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『統合失調症とわたしとクスリ――かしこい病者になるために』

川村実・佐野卓志・中内堅・名月かな 20050515 ぶどう社,128p.


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■川村実・佐野卓志・中内堅・名月かな 20050515 『統合失調症とわたしとクスリ――かしこい病者になるために』,ぶどう社,128p. ISBN-10: 4892401773 ISBN-13: 978-4892401770 1365 [amazon] m.

■出版社/著者からの内容紹介

内容(「BOOK」データベースより)
クスリをのむ体験を語りあってみませんか。この本は、統合失調症の当事者が、自分の病気の体験を話し、自分の体験を通じて、「クスリ」のことを語った本である。

■目次

プロローグ クスリをのむ体験を語りあってみませんか
序章 精神障害者は、どう生きようとしているか
2章 発病から、新薬に出会うまで
3章 薬の勉強をしながら、ネットで相談に答える
4章 医者とのコミュニケーションと信頼関係
5章 わたしは、クスリをどんなふうにつかっているか
6章 わたしは、クスリや医者とどうつきあっているか
エピローグ かしこい病者になりましょう!

■紹介・引用

◆「薬をどう使っていくか」の考え方を表しているだろうと思われる箇所の抜き書き

p11
クスリはやっぱりつかいたくない。
でも、いまのわたしはクスリをつかわなくては生きてゆけない。
なら、じょうずにクスリをつかって、必要最小限だけクスリをのみ、工夫できるところは工夫して、人生をたのしんでいこう。
でも、医者のいうとおりにクスリをのんでいてもラクになるとは思えない(現にいままでラクになれなかった)。
なら、おなじ立場の当事者の、クスリをつかいながら人生を楽しんでいるひとに、クスリの知識やクスリのつかいかたのコツをわけてもらい、それを自分の人生に生かしていこう。そう考えたのです。

p12
けれど、クスリをのみはじめたひとはたいていみな、拒薬や無茶のみをする体験を通ってゆきます。そうやって自分自身をいためつけないと、自分のやりかたを確立できないというのは、あまりにいたましいことではないでしょうか。
みな似たような経験をするのであれば、その体験を共有化し、あらたに薬物療法をはじめるひと・いまくるしみのまっただなかにいるひとに、少しでもラクに、てばやく、じょうずなクスリののみかたを身につけてもらうことは、とても大事なことではないでしょうか。

p40
 自分でも今となってはわからないが、なぜか真面目に薬を飲んだ。かなり強い薬らしく、時々、歩いていてフラフラしたのを憶えている。
 2カ月くらい通院して薬を飲んでいるうちに、妄想は徐々になくなっていった。それで3カ月くらいで、勝手に通院を止めてしまった。

p54
 病院では1回に十何錠も薬を飲んでいたので、いつもトローンとしていました。看護婦さんからいつも「もっとシャンとせんか」と言われていましたが、この薬の量では不可能でした。
ぼくも主治医との面接のたびに、「こんな幻聴があります。あんなのもあります」と訴えるので、主治医も1錠また1錠と薬を増やしていったのでした。

p55
 30歳のときの再発は、治ったと思ったのと、頭がぼけると仕事にならないので(コンピュータ関係の仕事をしていました。)、薬をかってに止めていたことと、コンピュータの仕事のきつさが原因でした。

p57
維持薬は、あくまで再発率を下げる薬です。だから、大事な保険のようなものです。維持薬は再発をかなり押さえてくれる、車のサスペンションのようなもので、少々のデコボコは吸収してくれます。デコボコとは、プレッシャーのことです。

p59
薬で対処療法(とりあえず症状を止める)を行いながら、自然治癒力がゆっくり働いてくるのを待ちます。

 どうしても今の自分の主治医の投薬がおかしい、合わないと思うなら、別の病院に行って、「こういう症状で、こういう薬がでていますが、妥当でしょうか?」と聞いてみるのもいいです。

p67
 薬はなるべく飲むように努力しました。しかし、朝・昼・夕と寝る前の毎日4回飲むのは難しく、2週間分(計56回分)のうち、どうしても3回から4回分は残りました。
 しかし、寝る前の入眠剤は必ず飲みました。なぜなら、飲まなければ絶対に眠れないからです。眠れないのは辛いことです。

