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『古賀さん追悼集』

「古賀さんとスモンを語るつどい」実行委員会 編 20041017 「古賀さんとスモンを語るつどい」実行委員会,44p.

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■「古賀さんとスモンを語るつどい」実行委員会 編 20041017 『古賀さん追悼集』,「古賀さんとスモンを語るつどい」実行委員会,44p. d07. d07smon


■目次


■引用


古賀照男さんのひと言:「オレが判決で闘うから」 大分県スモンの会 ……
 
 全国で和解と判決に分かれたときに、大分県スモンの会では、元気な人のほとんどが和解派にいった。判決派のほうにより重症者がいっぱいいた。……
 ただ、患者たちは病状も悪化し、私自身、家族をそろそろ安心させたかった。東京での会議では、私自身は絶対判決だと思っていたけれども、大分の地に帰ってきたらそうはいかない。何となくもうそろそろ和解したいみたいな感じの人のほうが多くなり、……大分であくまで判決を目指すというのはちょっと難しくなり、大分のみんなを和解させ、最終的には私一人が判決で闘わなければいけないのかなという気もしていた。
 そこに、古賀照男さんが「オレが判決で闘うから、あなたたちは和解して、家族を安心させたほうがいい。まだ小さい子もいるんだから」と言ってくれた。その言葉に、どれだけホッとしたか。
2頁


古賀さんの思い出 静岡のコマワリ……

 そんな古賀さんでしたが、各地裁で勝訴判決が相次ぎ可部和解(案)によって全国の訴訟が“全面解決”に向かったときには、“自分にとっての解決は金銭ではない。俺は田辺に責任を認めさせたい。ウイルス説を撤回させて謝罪させたい。”とひとりになっても高裁で争うことを決意されました。
6頁


古賀さんの戦い ……

司法の場での戦いに幕が下りたあと古賀さんは、1995年1月の厚生省交渉で田辺製薬にスモンウイルス説を撤回させるよう行政指導すべきではないかと問いました。
8頁


古賀さんとの思い出 ……

 私は当時、平沢正夫さんの主催していた「薬害を告発する被害者と市民の会」に薬学生のグループとして参加していた。しばらくして、東大で開かれていた「医学原論」の中でSMONが取り上げられた。その中から「キノホルム被害者を支援する会」が生まれ、そこでも活動することになった。……
キ支援は東大の高橋晄生(ママ)講師の講師室で毎週水曜日の夜開かれていたが、古賀さんはそこにやって来た。ゴム長靴を履き、カナディアンクラッチを突いていた。ここで、いっしょにSMONについて基礎から学んだ。
9頁


古賀さんとの出会い 高山俊雄

 1984年2月27日。全国の医療被害者、薬害被害者が一同に集まって厚生省との交渉が火蓋を切った。……これがその後現在まで20年間にもわたる交渉の始まり……「薬害・医療被害をなくすための厚生省交渉実行委員会」の窓口を……古賀さんにお願いすると、一も二もなく引き受けてくれた。
16頁


