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『トラウマの医療人類学』

宮地 尚子 20050722 みすず書房,375p.

last update: 20110901

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宮地 尚子 20050722 『トラウマの医療人類学』みすず書房,375p. ISBN-10: 4622071509 ISBN-13: 978-4622071501 \3675 [amazon][kinokuniya] ※ m ma t06

■内容

・出版社/著者からの内容紹介(Amazon.co.jp より)
トラウマという言葉が飛び交うようになって久しい。冷戦終結後には世界各地で内戦が起こり、「民族浄化」という名の虐殺がつづいた。9・11以降、世界の暴力化は加速していき、イラク戦争下の2004年にはアブグレイブの拷問の写真が新聞の一面を飾った。もとは米国でのベトナム戦争帰還兵への対処から生まれたPTSD概念も、トラウマ同様、日本では阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件をきっかけに注目され、自然災害や交通事故から殺傷事件、ドメスティック・バイオレンス、レイプや幼児虐待その他、それぞれの事情に対処するための重要なキイワードとなってきた。
だが、これらの言葉は正しく理解されているのだろうか。ヴィジョンなき概念の使用から、さまざまな問題が生まれてきているのではないだろうか。
大学で平和社会論を教えるいっぽう、精神科医として医療人類学・文化精神医学にかかわり、性暴力についてのカウンセリングや難民医療にも力を注いできた著者は、このような時代の中で、何を考え、どのような実践をしてきたのか。本書にはそのすべてが映し出されている。移住者問題、薬害エイズ、「慰安婦」問題、PTSD概念と法・裁判、拷問とトラウマ、マイノリティのための精神医学など、その力強く具体的な筆致からは、今を生きるわれわれへの大切なメッセージが伝わってくる。

・「BOOK」データベースより
臨床現場で出会ったクライアントの声から薬害エイズ、移住者問題、PTSDと法、マイノリティの精神医学まで。今を生きる一精神科医の思考と実践と共感の書。

■目次

第1章 トラウマの医療人類学
 トラウマと歴史
 社会トラウマと距離
 「加害者」の恐怖 

第2章 トラウマ・暴力・法
 想像力と「意味」―性暴力と心的外傷試論
 PTSD概念を法はどう受け止めるべきか?
 精神医療と日本文化―「失調」と「障害」についての一考察
 拷問とトラウマ

第3章 文化精神医学と国際協力
 医療人類学と自らの癒し
 フィールドの入り口で―あるいは文化精神医学らしさという呪縛
 揺らぐアイデンティティと多文化間精神医学
 移住者のこころの健康と「ヘルスケア・システム」
 マイノリティのための精神医学;
 難民を救えるか?―国際医療援助の現場に走る世界の断層)

■引用

・トラウマと距離
私たちはトラウマを受けた人たちにどの程度の共感を寄せるかを、出来事との距離によって決めて p.13
いるところがある。距離が非常に近い場合には、共感だけでなく、「自分たちも攻撃された」「自分たちも傷ついた」といった被害者への同一化が起こることにもなる。…共感の政治学。誰が誰に共感をもって、痛みを感じ取るのか。誰が誰と自分を同一視して、敵味方の構図を作り上げるのか、痛みを感じ取ることはどう憎悪と復讐に結びつけられるのか。報復を声高く叫ぶ者ははたしてトラウマの当事者なのか。本来言葉には簡単にならないはずのトラウマが饒舌に語られるときこそ、私たちはその言説の空間配置に注意深く目を向ける必要がある。
…トラウマをめぐる距離については、とりあえず二つに分けることが可能である。一つは、物理的な距離、客観的に何センチとか何キロメートルと測定できる距離であり、もう一つは、心理的な距離である。p.14

・啓蒙
光のまっすぐさは、うらめしいほどだ。啓蒙という言葉は、英語ではEnlightenment、闇に光を照らp.48
すという意味をもつ。自分が教える主体であること、知識をもち、他者より秀で、他者の蒙を啓く義務がある主体であることを疑わない。p.49

