ガソリンスタンドの仕事をしたとき/学園で強まる社会参加のうねり/上司Fとの出会い、就職して仕事に燃えた頃/P子とのストーカー恋愛の思い出/創価学会に走った私/グループホームに移行した頃/苦役としての仕事観の変貌/ギャラリーカフェとの出会い/退職に至る経緯/石井先生の見方/グループホームの生活/ドナ・ウイリアムスのようにはなれない??/自閉症の老後について/付記
内容(「MARC」データベースより)自閉症者にとっての社会参加、職場体験が、いかに困難と苦痛と矛盾に満ちているかを綴る。社会性、コミュニケーションの乏しい自閉症者が大企業で働くとはどういうことなのか? 88年三一書房刊「自閉症克服の記録」の続編。
■目次◆立岩 真也 2008- 「身体の現代」,『みすず』2008-7(562)より連載 資料この国は「いとしご」で」森口さんが言うように外圧に弱い。ドナ・ウイリアムスが当事者の主張をしたら、本人発言ブームがおきて、あちこちで本人発言のうねりが高まった。外圧があったから、この本を出せるのだが……外圧さまさまか……。外圧がないこの国は変わらない。自分で変る事が出来ない。
M子の所でも述べたが、ドナ・ウイリアムスの本(自閉症だったわたし・新潮社刊)をこの国の療育者が自閉症・アスペルガーの人と関わるのに参考にする。それだけドナは論理的で、抽象的概念に富み、ユーモアもある。だからこの国の療育者は社会化、療育の参考にするのだろう。
さて私や森口さんの本はこの国の療育者が自閉症、アスペルガーの人と関わるのに参考するに足りうる物になるのか?
ドナは抽象性、論理的概念を高めたからこそ、質の高いメッセージを人々に訴えていくことが出来た。それがアングロサクソン文化圏にあるヨーロッパ、アメリカだけではなく、東洋儒教文化圏にある日本の療育者に届くメッセージを作れたのはないかと思う。
日本の自閉症関係者は、当事者から学ぶ姿勢を持つ姿勢も大事だろう。
抽象性があり、論理的思考が出来て、書く事が出来る自閉症者にとってインターネット・メールというデジタルメディアの進歩は画期的な事といえよう。 (pp. 170-171)