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『べてるの家の「当事者研究」』

浦河べてるの家 200502 医学書院 297p. 2100


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■浦河べてるの家 200502 『べてるの家の「当事者研究」』,医学書院,297p. ISBN-10: 4260333887 ISBN-13: 9784260333887 2100 [amazon][kinokuniya] ※ m,

■出版社/著者からの内容紹介

 前作『べてるの家の「非」援助論』で,精神医療領域を超えて大きな注目を浴びた《べてるの家》で,今度は「研究」がはじまった。どうにもならない自分を,他人事のように考えてみる。するとなぜだか元気になってくる,不思議な研究。だから合い言葉は,「自分自身で,共に」。そして,「無反省でいこう!」

■目次

I わたしはこうして生きてきました−サバイバル系
 1 摂食障害の研究−いかにしてそのスキルを手に入れたか
 2 「こころの壁」の研究−児童虐待からの脱出
 3 生活の“質(しち)”の研究−金欠を生き抜く方法
 intermission 1 ライブ! 精神科外来待合室で、岡本さんに出逢う
II 汲めども尽きぬ泉たち−探求系
 4 くどさの研究I−幻聴さんにジャックされる人、されない人
 5 くどさの研究II−〈くどうくどき〉は食いしん坊だった
 6 被害妄想の研究−幻聴さんだって自立する
 7 “暴走型”体感幻覚の研究−もう誰にも止められない
 intermission 2 ライブ! 幻聴さんとのつきあい方
III あきらめたら見えてきた−つながり系
 8 逃亡の研究I−統合失調症から“逃亡失踪症”へ
 9 逃亡の研究II−安心して逃亡できる職場づくり
 10 ケンカの仕方の研究−発展的別居のすすめ
 intermission 3 ライブ! 当事者研究ができるまで
IV 人生は爆発だ!−爆発系
 11 爆発の研究−「河崎理論」の爆発的発展!
 12 マスクの研究−俺は爆発型エンターテイナー
 13 「自己虐待」の研究−そのメカニズムと自己介入について
 intermission 4 「当事者」としてのわたしは、何に悩み、苦しんできたのか
V わたしたちの「当事者研究」−インタビュー
 14 わきまえとしての「治せない医者」
 15 わたしはこの仕事に人生をかけない

■紹介・引用

◆「薬の使用」に該当する箇所の抜き書き

p44
体調が悪いとき
受けた対応
安定剤も睡眠薬も注射もひとつも処方されなかった。

薬にのめり込む自分や、薬に逃げてしまう自分を知っていたので、「薬はいらない」と思っていたが、先生も同じ考えだったので安心した。薬がほしくなるときもあったが、前と同じやり方はしたくないと思い、言葉で自分の気持ちを表現するやり方を練習した。

p45
浦河に来る前は、いろいろなことが起きるたびに、薬が変わったり安定剤が増えていった。いまはまったく薬を飲んでいない。

p73
 幻聴さんへの対応は、薬に頼るだけではだめだ。むしろ仲間の力を借りた研究を通じて、いま起きているつらさに当事者自身が向き合うことができるような環境が大切である。

p75
前に通っていた病院でもひっきりなしに電話を入れて症状を訴え、昼夜を問わず何度も救急外来を受診し、そのつど注射を打ち、薬もしだいに増えていった。

p76
 入院中は、イライラするとき、不安時、しつこくなるとき等々のために、薬が頓服で一日に何種類も出ていた。薬をもらうときには、「いまは(傍点)○○(薬の名前)をください」と、いかにも自分が薬と症状の自己管理ができているかのように振る舞うのがコツであった。求める薬の内容には、いま思えば何の根拠もなかったが。
 聞いた話だが、ある病院から浦河に転院してきた患者さんが二〇種類くらいの薬を持ってきた。その薬には番号がふってあって「1番=イライラしてソワソワするとき」「2番=ソワソワしてイライラす

p78
るとき」と書いてあったそうだ。どこがどう違うのかよくわからないが、その患者さんにとっては微妙に違うらしく、患者さんがぐあいの悪いときに詰所に行ってオーダーするようにしていたらしい。浦河ではその患者さんは、"薬のソムリエ"といわれていた。
 わたしもそれ以上に"薬のソムリエ"をやっていた。看護師さんだって、くどさに振り回されるよりは、言いなりになって薬を手渡すほうが楽である。だからお互いにそれにハマっていた。

