『<社会>への知/現代社会学の理論と方法(上)――理論知の現在』
盛山 和夫・土場 学・野宮 大志郎・織田 輝哉編著 20050825 勁草書房,201p.
■盛山 和夫・土場 学・野宮 大志郎・織田 輝哉 編 20050825 『〈社会〉への知/現代社会学の理論と方法(上)――理論知の現在』,勁草書房,201p. ISBN-10: 4326601884 ISBN-13: 9784326601882 \3500 [amazon]/[kinokuniya] ※
■内容
内容(「BOOK」データベースより)
国家でも家族でもない、他ならぬ「社会」こそラディカルな問題である。ポスト・グランドセオリーの時代における社会学の「理論と方法」を求めて。
内容(「MARC」データベースより)
国家や家族でない、他ならぬ「社会」こそラディカルな問題である。ポスト・グランドセオリーの時代における社会学の「理論と方法」の可能性を探究する。
著者略歴(「BOOK著者紹介情報」より)
- 盛山 和夫
- 1948年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東京大学大学院人文社会系研究科教授。社会学
- 土場 学
- 1964年生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程中退。東京工業大学大学院社会理工学研究科助教授。社会学
- 野宮 大志郎
- 1955年生まれ。ノースカロライナ大学チャペルヒル校社会学大学院博士課程修了。Ph.D.上智大学大学院外国語学研究科教授。社会運動論、市民社会論、比較方法論
- 織田 輝哉
- 1962年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。慶応義塾大学文学部助教授。理論社会学、数理社会学
■目次
『〈社会〉への知/現代社会学の理論と方法』の刊行にあたって
序章 〈社会〉への知の理論をめざして
1 理論社会学の立場
2 再構築のための戦略
3 合理性と規範性
4 〈社会〉への知の再構築に向けて
第I部 理論知の構築
第1章 構想としての探求 理論社会学の再生
1 形骸化する社会学共同体
2 相対主義の誘惑
3 社会学の再帰性
4 社会学における一般理論としての機能主義の挫折
5 社会構想の学としての社会学
第2章 古典理論の再構成 社会学の理論構成
1 古典理論の数理モデル
2 デュルケーム社会学の数理社会学
3 数理社会学の歴史にみる古典理論との関わり
4 古典理論と数理社会学の相乗作用
第3章 権力理論のロジック 社会学の説明形式
1 社会学理論と権力理論
2 説明・法則・解釈
3 権力理論の特徴
4 権力に含まれる権力命題のタイプ
第II部 理論知の射程
第4章 〈社会性〉の起源・序 個と社会
1 原初な否定性
2 社会性の2つの層
3 子殺し行動
4 死者の支配
5 愛撫しあうサル
第5章 閉じえぬ言及の環
1 二つの転換点
2 行為とシステム
3 システム論の「言語論的転回」
4 相互作用システムとは何か
5 接続し接続される行為
6 境界と自己産出
7 システム描写のゆれ
8 全体社会とコミュニケーション
9 超越的視点のすべりこみ
10 社会を語る地平
第6章 合理的選択理論 行為と合理性
1 社会学的伝統の継承者にして異端者
2 何も説明できない理論,それとも何でも説明できる理論?
3 ミクロ・マクロ・リンク
4 薄いモデルと厚いモデル
5 合理的選択理論の三つの新動向
6 経験的マクロ理論
第7章 秩序問題への進化論的アプローチ 秩序と規範性
1 秩序の規範的側面にむけて
2 秩序問題と合理的選択理論
3 秩序問題と進化論的アプローチ
4 進化論的アプローチをこえて
5 総合的フレームとしての進化
第8章 こうもあれることのりくつをいう 境界の規範
1 抽象的な計画
2 考えどころ
3 4つについて
第9章 ポスト・ハーバーマスの批判社会学 理論と実践
1 批判社会学――未完のプロジェクト
2 認識と関心
3 理論と実践
4 批判的社会理論の立脚点
索引
編著者略歴・執筆者略歴
■引用
■書評・紹介
■言及
■盛山 和夫・土場 学・野宮 大志郎・織田 輝哉 編 20050825 『〈社会〉への知/現代社会学の理論と方法(上)――理論知の現在』,勁草書房,201p. ISBN: 4326601884 3675 [amazon] ※,
◆立岩 真也 2005/08/25「こうもあれることのりくつをいう――境界の規範」
盛山 和夫・土場 学・野宮 大志郎・織田 輝哉 編 20050825 『〈社会〉への知/現代社会学の理論と方法(上)――理論知の現在』,勁草書房,201p. ISBN: 4326601884 3675 [amazon] ※, pp.155-174
[了:20040205 校正:200502 再校:200505]
*もとになったのは以下の文章。『理論と方法』編集委員会の依頼により書かれた。
2000/06/30「こうもあれることのりくつをいう――という社会学の計画」
『理論と方法』27:101-116(日本数理社会学会、特集:変貌する社会学理論)[了:20000304]
本に収録されるにあたって、ほとんど手を加えていない。
□□1 抽象的な計画
□1 手段・目的
「〇〇社会学」の近年の動向や将来について、知らないので書かない。単に私がしている、しようと思っている仕事のことを書く。そして、何が見出されたか、見出されると思っているか、その内容を述べない。その幾つかは発表されており、またこれから発表される。ここではこのような方向で仕事を進めていこうと思っていることを書く★01。ただ私は、その方向がそう突拍子もないものではなく、むしろ社会学の「伝統」に連なるものだとも思うし、これから様々に様々な人によって論じられることにもなるだろうと思う。
私自身がやりたいこと、そして社会学にもっとあってよいと思うことは、一つに少し論理を追って考えてみることだ。[…]
□2 対象