「古賀 照男氏 略歴」

1927年(昭和2年)1月……生まれる
……
1967年(昭和42年)キノホルム製剤を投与されたことによりスモンを発病
1970年(昭和45年)2月京大ウイルス研助教授・井上重幸「スモン患者から新型ウイルス発見」と報告。朝日新聞に「スモン病ウイルス感染説強まる」の一面記事……この記事以後、夫婦で職場や病院から差別的待遇を受ける
8月新潟大脳研神経内科教授・椿忠雄「キノホルム服用とスモン発生率に相関関係あり」と厚生省に報告
9月厚生省キノホルム製剤の販売・使用中止を決定
スモンがキノホルムによる薬害であることを知り、被害者運動に参加
1971年(昭和46年)11月東京地裁第三次提訴 全国19都道府県の原告155人と共に製薬3社(武田、チバガイギー、田辺)国と相手取り損害賠償請求 スモン訴訟初の集団提訴
1972年(昭和47年)キノホルム被害者を支援する会の勉強会に参加。薬害被害者として反薬害運動を進める学生・市民との交渉を深める
11月スモン訴訟東京地裁原告団(第2グループ原告団)の結成に参加……
1974年(昭和49年)2月薬害共闘の「医薬品の副作用による救済制度研究会」の内容公開を求める厚生省座り込みに参加……
1975年(昭和50年)神奈川スモンの会……工場へ抗議行動 これ以後製薬企業に対し直接行動を強める
1976年(昭和51年)10月田辺、裁判でスモンの原因として井上ウイルス説を主張……
11月第2グループ判決派と和解派に分裂 判決派としてあくまでも判決を求めることを鮮明にする
……
(改頁 引用者)
……
1978年(昭和51年)8月3日東京地裁原告勝訴判決キ剤を唯一の原因とする国に対しては1967年以降と限定……
8月17日第2グループ判決派16人と共にスモンとキ剤因果関係及び責任の明確化の確定判決を求めて東京高裁に控訴
1979年(昭和54年)5月田辺和解調印するもあくまでも「国の指示により」を入れたため古賀は和解を拒否
7月東京高裁第1回口頭弁論……
1984年(昭和54年)……
10月1日東京高裁古賀照男第2回口頭弁論……新弁護団発足により審理開始……
1988年(昭和64年)……
10月国と以下の3項目で和解1.国はスモンとキノホルム製剤との因果関係を認める、2.スモンに対する責任を認める、3.スモン患者の救済と薬害防止に向けて最善の努力をする
……
1990年(平成2年)12月7日東京高裁で逆転敗訴……最高裁に上告
1994年(平成6年)……(改頁 引用者)
12月9日最高裁判決 上告棄却……
1995年(平成7年)3月 多くの神経内科医の診断書をつけて再審請求したが棄却 判決が確定した
……
2003年1月23日深夜、久野病院にて逝去す。享年76歳。
23-25頁

「特集 薬に病む 孤独と連帯――古賀照男・闘いの記 第1回 発病」『労働者住民医療』2000.3.25号

インタビュー 高山俊雄 編集 糸山敏和


 薬害事件の中で最もマンモス裁判となった『スモン』。このスモンの発生責任を追及して、国と製薬企業・田辺を訴え、ついに最高裁判所まで争ったただ一人の男、古賀照男。結局、彼自身は「スモンであることが疑わしい」と思いがけぬ敗訴をしてしまう。だが、敗訴後も、命がけで今も年に何回か支援者とともに大阪田辺製薬本社に抗議行動を繰り返す古賀氏に、その生き様を語ってもらった。 29頁

