『老いと障害の質的社会学――フィールドワークから』
山田 富秋 編 20040930 世界思想社,273p. ISBN:4-7907-1082-3 1890
■山田 富秋 編 20040930 『老いと障害の質的社会学――フィールドワークから』,世界思想社,273p. ISBN:4-7907-1082-3 1890 [kinokuniya]/[amazon]/[bk1] ※
■内容説明[bk1]
ケアをめぐる困難と可能性−。いまの日本で、高齢者と障害者はどのような状況におかれているのか。最新のフィールドワークをふまえ、家族を超えて親密な領域がつくりだされるプロセスをていねいにたどる。
■著者紹介[bk1]
1955年北海道生まれ。京都精華大学人文学部教員、文学博士。社会学、エスノメソドロジー、差別問題、ケア問題の社会学専攻。
ヤマダ トミアキ
山田 富秋 20040930 「老いと障害の政治的ポジション」
山田編[2004:003-021]
ヤマダ トミアキ
山田 富秋 20040930 「部落解放運動における「まちづくり」とヘルパー」
山田編[2004:023-068]
ヤノ リョウ
矢野 亮 20040930 「「まちづくり」のなかで障害と老いを生きる」
山田編[2004:069-110]
ヤマダ トミアキ
山田 富秋 20040930 「精神障害者のグループホームから」
山田編[2004:111-152]
デグチ ヤスノブ
出口 泰靖 20040930 「「呆け」たら私はどうなるのか? 何を思うのか?」
山田編[2004:155-183]
デグチ ヤスノブ
出口 泰靖 20040930 「「呆け」について私はもの語れるのか?――<本人の「呆けゆく」体験の語り>が生成される場<場>」
山田編[2004:185-216]
デグチ ヤスノブ
出口 泰靖 20040930 「「呆けゆく」体験を、<語り、明かすこと>と<語らず、隠すこと>」
山田編[2004:217-228]
デグチ ヤスノブ
出口 泰靖 20040930 「「呆けゆく」体験を、<語り、明かすこと>と<語らず、隠すこと>のはざまで――本人が「呆けゆく」体験を語り明かすことは、私たちに何をもたらすのか?」」
山田編[2004:229-253]
■目次
まえがき
第1部「親密圏」の創造としてのケア
第1章 老いと障害の政治的ポジション
1.現代日本の老いと障害の社会的文脈
2.ケアの不可能性と可能性
3.部落解放運動と親密圏の創設
第2章 部落解放運動における「まちづくり」とヘルパー
1.解放運動の語りの分析視点
2.住吉支部の「まちづくり」の語り
3.「まちづくり」の中でヘルパーとして働くこと
4.まとめにかえて
第3章 「まちづくり」のなかで障害と老いを生きる
1.はじめに―被差別部落の日常生活のなかから
2.被差別部落の高齢者との対話―その困難性と可能性
3.出会い―ライフ・ストーリーを通してみる高齢者の生活世界
4.むすびにかえて
第4章 精神障害者のグループホームから
はじめに
1.長野県のSの会の活動
2.調査者である私の位置づけと精神障害者カテゴリー
3.自立生活をめぐる語り
4.家族をめぐる語り
5.「施設コンフリクト」と行政をめぐる語り
6.まとめにかえて
第2部 「呆けゆく」体験をめぐって
第5章 「呆け」たら私はどうなるのか?何を思うのか?
1.「呆け」たらどうなるのか?
2.「呆け」たら周囲からどう応じられるのか?
3.「呆け」たらどう周囲に(相手に)振舞うのか?
4.「呆け」たらどうケアされるのか?
5.「呆け」たら何を思うのか?
6.「呆けゆく」体験研究
7.「呆けゆくこと」に対する本人の(気づき)体験の4様態
8.「呆けゆく」とされる本人の思いを汲み取るのは難しいのか?
