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『知の教科書 ニーチェ』

清水 真木 20030910 講談社,238p.


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■清水 真木 20030910 『知の教科書 ニーチェ』,講談社,238p. ISBN-10: 4062582791 ISBN-13: 978-4062582797 \1575 [amazon][kinokuniya]  w/nf01 

■内容(「BOOK」データベースより)
誤解され続けてきた哲学者ニーチェ。病気に苦しむ哲学者の健康法とは、発狂後に描かれたただ一枚のスケッチが告げるものとは、思想誕生の秘密とは―喜劇的で少し哀しい生涯を辿りながら、そのラディカルな思想の全貌を明らかにする。

■目次

プロローグ 新しき海へ

ニーチェの生涯と思想
 哲学者ニーチェ/ニーチェはドイツ人か/牧師の息子ニーチェ/文献学者ニーチェ/ヴァーグナー主義者ニーチェ/狂人ニーチェ/病人ニーチェ?/漂白の生活へ/健康な人間としてのニーチェ/メロドラマ的小休止/再出発/ニーチェ最後の日々

ニーチェのキーワード
 1.教養俗物
 2.自由なる精神
 3.実験哲学/危険な生活を送ること
 4.ソクラテス主義
 5.レーアリスムス
 6.悲劇的認識
 7.善良と邪悪、優良と劣悪
 8.強者/弱者
 9.ニヒリズム
 10.超人
 11.永劫回帰
 12.権力への意志
 13.遠近法/位階秩序
 14.神は死んだ
 15.ディオニュソス的なもの
 16.ペシミズム

三次元で読むニーチェ
 1.ただ一度だけ
 2.パラグアイからの手紙
 3.ニーチェの苦手科目
 4.ニーチェ百景
 5.ニーチェの一日
 6.アリアドネと二つの三角形
 7.ニーチェと「隠れた性質」
 8.熱力学、進化論、文献学
 9.存在しない著作
 10.ギリシアのキリスト
 11.敵たちよ、敵などいないのだ

著作解題
 1.『悲劇の誕生』(1872年)
 2.『反時代的考察』(1873〜1876年)
 3.『人間的な、あまりに人間的な』(1878年)
 4.『曙光』(1881年)
 5.『悦ばしき知識』(1882年)
 6.『ツァラトゥストラはこう語った』(1883〜1885年)
 7.七つの序文(1886〜1887年)
 8.『善悪の彼岸』(1886年)
 9.『道徳の系譜学』(1887年)
 10.『ヴァーグナーの場合』(1888年)
 11.『偶像の黄昏』(1889年)
 12.『反キリスト者』(1895年)
 13.『ニーチェ対ヴァーグナー』(1895年)
 14.『この人を見よ』

エピローグ 新しき海から

知の道具箱
 ブックガイド
 ニーチェの軌跡

■引用

「 ところで、ニーチェとは何者かという問に答えるのに、ニーチェの病気を手がかりとすることはできないでしょうか。
 プロローグで紹介したように、ニーチェの思想の核心には、病気と健康という対をなす二つの概念が潜んでいます。そして、実際に、晩年のニーチェは、病気と健康の問題に繰り返し言及します。この言及が信頼すべき真面目なものであるとするならば、ニーチェの思想のオリジナリティは、ニーチェ自身の健康状態と対応していると考えることが可能です。病気と健康という対概念は、ニーチェ哲学誕生の場所なのであり、自らの健康状態についてニーチェが何を知り、これに対していかなる態度を取ったのかということが明らかになるなら、ニーチェの思想の核心もまた解明される、このようなことを期待してよさそうです。
 ニーチェは、病気とは何か、健康とは何か、そして両者を隔てるものは何か、このような問題に重要ない位置を与えます。もっとも、それは当然のことでした。ニーチェは、このような問題に否応なく向き合わざるをえない立場に置かれていたからです。ニーチェは、その人生の少くとも半分は、紛れもない病人だったのです。」(p.39)