「特集 薬に病む 孤独と連帯――古賀照男・闘いの記 第2回 裁判へ」『労働者住民医療』2000.4.25号

インタビュー 高山俊雄 編集 糸山敏和


古賀 それで……が「全国スモンの会」ってのを開いて(注、そのままうまく一緒になってやったわけよ。
(注 1969年11月発足。原告団は結局4つの大きなグループに分裂するが、……氏は1Bグループを結成する。
高山 ……が、そういう呼びかけをしたんだ。
古賀 そう。全国スモンの会には、全国のスモンの人が、会員に入ったんじゃなくて、ばらばらに入ったわけヨ。それで全国スモンの会ってのが一番最初の大きいひとつのアレで、できた。……マ、金の問題だね。入会金とか、それも問題で、無理にも金を取ろうとしてるから、「ナニに使うんだ」って。会議でそんなにお金かかるわけない、お互いに立て替えればネ。だから、「何に使うの」「いや、裁判も」って始まったの。それであたしもさ、こりゃあね、被害者を利用する可能性が高いなと思って。
……
古賀 最初の目的はね、単なる患者会。その中で、「会費を」というところが出てきて、それゆえ発展して出てきたのが、裁判という問題。
高山 最初から裁判やりますっていうことではなかったんですね。
古賀 それはないですよ。だから、わたしは、あえて辞めるってしてしまったのは、会の内容がだんだん変わってきて、しかも金をネ、取ろうとしてるしね。それでわたしはもう、ま、ダメだ直接言ってやった事もあると思うよ。
高山 「全国スモンの会を正す会」という「会」(改頁 引用者)を、古賀さんも中心になってお作りになったと思うけれども、これは今のお話のような、お金の使い道、あるいは裁判をやることに対しての進め方の問題ということがあったんですか。私の伺ったとこによると、「全国スモンの会」では、裁判をやるとなると、その証明がはっきり取れる人だけを、一番バッターにやりたい。でも、なかなか証明が取れない人も居ましたよね?
古賀 うん。いたいた。
高山 たとえば、売薬でやってる人なんていうのは…
古賀 数は少なかったですね。
高山 年数が経っててもうカルテが無くなっちゃったとかっていう人も居るし、証明も、ある人だけ取れる人だけ先にやりますよというようなことで、結局は、裁判のできないような人が、批判をするという方向になったんですかね。
古賀 それも含めてと、やっぱり、けっきょく金の問題ヨ。みんなアンタ、ふところ寒いんだもの。スモンなってさあ、苦しんでね、家庭崩壊もしかけてるのにサ、そっから金を取ろうというネ。法律扶助協会によってさ、一応裁判だけはできるんだけどサ、それがありながらね、けっきょく金を出せっていうことが出てきちゃってるんだ。
高山 お金っていうのは、会費ではなくて、裁判のためにまた、さらに金を出してくれっていうことなんですか?
古賀 そうそうそうそう。だんだんと大きく…。最初はまだ会費だったけど、それを今度は、それに対する…
……
高山 それは何年頃の話で?
古賀 んー70年か…
……
高山 その頃になると、国もスモンの原因はキノホルムだと認めて、それで裁判という方向になっていくと思うんですけど、71年かそこらで、難病っていう医療費の制度ができますよね。スモンが難病の一番バッターとして、認めるということになるわけだけど、これは、患者会の中で議論を詰めたとか、そういう記憶はないですか。
古賀 それはない。……の方はやったらしいわ。
高山 「正す会」のほうは、そこにはあまり関わらなかったということだね。
33-34頁

古賀 ……救済基金によって被害者を救済するというのはね、名前はそうだよ、だけど本質的には企業救済のための基金なんだよね。
高山 そうですよね。
古賀 ンであたしは、薬害共闘も含めて、とにかく内容をきっちり検討化して、できるものだったらこちら側の方にしようと、という方向で厚生省交渉の中に入れたわけですよ。結果として、……局長とわたしらと話し合いをすることになったんですよ。それがね、たった30分で中座しちゃったの。それで、わたしらここに座り込んだの。
高山 それが7日間の座り込みってやつね(。なし 引用者)
35頁

高山 古賀さんは、いろいろな運動の中で、「患者会」っていうのは、どういう役割を果たすべきだというふうに考えていたんですか?
古賀 裁判というよりも、これだけの被害者がね、被害を受けてる。その被害の原因がもうほとんど分かってるのに、国は何一つしない。……こんなバカな話はない。……やっぱり理屈として、「こんなこと許せるか」っていうことになったもんね。それで、関東ブロックの中で議論した時にサ、結果的には国と企業の責任の追及は裁判より無いだろうという話も出てきて、2グループの原告団というのができたのが、話し合いの結果ね。
高山 第2グループも裁判という方法をとっていくということになりますよね。第1グループでは、たとえば証明取れない人はとりあえず、今回は我慢してくれとかあったんだけども、(改頁 引用者)第2グループでそういうのはなく、やりたい人は全部やるんだという方針だったんですか。
古賀 基本的にはそうなんだけど、やはり最悪でも診断書は要るのよね。証明といやあ、キノホルム飲んだって証明が一番いいんだよね。最悪の場合でも診断書は、裁判に入るためにはどうしても要るわけよ。だから、「それだけ取って、裁判に参加してくれ」と、そういうふうな形で2グループ原告団てのができたんだよね。
高山 ……可部和解案が出た東京地裁の場合、その案に対して、古賀さんが所属していたグループとしては、どんなふうに考えたんですか。
古賀 わたしらとしてはね、責任をきちっと明らかにしたいっていうことが基本的な考え方。和解でも、それはありうると思うわけ。けど、拘束力が弱まるでしょ。それに、スモンという診断書だけでも、救済してくるんじゃないと、ただの和解案じゃダメ。そこんところをね、あたしゃ充分考えたんですよ。2グループの場合はね、……から分裂した部分も抱えこんだんだよね。そういうことも含めて、全員をネ、できるだけ、診断書が無くてもね、何らかのものさえあればいいって形で、救済をどうにかというのであれば、判決を期すっていうのはなかったの。それは無理だって…ということが検討の中に出てきてネ。だからそんなもんじゃ、和解案ってのは採れない(ママ)。で、あたし自身も、とにかくこれじゃどうしようもねエからっていうんで、裁判所の前で座り込み(笑)。……
35-36頁