第6章 「呆け」について私はもの語れるのか?―<本人の「呆けゆく」体験の語り>が生成される<場>
1.本人に自らの「呆けゆくこと」に向き合ってもらうタブーに挑戦
2.本人が「呆けゆく」体験を語る<場>の生成(その1)
―思いのまま、思いつくまま、ともに<自己開示>し合う
3.本人が「呆けゆく」体験を語る<場>の生成(その2)
―<主役>体験・<顧客>体験のための<補助自我>
4.集団(グループ)という<場>に受け入れられること、不安をやわらげること
5.集団(グループ)という<場>によって個々人が揺さぶられること
6.本人の「呆けゆく」自覚体験を聴きとることは何をもたらすのか?
第7章 「呆けゆく」体験を<語り、明かすこと>と<語らず、隠すこと>
1.「気づきの文脈」という概念
2.ハッチンソンらの「呆けゆく」気づきの文脈に関する研究
3.「呆けゆくこと」をめぐる気づきの「閉じた文脈」のなかでの「疑いをもった文脈」
4.「呆けゆくこと」をめぐる気づきの「閉じた文脈」のなかでの「偽装の文脈」
5.「呆けゆくこと」における気づきの「開かれた文脈」
第8章 「呆けゆく」体験を<語らず、隠すこと>と<語り、明かすこと>のはざ
まで―本人が「呆けゆく」体験を語り明かすことは、私たちに何をもたらすのか?
1.本人が「呆けゆく」体験を<語り、明かすこと>でもたらされること
2.「痴呆」を恐怖し、忌避し、羞恥を感じる心性
3.「呆け」を「気にしないで“すごす”場」
4.結び
あとがき
参考文献一覧
索引
(本文から〜まえがき全文とあとがき前半)
■ まえがき
本書は、高齢者と障害者が現代日本ではどのような状況におかれているのか、それをいくつかのフィールドワークを通して明らかにしようとする試みである。最初に、この二つのカテゴリーが結びつく「ケア=介助・介護」から議論を始めよう。ケアをテーマとすると、すぐにどのような援助が高齢者や障害者に必要なのか、あるいはどうやってさまざまな社会的サービスを相互に結びつけてケアをシステム化したらよいのかという、援助やサービスに特化した福祉技術論を期待する読者も多いだろう。しかしながら、本書の目的はそこにはない。むしろ、私たちが明らかにしようとするのは「ケアの困難」という問題である。ケアの提供者はもちろん、ケアを必要とする高齢当事者や障害者も、ケアの困難性に直面している。それは実際にはケアが十分に提供されていないとか、提供方法が適切ではないということではない。むしろここで探求していきたいのは、ケアを語ることの困難性である。天田城介のことばを借りれば、地域でも施設でも、あるいは家族でも、ケアという場面に関与する人びとは不可避的に「ケアという暴力」を経験することになる(天田、2003)。
「ケアという暴力」ということばから、家族における強制された愛情規範や、出口泰靖が明らかにしたような老人をケアする側の一方的な「痴呆」観、あるいはまた、施設入所者から自発性を奪い無気力状態にするインスティテューショナリズム(施設症)など、さまざまな問題を連想するだろう。しかしここで問題にしたいのは、天田が喝破したように、「介護を受けるという経験は、その多寡を問わず他者に自らの身体を曝け出すこと、自己の秘匿としてきた部分をある程度委ねるということを織り込んでいる」(天田、2003、486頁)ために、「他者からの暴力」を自ら引き受けざるをえない経験としてケアを捉えることである。彼はこれを介護に随伴する根源的な困難性として捉え、「暴力としての介護」と呼ぶ。それは「自らの意志とは無関係に、あるいは意志に反して自らに襲いかかかってくるような」(天田、2003、489頁)現実であるために「暴力性」を帯びた経験となる。
だが、「暴力としての介護」を経験するのは、ケアを受ける側だけではない。むしろケアを提供する側も同様の困難に直面している。というのも、特別養護老人ホームのケアワーカーであれ、在宅ケアのヘルパーであれ、過剰な「福祉イデオロギー」にからめとられているからだ。天田によれば、施設や在宅で労働者としてケアを提供する側も、次のような困難にぶちあたるのである。
