が傷つくと後々まで深刻な問題が残ること、そしていったん傷ついた心が回復するまでには時間がかかることを理解しつつあるのだ。にもかかわらずなぜ、心の傷に苦しむ人には「いつまでも過去に苦しむな。早く乗り越えて水に流せ」とは言わず共感を寄せようとする人が、東アジアの国々に対しては「いつまでも昔のことにはこだわるな」と平気で言えてしまうのだろうか。」p.178-179
「うやむやにしておけば、なんとかなる。時間さえたてば、みんな忘れてくれる。こう思うことは時として“生活の知恵”となって、私たちの心をラクにしてくれる。しかし、時にはそうできないこと、そうしてはならないことがある。乗り越えられない、乗り越えてはいけない過去というのもあるのだ」p.179
*作成:山口真紀