古賀 それでわたしは、金沢の判決を見てサ、ヒッデエ判決だと思った。けれど、なぜネ、金沢に判決出したかっていうと、考えてみた。たら、可部よ。可部の方の援護射撃なのよ。
高山 要するに、判決を求めるとこういう結果になるよ、という事例を先に出させた。
古賀 そうそうそう。
古賀 ……だから、可部は、「……とにかく、あたしと話してみよう」ということで、東京地裁の四階で会った。……
高山 少なくとも古賀さんとしては、その和解案は呑めないと。
古賀 いや呑めないじゃなくて、和解案そのものは、内容的としてはネ、たしかに、マアマアなんですよ。他から比べてもね。裁判から何から全部と比べてもね。ほんとにまあまあですよ。だけど、和解ではネ、国にも、企業にも、拘束力が無いていうこと。ということは、いろんなかたちで切り捨てられる可能性が有るっていうこと。
……
古賀 それ、念頭にあったから、判決を敢えて孤児したわけですよ。正しい判断を最後に出せばさ、国だってサ、そうそう悪い事はできない。企業だって、パッとは出来ない。
37頁

「特集 薬に病む 孤独と連帯――古賀照男・闘いの記 第3回 孤独と連帯」『労働者住民医療』2000.5.25号

インタビュー 高山俊雄 編集 糸山敏和,2000,


高山 古賀さんは、一審の判決では納得できないと、いうことになるわけですね。
古賀 そうじゃなくて、一審の判決に田辺が従ってないわけでしょ。スモンウイルス説の主張を取り下げてないワケよ。和解に入った文章は、……そして、何一つ書いてないわけよ。和解しますというだけで。自分の責任に対しては、ぜんぜんオフリミット。しかもスモンウイルス説に対して何一つ、言い訳ひとつしてないわけよ。……
古賀 そうそう、わたしの高裁の第1回の公判の時に、主に神奈川スモンの会の部分だけど、6・7人参加してたの。そこで田辺のほうが、ウイルス説主張してきたわけよ。これは、みんな怒ったわ。それで、「古賀さんが残るんだったらわたしも残ります」って言われたんですよ。
高山 でも、ウイルス説は地裁のときから言ってたんじゃないんですか。
古賀 地裁のときはできなかったの。……
古賀 ……可部は正しい判断持ってるから。そんないいかげんなことで許せるかって言ったの。……
高山 ウイルス説が裁判でおおやけになって出てくるのは高裁段階なんですね。
古賀 だからわたしはそれは許さない。……だからそういうことで、わたしは東京高裁に残る。「もうここまできたんだから、一緒に」っていう人たちはいたけど、「みんななだめてくれ」と言われた。わたしの方は腹の底ではサ、和解したかったんだよ。和解案も当然あるもんだと思ったの。だから、わたしは和解を否定はしていない。向こう分のケジメがさ、あたしはある種効いたと思ったの。ところが、東京高裁の田辺の第1回の公判で、ネェ、ウイルス説を堂々と、1時間有余にわたって主張したんだよ。こォんなのアンタ許せますか。……
古賀 ……判決の前に、裁判長の奥村に呼ばれて行ったわけ。そして、和解しませんかっていう打診があったんですよ。だから和解の条件として、わたしはウイルス説の撤回と、スモン患者に謝罪しろっていう、その2点をネ主張したんですよ。……
38頁

