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『老いと死を生きる――老人病院医師へのインタビュー』

新福 尚武 監修 20040521 老人病院情報センター ,223p.


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新福 尚武 監修 20040521 『老いと死を生きる――老人病院医師へのインタビュー』,老人病院情報センター ,223p. ISBN-10: 4990198301 ISBN-13: 978-4990198305 2100 [amazon][kinokuniya]

 ※以下、http://www32.ocn.ne.jp/~rojin_byouin_ic/rhic0145.htmlから引用(一部、加筆・修正)。

これまで語られることのなかったテーマ!
自分の死、親の看取り、患者の看取りを
老人病院の医師5人が語る

■目次
まえがき
よく老い、老いをよく生きる
老人病院医師への九つの質問

第一章 天本宏(天本病院理事長) 在宅重視の二四時間体制コミュニティケア
自分の死――わがまま体制を整え、セルフィッシュを貫く
親の看取り――看取りにいたるまでの関わりを重視
患者さんの看取り――在宅ケアの条件は本人の意思決定
医師になった理由――広島で被爆
高齢者医療に向かっていった動機――高齢者の地域調査がきっかけ
老人病院の建設――付き添いなしのトータルケア
印象に残った死――祖父の死、先輩の死
家族へのアドバイス――時代のニーズは自由な環境
宗教――自分の物差しを持つのに役立つ
インタビューを終えて

第二章 漆原彰(大宮共立病院理事長) 医療、介護施と在宅支援のシステムづくり
自分の死――発達した裁量の医療を受けたい
親の看取り――医師としてよりも子どもとして
患者さんの看取り――苦痛をとるターミナルケア
医師になった理由――建築家か医師か
高齢者医療に向かっていった動機――核家族時代にバックアップ体制
老人病院の建設――医療と福祉の合体を先がける
印象に残った死――眠るように逝った祖母
家族へのアドバイス――家族観の変化と階後の社会化
宗教――袈裟を着て診察する自分の姿
インタビューを終えて

第三章 新貝憲利(成増厚生病院院長) 痴呆専門病院を開設、痴呆老人のケアと看取り
自分の死――僕は寂しがりや、日替わりメニューできてほしい
親の看取り――居心地の良い空間を用意
患者さんの看取り――孤立感、孤独感のない最期
医師になった理由――医師である父への反発
高齢者医療に向かっていった動機――僕が痴呆を治す
老人病院の建設――痴呆老人のターミナルケア
印象に残った死――数えきれないほど立ち会った
家族へのアドバイス――病気・障害・人間性をみる
宗教――僕の宗教観はあるがまま
インタビューを終えて

第四章 大塚宣夫(青梅慶友病院理事長)
大往生・終いの住処としての施設
自分の死――死はいつもすぐ隣りにある
親の看取り――親をみるために病院を建てた
患者さんの看取り――家族も医療者も後悔しない看取り
医師になった理由――一族のなかに医師をひとり
高齢者医療に向かっていった理由――長生きした罰・人間収容所にショック
老人病院の建設――家族も癒される施設
印象に残った死――厳かな死
家族へのアドバイス――設備、技術、知識、システムの揃った施設の活用
宗教――人は一度しか死なない
インタビューを終えて

第五章 新福尚武(元東京慈恵会医科大学精神医学科教授)
大正・昭和・平成の時代を生きて
年齢とともに死生観が変わってきた
不可知なるものの存在
宗教と精神医学の一体化
二一世紀の精神医学の目指すもの
活発に生きるヒント
挨拶をして穏やかに死を迎える
インタビューを終えて

あとがき


【書評】
斉藤弘子 20060625 「語り考える人生の最期/『老いと死を生きる――老人病院医師へのインタビュー』」『北海道新聞』(2006年6月25日)
 http://www5.hokkaido-np.co.jp/books/20060625/1.html

