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『コレージュ・ド・フランス講義 1978-1979年度 生政治の誕生――ミシェル・フーコー講義集成[』

Foucault,Michel 2004 Cours au College de France. 1978-1979 Naissance de la biopolitique,Seuil/Gallimard
=20080825 慎改 康之 訳 筑摩書房 421p.


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Foucault,Michel 2004 Cours au College de France. 1978-1979 Naissance de la biopolitique,Seuil/Gallimard
=20080825 慎改 康之 訳 『コレージュ・ド・フランス講義 1978-1979年度 生政治の誕生――ミシェル・フーコー講義集成[』,筑摩書房 421p. ISBN-10: 4480790489 ISBN-13: 978-4480790484 \5775 [amazon][kinokuniya] s03

■目次

緒言

1979年1月10日
方法の問題――普遍概念は存在しないと想定すること――前年度講義の要約。国家理性にもとづく統治の制限された目標(外交政策)と、内政国家の無制限の目標(国内行政)――国家理性の外的制限の原理としての法権利――本年度の講義の展望。統治理性の内的制限の原理としての政治経済学――この研究全体に賭けられているもの。一連の実践と真理の体制との連結、そしてそうした連結による現実への組み入れの諸効果――自由主義とは何か

1979年1月17日
自由主義と18世紀における新たな統治術の活用――自由主義的統治術の種別的特徴。(1)もはや単に法陳述の領域としてではなく真理形成の場所として市場が構成されるということ――方法の問題。狂気、刑罰制度、セクシュアリティをめぐって企図された探求に賭けられていたもの。「真理陳述の体制」の歴史の素描――知の政治的批判はどのようなものであるべきか――(2)公権力の行使の制限に関する問題。フランスの法的ラディカリズムとイギリスの功利主義という二つのタイプの解決法――「有用性」の問題と公権力の行使の制限――歴史における異質なものの地位に関する注記。弁証法的論理に対する戦略の論理――新たな統治術の操作子としての「利害関心」の観念

1979年1月24日
自由主義的統治術の種別的特徴(U)。(3)ヨーロッパの均衡と国際関係の問題――重商主義における経済的かつ政治的な計算。重農主義者とアダム・スミスによる市場の自由の原理。新たなヨーロッパ的モデルの誕生――世界的規模に拡張された統治の合理性の出現。例として、海洋法の問題、18世紀における永遠平和の企図――新たな自由主義的統治術の原理。「統治の自然主義」。自由の生産――自由の仲裁の問題。その道具。(1)危険の運営と安全メカニズムの活用。(2)規律的管理(ベンサムのパノプティズム)。(3)介入主義政策――自由の運営とその危機

1979年1月31日
国家嫌悪――方法の問題。権力のメカニズムの分析において、国家理論を括弧に入れることの意味とそこに賭けられているもの――新自由主義の統治実践。1948−1962年のドイツ自由主義。アメリカ新自由主義――ドイツ新自由主義(T)――その政治的かつ経済的な背景――エアハルトによって1947年に開かれた学術審議会。そのプログラム。価格の自由化と統治による介入の制限――1948年にエアハルトによって規定された、無政府状態と「シロアリ国家」との中間の道――その二重の意味。(a)国家の政治的代表性の条件としての経済的自由の尊重。(b)政治的主権形成の糸口としての経済的自由の制度化――現代ドイツの統治性の根本的特徴。法的正当性と政治的コンセンサスとの源泉としての経済的自由――経済成長。過去との断絶を可能にする新たな歴史意識の軸――キリスト教民主同盟とドイツ社会民主党との自由主義政策への賛同――自由主義的統治の諸原則と、社会主義的統治の合理性の不在

