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『僕の心を病名で呼ばないで――思春期外来から見えるもの』

青木 省三 20050524 岩波書店,213p.


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■青木 省三 20050524 『僕の心を病名で呼ばないで――思春期外来から見えるもの』,岩波書店,213p. ISBN-10:4000247565 \2000 [amazon][kinokuniya] 

■内容
(「BOOK」データベースより)
いま「心の病」が子どもに急激に増加しているにもかかわらず、病名ばかりが一人歩きし、子どものほんとうの姿が見えなくなっているのではないか。子どもの現実を見据え、どう支えてゆけばいいのか、診療現場から提案する。

■目次
第1章 居眠りの効用
第2章 子どもたちは変わったのか
第3章 思春期という危機
第4章 この子は病気?
第5章 親という幻想
第6章 居場所探し
第7章 ネット上の居場所
第8章 ミルトン・エリクソンへの旅
第9章 病名で呼ばないで
第10章 支えること
おわりに

■引用
3-1:僕は人格障害者?
「その人の中の一部に現れた症状や病気は治るが、「その人そのもの」が病名になっているのでは治らない。同時に、人としての格が下がり、まるで人間として失格の烙印をおされるような病気と感じた。だから、青年は人格障害と呼ばれることをこころの底から怖がっていたのだ」p.33
「私は人格障害などない、というつもりはない。ただ、人格障害を声高に言う時代は、変わった人や人からの迷惑への許容量が小さい、すなわちいろいろな人を社会の中に抱えておく懐の狭い時代であるという一面を表しているとは言えるように思う。少なくとも、人格障害が強調される時代とは、多様な生き方が認められにくい時代ではないかと思う。」p.34

9-2:病名のもつ意味
「名づけることによって完成する精神症状もある。たとえば、「解離」という症状。(…)その状態を「人格」として名づけたり、更に詳しくたずねたりすることが、ぼんやりとした「解離」をくっきりとした「解離」へと向かわせるのである。名づける時の治療者の眼差しの変化と、名づけられることによる患者・クライエントの注意や関心の変化が影響するのであろう。」p.162
「診断には安心作用があるが、同時に不安を喚起する作用のあることも忘れてはならない。(…)もし、身体の病気が見つかり診断されれば、私たちはあっという間に非日常の生活に入る。(…)[更にこころの病気となると:引用者]その非日常性は身体の病気の場合とはいくらか違うように思う。周囲の人が遠ざかっていくような、孤立無援に向かうような非日常とでもいうのだろうか。だからこそこころの病気の診断という行為は、その結果、生じるかもしれない孤立無縁な状況をいかにして防ぎ、更には人とのつながりをいかに維持するかという治療的配慮と、対になっていなければならないと思う。」p.165-166

9-3:病名そのものが持つ問題
「個々に応じて、また程度によりけりだが、人格障害は病気と捉えず、できる限り個性と考えた方がよいのではないか、と私は考えている。健康と病名は連続した線上にあり、両者の間に明瞭な境界はない。病気とも言えない、健康とも言えない、グレーゾーンが両者の間にはある」p.168
「グレーゾーンに対しては、医療か社会かという二者択一という単純なものではなく、両者の協力と連携というものが今後の課題となる。しかし、その場合でもやはりどちらがより前面にでるかという問題が残る。私は、グレーゾーンの人に対して、基本的には、病んだ人として治療することを充実させるよりも、さまざまな人たちを少しでも支えようとする社会になることの方に力を注ぐことが大切なのではないかと考えている」p.172-173
→「先生のお話」『ドリトル先生の郵便局』

「正確な診断が、最善の治療や援助を行う基礎であると思う。しかし、こころという目に見えないものの病気の場合、正確な診断ということがしばしば困難な場合がある。それだけでなく、診断名や病名が予想外の意味や影響を持つことがある。それらは必ずしも、治療や援助というものにつながり、更には子どもや青年のこころの苦痛が減り、喜びや楽しみを少しでも感じられる生活に向けて応援するとは限らない。診断名や病名は諸刃の剣なのだと思う」p.209


*作成:山口 真紀
UP:20090606 REV:
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