どうあることができるのかを論理として明らかにするのが一つの仕事としてあると述べた。次にその社会という対象のどんなところを、どんなところから見るかについて。ずいぶん前に次のように書いた。
「第一に、近代社会においては、意志・感情・能力といった個体の内的な性質とされるものが基点あるいは焦点とされ、このことを巡って社会的な装置の幾つかが形成されているし、またそれゆえにそこは、抗争の場ともなっている。……第二に、この社会は、政治・経済・家族といった諸領域の複合として捉えられる。これは新しい視点では全くない。しかしこの境界設定と相互関係の基本的なところについて十分に検討されてきたとは言えない。」([1991:35])
第一に、としたうちの「能力」のこの社会の中での位置、「働き」(と「所有」)をどう考えるかという関心は最初から私にあるものだ。[…]
と同時に、もちろん、それだけでない。属性・帰属という契機はこの社会からなくなっていない。むしろ、この社会にも強固に存在し、その強さが意識されざるをえなくなっている。またそこには「感情」はどう位置づくのか。そしてそれ以前に、やはりここでも境界が問題だ。例えば「属性」を本人にとっては所与のものとするなら、「能力」の少なくともある部分も所与のものではあり、この二項は単純に何かを二つに割って出てくる二つではないのだが、こうしたことをどう考えるのか。
次に、第二のものとしたことは、誰もが知っているように、のっぺらと一つ社会があるのではなく、経済/政治/家族/その他の自発的な行為の領域――という名付けが妥当かどうかはおく――という具合に社会が編成されていることであり――例えばパーソンズが様々に持ち出す4つにしても、メディアについてのルーマンの議論にしても、これらを把握しようという志向があるだろう――、これらの各々が何をなすのか、これらの間の関係について考えるということである★03。これらが相互に関係しあっているのはもちろん誰もが知っている。ただ単に相互に影響を与え合っているのではない。境界自体が社会内的に規定されている。例えばある形の家族を規定しそれに義務・権利が付与される、あるいはある義務・権利が付与される単位としての家族が他の関係から取り出される。これは政治が法による規定において行なっているものでもある。[…]
□3 論じられなかった
もっと基本的なことを基本的なところから考えたらよいと、つまりそうした仕事が十分になされてこなかったと述べた。とはいえ、もちろん実際に大きな対立がなかったのではない。おもに政治と経済の領域のあり方について、二つの陣営の間に対立があり、社会科学もそれと無縁ではなかった。というより社会科学はその対立の場そのものだった。だが時は流れ、一方の一人勝ちという事態に立ち至り、対立がなくなり、従来の議論が成立しなくなった、とよく言われる。しかしこれは少し違うと思う。この対立はおおざっぱすぎる対立だった。各々の主張とも、一つに各々の基本的な前提を自らが問うことがあまりなかったし、一つに、現実には存在し論じられてよい様々なことを考えることがなかった。
その後、この対立軸と違うところから「近代を問う」流れが現われる。これは、以前には問われなかった前提の幾つかを否定あるいは懐疑した。ただ、これはそれだけでは問題をより困難にするものでもあり、言うだけは言ってみるのだがその続きが続かないということになってしまった。
そして今、おおまかにいえば経済は市場と政府とが組み合わさった場にある。仮に「体制」をめぐる問題が終結したとしよう。ならば、その世界において国家と市場との関係のあり方をめぐる対立が最も大きな対立であるはずではないか。ところが、それは、それ自体が行き止まってしまった場、すなわち体制の選択という図式からもより小さい対立と見えるし、また、その一つ後の反時代的な懐疑の場からはさらにそう見える。見えるだけでなく実際にそうなってしまっている。もちろん、知られているように、そのあり方を巡る攻防は現実にあった。「福祉国家」あるいは「大きな政府」を批判して別のものに代えるのだと主張した勢力があり、同時にそれに対する反論があった。学問の世界での論争もあった。しかしその対立はどんなものだったか。[…]
□□2 考えどころ
□1 自由と強制、市場と国家
□2 生産・資源
□3 利害
□4 訪れるもの
□□3 4つについて
□1 自発性…
□2 家族
□3 市場
□4 国家
□注
□文献
*の付してあるものは、注1に記したホームページで全文を読むことができる。
安積純子・尾中文哉・岡原正幸・立岩真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』,藤原書店 →1995 増補改訂版
立岩 真也 1991 「愛について――近代家族論・1」*,『ソシオロゴス』15:35-52
――――― 1992 「近代家族の境界――合意は私達の知っている家族を導かない」*,『社会学評論』42-2:30-44
――――― 1997 『私的所有論』,勁草書房
――――― 1998 「分配する最小国家の可能性について」*,『社会学評論』49-3(195):426-445(特集:福祉国家と福祉社会)
――――― 2000a 「選好・生産・国境――分配の制約について 上・下」,『思想』908(1999-2):65-88,909(1999-3):122-149
――――― 2000b 「正しい制度とは,どのような制度か?」,大澤真幸編『社会学の知33』,新書館
――――― 2000c 『弱くある自由へ』,青土社
――――― 2003 「家族・性・資本――素描」,『思想』955(2003-11):196-215
――――― 2004 『自由の平等――簡単で別な姿の世界』,岩波書店
立岩 真也・成井 正之 1996 「(非政府+非営利)組織=NPO,は何をするか」*,千葉大学文学部社会学研究室『NPOが変える!?――非営利組織の社会学』*,:48-60
■言及
◆立岩 真也 2018 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社
*更新:樋口 也寸志