 しかし、<セレネース>を飲んでいた頃は、まだよく眠れたほうでしょう。むしろ昼も夜も眠気があり、たえず頭がぼんやりとしていて集中力がなく、気力も湧きませんでした。

p68
 主治医に「リスパダールに替えましょう」と言われた時、「眠気や頭ぼんやり感がなく、頭がすっきりします」と聞き、飛びつきました。
 しかし、この薬を飲んでいた時が僕の闘病生活で最悪だったように思います。たしかに、<リスパダール>(リスペドン)は眠気が取れました。頭も霞が晴れたようにすっきりしました。
 しかし、眠れないのです。

 主治医はこの問題を解決するために、「入眠剤ではなく、抗精神病薬で眠りを誘う薬があるので、それを飲んでください」と、<ベゲタミン>(クロルプロマジン配合剤)という薬を出してくれました。

 この薬で入眠障害は改善されませんでしたが、たしかに夜中に目が覚めることはなくなりました。朝の6時頃まで眠れたのです。僕は睡眠の問題が解決されるかと期待しました。
 しかし、期待は裏切られました。<ベゲタミンB>1錠ではすぐに効かなくなったのです。

 入眠剤も増えました。

 その結果、昼間に寝てしまうという現象がおき、眠らなければいけない夜になると眠気がなくなり、眠くないのに入眠剤を飲み、無理やり眠らせ、ぐっすりと眠った熟睡感がないまま12時間は眠り、起きても眠くてうたた寝をし、薬が切れた頃になると眠らなければいけない時間になり、入眠剤を飲むという悪循環が続きました。

 僕はこれではいけないと考え、問題は入眠剤にあるのではなく、<リスパダール>にあるのでは?と感じ、ちょうどその頃出始めた抗精神病薬の新薬の<ジプレキサ>(オランザピン)が良いのではと直感し、主治医にその旨を伝えました。

 眠るということを解決できれば精神病の問題は70%解決したと考えて良いと思います。それほど睡眠の問題は精神障害者にとって大きな問題なのです。

 薬について、僕はもう全て解決したように思いました。しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。

p71
 このような薬の飲み方は僕の工夫です。自分の飲む薬は自分で管理し、工夫しなければいけません。しかし、これはあくまで「工夫」であり、「操作」ではありません。

 また、「この薬は副作用があるから飲まない」とか、「この薬は効果がない」と決めつけて飲まなかったり、自分ひとりの思い込みで薬を操作する人がいます。このように薬を自分で勝手に操作してしまう人は、いつまでたっても良くならないでしょう。

 薬の飲み方は、医者の判断にまかせることです。

 その時、僕たち当事者が薬について勉強し、薬の飲み方を工夫することが必要になってきます。しかし、「工夫」は主治医の意見を聞き、結果を報告し、承諾を得なければいけません。自分ひとりで勝手に決めつけてはいけないのです。
 僕の場合は、飲み方のアイデアが浮かんでも、医師の意見を聞き、承諾を得てからでないと実行しません。今まで、僕のアイデアを拒否されたことはありません。
 それは、僕が薬とは何かを理解しているからだと思います。理解するためには、医師とよく話をすることです。話とは、薬は何のために飲むのか、この薬はなぜ出ているのかを聞くことです。
 「工夫」と「操作」の違いは、まさにこの主治医との円滑なコミュニケーションがとれているかどうかで決まるといっても過言ではないと思います。そして、それは医者と患者の間での信頼関係が築かれているかどうかで決まるのです。

p73
 同じようなタイプの薬を重複して飲み、しかもこれほど多量の抗精神病薬を飲まされたら、「布団から出るな」と言われているようなものです。しんどくて何もする気力が湧いてこないでしょう。

 飲まないから薬を増やすというやり方では、患者は多量の薬を飲むことになり、そうするとしんどいからますます薬を飲まなくなるのでは?と思ったのです。

p74
 薬を飲まないからいろいろな症状が出て、その対処法としての薬がさらに追加されて、結果的に薬の全体量が増えても、医者は良心的な対応しないという現実があります。

p77
 たしかに薬は両刃の剣です。しかし、現在、統合失調症の症状を改善錯誤はなされていますが、陽性症状はもちろん陰性症状にも服薬ほどの成果は見られないように思います。
 しかし、最近は新薬の普及で、以前のように精神障害者であることが一目でわかるような様態がみられなくなりました。つまり副作用が少なくなったということです。ですから、このまま薬学的な進歩が得られれば、精神病患者に障害者でなくなる時代が来るかもしれないと期待するのです。
 もちろんずっと先の話でしょうが……。