……「優しさ」「暖かさ」「倫理」という「福祉イデオロギー」によって、誰彼にも等しく感情労働を実践しなければならない。しかし実際には、その福祉イデオロギーによって「どんな高齢者にも介護せねばならない」「いかなる状況でも介護すべきである」という規範が介護空間を支配してしまうことで、感情労働のよって立つ「情緒」はその根元から侵蝕し、ついには情緒が枯渇する事態へと変換してしまう……。(天田、2003、488頁)
同様に家族介護の場面においては、家族内の女性(配偶者や娘、あるいは息子の妻)が高齢者を介護すべきというジェンダー規範によって家族関係が硬直化し、その結果、介護が暴力に転化する。
多くは息子の妻や娘によって担われている家族介護の場において、「愛情」という親密性の名の下に行使される家族介護は逆にお互いの関係を複雑化させ、家族介護者にとって介護は困難性を孕んだものになる。……そして家族介護者は「なぜ私(だけ)が介護しなければならないのか!」という悲痛の声を心の底から搾りだす。
こうして家族介護では、愛情規範に呪縛されつつ、「家族」なる空間に内閉されていくことで、高齢者と家族介護者との距離感覚は消失し、ともに苦悩や困難を抱えながらも、世話する側と世話される側での関係の絡みあいのなかでお互いの「不幸」は増幅してしまうのである。(天田、2003、491頁)
天田はこうした「暴力としての介護」が、現代社会の私的領域/公的領域という境界設定から不可避的に生じてくると考える。つまり、春日キスヨが指摘するように、家族介護とは家族という「私的領域」において「愛情」をベースとした(つまり金銭に換算されない無償の)感情労働として、女性というジェンダーに強制された労働である。さらにまた利用者によるセクハラや低賃金など、ヘルパーの陥りやすい困難を考えれば、ケア従事者の行う「労働としての介護」もまた、私的領域においてなされた無償(=不払い)労働が公的領域に移動しただけで、ケアの利用者に隷属する安価な感情労働に陥りがちであることがわかる(春日、1997)。
このように考えていくと、ケアの困難という問題は、ケアが現在与えられている以外には考えようがないこと、つまり、ケアの自明性によってケアの多様な可能性が排除されていることに帰着する。いわば、ケアにかかわる人びとは、家族にせよ福祉施設にせよ、そこでいまなされているケアを自明視することによって、そこにあるケアから退出不可能であるかのように感じてしまうのである。それがケアを語ることをますます困難にする理由である。
それではケアの自明性がもたらす「暴力」を解体するにはどうすればよいだろうか。天田が導き出した結論のひとつは、たしかにある程度有効であろう。つまり、現在支配的な私的領域/公的領域の境界設定を揺り動かし、攪乱することがそれである。だがどのような方法でこの境界設定の攪乱が可能だろうか。それには、現在自明視されているように、「私的領域」を近代的な小規模家族と同一視することをやめ、ケアをそのもともとの意味である「生に必要な配慮」として再考することが必要だろう。すると、家族という領域ではなくとも、生を配慮する親密な関係を組み立てる可能性がみえてくる。それを鶴見俊輔にならって、家族を突き抜けたところに生まれる「その他の親密な関係」と呼ぶこともできよう。ここで齋藤純一が苦心して描こうとしている「親密圏」(intimate sphere)の概念が役立つ。それは「具体的な他者の生/生命―とくにその不安や困難―に対する関心/配慮を媒体とする、ある程度持続的な関係性」(齋藤編、2003)と定義される。そして「親密圏」という概念によって捉えようとする現実は、ヘテロセクシズムと男性優位の「ジェンダー秩序」(江原、2001)が支配する排他的な現代家族ではなく、生の困難にさらされながらも、それを受容し、具体的な他者に応答することで作り出される、差異とジレンマに満ちた政治的空間である。齋藤はいう。
