HOME > BOOK >

『教養としての「死」を考える』

鷲田 清一 20040421 洋泉社,新書y,222p.


このHP経由で購入すると寄付されます

鷲田 清一 20040421 『教養としての「死」を考える』,洋泉社,新書y,222p. ISBN-10: 4896918088 ISBN-13: 978-4896918083 756 [amazon] ※ d01

■内容(「BOOK」データベースより)
ひとはいつ生まれ、いつ死ぬのか?問われるべきはこれだ。親が自分の子だと意識したときに生まれ、その人を知っている人がいなくなったとき死ぬのだ、となぜ単純に考えられないのか。ヒューマニズムを擬装する近代科学、そして「生命科学」や「生命倫理」―。その法学的でミクロな視線に偏った「死」をめぐる論議のなかで、私たちは、大切な「他者」を見失っている!「死」もまた巧みに隠され続ける現代にあって、「生」と「死」のあわいで、「死」もまたコミュニケーションであることを主張し、人間存在の意味を問い続ける哲学者・鷲田清一の達成点を見よ。

■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
鷲田 清一
1949年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、大阪大学大学院文学研究科教授。専門は哲学・倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次
第1章 死が、社会のものではなくなった
第2章 死のおぞましさと現代の社会
第3章 死と「私」の哲学
第4章 死の実相を探る
第5章 人称態という死の区分けは正しいか
終章 死は依然として隠されている

■引用

第4章 死の実相を探る
 「最近、ジャンケレヴィッチの『死とは何か』(青弓社)というインタビューの新装版が出たので、参考になると思って読んでみました。さしたる予断もなく読み始めたのですが、後半になって意外なことが語られていたのでちょっと怖くなってしまいました。安楽死が、あっけないほど簡単に、むしろ肯定的な語り口で述べられていたからです。
 […]
 だから、ヨーロッパのキリスト教圏では生命を操作する技術に厳しく、日本では建て前はいろいろあっても根本はいい加減なものだという思い込みがあったのですが、ジャ<0144<レケレヴィッチを読んで、これはちょっと考え直してみないといけないかなと思いました。私たちはああいう人たちの言葉で自己形成し続けてきたのに、精神とか肉体とか自己といった哲学の基本的なコンテキストについて、とんでもないミスリーディングをしてきたような気がしてしまったのです。ショックを受けて、やや放心状態に陥っているというところです。で、そんなことも念頭に置きながら、死と共同体の問題を基点に考えを進めてみたいと思います。」([144-145])
 cf. Jankelevitch, Vladimir

■言及

◆立岩 真也 2008 『…』,筑摩書房 文献表


UP:20071031 REV:
鷲田 清一  ◇  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
TOP HOME(http://www.arsvi.com)