・「不在」の証言
不在の側は、不在の輪郭を示すことで存在をアピールせざるを得なくなる。本当は何も言いたくない。口をつぐんでしまいたい。けれども、「ほら、何もなかっただろう!」と大声を張り上げる連中によって、本当に消されてしまうことが恐ろしくて、許せなくて、耐え難いから、重く萎えそうな気分をどうにかごまかして、証言の場に立つ。p.122
けれどもハルモニたちは将校にされたことを「ここで話すことはできない」と言った。それは、将校たちをかばうためではもちろんない。あまりに残虐で、あまりに「性的」で、あまりにグロテスクであるために、聴く側が受け止めきれないだろうという思い、言葉にすることさえおぞましいという間隔、言葉にしてしまう・しまえることで、平気だったんだろうと思われてしまうおそれ、興味本位に扱われたり、人間としての品を疑われる可能性、見苦しいと思われてしまう懸念などが、そこには複雑に混じっているはずである。p.126

・アダルト・チルドレン
一時期、日本でもアダルト・チルドレン・ブームというのがあった。生きづらさを抱えながら大人 p.148
になり、アルコール依存などの問題を抱えた人間が、自己の生きづらさの原因を生育家庭に求めるという図式は、共感と同時に、強い反発も呼び起こした。反発の決まり文句は「同じように大変な生活歴を背負っていても、社会で立派に活躍している人はいくらでもいるではないか」というものだった。…(ACE研究の結果を見るかぎり)アダルト・チルドレンという言葉は、被害者としての大げさな物言いでも、被害妄想でもなんでもなく、起きている現象をありのままに伝えていたと結論づけてもよさそうだ。…フェリッティは、このように小児期の外傷体験の影響が何十年もたってから器質的な身体疾患としてあらわれることを、金を鉛にする「反・錬金術」とたとえている。p.149

・「偽証」と「傾聴・自身に還す」
「心的事実が大事なのだ」とうそぶきながら米国の偽記憶症候群をめぐる論争を追いかける前に(事実か否かにこだわっているのは被害者より、むしろ専門家たちではないのか)、私たちがすべきこ p.200
とはたくさんある。被害者の声を聴くこと、彼女らの手記を読み、自助グループのアドバイスに耳を傾け、目の前の患者の語りを彼女の位置にたって味わうこと。彼女らの記憶を疑う前に、自らの「記憶」の質を疑ってみること。彼女らの欲望を語る前に、自らの欲望を否認から救うこと。そして、自らの解釈の「暴力性」と「病理性」を見据えること。なぜなら私たちは「彼女ら」のことをまだ何もわかっていないのだから。そして「私たち」のこともまた何も分かっていないのだから。p.201

・PTSD
私自身はPTSDは十分に診断されておらず、法的にも評価されていないと考えている。つまり、「真にPTSDでありながら、適切にそのことが法的に認められない」事例がたくさんあると考えている。その理由を以下に述べたい。
第一に、精神科医の中でもPTSDに対する認識や診断技術がまだまだ広まっていない。p.213
第二に、臨床現場の実情としては、裁判沙汰にまきこまれたくないために診断書を書きたがらない医師のほうが多いのではないか、と思われることである。
第三に、明らかにPTSDに罹患している人、とくに重症のPTSDの人は、被害届さえ出してい p.214
ないし、刑事事件の場合は告訴まで至らない。p.215

・自閉症
たとえば自閉症の人たちがホームページをつくり、自分たちを宇宙人になぞらえ、時空を越えたかなたに「自閉症連邦」という故郷を想定するといった活動は、アイデンティティや誇り取り戻すためのマイノリティ仮想「出身国コミュニティ」建設の動きだとも言えなくもない。p.324

■書評・紹介

◆柳本 祐加子 20060605 「書評 トラウマをめぐる言葉と政治――宮地尚子著『トラウマの医療人類学』」,『アソシエ――associe』17,御茶の水書房,209-217
◆増井 さとみ 20070331 「トラウマの医療人類学」,『フェミニストカウンセリング研究』5: 64-67
森岡 正博 20070331 [書評]宮地尚子『トラウマの医療人類学』みすず書房

■言及



*作成:近藤 宏 更新:山口 真紀
UP: 20080602 REV: 20081102, 1107,20090725, 20110901
宮地 尚子  ◇人類学/医療人類学  ◇トラウマ/PTSD  ◇精神障害/精神医療  ◇身体×世界:関連書籍 2005-  ◇BOOK 
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