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『若者と仕事』

本田由紀 20050415 東京大学出版会,224p. 3990


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■本田由紀[20050415]『若者と仕事――「学校経由の就職」を超えて』,東京大学出版会,224p. ¥3,990(税込) ISBN-10: 4130513117 ISBN-13: 978-4130513111 [amazon][kinokuniya]  ※ b

■出版社/著者からの内容紹介

フリーター、ニートの急増に見られるように、日本の〈若者と仕事〉の現状はきわめて厳しい局面にある.著者は、こうした現状の背景にある日本独特の要因と して「学校経由の就職」の機能不全と「教育の職業的意義」の不在を指摘し、具体的な打開策を提案する.

内容(「MARC」データベースより)
日本の「若者と仕事」のあり方の特殊性とその由来を、「学校経由の就職」と「教育の職業的意義」から描き出す。前者の支配と行き詰まり、後者の不在が、日 本の「若者と仕事」をめぐる混迷を深めているという理解を提示する。

■著者について

 東京大学社会学研究所HP http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/mystaff/yuki.html

■もくじ

目次

はじめに

序章 〈教育から仕事への移行〉をめぐる閉塞の打開に向けて
1.本書の目的――日本の〈教育から仕事への移行〉の再編成
2.日本の〈教育から仕事への移行〉の現状
3.「フリーター」をめぐる言説の動向
4.〈教育から仕事への移行〉に関する従来の研究
5.本書のスタンス――「教育の職業的意義」なき「学校経由の就職」という「奇妙な現象」
6.本書の構成

1章 「学校経由の就職」の盛衰
1.国際的に見た日本の〈教育から仕事への移行〉の特異性
2.「学校経由の就職」の形成
3.1990年代における〈教育から職業への移行〉の変化の背景
4.1990年代の変化が意味するもの

2章 「学校経由の就職」の定着に伴うコンフリクト
1.本章の目的
2.1960年代におけるブルーカラー給源の切り替えの内実
3.1960年代の〈教育から仕事への移行〉におけるコンフリクト
4.コンフリクトに対する企業側の対応
5.コンフリクトの緩和がもたらした帰結

3章 1990年代における高卒就職の変容 ――「実績関係」の実態と変化――
1.「学校経由の就職」の核としての「実績関係」
2.「実績関係」をめぐる分析課題
3.「実績関係」の実態――各高校の就職先データの検討から
4.「実績関係」に付帯する諸現象の近年における変化――ヒアリング調査結果から
5.「実績関係」の実態と変化

4章 「フリーター」を生み出すもの
1.「フリーター」への注目
2.「フリーター」析出要因に関する従来の研究
3.「フリーター」析出の契機
4.「フリーター」析出契機の分析から見えてくるもの

5章 失われた「教育の意義」
1.本章の目的
2.「教育の意義」とは何か
3.「教育の職業的意義」の捉え方
4.日本の「教育の職業的意義」に関するデータ分析
5.日本の「教育の職業的意義」の低さの原因

6章 若者に力を与えるために ――若年雇用政策の問題点と新たな提案――
1.政策の批判的検討の必要性
2.若年雇用政策の動向とその問題点
3.新たな提案

引用文献
おわりに
人名索引
事項索引

■引用

「本書の目的は,若者の〈教育から仕事への移行(transition from school to work)〉をめぐる現代日本の閉塞状況の原因を診断し,その診断結果に基づいて具体的な打開策を処方することにある.筆者による診断の結果を先取りして 述べておくならば,現在の日本における〈教育から仕事への移行〉の閉塞をもたらしているのは主に労働需要側の要因であるが,混迷をいっそう深いものとして いる原因は,固有の歴史的経緯から生み出された「学校経由の就職」という独特な〈移行〉の形式にある.この「学校経由の就職」は環境条件の変化によってす でに存続が難しくなっているのにもかかわらず,それが過去において日本の「教育の職業的意義」をきわめて損なってきたために,「教育の職業的意義」の回復 を通じた〈移行〉の再編成が滞っている.それゆえ筆者が打ち出す打開策は,従来の「学校経由の就職」から徐々に,かつ確実に決別するとともに,「教育の職 業的意義」を再び高めるための教育システムの改革に敢然と取り組む必要があるというものである.」(p.1)

「高等教育の発展段階に関する著名なトロウ(Trow, Martin)の議論によれば,高等教育が「人間形成」を教育目標とするのは,その拡大がもっとも進んでいない「エリート型」の段階(該当年齢に占める大 学在学率15%までの段階)においてである(Trow, 1976).周知の通り,日本の大学進学率はすでに1960年代半ばに15%を超えて以降,1990年頃まで20%弱でほぼ横ばい状態であったが,その後 再び増大に転じて2000年には35%に近づきつつある.すなわち,日本の大学は,その規模の上では「エリート型」の段階を脱し「マス型」の段階に入って からすでに30年以上が経過しているにもかかわらず,その教育の実際の内容およびそれに対する人々の主観的意味付与においては,依然として「人格形成」と いう「エリート型」段階の特徴が色濃く残っているといえる.
 このように,日本の大学が量的拡大に即応した形で質的な発展変化をとげず,きわめて旧態依然たる大学の理念モデルに固着したままであることが,その「職 業的意義」の低さと表裏一体の関係にあると考えられる.そして,教育体系の階梯の頂上に位置する大学のこのようなあり方は,そこに至る中等教育や初等教育 のあり方にも反映されていると推測される.すなわち,日本の教育という社会的領域全体が,「人格の発達」という古典的で,ある種神秘主義ともいえる観念に しばられたままであることが,「教育の職業的意義」を高めようとする努力が本格化してこなかったことと密接に結び付いている.そうした状況が維持されてき た重要な背景は,「職業的意義」の向上を求める仕事領域からの圧力が,1990年代半ば以降になるまではそれほど切迫したものではなかったことにあると考 えられる.そしてそれは「学校経由の就職」の支配から帰結される事態であった.前章までに述べてきたように,日本では総じて良好な経済的パフォーマンスの ゆえに,「学校経由の就職」というすでに成立した慣行に対する根本的な修正が1980年代なでなされずにきたのであり,そのことが「教育の職業的意義」の 向上という課題を閑却する結果をもたらしてきたのである.こうして日本の主観的な「教育の職業的意義」は,他国との比較でみてもきわめて特異な性質を温存 したまま,現在にいたっている.」(p.162-164)


UP:20070716
「若年者雇用問題」文献表
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