『日系人の労働市場とエスニシティ――地方工業都
市に就労する日系ブラジル人』
大久保 武 20050615 御茶の水書房,316p.
■大久保 武 20050615 『日系人の労働市場とエスニシティ――地方工業都市に就労する日系ブラジル人』,御茶の水書房,316p. ISBN-10: 4275003802 ISBN-13: 978-4275003805 4500+税 [amazon] w0111 n09
■内容(「MARC」データベースより)
日本の地方工業都市に就労する日系人労働者の存在を、労働市場分析とエスニシティ研究を統合させた視点に立って、構造的かつ実態的に解明を試みる。
■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大久保 武
1948年茨城県生まれ。1974年早稲田大学社会科学部社会科学科卒業。1988年中央大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程後期単位取得満期退学(文学修士)。1991年東京農業大学農学部専任講師。東京農業大学国際食料情報学部助教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
序章 日系人労働者研究の実証課題と分析視座
第T部 理論篇―労働市場分析とエスニック・マイノリティ研究
第1章 日系人労働者の存在をどう把握するか―労働市場分析とエスニシティ研究
第2章 日系人労働者の労働市場分析
第3章 「エスニック・マイノリティ」としての外国人労働者―日本社会再考
第U部 実証篇―地方労働市場における日系人労働者の「構造化」
第4章 「東海圏」における地方労働市場の展開と日系人労働者
第5章 日系人労働者の分断的労働市場と就業構造―工業都市・浜松に就労する日系ブラジル人
第V部 実証篇―日系人労働者の不安定雇用と「代替/補完」関係
第6章 景気低迷にみる地方工業都市の企業経営と日系人労働者―長野県上田・小県地方に集積する製造業の経営分析を通して
第7章 不況下における日系人労働者の雇用・労働と生活の不安定―長野県上田市周辺地域に集住する日系ブラジル人の就労実態
第8章 地方労働市場における日系人労働者の存在と役割―日系人労働者と日本人労働者との「代替/補完」関係
終章 日系人労働者分析から何が捉えられたか
■引用
序章 日系人労働者研究の実証課題と分析視座
註1)「 「エスニシティ(ethnicity)」とは、一般的に、「民族性」や「民族集団」をさす。ここでは、「民族」と区別して用い、その集団の属性やアイデンティティのありようを示すものとして捉えておく。
註4)「 一般に「日系人」とは、海外に移住した日本人と彼らの子孫をさす。南米日系人の場合、故国日本への出稼が日本国籍を有する一世・二世を中心に1980年代から始まるが、1990年の改正入管法の施行以降、外国籍の日系二世・三世については「日本人の配偶者等」および「定住者」の資格で在留が許可されるようになった。ところが、日本人のk血統を受け継ぐ日系人の正確な来日者数は明らかではない。なぜなら、「日本人の配偶者等」および「定住者」の在留資格には、日系人と結婚してる「非日系人」の配偶者も含まれているからである。なお、当然のことながら日本国籍をもつ一世や二世は、外国人登録者統計には含まれない。そのため、「『日系人』という概念自体が多義的で問題を孕んだ概念」[梶田・宮島 2002:3]であることに留意しておかなければならない。」(p.24)
第1章 日系人労働者の存在をどう把握するか―労働市場分析とエスニシティ研究
「 きわめて逆説的だが、合法的就労が可能となった日系人は日本人に限りなく近い存在となったがゆえに、逆に労働市場では日本人労働者の雇用・就労要件とは限りなく異なる労働者として扱われるという“ねじれた関係”を引き起こしている、とみることができるだろう。つまり、付与されている国内での法的地位や在留資格とは反対に、労働市場では日系人というエスニシティにまつわる差別的な労働慣行や需給システムに包摂・構造化されることになるからだ。
つまり、「民族的な絆が日系人を日本に引きつけたというよりも、日本の企業・業務請負業者というプル要因が日系人を引きつけ、これに血統や文化の共有という法的虚構が結果的に使用された」[梶田 2005:25]ことの曖昧さと両義性が問題なのである。ここに、日系人が抱える労働問題と同時にエスニシティの問題が伏在していることを、見通さなければならない。