1979年2月7日
ドイツ新自由主義(U)――ドイツ新自由主義の問題。経済的自由はどのようにして国家を基礎づけると同時に制限することができるのか――新自由主義の理論家たち。W・オイケン、F・ベーム、A・ミュラー=アルマック、F・フォン・ハイエク――マックス・ヴェーバーと、資本主義の非合理的合理性の問題。フランクフルト学派およびフライブルク学派の回答――新自由主義的目標を定義するために必要な敵対領野としてのナチズム――19世紀以来のドイツにおける自由主義的政策に対する障害物。(a)リストによる保護主義経済、(b)ビスマルクの国家社会主義、(c)第一次世界大戦中の計画経済の実施、(d)ケインズ式の統制経済、(e)国民社会主義に対する新自由主義的批判――ドイツ史のさまざまな要素を出発点とした、国民社会主義に対する新自由主義的批判――理論的諸帰結。そのような批判のニュー・ディールとベヴァリッジ計画への拡張。統制経済と国家権力の拡大、大衆化と画一化。国家主義の諸帰結――新自由主義に賭けられているもの。古典的自由主義に対するその新しさ。純粋競争の理論

1979年2月14日
ドイツ新自由主義(V)――現在との関係にける歴史的分析の有用性――新自由主義はいかなる点において古典的自由主義と区別されるのか――新自由主義に種別的なやり方で賭けられているもの。政治権力の包括的行使を市場経済の原理およびそこから生じる変容にもとづいて規則づけるにはどのようにすればよいか――市場経済と自由放任政策との連結解除――ウォルター・リップマン・シンポジウム(1938年8月26日-30日)――統治行動のスタイルの問題。三つの例。(a)独占の問題。(b)「適合的行動」の問題。W・オイケンによる経済政策の基礎。調整的行動と秩序創設的行動。(c)社会政策。厚生経済学に対するオルド自由主義の批判――統治による介入の適用地点としての社会。「社会本位政策」――「社会本位政策」の第一の側面。企業モデルにもとづく社会の形式化――企業社会と司法社会。同一の現象の両面

1979年2月21日
オルド自由主義者たちによる「社会本位政策」の第二の側面。競争市場経済のモデルに従って調整された社会における法権利の問題――ウォルター・リップマン・シンポジウムについての再検討――ルイ・ルジェのテクストから出発した考察――(1)法的かつ経済的秩序という考え。経済プロセスと制度的枠組みとのあいだの諸関係の相互性――政治的に賭けられているもの。資本主義を生き延びさせるという問題――二つの相補的問題。競争の理論と、資本主義の歴史的かつ社会学的分析――(2)法的介入主義の問題――歴史の喚起。専制主義および内政国家に対するものとしての18世紀の法治国家。19世紀における法治国家の観念の再度の練り上げ、市民と公権力とのあいだの仲裁の問題。行政裁判所の問題――新自由主義的企図。法治国家の諸原則を経済秩序のなかに導入すること――法治国家と、ハイエクによる計画化の定義――(3)裁判請求の増大――一般的結論。ドイツにおける新自由主義的統治術の種別性。シュンペーターのペシミズムに対するオルド自由主義

1979年3月7日
一般的な指摘。(1)ミクロ権力分析の方法論的射程。(2)国家嫌悪のインフレ傾向。オルド自由主義批判とのつながり――全体主義国家および20世紀における国家統治性の衰退に関する二つのテーゼ――フランスとアメリカへのドイツ的モデルの伝播に関するいくつかの指摘――ドイツの新自由主義モデルと、フランスの「社会的市場経済」の企図――フランスにおける新自由主義経済への移行の背景――フランスの社会政策。社会保障の例――ジスカール・デスタンによる経済的なものと社会的なものの分離――「負の所得税」の企図と、それに対して社会的かつ政治的に賭けられているもの。「相対的」貧困と「絶対的」貧困。完全雇用政策の放棄