高山 支援の人たちっていうのは、前の2グループでいろいろ一緒にやっていた、たとえば薬害共闘の残りの人たちが入っているんですか。……
古賀 薬害共闘から移行した人たち。だからたとえば、サリドマイド支援やった部分も入っているんだよ。あたしの運動で一番評価できるのはさ、同じ薬害でも、違うグループの支援が参加してくれた。これはほんとにねえ評価していいわけ。……
高山 国との和解というのは高裁のどの段階でやったんですか。
古賀 もうとにかくどん詰まりになって、和解をしようって…
(改頁 引用者)……
古賀 ……そんときに国の問題はどうするかっていうことは検討されて、国とは和解したほうがいいんじゃないの、と。裁判はホントはね、国と和解するべきじゃなかったの、裁判では国に負けてんだから。10月以降のの罹患は国も責任があるっていうことになったんだよ。ところが、わたしは6月に罹患したわけよ。だから、国には責任が無いということになったわけよ。
……
古賀 だから、結果論として、本来は、高裁で国も含めてやるべきだったんだ。
……
古賀 弁護士が、そういうことをちゃんと言ってくれればさあ。こういう和解じゃ一銭の得にもならんし、国も含めてやったほうがいいんじゃないかってね。で、国はねえモウ大喜びだよ。裁判は継続しない。国の責任はとやかくいわれないで済むわけだから。……
……
古賀 で、ああいう判決が出てきちゃったわけよ。
高山 僕が一番釈然としないのは、古賀さんが本当にスモンなのかどうかっていうことを、……それを裁判官が、古賀さんがこういう検査をやったのかどうかとかね。
古賀 いや、そういう矛盾したのが裁判ですよ。弁護士と、裁判官と、被告とのね、この三者一体の中で、充分な形の話し合いはされてない。
39-40頁

高山 そういう経過を経て、スモンであるかどうか疑わしいって判決になって、高裁は決着するよね。それで、今度は、最高裁まで行くかどうか、そして行った場合に弁護士としてはどういうふうに考えるのかってあたりは?
古賀 これからがおかしい訳ヨ。最高裁に対しての働きという点は、「できない」と。それはもう、最後の段で、これだけの事実関係がね最高裁で否定されるわけがないだろうという、そういう判断じゃなくて。 ……
古賀 いろんな形で弁護士がやってくれるかと思ったの。「やりようがない」っていうんだよ。どうしようもねえよアンタ。……本来だったら東京高裁で敗れた時にね、スモンウイルス説を主張した田辺を訴えるのを、一審からやりなおすべきだった。そうすると、まだまだ続けられるし、東京高裁でも最高裁でも、そういうことを考えざるを得ないわけでしょ。ウイルス説に対しては、国も何も全部否定している中で田辺だけが言ったわけでしょ。東京高裁でアンタそれを一時間に渡って証言したんだから。で、文書も残ってるわけですよ。それをちゃんとアンタ一審に出せばいいんですよ。スモンはウイルスではありません、というかたちで。
高山 最高裁っていうのはあくまで現行判断のところだから、実質審理というのをやらな(改頁 引用者)いでしょ。……
……
古賀 ウン。最高裁の判断をおかしいってことはだいぶ言ったけど、結果論として、やりようがないわけよ。もう長谷川も大津も、お手上げなんだから。どうしようもない。本来は東京高裁の判決の時にやるべきことを、やんなかったんだから。でも実審はやらないって言う前提は、無い、と思った。間違いがあればさ、それはちゃんとやるべきであって、それが、裁判官の本分じゃないかと思ってるから。……だからね、矛盾してるよオ。裁判官によって違いがあるんだ。実審はやらないっていう前提だっていうけど、現実にやってるんだもの。
……
古賀 代表団の人が替わってから、「実審やってるよ」というふうに動きが変わっていった。だからそういう面では、わたしのやったことは、そう間違いはなかったし、以降、人によっては良かったという人もいるんじゃないかと、そういうふうに思います。あたし自身だけがハズレ籤を引いたんだ(笑)。……
40-41頁


■書評・紹介


■言及



*作成:安田 智博
UP:20200811 REV:
薬/薬害  ◇薬害スモン  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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