『フーコーの穴――統計学と統治の現在』
重田 園江 20030915 木鐸社,281p.
last update:20100712
■重田 園江 20030915 『フーコーの穴――統計学と統治の現在』,木鐸社.281p. ISBN-10: 4833223376 ISBN-13: 978-4833223379 4891 [amazon]
■著者(訳書奥付より)
重田園江[オモダソノエ]
1968年、兵庫県西宮市生。東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学。現在、明治大学政治経済学部助教授。専攻、政治・社会思想。訳書、イアン・ハッキング『偶然を飼いならす』(共訳)木鐸社、1999年。
■内容
(「MARC」データベースより)
世界を見、世界に対して働きかける時、常に参照されている我々の認識と行為を規定する枠組みは、「フーコーの穴」からのぞくとどのように見えるのか。フー
コー論にしたがって現実社会の様々な出来事を切り取り考察する。
■目次
第一章 フーコーの穴――方法論的序説
第一部
第二章 社会の統計学的一体性――エミール・デュルケム論
はじめに
1.統計学との関係
(1)犯罪学イタリア学派との比較
(2)ケトレとの比較
(3)ドイツ統計学との比較
2.医学・生理学との関係
(1)規範normeの語とデュルケイムによるその使用
(2)コント、ベナールにおける正常と病理
(3)デュルケイムによる統計学と生理学の社会学における統合
おわりに
第三章 断片化される社会―――ポスト福祉国家と保険
はじめに
1.社会的リスク
2.社会に固有のリアリティ
3.多様化した社会における連帯
4.社会保険制度の理念
5.ゴルトンと多様性の統計学
6.リスクを細分化する社会
7.リベラルな保険制度における「個人」
おわりに
第四章 健康包囲網――高血圧の定義に見る統計
はじめに
1.病気とは何か 対立する二つの考え
(1)単一原因説
(病原菌節)
(ビタミン欠乏節)
(単一原因で起こるのか)
(2)ベナールの学説
(正常と病理の量的連続性)
(反―統計学)
2.病気を統計的に定義する
(1)高血圧は病気か
(高血圧の発見)
(高血圧は人工物である)
(単一遺伝子)
(2)決定論と統計的思考法
(メンデル派の遺伝子理論)
(生物測定学)
(相関と因果)
(どこからが高血圧か)
(3)予防医学のストラテジー
(健康には限度がない)
(健康日本21)
おわりに
第二部
第五章 正しく測るとはどういうことか―――知能多元論の起源と現在
1.何が「測りまちがい」なのか
2.グールドの批判
3.世紀末の思想風土
4.ビネにとっての「知的能力」とは?
(1)正常と異常の実験心理学
(2)正常なものとは平均的なものである
(3)自由意思 対 決定論
5.現代における「測ること」と教育
(1)知能テストの考案
(2)知能テストはどんな能力を測るのか
(3)教育はどうあるべきか
6.ビネのアクチュアリティ
(1)精神遅滞の診断―アメリカ精神遅滞学会
(2)教育改革の動向
おわりに
第六章 正しく測るとはどういうことか? 再論
はじめに
1.福祉国家型の管理法(1)治療と教育
2.福祉国家型の管理法(2)匿名化と平準化
3.分断と排除
4.行動の断片化
5.多様性と尺度の非一元化
おわりに
第七章 プロファイリングの現在―――断片化される「人間」
はじめに
1.プロファイリングのはじまり
2.「FBI心理分析官」
3.FBIの方法
4.「演繹的」プロファイリング
5.統計的プロファイリング (1)心理地図
6.統計的プロファイリング (2)ファセット理論
おわりに
第八章 GIS―――空間を掌握する
はじめに
1.個人のアイデンティティから空間内の配置へ
2.GISの背景地図
3.住所照合システム
4.捜査支援システム「C‐PAT」
5.地理プロファイリング
6.居住地推定モデル (1)円仮説
7.居住地推定モデル (2)地理的重心モデル
8.居住地推定モデル (3)CGT
おわりに
第九章 未来予想図
あとがき
索引
■引用
かつてマイケル・イグナティエフは、〔『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』において〕「福祉国家は、連帯を求めるニード needを制度化しながらも、それと同時に、資力のある者とそれを必要としているものとをお互いに見知らぬ他人のままにさせておく」[Ignatieff1984:17=1999:27]と書いた。国家規模の社会保障制度を通じて、持てる者は持たざる者と「連帯」してるはずだと分かっていても、直接のつながりを欠いた強制的な制度化が、連帯の感覚を失わせるというのである。彼は、本来ニーズを満たし合うためのシステムが、実際には他者のニーズへの想像力を欠如させてしまうことを嘆いた。だが、少なくとも福祉国家においては、個人を強制的に社会へと迎え入れることで、「相互扶助」と「連帯」の理念を通じた社会統合が試みられてきた。これに対して、これから到来するであろう「自由な」社会においては、他者のニーズへの想像力はもはや必要とはされない。個人は自分のニーズを知り、それに順位をつけ、どの程度それらを満たせるかを資力や能力との間で勘案しながら、自己責任の名において人生を設計すればよいのである。……だが、従来の福祉国家とも、自分の人生を管理することを強いられる「自由な」社会とも異なる、別の関係を見出す道も残されている。巨大な福祉国家システムか、自助努力や自己責任の社会かの二者択一である必然性はない。多様化・複雑化した社会にふさわしい別の連帯、別の支え合いを構想することも、可能性としてありうるのだ。(: 83-84)
*作成:安部彰 更新:三野 宏治