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『正義・家族・法の構造変換――リベラル・フェミニズムの再定位』

野崎 綾子 20030825 勁草書房,274p.


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■野崎 綾子 20030825 『正義・家族・法の構造転換――リベラル・フェミニズムの再定位』,勁草書房,274p. ISBN-10: 4326652845 ISBN-13: 9784326652846 4000 [amazon] ※ f03/l03


■目次
編者序言
第1部
T リベラルフェミニズムの再定位――家族論を中心に―― 3
  序 3
 第一章 リベラル・フェミニズムの再定位 14
  第1節 複数のフェミニズムからのリベラル・フェミニズム批判 15
  第2節 フェミニズムのアポリア 20
  第3節 リベラル・フェミニズムの基本的理念 31
U 正義論における家族の一――リベラル・フェミニズムの再定位に向けて―― 52
  序 52
 第一章 公私二言論再考――正義論の主題としての家族―― 56
  第1節 第二派フェミニズムによる近代公私二言論批判 57
  第2節 公私区分の再定位 61
 第二章 性別役割分業の解消と正義の領域 76
  第1節 正義と性別役割分業 77
  第2節 正義の諸領域 93
 第三章 家族への契約アプローチ 107
  第1節 家族関係の法的考え方――ミノウとシャンリーの見解の検討―― 108
  第2節 契約アプローチ再考 119
 おわりに――リベラル・フェミニズムの再定位に向けて―― 142
第2部
V 「親密圏」と正義感覚 155
 1 問題の所在 155
 2 正義の理念と家族 157
 3 対外的レレヴァンスと対内的レレヴァンス 161
 4 家族と正義感覚 167
 5 おわりに 173
W 日本型「司法積極主義」と現状中立性――逸失利益の男女間格差の問題を素材として―― 176
 1 はじめに 176
 2 交通事故紛争の解決と裁判所 177
 3 未就労者の逸失利益の算定における男女間格差の問題 180
 4 現状中立性(status quo neutrality) 184
 5 あり得べき正当化 191
 6 結論 201
第3部 
 1 フェミニズムとリベラリズムの革新……川崎 修 211
 2 〈「親密圏」と正義感覚〉について……斉藤 純一 220
 3 経験、多様性、そして法……ダニエル・H・フット 227

解説 野崎綾子――人と作品――……井上 達夫 239

あとがき 256
初出一覧
参考文献
索引


■引用 「本稿は、国家・社会・家庭といった諸領域を支配する原理を構造的・横断的に考察する政治哲学/法哲学として、フェミニズムを再定位することを試みるものである。」(3)

「そもそも、なぜ、フェミニズムを真剣に考える必要があるのか。一九七五年に始まる国連の世界女性会議の開催、一九七九年の国連のいわゆる「女性差別撤廃条約」採択、一九七五年の「ナイロビ将来戦略」採択以降の家事労働などのアンペイドワーク評価の試みの推進などに見られるように、女性差別の撤廃は、国際的な課題となっている。これを受けて、我が国でも一九八九年の男女雇用機会均等法の制定、一九九六年の「男女共同参画二〇〇〇年プラン」の策定、一九九七年の改正均等法の制定(一九九九年四月施行)、および一九九九年の男女共同参画社会基本法の制定など、性差別是正<4<に向けた取り組みがなされてきている。かかる国際的な流れを方向付けてきたのは、従来「自然(natural)」で「前政治的(propolitical)」な領域とされてきた家族の内部における性別役割分業などに、鋭い批判を向けてきたフェミニズムの知見によるところが大きいように思われる。」(pp.4-5)

「かかる原点の忘却は、フェミニズムの政治的実践・制度設計からの後退という問題(ラディカル・フェミニズムに典型的に見られる)、制度設計にあたり、国家は何をなしうるのかという国家と社会・個人の関係についての問題意識の希薄さにつながっているように思われる。この二点は、社会学を中心とする日本のフェミニズム研究の孕む根源的な問題点であると考える。」(p.11)