「 ところが、傷病兵の看護に携わるうちに、反対に、看護しているニーチェの方が赤痢とジフテリアに同時に感染し、傷病兵とともに病院に収容されてしまいます。[……]8月22日にエルランゲンを発ってからわずか13日、ニーチェにとっての普仏戦争は呆気なく終わります。しかし、このとき患った病気により、ニーチェは半年以上に及ぶ療養を余儀なくされます。しかも、長期の療養にも拘らず、体調は完全には恢復することなく、反対に、この病気をきっかけにして、ニーチェの健康状態は、その後少くとも10年間にわたり悪化の一途を辿ります。」(p.41)

「 当時のニーチェを苦しめていたのは、胃を中心とする消化器の機能不全、これに伴う吐き気、激しい頭痛、眼球の痙攣、神経系統の異常、不眠などであったようです。しかし、もちろん、これらの症状の背後にあったのが赤痢とジフテリアの後遺症であるのか、あるいは別の病気であるのか、それについては何もわかっていません。
 ところで、このころまでに、ニーチェは、自分の健康状態の注意深い観察から、病気の意味について、一つの洞察を導き出していたようです。
 健康なとき、私たちは、自分の健康を維持し促進するのに、一見不可解な原則にもとづいて身体を扱っていることにニーチェは注意を促します。私たちは、身体に負荷をかけないように、あるいは身体を傷つけないように、つまり、健康を損ねないように注意を払うことによって健康を維持するのではありません。反対に、健康であり続けるためには、身体に負荷をかけ、体力を一時的に低下させることが必要であると私たちは考えています。例えば、スポーツは、それ自体としては身体にとって有害でありながら、しかも、健康な人間にとり、健康を促進するための刺戟となります。自ら進んで進退に負荷をかけることにより、そのような負荷に耐えられる自分の健康を確認し、それによって満足を感じることができます。これは、スポーツに携わる一つの動機であるに違いありません。健康な人>0042>間に特徴を与えるのは、身体にかけられる負荷を悦ばしい刺戟として引き受けることができるばかりではなく、身体に自ら進んで負荷をかけることによって健康を確認し満足を得ようとする意欲に他ならないことになります。
 ところが、病気に罹ると、私たちは、自分の身体を、健康なときとは反対の配慮にもとづいて扱います。同じ動作をすること、同じ刺戟を受け止めることが一層多くの体力を必要とするように感じられたり、五感に対する刺戟が鋭く突き刺さってくるように思われたりします。身体に少しでも負荷をかけるような行動、例えば外出やスポーツは、体調をさらに悪化させる危険のあるものと見做されるようになります。身体に負荷をかけるものはすべて悪しきものとして遮断したいという欲求が生れます。健康なときには自ら進んで引き受けてきた負荷に身体が耐えられなくなっているからです。病人とは、自分の身体に負荷がかけられることを避け、身体を休息させ保護しようとする人間のことである。これが、病気をめぐるニーチェの洞察です。
 病気になると、私たちは、自分の体調に注意を集中しながら、大人しく恢復を待たねばなりません。安静にしたり、薬を飲んだりしながら待っていると、やがて徐々に恢復が始まります。私たちは、自分の周囲にも再び少しずつ注意と関心とを向けることができるようになります。自分が今や苦痛に耐えて恢復を待つ段階にあること、一歩ずつ健康に近づきつつあることを確認し、幸福を感じる余裕も生れます。再び自分自身や周囲の物事を眺めるとき、これらが新鮮に魅力的に見えるようになります。>0043>
 たしかに、この段階では、健康状態はいまだ不安定です。ときにはぶり返しを経験しなければならないかもしれません。しかし、そのようなぶり返しすら、余裕をもって一つの幸福と感じられるような段階が恢復期にはあります。そして、この段階を経て初めて、身体に負荷をかけることを喜びとして感じられるような健康を取り戻すにいたるのです。」(pp.42-44)

「ニーチェは、自らが病人の対極にある存在、すなわち健康な人間であると強く言い張ります。さらに正確に言うなら、ニーチェは自らを病人としての側面を持つ健康な人間と規定します。」(p.47)

■書評・紹介

■言及



*作成:石田 智恵
UP:20080929 REV:
Nietzsche,Freidlich[フリードリッヒ・ニーチェ]  ◇身体×世界:関連書籍 2000-2004  ◇BOOK
 
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