■『老いと死を生きる――老人病院医師へのインタビュー』(新福尚武監修 老人病院情報センター 二一○○円)
<略歴>しんふく・なおたけ 1914年生まれ。精神医学者。著書に「さわやかに老いる知恵」など。

語り考える人生の最期
 誰も避けることができない「老いと死」という事象に、どう向き合っていけばよいのか。親の看(み)取りや迫りくる自らの老いを前にして、これは中高年世代にとって切実な問題である。本書は、そういった命題に対し、高齢者医療の草分けともいえる五人の医師が「自分の死、親の看取り、患者さんの看取り、印象に残った死、家族へのアドバイス」などの問いに答える形で自らの思いを語ったインタビュー集である。
 介護を必要とする高齢者を抱えた家族のために、病院情報を中心にした相談業務と情報提供を行っている「老人病院情報センター」の設立十五周年記念出版であり、同センター代表の川添みどり氏がインタビューを行っている。それゆえ、「自分の親がこの病院に入院したら」という視点でこれまで多数の老人病院を取材してきた川添氏の姿勢が随所に表れている。そのひとつは、「自分の親にしてもらいたくないことを患者さんにしてはならない」という大塚宣夫医師(青梅慶友病院理事長)の言葉への共感であり、川添氏はこの言葉を高齢者医療や介護職の関係者にぜひ伝えたいと強調する。
 高齢者医療の先駆者たちの考え方や生き方をはじめ、現場の移り変わりを知るためにも、また医療・介護の仕事に携わる人にとっても、本書は貴重な資料になる。また、「老いと死」に向き合った多くの高齢者とその家族の姿をみつめてきた医師の言葉には、現場を背景にした生と死の哲学がある。とくに「老年精神医学の父」といわれる監修者・新福尚武氏のメッセージには、「よく老い、老いをよく生きる」ためのヒントが含まれている。ただ、自らの老いや死を受容する過程で、葛藤(かっとう)する高齢者の心、家族と織りなす人間模様なども描き込まれれば、生と死の哲学にもっと深みが出たのではないか。
 家族観や高齢者をとりまく介護・医療事情の変化とともに、いま、「老いと死」はお任せではなく自ら創(つく)る時代になった。本書は、ケアを受ける側にとってもケアを提供する側にとっても、最終ステージの生き方を考えるうえでの指南書になるだろう。
評・斉藤弘子(ノンフィクションライター)


「天本 一九八五年に『老人の専門医療を考える会』は、できました。僕や青梅慶友病院の大塚先生が、病院を建てたのは一九八〇年です。その頃は、悪徳老人病院の告発記事が新聞に掲載されて、老人病院バッシ<35<ングの時代です。我われのやっていることすべてが否定されました。
 お世話料の問題もそうですし、付き添いもつけないでやってるとか、痴呆症の人にリハビリさせているとか。必要な治療としての点滴注射もぜんぶカットされ、仲間の医者からも否定された。我われは現場で医療、ケア、リハビリも必要だと思うからしているんだけど、学問的にも誰も肯定しないし、いろんなことで叩かれた。
 それに憤りを感じた人達が集まってきた。なんとなく集まってというふうにしていたら、そこに青梅慶友病院の大塚宣夫先生がいて僕がいた。老人病院の中でも真剣に取り組んでいる姿を、当時の厚生省の人がみていて、中核になるような人に声をかけたんじゃないでしょうか。
 ある意味では『老人の専門医療を考える会』で、大塚先生と僕がやってきたことが今のような形になってし、組織をつくって良くしていかなきゃいけないという発想でした。そして僕がその会の初代の会長になりました。」(天本 2004:35-36[新福監修 2004:35-36])
 →老い・1980年代

