著者からのコメント(kinokuniya web store より)
この本は、看護師のための専門書ではありません。専門職であるなしにかかわらず、より多くの方々に、痴呆老人の世界を知っていただきたいという思いからまとめた本です。
一人の人間が、他の人間に起こっていることを理解するとはどういうことでしょうか。他の人々の体験を、自分自身のこれまでの生活体験に引き寄せて考えてみることで、多少は理解できると思います。看護を専門とする私は、病んでいる人々を理解することは、看護の基本であると考えています。ですが、私たちの日常的な体験から想像してみることが不可能だと思える事態に陥っている人々を理解することは、とても難しいのです。痴呆老人や終末期、あるいは精神病を煩っている人々の看護は、そういった困難を伴う看護の代表例です。当事者たちから見えている世界に添ってみないと、彼らの心も体も行動も理解できないし、理解できないと看護はうまくいきません。そういった、一人の看護師としての思いが、まずはこの本を著そうとした理由の一つです。
一般的に、この本の主人公である痴呆老人をめぐっては、痴呆老人自身も、また彼らを介護する人々も、重い荷を背負っていると考えられています。このことは、一面の事実であります。どちらも不本意な事態として捉えている場合が多いからです。そして、人間は、いつも心のどこかで、背負っている荷を降ろしたいと願っていると思います。本書のあとがきに記した、「人は何度でも生まれかわることができる」という、私の敬愛する先生がおっしゃった言葉の意味は、きっと背負っている荷の意味をどのように転換できるか、あるいはどうやって背負っていこうとするのか、ということなのではないかと思います。痴呆ではありませんでしたが、私は、3人の身内を看取ってきました。どれも満足のいくものではありませんでした。澱のような後悔が気持ちの底に溜まっています。どこかで、私も、「看取りにおける悔い」という荷を降ろしたいという気持ちが働いていたと思います。これが、この本を著そうと思ったもう一つの理由です。
本書を著し、痴呆老人たちと向き合えたことによって、今の自分の在りように、ちょっとした安息と希望と勇気が与えられたように思います。そして、もう一度別な生き方を探してみようと思うようになりました。多くの方々に読んでいただければ幸いです。