1979年3月14日
アメリカ新自由主義。その背景――アメリカ新自由主義とヨーロッパ新自由主義との差異――包括的要求、ユートピア的中心、思考法としての、アメリカ新自由主義――アメリカ新自由主義の諸側面。(1)人的資本理論。それによって表される二つのプロセス。(a)経済に固有の領域内部における経済学的分析の前進。時間というファクターにもとづく古典的な労働分析に対する批判。(b)それまで経済的ならざるものとみなされてきた諸領域への経済学的分析の拡張――新自由主義的分析によって生じた認識論上の変異。経済プロセスの分析から、人間の行動様式の内的合理性の分析へ――経済的行いとしての労働――労働の、能力資本と所得への分解――自分自身の企業家としてのホモ・エコノミクスの再定義――「人的資本」という観念。その構成要素。(a)先天的諸要素と、遺伝的人的資本改良の問題。(b)後天的諸要素と、人的資本育成の問題(教育、健康など)――こうした諸分析の意義。社会的かつ経済的革新の問題(シュンペーター)のとり上げ直し。経済成長政策についての新たな考え方

1979年3月21日
アメリカ新自由主義(U)――経済学的格子の社会現象への適用――オルド自由主義的問題系の再検討。社会本位政策の多義性。社会的領野のなかへの「企業」形式の一般化。経済政策と生の政策。市場のためでもあると同時に市場に対抗するような社会――アメリカ新自由主義における市場経済形式の無制限の一般化。個人の行動様式の理解可能性の原理、統治の介入に対する批判原理――アメリカ新自由主義の諸側面。(2)非行性と刑罰政策――歴史の喚起。18世紀末の刑法改革の問題。経済学的計算と適法性の原則。19世紀における法へのノルムの寄生と、犯罪人間学の誕生――新自由主義的分析。(1)犯罪の定義。(2)ホモ・エコノミクスとしての犯罪主体の特徴づけ。(3)法律の「エンフォースメント」の道具としての刑罰の地位。麻薬市場の例――この分析の諸帰結。(a)犯罪者の人間学的意味の抹消。(b)規律モデルの失効

1979年3月28日
ホモ・エコノミクスのモデル――アメリカ新自由主義いおける、このモデルのあらゆる形態の行動様式への一般化――経済学的分析と、行動様式にかかわる諸技術――18世紀に現れた新たな統治理性の基盤をなす要素としてのホモ・エコノミクス――ワルラスとパレート以前のホモ・エコノミクスという観念の歴史についての概観――イギリス経験論哲学(ヒューム)における利害関心の主体――利害関心の主体と法権利の主体との異質性。(1)法的意志に対する利害関心の還元不可能性。(2)市場と契約の逆の論理――法的モデルとの関係における第二の革新。経済主体の政治権力に対する関係。コンドルセ。アダム・スミスの「見えざる手」。個人的利益の探求と集団的冨の増大とのつながりの不可視性。経済世界の全体化不可能性。主権者の必然的無知――統治理性批判としての政治経済学。重商主義と重農主義という二つの形態における経済的主権者の可能性の剥奪――政治経済学。統治術に対する側面的科学としての

1979年4月4日
ホモ・エコノミクスという観念の歴史の構成要素――経済活動による主権権力の制限という問題の再検討――自由主義的統治術に相関的な新たな領野としての、市民社会の出現――ホモ・エコノミクスと市民社会。互いに分離不可能な自由主義的統治テクノロジーの構成要素――「市民社会」という観念の分析。ロックからファーガソンに至るまでのその変化。ファーガソンの『市民社会史』(1787年)。ファーガソンによる市民社会の四つの本質的特徴。(1)市民社会は歴史的かつ自然的な不変項である。(2)市民社会は個々人のあいだの自然発生的総合を保証する。(3)市民社会は政治権力の恒久的な母型である。(4)市民社会は歴史の原動力を構成する――政治思想の新たなシステムの出現――理論的帰結。(a)国家と社会のあいだの諸関係に関する問題。ドイツ的、イギリス的、フランス的問題系。(b)権力の行使を規則づけること。君主の賢明さから非統治者たちの合理的計算へ――結論

講義要旨
講義の位置づけ
解説
索引


*作成:石田 智恵 更新:
UP:20080905
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