僕は自閉症の息子を授かり、自分自身もまたパニック障害とうつ病になってしまった。そして、ある日考えた。これから僕ら家族はどうなるんだろう。どう生きていくのだろう…。そこから感じたこと考えたことをまとめる。
(カバーの折り返しより)うっぷんを何かで晴らさないでいると僕自身の存在にも影響するのではと思いつめ試行錯誤し、それが進行して悲惨な状態になると、つい、大将を叱ってしまう。でも大将は叱られた主旨を理解しているのだろうか後悔し、そういう日は寝顔が特別可愛らしくて頭をなでてしまう。
■目次■書評・紹介引っ越しが終わってしばらくして、大将が三歳になって、ほぼ自閉症という告知を受けた。ここで人生が一番ドラマチックなシーンかというと、僕らの場合はそうでもなかった。だって、何か障害があるに決まっていると思っていたからだ。大将は部屋中の本という本は出しまくるし、テレビといえばコマーシャルが嫌でNHKしか見ない。それも囲碁とかこっちはわけがわからない番組をみている。もちろん有意語的発語もなく、その代わり小さなパニックがあった。
心理担当の先生は検診のたびに「ほにゃららはにゃらら」と、まあ何かしらの障害があると神妙な顔つきで、それを「受け入れる」の連発だ。この対応は、ちょっと変だと思う。むしろ、施設の紹介などをしてくれる方がありがたい。障害児がパニック寸前に陥る発達テストなんかより、一日の行動をビデオに撮って見た方が診断しやすいのではないかと思う。
さて、大将が自閉症とほぼ確定したことをサラリと書いてしまったが、僕ら夫婦は後になってその時の感想を語り合った。僕は、車でちょっと外出して涙をポロリ、妻は家族全員が寝たところを見計らってリビングで涙をポロリ。世間から見ればまだまだ未熟モノだろうが、確実に僕らは大将のお陰で大人になっていたのだ。もちろん、大将についての特別な話し合いを告知の時までしなかったわけではないが、最終的な結論は「どんな障害があったって、二人の可愛い息子であることに変わりないのだから」となってしまうので、告知の少し前からはほとんど話し合いはしなかった。
新しい家に引っ越してから、妻は市役所や人伝てで、発達に遅れのある子を対象にした通所施設に週に何日か通ったり、市の主催する遊びの幼稚園もどきに通ったりしていた。この経験から「早く集団に入れた方が良い」と検診で言う先生の言うことはアテにならないということがわかった。障害があろうがなかろうが子供それぞれである。一人が好きな子もいれば、仲間とワイワイが好きな子もいる。子供の性格に親が介入する権利などない。そして障害のため自傷や他害行為があるにしても、この年齢なら親が制止できる。
ただ言えることは、こちらから情報収集しないと、どこに行ったらいいか困惑してしまうこと、自閉症児の親はいつ何時も子供から目を離せないし、手を繋いでいないとヤバイことになる場合があって、精神的に疲れるということだ。そして、年齢のわりにしつけがなっていないなどと自閉症の正体をわかっていないヤカラから発せられる視線攻撃に耐える負担も忘れてはならない。それは幼稚園バスのバス停でバス待ちの間、知り合いとペラペラできないとでもたとえておこうかな。
(pp. 29-32)