 そのときには、あらかじめ病状のシナリオをつくっておくことがコツである。「何時何分に○○という薬を飲んで、何分たったらどんな症状になった。幻聴がこう言った……」というように訴えるのである。つまり、「先ほどあなたからいただいた薬とあなたの対応は、何も効き目がなく、役に立っていない」ということを、いかにも根拠があるように言うのである。

 お薬のトラブルによる体調不良は、まず、我慢せずに≪すぐ相談≫≪すぐ受診≫することが賢明である。いまでもお薬を飲み忘れているときがたまにある。わたしの場合一回でも飲み忘れると決まって状

p84
態が悪くなる。まとまった判断がつかなくなるので、心配になって確認作業を始めてしまう。お薬の力に助けられているところも大きい。

p89
 以前は調子が悪くなると注射を打ってもらい、薬を一日に何十錠も処方されていたけれど、いまではそれに変わってカップ麺やヨーグルトが役に立っている。

p90
とにかく症状を消さなければならない、薬で、注射で、とにかく幻聴をなくしてしまわなければいけない、と必死だった。加えて、薬を打つとふわっとして気持ちがよかった。どんな口実を使ってでも打ってほしいときがあった。だから、わたしはものすごく注射に依存していた。毎日のように打ってもらっていた。一日に三本打ってもらうこともあった。

p95
 わたしは主治医に「人にこころが読まれるのがつらいから、何も考えないでいられる薬はありませんか?」と聞いてみた。すると「考えをまったく無にすることはできないけれども、考えを抑える薬はあ

p97
るから飲んでみませんか」と言ってくれた。それにすがるしかなかった。
 しかしわたしは、出された薬を信じることができなかった。こっそりと本を買って薬の種類を調べてみると、それは統合失調症に効く薬だとわかったのである。もちろんわたしは自分があかわ統合失調症だとは思っていなかったので、それを飲んでも無駄だと思った。実際飲んでいてもつらい状態には変わりはなかった。

p124
浦河に来る前は、一日に三〇錠ちかく飲んでいた薬も一〇分の一にまで減った。逆に薬の大切さもようやく身体でわかるようになって、家族以外の人とのかかわりも、これまでには考えられないくらい多くなった。

p182
薬が抜けていくときの感覚は、どんな感覚だったの?
河崎 薬が抜けるときは、ほんとうに苦しいんだよね。薬が抜けてくると、ちょっとクリアになるでしょう。クリアになったら、そのぶんの悩みとか、罪の意識とかが、グワーッと来るんだよね。

p196
(3)従来の「爆発」の改善の手立ては薬物療法が中心であり、薬は爆発を起こすたびに増量していった。
 その結果、薬に対する否定的イメージや、過剰な期待を抱くようになってきた。それを取り除くた

p197
め、薬の役割と限界を説明するとともに、さまざまな人からの支援の必要性を説明する。

p207
ぼくが当時この爆発によって得た環境とは、子どもの暴力によってなんでも言うこ

p208
とをきく奴隷化した親、父親に提供させたパソコンとオンラインゲーム、より引きこもりに適してなおかつ快適な空間としての精神病院、また将来の不安などのストレスに曝されたときに飲む協力で便利なクスリなどであった。

p225
家に引きこもったころから向精神薬を大量に服用し、コントロール喪失状態に陥り病院の五階屋上から飛び降りたのだ。


*作成:松枝 亜希子
UP:20070922 REV:20090712
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