★「――(聞き手は川添みどり) 漆原先生は病院だけではなく、いろいろな施設やシステムをつくって、患者さんの希望する介護体制を支援します、という形をとってらっしゃいますね。先生ご自身は死について、どう考えておられるかうかがいにまいりました。ご自身の死について考えたことはありますか。具体的にどういうふうな死に方をしたいと思っていますか。
漆原 基本的には考えたことはありません。正直いって考えたくないっていうか。(中略)<50<
 治療が必要な状態になって死ぬならば、無理に医療を在宅に持ち込んで死のうとは思わない。在宅での死って突然死に近い状態か、長期の要介護状態の先にある死だけだと思うな。家族の負担もあるし。でも家族には見送ってほしいとは思うけどね。
―― 事故だとか、重篤な病気とかじゃなくて、ある程度人生を全うしたであろうお年寄りの死と、若い人の死とは違いますよね。
漆原 それはまったく違いますね。若い人の場合は普遍的な経過や自然さがないからね。高齢者の死は誰もが早晩避けられないものだと知っ<51<ていて、ある程度は本人も周りも自然に受容してくるものだと思う。死に対する恐怖や不安といったものは確率が高まる分だけ高齢者のほうが強く自覚していて、死に直面するといろんな反応をあらわすんだ。高齢者でも加齢によってだけ死ぬことは少なくて、医学的には病的な状態をへて死ぬと考えていいんだと思うな。人生を全うした先の死だとしても自然で安楽な死って、ほとんどないと思ってるけど、違うかな。」(漆原 2004:50-52[新福監修 2004:50-52]/過括弧内補足は引用者)

「――(聞き手は川添みどり) この頃、胃ろう造設が増えてきました。食べ物が飲み込めず、口からの栄養補給が難しい人に、嚥下訓練をするには非常にいいそうですね。食べられるようになればやめられますから。また、生きたいと願う本人の思いが強ければ、胃ろうの造設も当然の処置だと思います。けれど本人の意思も確かめられない状態で、胃ろうの造設手術をしますと担当医からいわれて、困惑している家族も多いようです。入院するまではいっていた特別養護老人ホームは、胃ろうをすれば再入所が可能だというそうですが、本人は意思表示ができないのに、本人以外の誰かが決めるのは難しいですよね。
漆原 そんな時、決めているのは実際は家族なんだけど、本人以外の<76<家族や介護者が決めていいのかどうかは疑問だよね。医師に、これをしなければ死にますけどどうししますかっていわれると、とりあえずはやってくださいという。それと患者さんや家族と医師の関係には、まだまだ温度差があるよね。患者さん側には医師のすすめる処置を拒否できない雰囲気があるよね。胃ろうをすすめられたさっきのケースのように、その後のケア施設の入所がかかっている場合など、本人や家族のほんとうの気持ち以外の要因で決められることになる。結構多いよ、そういうこと。
――そうなんです。だからこの本をつくったのは、自分の死に方を決めておこうということと、親の死に方に対しての覚悟を決める時に、胃ろうや気管切開などの処置が、どういうことかを知っておこう、そういう想いからです。
漆原 胃ろうだって気管切開だって必要な医療処置の手段段だよ。ただ、どんな状態で、なんの目的で行なうかが問題だと思う。本人が判断できないんなら、やっぱり家族だよね決めるのは。死に直面してい<77<る状態や、回復が望めない状態なのは、担当の医師にはわかっているんだけど、医師によっても捉え方や死が迫っている基準が少しずつ違う。生きている価値観なんだ相当違うからね。今は正解なんてないんだ。医師はそれを決める家族に十分情報提供をして、制約をつけないで考えてもらうのがいいと思う。聞かれれば意見はいうけど、最後の延命的な処置をどこまでするかくらいは、元気のうちに自分のことも家族のことも話し合って、決めておけるようになればいいと思うよ。」(漆原 2004:76-78[新福監修 2004:76-78]/過括弧内補足は引用者)

