『医療倫理』
Hope, Tony 2004 Medical Ethics; A Very Short Introduction,
Oxford University Press.
=20070327 児玉聡・赤林朗訳『医療倫理』(一冊でわかるシリーズ),岩波書店,171+21p.
■Hope, Tony 2004 Medical Ethics; A Very Short Introduction,
Oxford University Press.
=20070327 児玉聡・赤林朗訳『医療倫理』(一冊でわかるシリーズ),岩波書店,171+21p. ISBN-10: 4000268910
ISBN-13: 978-4000268912 1575
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■内容紹介
安楽死などの従来の問題に加えて、新たに出現した医療問題を取り上げ、それらを合理的に考える手法をわかりやすく解説。
考え方の筋道を吟味する(クリティカル・シンキング)訓練を行う、医療倫理の簡潔な入門書。
■著者/訳者紹介(「本書奥付」より)
トニー・ホープ
医療倫理学、精神科医。現在オックスフォード大学教授。共著に、Medical Ethics and Law (Churchill
Livingstone) ほか。
児玉聡
1974年生。倫理学。現在、東京大学大学院医学系研究科助手。著書に、『入門・医療倫理T』(共著、勁草書房)、『生命倫理学と功利主義』(共著、ナカ
ニシヤ出版)ほか。
赤林朗
1958年生。医療倫理学。現在、東京大学大学院医学系研究科教授。著書に、『ケースブック医療倫理』(共編著、医学書院)、『入門・医療倫理T』(共
著、勁草書房)ほか。
■目次
謝辞
1 医療倫理学がおもしろいわけ
2 安楽死―優れた医療行為か、殺人か
3 なぜ「統計上の」人々を過小評価すると多くの生命が失われるのか
4 存在していない人々―少なくともいまのところは
5 推論のための道具箱
6 狂気についての矛盾した考え
7 現代の遺伝学と伝統的な守秘義務の限界
8 医学研究は新たな帝国主義か
9 一般診療、貴族院に行く
医療倫理学における合理的アプローチ(児玉聡・赤林朗)
図版一覧
日本の読者のための読書案内(児玉聡・赤林朗)
文献案内
注および参考文献
■引用
「この本では、単一の道徳理論からさまざまな問題に取り組むことはしない。各章で扱われる問題に対して、わたしは特定の立場を支持する議論を行うが、そ
のテーマに最も関連すると思われる論法を用いて議論する。わたしはそれぞれの章で異なる領域―遺伝学、現代生殖技術、資源配分、精神保健、医学研究など―
を扱い、それぞれの領域において一つの問題を取り上げて検討した。……すべての章に共通する一つの観点は、推論と合理性が非常に重要だということである。
医療倫理学は本質的に合理的な学問分野だとわたしは考えている。すなわち、自分が支持する立場に理由を与えること、また理由に基づいて自分の見解を変える
心積もりがなければならないということである。……しかし、理由と根拠が非常に重要であると信じているにもかかわらず、……明快な思考と、高い合理性の基
準だけでは不十分である。われわれは頭だけでなく心も育てなければならない。一貫性と道徳的熱狂は、正しい感受性を伴わず追求されるならば、誤った行為や
判断をもたらすこともありうる。」(: 5-6)
「わたしは自発的積極的安楽死が原則として不正であるという見解を否定する。それは、この議論が論理を転倒させているからである。人を殺すことを不正な
ものとするのは、死ぬことの害悪であり、その逆ではない。道徳的原則に従った結果として苦しむことになる場合、われわれはその道徳的原則を注意深く検討し
て、それをあまりに融通の利かない仕方で用いていないかと問うべきである。自発的積極的安楽死が不正だと主張するとき、われわれがしているのはまさにこれ
である。他人の苦しみの犠牲の上に道徳的純潔性を求めるのは、倒錯している。」(: 31-32)
「医療保険はお金に見合った利益が得られるものである。救助を必要とする人々に対する感情移入から学ぶべきことは、道徳的想像力を広げるということであ
る。困っている人々に対して、命を助けるためにお金を使う心積もりがあるということは、正しい反応である。「統計上の」死を防止するためにも同じように反
応すべきである。なぜなら、そのような死も現実の人々の死であり、まったく同じように後に残されて嘆く友人や家族がいるからである。」(: 52-53)
「医療の実践は、科学と哲学という双子の学問による精緻な検査を受けることにより、たえず改善されるべきである。科学の問いは、「これが最善の治療だと
言えるエビデンス(根拠)は何か。そのエビデンスはどのくらい信頼できるのか。他の治療法についてはエビデンスはないのか」である。哲学が要求するのは、
道徳的選択についての理由である。「この独身の女性が子どもを持つために、生殖補助の技術を用いて手助けすることは正しいのか。この患者の延命のために、
集中治療室の機材を用いてあらゆる試みがなされるべきなのか、あるいはこの患者は、できる限り苦しみのない仕方でなら、死ぬことが許されるべきなのか」。
/誰でも哲学的推論といえば、厳密で、論理的に妥当なものだろうと考える。しかし、哲学一般が―とりわけ倫理学が―非常におもしろいのは、理由を提示した
り、立論を行ったりするさいに、知的な厳密さだけでなく、想像力も要求されるからである。……〔そこには〕想像力の飛躍の可能性―問題全体を新しい照明の
下に置き、われわれの思考を前進させるような、異なるものの見方やおもしろい比較の可能性―が常にあるのだ。」(: 76)
「この分析的なアプローチに代わるものとしては、交渉アプローチがある。多くの場合、臨床医は、分析からではなく、議論から出発するであろう。……臨床
医にとって重要なことは、関係者すべてのニーズや願いや視点を理解することであり、衝突を回避する全員合意の決定を目指して働くことである。……言い換え
ると、このアプローチには、重要な人々の間での交渉が含まれる。……/ある決定に至るために分析を用いる方法と交渉を用いる方法の区別は、絶対的なもので
はない。両方とも分析と議論の組み合わせを必要とする。……本書の大半では、医療倫理を、取るべき正しい行為を推論によって導き出すという問題と見なして
きたと言える。推論の過程は場合によっては複雑であり、それを遂行するための単一の方法はない。異なる問題には異なる道具が必要とされる。とはいえ、この
見方は、医療倫理を本質的に個人主義的な企てと見なしている。何がなすべき正しいことであると思うかを決めるのは個々人である。交渉アプローチは、医療倫
理を―もっと言えば、倫理一般を―本質的に人々との相互作用の過程と見なす。」(146-147)
*作成:安部 彰