p78
 いかに薬に興味があるかということでしょう。また、よくわからないということでもあるのでしょう。

 薬についての情報を吸収するには、実際に薬を体験している患者同士での情報交換がとても大切です。
 それには、例えば、支援センターやデイケアや患者会などで会った時

p79
に、同じ薬を飲んでいる人を探して、薬の飲み具合や注意点を聞いたりします。逆に僕が聞かれて、インターネットで得た薬の情報をプリントアウトして、それを渡すことも多くあります。このような情報交換をするには、ふだんからの仲間づくりが大切です。

ですから薬についての知識は多く得なければいけないのですが、あくまでも素人の付け焼刃でしかないということも忘れてはいけないでしょう。最後は主治医の判断にまかせるべきで、まかせられる主治医を選ぶべきです。

 最低限しなければいけないことは、きちんと薬を飲むことです。

その時の判断内容を豊富にするために、薬の知識は大きな意味を持ってくるでしょう。

p80
病識がなく服薬を拒む当事者に、コーヒーやお茶などに水薬を混ぜて飲ませるという方法を取っている方を見かけますが、僕は賛成できません。

p81
 薬品名はわかりませんが抗うつ剤をもらったことがありました。残念

p82
ながら僕には合わなかったのですが、この薬を飲むと自分の中の奥深いところでは何もしたくないのに、表面的な自分が活動をしたくてウズウズするという感じで、本当に自分が分裂するように感じました。もう二度と飲みたくない薬のひとつです。

p88
 で、「落ちつかない」となったらすぐにクスリをのむかというと、そうではありません。

そしてそれらのひとと連絡がとれれば、クスリはつかいません。というか、頼りになるひとが誰もつかまらず、自分ひとりでなんとかしなければならないとわかったときに、はじめてクスリの存在を思いだします。
ひとりでなんとかしなければならないけれど、ひとりではどうにもならないというときにはじめて、「あ、いまわたしはクスリを必要としているんや」と気づくのです。

 でもかなり自然な感じなので、ほんとうに<メレリル>が効いているのか、それとも時間の流れによって不安の波がおさまったのかは、はっきりしません。
 ただ、のまなければ30分経っても1時間経っても不安は消えないことが多いので、「おそらく効いているんだろう」と思うことにしています。そして、それくらいの効きめがあれば、いまのわたしには充分なんだろうと思っています。

 また実際には効いてないとしても、のむ動作をとおして「効く」という暗示がかかるのではないかとも思っています。だからほんとうは疑っているのですが、「これをのんだからもう大丈夫。不安はかならずおさまる」と、自分で自分に暗示をかけます。

 正直にいえば、わたしはクスリをつかうのは苦手です。
 それにクスリをのみたくない、化学物質で気もちの変化をコントロールしたくないという思いがつよいので、「クスリなんてどうせ」という思いがあります。また、クスリは一過性の効きめしかないものだとも思っています。

 だからクスリは鎮痛剤みたいなもので、その場その場の苦しみに対処できるだけで、根本的なところはわたしが変化しないかぎり変化しないだろうと思っています。
 それでもないよりマシなので、どうしてもひとりでいなければならないときに、しかたなくクスリをつかっています。

p91
 どうしても外せない用事が次の日にあるときや、「眠らないと!」という焦りでいっぱいになって苦しいときは、頓服の<メレリル>をのんだり、<ロヒプノール>をもう1mg追加してのんだりします。

p92
 だからわたしは回復が遅れるとしても、クスリののみかたを自分で工夫してきたし、これからもそうするつもりです。

p93
 この処方は、効いているのかどうかはっきりしない程度のものです。でも、日常生活をそれほど差し障りなく送れるので、おそらくわたしにはあっているのでしょう。のまないとやっぱり次の日にしんどくなったりするので、欠かさないようにはしています。
 けれど、わたしはいい加減なところもあります。というか、なにがなんでも病状を抑えなくてはならない・回復しなければならないとは感じていないので、「夕食後のクスリ」を全部のみきってクスリがなくなってしまうこともときどきあります。

p94
 それでもわたしの場合はなんとかうまくいっているので、「ほんとうはアカンのやろうけど、ま、いいか」というかるいノリで、クスリをのむ時間を自分で工夫しています。