要するに、日系人労働者をして、「外国人労働者」一般として括れない、日本人と外国人の中間に位置するマージナルな“社会的存在”としての、彼らの日本での位置関係を示すものといえるだろう。したがって、政府の法的カテゴリーとは異なる日系人労働者に対する日本社会の扱いは、次の2点に定式化することが可能だろう。
(1)日系人とは、日本人と外国人の中間に位置する「日系人労働力」という特殊な労働力商品をもつ存在であること(日系人の就労にかかわる業務請負業者や人材派遣業者の跳梁跋扈がきわめて特異である)。
(2)そのうえで企業は、日本人とは全く異質なエスニシティを背負う“Nikkeijin”としての労働力を、その時々の経済事情に合わせて活用している。そこに、彼ら固有の労働と生活問題が生ずる現実的基盤を規定しかたちづくっている、とみることができる。
ここに、法的根拠とエスニシティのはざまに位置する日系人労働者の様態(“ねじれた関係”)をみないわけにはいかない。いずれにせよ、日系人(労働者)を「外国人労働者」の範疇で捉えてきた、これまでの研究方法の問題点と妥当性について、いくばくかの疑義を提示できたものと考える。」(p.40)
第3章 「エスニック・マイノリティ」としての外国人労働者―日本社会再考
「 当初、外国人労働者の流入問題は、日本の労働市場への参入をめぐって「門戸を開くべきか否か」といった「開国・鎖国」論争として盛んにジャーナリスティックに取り上げられた。しかし、現実の展開ははやく、こうした論争を尻目に外国人労働者自身は合法・非合法を問わず、瞬く間に増大を遂げ、国内での彼らの存在が既成事実化していく、というのが事態の推移であった。この間になされた論争の是非はともかく、外国人労働者の存在が日本社会の“国益”に沿うかどうかが中心的なイシューであったことに違いはなかった(本書、序章参照)。
(略)
ところで、外国人労働者が日本社会に投げかけた軋みというのは、彼ら>98>をして雇用問題や労働市場政策にのみ回収できるものではなかった。いい尽くされた言葉ではあるが、「内なる国際化」として彼らの流入・定着化を考えたとき、「労働力」的側面に特化して捉える視点だけでは意味をもたなくなってきていることもまた明白である。つまり、「外国人労働者」というのは国際移動する「労働力」という特殊な「商品」ではあることは論を俟たないが、彼らは単に「労働力」としてあるばかりでなく、民族として固有の集団的属性や異質性(つまりエスニシティ)をもつ、生活者としての「外国人労働者」(alien-residents)でもある。
(略)
つまり、彼らは工場の行員や現場作業員としての“単純労働者”としてばかりか、地域社会や生活空間の領域で、異文化を担う「新しい民族的少数者集団(new ethnic minorities)」として独自の生活スタイルや生活文化を体現するからでもある。日本社会もこの段階に至った今日、「産業労働力」としての外国人労働者の流入は、実は国籍・人種・宗教・文化・言語・生活習慣等を異にする“異(移)民族”の超国家的な、いわゆるトランスナショナルな移入であったことに思い至ることとなった。
それゆえ「エスニック・マイノリティ」としての外国人労働者の存在は、国内の法制度、人権、教育、福祉、医療、社会保障などあらゆる社会生活にわたる、自明で疑いのなかった従来の体系全版を改めて問い直させる、言い換えれば、われわれがこれまで前提としてきた「国民国家」という枠組みや「単一民族国家」意識を相対化させる契機と問題提起を孕んでいる>99>ことはいうまでもない。
日本社会に混住し労働と生活を始めて久しい日系人を含む外国人労働者は、いわばマジョリティ社会のなかの「エスニック・マイノリティ」集団である。外国人労働者をエスニック・マイノリティとして捉え返したとき、ホスト社会日本の実相として何が立ちあらわれてくるのだろうか。
敷衍すれば、「エスニック・マイノリティ」としての外国人労働者は、日本の社会構造や労働市場において、いったいどのような構造的な位置関係や階層的な様態におかれているのか。また反対に、既存の構造や関係にいかなるインパクトを与えているのか。すなわち、「新しい民族的少数者集団(new ethnic minorities)」としての外国人労働者を、「エスニシティ」という新たな切り口で討究することが、これまで日本社会が固有にもっていた自明性としての社会構造の矛盾を炙り出すことに繋がってゆくのかどうか、そのことを検証するのが本章での筆者の問題意識である。」(pp.98-100)
*作成:橋口昌治 更新:石田 智恵(引用)