★「――(聞き手は川添みどり) それが今の老人病院(青梅慶友病院)のはじまりですね。何年のことですか。
大塚 一九八〇年、昭和五五年です。この頃っていうのはね、老人病院花盛りなんですよ。あちこちにたくさんできたけど、行き場のないお年寄りを預かってベッドに縛りつけて点滴する、大量の薬を服ませる。介護といえば、家族が直接雇った付き添いまかせの状態でした。今朝までご飯を食べていたお年寄りが、入院した途端に突然点滴されて、しばらくすると動けなくなって、それで床ずれができて、1ヶ月もすると肺炎を起こして死んじゃう。これがお決まりだったんですよ。
―― 社会問題になりましたよね。<141<
大塚 ある新聞が告発記事を書いたこともあって、それで老人病院=悪徳病院という図式ができてしまいました。だから私が老人病院を建てるといった時は、「お前ねぇ、そんなにしてまでお金儲けがしたいのか」っていわれましたよ。
 だけど、病院を始めてみて、実際にはいってくる人は寝たきりに加えて脱水状態であったり、低栄養状態であったりする。あるいは大声を出すとか、徘徊する、暴力をふるうといった、活発な問題行動を伴う痴呆老人が大部分でした。ところが、対応する方法といえば、我われが知っているのは医療技術だけですから、それを駆使して、なんとかこの人の状態をコントロールしようと思う。そうるすと、落ち着く先は点滴でったり、強い鎮静剤という話になるわけですよ。
 ある時、気がついたら、私は一生懸命やっているのに、よその悪徳病院といわれるところと結果はそんなに違わなかった。これが結構ショックだったんです。ほどなく医療保険の支払い機関から、お前の病院は医<142<療費がかかりすぎて怪しからんと呼びだしを受けたんです。私としては治療でお金を稼ぐためにやっているわけじゃなかったのに。そこで、もうそんなにいわれるなら、点滴もなにもしないで様子をみてやるよとばかりに、ぜんぶやめてしまったんですよ。医師や看護師はやることがないから、患者さんの傍に行って遊んだり、寝ている患者さんを起こしてレクリエーションなんかするでしょ。それまでは入院してだいたい1ヶ月もすると寝たきりになっていたのが、寝たきりにならなくなってきた。痴呆の人なんかも薬を使わなくても結構落ち着いてきた。
 この体験でケアの大切さを知り、今までの医療を中心とした対応が、いかに無力かというよりも、有害かを思い知らされた。
 もうひとつ、病院をはじめて半年くらいで大きな発見をしました。それは、老人病院というのはお年寄り本人というより、家族のための施設だということです。家族が困り果てて連れてくる。病院を選ぶのも、その後お金を払ってくれるのも、病院の評判を外部に伝えてくれるのも<143<家族。となれば家族の要望に、しっかりとこたえる運営にすればいいと考えた。当時の家族の要望は、ずっと入院させてくれること、預けることに後ろめたさを感じなくてもいいような対応をしてくれること、本人に痛い思いや辛い思いをさせるような医療を、しないことだと知ったことです。二、三年してヨーロッパの老人施設をみて、また大ショックを受けた。同じような状態のお年寄りを対象にしながら、対応がまったく違う。寝たきりや点滴をしている人が皆無。私がなんとなく思っていたことを決定的に裏づけた。ともかく、もう全員ベッドから離して起こした方がいい。ケアの大事さ、生活環境を整えるのが大事だっていうのがわかってきた。」(大塚 2004:141-144[新福監修 2004:141-144]/括弧内補足は引用者)
新福監修 2004

「新福 (中略)もうひとつは精神学会が、『老年の精神医学』のシンポジウムを持ったことです。それに大阪大学の金子仁郎教授、横浜私立大学の猪瀬正教授、そして私の三人が演者になった。一九五五年ですが、これが日本の老年精神医学の研究にも、私どもの研究にも大きな弾みになりました。」(新福 2004:194[新福監修 2004:194])

■言及

◆立岩 真也 200802101 「(連載・2)」,『現代思想』
◆立岩 真也 2008 『…』,筑摩書房 文献表


UP:20061225 REV:
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