 副作用についてどうでもいいとか、興味がないというと、ビックリされるようですが、これはわたしにとっては自然なことです。
 もともと「クスリをのむ」という自然でないことをしないとラクになれないのだから、そんな不自然なことをするなら、それが完全であることを求めるほうが無理だと思っているのです。
 クスリの主たる作用(気もちが落ちつくとか、眠れるとか)が、副作用よりしっかりしていて、副作用が生活や体調に大幅な支障をきたさないのであれば、副作用なんてわたしには大した問題ではないというだけのことです。

p98
 というようなわけで、副作用にひどく困らされるひともいるのでしょうが、わたしはその点ひじょうに気楽にクスリとつきあっています。あんまり神経質になっていないのが、いいのかもしれません。

 「病気を抱えてただえさえ不快なのに、副作用まであるなんて!」と思うかたも大勢いらっしゃるでしょうし、その気もちはわからないでもないのですが、「これくらいの副作用でおおきな苦しみを逃れられているなら儲けものだ」と思うおおらかさも、病気とつきあうひとつの知恵ではないかと思います。

p99
したがって、クスリも長期にわたってのみつづけなくてはなりません。ですから、いかに日常的にクスリとつきあうかがひとつの課題となってきます。
p101
 そして、副作用が出ていることを、具体的な感覚を説明しながら、まわりのひとにきっちり伝えていくようにしましょう。そうすれば、まわりのひとの理解が深まったり、クスリの組み合わせを変えてもらえたり、同じようなはたらきをするけれどもっとラクにのめるクスリに変えてもらうことができます。

p103
 しかし、自分のカラダがクスリにたいしてどう反応するのかということは、自分がよく気づきます。ですから医者に報告しつつ、医者のいうことはアタマにきちんと留めておきながら、それをもとに――ということを忘れないでください。

 また、1日に何回までのめるのかを知っておくと、自分のクセによって、のむタイミングを調整することができます。

p105
クスリに対して自分で判断できるようになると、自分の症状とつきあうことが簡単になってきます。そうなると病気にふりまわされなくなり、病気がもたらす混乱から少しずつ自力で脱出することができます。

p109
 最初のころは、わたしもやっぱり医療とクスリにひじょうな期待を抱いていましたし、医療をつかい、クスリをのめば問題は解決するのではないか・ラクになるのではないか、と思っていました。だから医療に期待し、失望したわけですが。

 そこでわたしは医者に頼るのを諦め、クスリと時間と工夫をつかって、自分で何とかしようとしてきたのです。

p117
 クスリをのみつづけるというのは、わたしはとって本質的な問題ではありませんが、カラダに負担をかけつづけるし、毎日決まった時間にのむというのは、慣れたとはいうものの、気もちにもやっぱり負担をかけますので、やはり大きな問題です。
 しかし、クスリをのみつづけるかどうかというのは、わたしにとって大きな問題ですが、本質的な問題ではありません。

 わたしにとって本質的な問題とは、弱さも脆さも抱えた私というありようを否定することなく、暮らしをたのしんで人生を充実させるということです。そのためにクスリが必要なら、最小限だけのみつづけることはしかたないし、当然でもあろうと感じて考えています。

p120
クスリのつきあいについても同様です。症状に苦しんで悩み、クスリのせいではないかと気づき、さまざまなクスリを試み、ひとつのよい結果にたどりつく

p121
 自分の人生を投げたりせず、限られた(限られているかもしれない)可能性のなかで、いかにたのしく生きていくか、そしてその充ち足りた人生をおくるためにクスリに工夫する必要があるなら、医者や専門家と相談しながら工夫をこらし、ときによっては変薬をしたり医者を変えてでも、自分の人生を生きる。

p122
 考えてみればあたりまえのことなんですけれど、クスリを「自分にあわせた形で」つかおうと思えば、どうしても医療に自分の意見を反映させなくてはなりません。

クスリを自分にあわせたものに処方していき、医療を自分にあわせたいいものにしていくには、わたしたち当事者が医療をつかいこなす、「かしこい病者」にならなくてはならないということを。


*作成:松枝 亜希子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
UP:20070819
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