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『人称的世界の倫理』

大久保 正健 20050228 勁草書房,204+11p.


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■大久保 正健 20050228 『人称的世界の倫理』,勁草書房,204+11p. ISBN-10: 4062138271 ISBN-13: 978-4062138277 1470 ISBN-10: 4326199105 ISBN-13: 978-4326199105[amazon]

■内容
(「BOOK」データベースより)
私と他人は全く違った存在の仕方をしている。人称的世界とは私と他人の織りなす世界である。その構造を解明して倫理の基礎に据える。

(「MARC」データベースより)
私と他人は全く違った存在の仕方をしている。人称的世界とは、私と他人の織りなす世界である。その構造を解明して倫理の基礎に据える。私という原点とは。

■大久保正健[オオクボマサタケ]
1948年東京に生まれる。1979年慶応義塾大学大学院文学研究科倫理学専攻博士課程単位取得退学。杉野服飾大学教授

■目次

序説
1 哲学について
2 科学と哲学
3 科学と倫理
4 無能原理と愛
5 本書の概要

第一章 世界の構造
1 世界の二つの見方
2 連続量と非連続量
3 空間と時間
4 時間における「順序」
5 言葉と数
6 物体と幾何学
7 デカルト
8 ロックとカント──構成された空間と時間
9 再び、世界の見方について

第二章 循環する時間
1 万物、流転す
2 知覚という運動
3 時制と私
4 同時性
5 老いていくこと

第三章 倫理的行為
1 社会規範としての倫理
2 私のパースペクティヴ
3 他人の霊魂
4 無能原理
5 超越的価値と想起
6 エロース
7 アガペー


あとがき
文献
人名索引・事項索引

■引用
科学が置き去りにした原点とは、私(主観性)である。最初に述べた、私はどうしてここにいるのだろう、という不思議な問いも、私を含んだリアリティを問う ている。このリアリティは、「私」と「私にむかってひら彼てくる世界」という二局構造をもっており、その二極の間にあらわれる現象は、科学ではなく哲学に よって記述される。(: 11)

対人的な行為は、二つの極から構成される。それは、私と他人である。倫理的行為は、この二つの極から構成されている。倫理的行為は、行為者(agent) である私が、行為の受け取り手(patient)である他人に対して働きかける行為である。しかし、それならば、私とは何か他人とは何か、ということがあ らかじめ確認されていなければならない。/この問いは、社会と個人との間の融和点を発見しようとする二次方程式では解けない。なぜなら、他人と私の関係の 前提には、すでに述べた、私に向かって開かれる世界があるからである。……この世界との関係を背景に抱え持っているために、私の行為は他人に対して超越的 であり、また、私と他人は非対称(あるいは非互恵的)である。そして、その非対称性を認めないために、倫理は不変妥当的な規範であり、倫理的行為とはこの 規範に従って行為することであるという近代哲学に広く浸透した偏りが生じたのである。

 ……ここで言う「人と人」は、二人の人、たとえばAさんとBさんのことではない。AさんとBさんは、身長体重、皮膚の色、指紋、性別、年齢などの身体的 特徴や、言語、知識、マナー、服装などの文化的特徴によって相互に区別されるであろう。そのようにして区別された二人の個人、あるいは二人の人格が、相互 にどのような交渉をし影響しあっているか、その静態と動態については社会学等の実証科学が幾重にも研究を進めている。……そのときの研究視点は、客観的で あること、つまり、第三者的視点からAとBを横にならべて見比べているということである。私は、このような考察の視点を「横断的視点」と呼びたい。「横断 的視点」に見えてくるのは、人と人との共通性と個体差、そして集団としての振る舞いである。

人間は、他人を救うことができても自分を救うことはできない。なぜなら、何度も確認しているように、私たちの精神は、自分の霊魂に働きかける能力を原理的 にもっていないからである。/この「自分で自分を救えない」という事態を、私は「無能原理」と呼ぶ。無能原理は、しかし、もう一つの積極的な原理と対に なっている。(: 157)

人間は、自分を救うことはできなくとも、他人を救うことはできるのである。それは、私と他人の実存論的非対称性の帰結である。/他人を救うといっても、そ れにはもちろん限界がある、と言っていい。……/それにも拘わらず、私たちは原理的には他人を救うこと、すなわち他人の霊魂に配慮することができる。この 能力を、一般に「愛」という。/「無能原理」と「愛」は双子の原理であり、二つとも、私と他人の実存論的差異に基づいている。(: 158)

この無能の根源は、人生の所与性(Gegebenheit)である。あるいは神学的含意を切断して、被投性(Geworfenheit)といっても、この 事態の説明から大きくはずれないだろう。いずれにせよ、人間の行為には、実存論的な限界がある。倫理を高い理性的課題と考える倫理学は、この足下の限界を 見誤ることがある。(: 160)


 作成:安部彰立命館大学大学院先端総合 学術研究科

UP:20080204
哲学/政治哲学(political philosophy)/倫理学

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