親密圏―そして各人の生そのもの―が、一方において差異とジレンマにつねに貫かれているということと、それが他方で、そこにいる人びとに一定の安全性(の感覚)を与え、生の拠りどころになるということは矛盾しない。親密圏は、一体性の空間ではなく、複数の人びとの「間」であり、そこには言葉や行為における現れとそれに対する一定の応答がある。自らを応答されうる状態におくことができるということは、親密圏を成り立たせる最も重要な条件である。そこでの応答は、……人びとの身体性=物質性から分離したものではありえず、他者たちの生の必要や困難への対応という次元をうちにふくんでいる。そうした呼応の関係において、応答する者は他者の生の困難や苦難に繰り返し曝される。そうした受動性ないしは被傷性の経験は、生の困難の原因を他者自身の本質的な欠陥や欠落に帰して親密性を断ち切るのでないかぎり、社会の秩序や自己の秩序を現在編成している価値のあり方に対する疑問や問題化へと―少なくとも潜在的には―つながるものである(齋藤編、2003、231―2頁)。
親密圏という概念によって、天田のいうケアの根源的な暴力性は、私たちが身体をもった存在であるということ(身体性)に由来することが明らかになる。つまり、他者の生の必要や困難に応答しようとすると「応答する者は他者の生や困難に繰り返し曝される」ことから逃れられないのである。同様に、そうした応答を受け入れる者もまた、「他者に自らの身体を曝け出す」ことで、ケアの暴力性を受け入れる決断を避けることができない。しかしこの被傷性をもった経験を家族や、家族から転移され、家族と類似の場所として構築されたケア場面へ閉じ込めてしまうことは、それとは別のことである。もしそうなら、その場で応答人びとのあいだに、一定の安心感や安全の感覚を生み出しながら、一体性の空間には陥らない関係をつねに作り出していくことが可能である。それを「親密圏の形成」と呼ぼう。私たちがこれから例示するフィールドワークはどれも、齋藤の言う「親密圏」の形成を通して、自明視されたケアをいったん解体し、ふたたび組み立て直していく実践として解釈できよう。
本書は二部構成とした。第一部においては老いと障害をめぐる一般的問題から始まって、部落解放運動と高齢者のケア、そして精神障害者のグループホームの実践というように、さまざまなトピックを親密圏の創設というテーマで一貫して論じた。対して第二部では、出口の行ってきた「痴呆性」老人のケアの可能性をフィールドワークから明らかにしようとしている。まず第一部では、第一章において老いを中心にしながら、現代日本における老いと障害をめぐる問題状況について概観する。第二章では部落解放運動から生成してきた大阪市の部落解放同盟住吉支部の「まちづくり」と、そこにおけるヘルパーの意味づけを、実際のインタビューの語りから考察する。次に第三章では同じく住吉在住で障害を持つ高齢者の語りから、住吉で生活することの意味を多角的に明らかにする。とくに、若い世代の解放運動の担い手である著者は、単なる調査者ではなく、同じ解放運動の後輩として対話している。第四章では、長野市で精神障害者のグループホームを運営するS会の活動をたどりながら、家族を超えた親密圏を作り出す営みを跡づける。第二部では出口が、「呆ける」ことの経験に徹底的にこだわりながら、フィールドワークをもとに高齢当事者とケアの関係について、さまざまな側面から探求を試みる。まず第五章では、ケアをする側が老人の面子に配慮する「パッシング・ケア」の問題について検討し、また第六章では島根県にあるデイケア施設「小山のおうち」での呆けに向き合う実践を考え、そして第七章でと第八章では、これらの結果を踏まえて、高齢者本人にとってもサポーティブなケアとして私たちはどんな臨床的態度が取れるのかを考えていく。
私たちがこうした調査の基本的な方針として採用したのは、対話的構築主義をベースとしたインタビュー方法である。それは調査対象である老人や障害者やケア従事者の語りを、私たちの理論を作り出すためのデータとしては考えず、むしろ、私たちと共同で、いま進行中の現実を作り出すものとして捉えようとする。したがって、調査者である私たち自身がこの調査の中でどのように変化していったのかを記述することも重要なテーマになる。
