『私・今・そして神』
永井 均 20041020 講談社,232p.
last update:20101011
■永井 均 20041020 『私・今・そして神』,講談社,232p. ISBN-10:4061497456 ISBN-13:978-4061497450 \756 [amazon]/[kinokuniya] ※
■内容
出版社 / 著者からの内容紹介
ここから本当の哲学が始まる!
はじめに
中学生のとき、理科室の備品がなくなるという事件が起きたことがある。先生は生徒のだれかが持って行ったのではないかと疑っていた。その同じ日の午後、クラス全体に向かって発言する機会があったので、私は、「物は突然ただ無くなるということもありうるのではないか」という趣旨の発言をした。そういうことはありえないということは、いつ誰が証明したのか、と。クラス担任から私の発言を聞いた理科の先生から、私はそういう「無責任な」ことを言ってはいけないと諭された。いま思えば、理科の先生なのだから、あらゆる出来事には原因があると考えなければならない理由を説明してくれてもよかったような気もするが、もちろん、そんな説明はなかった。私は、肩透かしを食ったようで少し残念ではあったが、まあそんなものだろうと、思った。<本文より>
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
永井 均
1951年生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得。現在、千葉大学教授。専攻は、哲学・倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
はじめに
第1章 開闢の神をめぐってたゆたう序章
1 時間的閉所恐怖
たれ流すだけの哲学
五分前世界創造説
2 全能の神も打ち破れない壁
記憶を「可能ならしめる」条件
だれも覚えていない過去は作れない
3 五十センチ先世界創造説
私の知覚と外界の関係
私の「今」と他人の「今」
4 開闢の奇跡
ある名づけえぬもの
外界そのものが魔物
5 神だけがなしうる仕事
ロボットに心を与える
人間から心を奪う
6 五分前世界創造説と昨夜私創造説
どこに神の業を見るか
今日からぼくは心があるんだぞ
7 私を想像する力のある神
「心の理論」を自分にあてはめる
高階の神の必要性
8 神と脳の位置について
悪霊のすごい力
欺く脳
9 神の数は数えられない
自由意志を世界の中に位置づける
悪脳の数は数えられない
第2章 ライプニッツ原理とカント原理
1 ライプニッツのお勉強
充足理由律と神の意志
現実に存在するということ
2 何が見えていようと見ているのはつねに私だ
独我論の底にあるもの
概念化と存在者化
3 現実世界とは私がいま存在する世界のことである
独我論のモナド論化
ライブニッツ原理とカント原理
4 こんどはカントのお勉強
カントの循環
もっとこまかく見ると
5 世界分裂‐カントからデカルトへ
カントの可能性の哲学
私の分裂
6 非形式的形式としての過去・現在・未来
物体の同一性
時制という特別な形式
7 客観的世界が成立するという事件
「今」に身体性を与える
体験に宿る超越論的構造
8 端的な今は可能な今の一例である/ない
マクタガートの「矛盾」と「実在」について
マクタガートをカント化する
9 哲学はまだ始まっていない
A系列vsB系列の対立なんてみせかけだ
A盲人とB盲人
「あむい」は使える
10 火星旅行から時間旅行へ
ちょっとつづき
タイムトラベル
11 神も、現実に存在するためには
分裂時の現実は儚く消える
神自身にもあてはまる
神・現実・私・今
第3章 私的言語の必然性と不可能性
1 同じ新聞をいくつも読みくらべるとは?
問題が持続する!
ああ、しくいなあ
2 みんな一緒の混沌とひとりだけの秩序
私的言語相互の客観的連関
私的言語の存在論
私が「椅子」と呼ぶもの
3 他者の言葉が理解できるためには過去の自分の言葉が理解できていなければならない
私的言語と言語ゲーム
ウィトゲンシュタインのカブトムシ
4 絵日記は恐ろしいものはない
「いつもどおり空は赤い」か
問題としての言語
世界の中に同格の他者は存在しない
■引用
■書評・紹介
■言及
*作成:竹川 慎吾 更新:樋口 也寸志