『自由とは何か‐「自己責任論」から「理由なき殺人」まで‐』
佐伯 啓思 20041120 講談社,288p.
Last Update:20100821
■佐伯 啓思 20041120『自由とは何か』,講談社,288p. ISBN-10:4061497499 ISBN-13: 978-4061497498 \798 [amazon]/[kinokuniya] ※
■内容
出版社 / 著者からの内容紹介
イラク問題、経済構造改革論議、酒鬼薔薇事件…現代社会の病理に迫る!
「個人の自由」は、本当に人間の本質なのか?
現代の自由の問題をさまざまな視点から問い直す!
●イラク人質事件と奇妙な「自己責任論」
●アメリカのイラク攻撃が示した「自由」のディレンマ
●バーリンの「自由論」の意味
●ムーアの倫理学と相対主義
●現代の「自由」と情緒主義
●なぜリベラリズムは力を持たないのか
●偶然性を排除して出てくる「個人」
●「値する」ということ
●「自由」というニヒリズム
●「自由」の背後にある「義」というもの
●「自由のパラドックス」を乗り越えるために
内容(「BOOK」データベースより)
「個人の自由」は、本当に人間の本質なのか?イラク問題、経済構造改革論議、酒鬼薔薇事件…現代社会の病理に迫る。
■目次
第1章 ディレンマに陥る「自由」
1 「自由」は現代でも問題なんだろうか
「自由」に対する切実感がなくなった
「自由論」の興盛と一般の無関心
贅沢な時代
自由のパラドックス
人間の本質は「自由」なのか
2 イラク人質事件と奇妙な「自己責任論」
場違いな自己責任論
国民の安全に対し責任を持つのは国家として当然
「自由な個人」を支える「権力を持った国家」
調和できない近代国家と市民社会
共同体に対する個人の責任
人間は必ずどこかの国に属しているという当り前のこと
3 経済構造改革と過剰な「自己責任論」
市場競争と自己責任はセットか
「個人の自由」から見た都合のよい国家
4 アメリカのイラク攻撃が示した「自由」のディレンマ
アメリカの信じる歴史観
アメリカの自由=「個人の自由」
強制される自由という矛盾
自由の2つの顔
引き裂かれた自由の概念
第2章 「なぜ人を殺してはならないのか」という問い
1 神戸の殺人事件で説明責任が転換した
生命尊重主義に対する疑問
「道徳」に対する「自由」の優位
法と自由の関係
ホッブズの考えた「近代的自由」
国家に先立つ自由な個人
2 功利主義でもカントでもうまくいかない
法を守るほうが得という考え方
功利主義の罠
カントが考える自由
キリスト教という権威あってのカントの議論
自由の意味が衰弱した時代
いま自由を語ることの難しさ
3 バーリンの「自由論」の意味
「支配」をめぐる2つの問題
積極的自由
消極的自由
より重要なのは消極的自由
4 「……からの自由」は何を意味しているのか
近代的自由の基本は消極的自由
消極的自由を積極的に弁護する
消極的自由の積極的実現という矛盾
「神々の争い」に「自由」を巻き込まない
多元性と相対主義の大きな違い
第3章 ケンブリッジ・サークルと現代の「自由」
1 ケインズとムーアとロレンス
ロレンスの嫌悪
19世紀の道徳原理を否定したムーア
「善」と「正」
友愛と美の鑑賞こそが「善の状態」
善は直覚によってのみ把握される
2 ムーアの倫理学と相対主義
直覚主義を支えたエリートの自己満足
善にまつわる愚かな社交ゲーム
直覚主義から相対主義へ
3 ウィトゲンシュタインとケンブリッジ
世界とは言葉で明晰に書けるもの
「語り得るもの」と「語り得ないもの」
「沈黙せざるを得ない」ものこそ重要
ムーアとウィトゲンシュタインの決定的な違い
価値判断とは語るものではなく実践するもの
4 現代の「自由」と情緒主義
「事実」と「価値」の峻別からはじまったもの
リベラリズムの根底に流れる情緒主義と実証主義
「自由な個人」の誕生
論理主義、実証主義批判と「言語ゲーム」
第4章 援助交際と現代リベラリズム
1 リベラリズムはなぜ援助交際を認めるのか
「何をやっても個人の自由」
リベラリストと「常識」のギャップ
「個人の自由な選択」は本当にあり得るのか
2 現代のリベラリズムとは何か
自由を考えるときの三つの柱
価値に対する正義の優位
中立的な国家
自発的交際の論理
3 なぜリベラリズムは力を持たないのか
リベラリズムと近代自由観念の違い
「価値」とは何か
価値の相対主義の帰結
4 古代ギリシャ人にとっての「自由」
「善き生活」の実現
個人の「徳」とポリスの結び付き
「私の領域」には自由は存在しない
自由とはポリスに属すること
5 「アンティゴネ」の意味するもの
「義」という「善」を超えた選択
価値の問題の根底にある「義」
第5章 リベラリズムの語られない前提
1 市場競争をめぐる四つの立場
1990年代アメリカで出てきた議論
四つのリベラリズムの相違
2 偶然性を排除して出てくる個人
能力だけで個人の報酬が決まる
能力も排除した「透明な自己」
偶然性の落差を調整する
「確かな個人」が持つ「権利」
3 「値する」ということ
その人の成功に「値する」とは
福祉主義者は主体と属性を区別する
「値する」ものを決めるのは社会の価値観
四つのリベラリズムが考える社会的価値観
それぞれの「善についての構想」
社会の価値観はあくまでも集団による選択で決まる
中立的国家という幻想
「負荷なき自己」もある特定の社会の産物
第6章 「自由」と「義」
1 「自由」というニヒリズム
自由への倦怠
現代社会における価値の転倒
「人それぞれ」というニヒリズムの世界
具体的な社会から超越した自由な個人像
現代社会で「共同の善」を見出すことは可能か
2 「犠牲の状況」と「死者への責任」
「犠牲の状況」をリベラリストはどう論じるか
社会の成立には犠牲者が必然
「悔恨の共同体」と個々の責務
自らの偶然を引き受ける
死こそ自由の根本条件
自分の宿命を自覚する
3 「自由」の背後にある「義」というもの
生よりも大切なもの
地位と承認を求める闘争
自尊への欲望と自己犠牲の精神
状況で具体化する「義」の姿
多様な「義」を承認する
おわりに‐「自由のパラドックス」を乗り越えるために‐
欲望自由主義の時代
事由が自由を蝕む
「個人の選択の自由」の背後にある「何か」
共同社会の価値と超越的な「義」
「自由」を多層的に論じる視点
あとがき
■引用
■書評・紹介
■言及
*作成:竹川 慎吾 更新:樋口 也寸志