「本稿は冒頭にも述べたとおり、国家・家族・家庭といった諸領域を構造的・横断的に考察する政治哲学/法哲学としてのフェミニズムを志向するものではあるが、その検討の中心は、家族論に置きたいと思う。家族の問題は、フェミニズムがそれまでの政治哲学に対して画期的な<13<批判を行った問題であり、かつ現代のリベラリズムにおいて、十分な検討が為されてこなかった問題だからである。フェミニストによれば、家族の問題をリベラリズムが取り上げてこなかったのは、リベラリズムは主要な原理として公私区分を含むところ、家族は政治にとってイレレヴァントである私的領域に属するからであるとされる。」(pp.13-14)

「このようなフェミニストによる家族の「自然」性についての批判は、「個人的なことは政治的である」(The personal is political)という標語によって表されている。「個人的」なものであるとされてきた家族内<42<権力関係(=政治)がその他の領域における性差別の原因となってきたことを批判し、家族<42<内のことがらを「個人的なこと」であるとして、政治的決定のアジェンダから、アプリオリに外すべきではないという意味では、「個人的なことは政治的なことである」という批判は妥当する(これを「個人的なことは政治的なことである」の「弱い解釈」という)。しかしながら、これを超えて、「個人的なこと」をすべて政治決定のアジェンダに載せてよい(=狭義の「政治」の対象としてよい)という意味に、この標語を解釈するべきではない(これを「強い解釈」という)。〔中略〕先に見たように、リベラリズムとは、公私を区分し、公共的な決定は正義に基づく理由に基づいて正当化されなければならないという考え方である。かかる公私の区分及び正義の基底性の理念は、個々人を多様な善の特殊構想を追及する道徳的な存在として尊重することを可能とするためのものである。いいかえれば、公共的に強行し得る価値を限定することによって、個々人の「私」的決定に委ねる事柄を残しておくということである。このような私的領域を残すことによって、自由な社会が保たれるのである。」(pp.42-43)

・セイラ・ベンハビブ/「私的なものを公的なものに転換する二つの様態。」(p.43)

・オーキン/「公私区分」「国家と市民社会」「非家庭と家庭」(p.56)
→ 「家族関係における家事・育児等の無償労働が、男女間で不均衡に分配されることの影響が、公的領域にも波及して、女性の不利益な取扱いを生み、それがまた私的領域に影響を及ぼすという悪循環の構造になっている。女性は家庭内で無償労働の負担を負うがゆえに、しばしば低賃金のパートタイム労働を選択せざるをえず、経済的に夫に依存することになる。そのため妻は、離婚の際に経済的に極めて不安定な地位におかれることになる。ジェンダーの平等の観点からは、家庭内の性別役割分業を、手付かずのままとすることはできないといえる。」

・フランシス・オルセン/「家族は法によって構成されている。家族の構成、家族員の権利義務関係などは、民法などの法律によって定められており、家族の形成及び維持が全くの自然に行われることや国家の無関与は観念できない。」

・ウィル・キムリッカ/「非家庭/家庭の区分という意味での公私二元論は、リベラルな公私区分とは異なるものであると主張。二つの公私区分。」

「「個人的」な問題について、社会構造に部分的な責任があるということを認識するには、「個人的」な問題の徴候を、社会問題の一部と同定することが必要だという議論は、有効である。しかしながら、この「政治」の意義を、狭義に捉え、政治とは、公共の場に属するもので、「集合的な決定を行い、実行することにより社会を支配すること」と捉えた場合、従来私的領域に属するとされてきた事柄すべてが、集合的決定の対象となってしまうことになる。このように、すべてを集合的決定の対象とすることは、すべてを公的な精査の対象とすることになる」(p.66)。「不関与と不介入の区別」が必要である(p.67)。

・アレント(p.96)/アレントの「政治的」「私的」「社会的」の三区分に対するホーニッグの批判
→ 「オーキンが指摘するように、女性の不利益な地位が、私的領域から社会の領域、政治の領域への私的領域内での不平等の影響が及び、さらにこれが私的領域に再び悪影響をおよぼすという循環的プロセスによるものであることに鑑みれば、彼女の公私区分をとるとはいっても、ホーニッグのいうように、その区分はアプリオリに定まるものではなく、政治を通じて問い直され、修正される可能性を内包しているのである。」

■書評・紹介

■言及


*作成:高橋 慎一
UP: 20080526 REV:20081104
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