これらの調査から明らかにしたいことは、ケアというものが親密圏の形成の一部であり、この親密圏もまた多様な関係性や意味づけを通してつねに更新され、作り直されていくプロセスとして存在することである。つまり私たちがここで行うのは、高齢者や障害者にケアを適切に提供するために、地域社会に必要な種類の施設を数え上げたり、ヘルパーや医療関係者と施設のあいだに効率的なネットワークシステムを築く制度的な条件を考察することではない。そうではなく、ケアをめぐる語りを検討することを通して、たとえばS会の活動や住吉の「まちづくり」が、そこに生活する若者や子どもを巻き込みながら、つねに人びとの当該状況での協働的な実践を通して「親密圏」が形成され、さらにそれが作り直されていく様子を描くことである。それはアーレントの言う「複数性の存在」から発せられる声を聞く実践でもあるだろう。
■ あとがき
本書で私たちは、老いと障害にかかわる語りを、おもにケアの場面からみてきた。私たちが行ったフィールドワークは部落解放運動における高齢者ケアの場面と精神障害者のグループホーム、そして「痴呆性」老人のケアに限られている。そのため、ここから何か普遍的な結論を主張するつもりはない。しかし私たちの調査からいえることはいくつかある。それはケアという行為が固定したものでも、あるいは何かの手続きやマニュアルに還元できるものではないということである。むしろそれは、差し迫った生命のケア=配慮を必要とする人びとと、ケアの提供者とのあいだで結ばれるひとつの関係であり、また、その関係自体が絶えず変容していく運動であるということだ。ケアにかかわる多くの社会学者たちが、フーコーの福祉国家批判を土台にして、近代家族をエージェントとした「生―権力」が健康と安全を社会のすみずみに浸透させていく歴史的過程を克明に明らかにしてきたことは興味深い。それは私たちが描いた関係や運動としてのケアを切断し、停止させて、その場でさまざまな関係へと展開する可能性をもった人間関係を、ただ専門職と素人、教師と生徒、あるいは支配者と被支配者といった上下関係に均質化して閉じ込めていく。抵抗することばを奪われたサバルタンが生まれるのはこのような状況だろう。
天田城介が指摘するように、安全(security)の語源であるラテン語のsecurusとは、ケアを意味するcuraがない状態を意味する。ちなみに手許のラテン語英語辞典によると、securusとは、〔……〕つまり、ケアがない、不注意という意味から、そこから派生したと思われる、かかわらない、怖がらない、落ち着いているといった意味までが列挙されている。一方ケアの語源であるラテン語のcurusは、〔……〕何らかの困難があり、そこへ注意を向けること、しかもある注意を持続的に向けることを意味することがわかる。これを本書の文脈に置き直して解釈すれば、ケアと安全性とはまっこうから対立するものであるということになる。ケアがその場所で発生する困難に対して持続的な配慮を行い、そこからさまざまな関係性をつぎつぎと作り出していく運動であるとしたら、安全とは困難とかかわることを最初から拒絶し、一定の原則を強制することによってケアの運動を停止させ、ある関係に凍結させることによって、人間のあいだに支配と被支配を作り出していくことではないだろうか。これに関連して学生と一緒に長島愛生園を訪問したときのことを思い出す。そこで入園者の一人である、宇佐美治さんが、9・11の「テロ」について語っていた。その趣旨だけを伝えると、9.11以降の安全を守ろうとする政治活動が、テロを起こす側も、それを取り締まる側も、対話や関係性ぬきで皆殺しを正当化する行為であり、それはハンセン病患者に対して行われてきた政治と同質のものである、と。〔…〕
■言及
◇天田 城介 20060624 「書評 山田富秋編著『老いと障害の質的社会学――フィールドワークから』」,
福祉社会学会発行.『福祉社会学研究』第3号:162-166
http://www.josukeamada.com/bk/bpp36.htm