『誰も書かなかった日本医師会』
水野 肇 20030828 『誰も書かなかった日本医師会』,草思社,223p.
■水野 肇 20030828 『誰も書かなかった日本医師会』,草思社,223p. 1700+税 ISBN-10: 4794212372 ISBN-13: 978-4794212375
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cf. 松岡正剛の千夜千冊『誰も書かなかった日本医師会』水野肇
〈目次〉
プロローグ 日本医師会の五〇年
一目置かれる圧力団体「日本医師会」
小選挙区で発揮される医師会の力
一貫して反厚生省の姿勢
会長一人とその他大勢の組織
武見太郎の強烈なリーダーシップ
第1章 戦後医療行政のはじまり――武見太郎時代の幕開けへ
吉田内閣誕生の舞台裏
武見を支えた牧野・吉田の政治人脈
武見の説得で和田博雄が農相に
吉田茂にかわいがられた和田
戦前から旧態依然の医学界
武見、日本医師会副会長に就任
医薬分業をめぐるGHQとの衝突
残された薬価差益の問題
池田蔵相のひとことで決まった医師優遇税制
厚生省が武見の勧告書を改ざん
役人は「夢とロマンと反省のない人種」
医者は"名誉ある自由人"
第2章 反官僚・反自民――武見政権の樹立と安定
戦後の「医療政策空白時代」
満を持しての会長就任
医師の自由を侵す「二重指定制度」
医療国営化への反発
厄介な「甲乙二表問題」
医療のわかる議員をつくろう
戦うことで組織を強くした"ケンカ太郎"
官僚統制の遺物「制限医療」
医者の本音は医療費のアップ
田中角栄政調会長からの白紙委任状
前代未聞の"医師のストライキ"へ
政府と合意するも国民から反感
ストで組織を結束させた?
第3章 欲張り村の村長たち――武見太郎の奮闘
医師優遇税制に不満の声が高まる
二五年続いた優遇税制が撤廃
医師会員の三分の一は"欲張り村の村長"
医療費値上げのシグナル
理論はあっても政策はなかった
役人の風上にも置けぬ厚生官僚たち
武見が厚生省に弄した小細工
医療費を決める中医協のコントロールに腐心
武見の難しさはその発想の複雑さ
第4章 医師優遇税制撤廃――武見時代の終わり
医師会員の関心は医療費と優遇税制
「勉強は分厚い本でするものじゃない」
武見、胃ガンに倒れる
死ぬまで会長をやりたかった武見
人生のすべてを医師会に賭けた
誰もやらない武見医師会長の「総括」
スキャンダル皆無の私生活
掲げつづけた反官僚の旗
首尾一貫していた政府への要求
政策を口にしない医師会代表
医師特有の父権主義
反官僚を医師会の存在理由に
第5章 医療費亡国論――花岡堅而会長時代(1982〜83)
「開かれた医師会」を掲げた花岡
老人医療費問題が浮上
自民党に押しきられた老人保健法
保険局長・吉村の「医療費亡国論」
健康保険問題にメスが入る
第6章 老齢医療の問題――羽田春□会長時代(1984〜91) ※□は刀に兎の下の部分を足した字
キングメーカは東京都医師会
医療費増の問題の本質には触れず
小さな病院はつぶれる?
自分の金を出そうとしない医師たち
末期医療に目を向けた生命倫理懇談会
インフォームド・コンセントが定着
医療問題山積の羽田時代
第7章 「家庭医」構想をめぐって――村瀬敏郎会長時代――(1992〜95)
阪神淡路大震災の被災地を訪問
薬価差益か医師の技術料か
厚生省の「家庭医」構想
あいまいな「かかりつけ医」でいい
第8章 医療のグランドデザインへ――坪井栄孝会長時代(1996〜)
与党はあくまで東京都医師会
福井への既定路線に反発が強まる
会長選で露呈した金権体質
一代目医師の魅力を持った坪井
政策の弱さをカバーするシンクタンクを
厚生省の「ミス」を指摘した日医総研
政策立案の土台となる数字と理論
反響の大きな「医療のグランドデザイン」
坪井の老人医療プランを政府は無視
社会保障の経済効果をどう見るか
武見と坪井に共通する反官僚の姿勢
坪井執行部への風当たり
社会保障全体の中での医療をどう考えるか
あとがき
参考文献
日本医師会関連年表
■引用
「武見太郎は昭和十四年(一九三九年)以来、死ぬまで銀座で診療所を開設していたが、健康保険は終生扱わなかった。全額自費診療だった。かつての武見診療所には、入口に「次の人はすぐ診察します」と書いてあった。
一、特に苦しい方
一、現職国務大臣
一、八〇歳以上の高齢な方
一、戦時職務にある軍人
おそらく戦時中に書いたものを、そのままにしていたのだろう。よく話に出るのは、それで武見の診察料はいくらだったかという話である。武見の患者は偉い人が多く、高額の金を払っていたにちがいない。料金表はない。いくらでも置いていってくださいという姿勢である。政治家で武見の患者だったある人に、「いくら払うんですか」とズバリ聞いたら、「いくらでもいいと言われると、少額というわけにはいかない。ちょっと診てもらったら一〇万円ですよ」と言っていた。昭和五十年代の終わりごろの話である。」(水野[2003:51‐52])
「武見自身が終生描いていた医師像は「名誉ある自由人」といわれるもので、「自分の努力によって研鑽を一生続け、他から指揮を受けず、自己のおもむく方向に行く」というものである。武見の時代のドクターは、教育の中でこういうことを植えつけられた人が多い。」(水野[2003:96])
■書評・紹介
評:齋藤聡海
日本医師会に「医療費の増額にしか興味ない圧力団体」というイメージがつきまとうのも無理はない。何しろ、1957年から25年間会長を務めた武見太郎も「会員の3分の1は欲張り村の村長」と著者に漏らしているほどだ。しかし、実際にはより複雑な役割を持つ組織であり、医療行政にさまざまな影響を与え続けてきた。本書は、医療問題の第一線に身を投じ、40年間にわたりその日本医師会を見詰めてきたジャーナリストの集大成である。
GHQの占領時代にスタートした日本医師会は、吉田茂の姻戚である武見を会長にいただいてから多大な影響力を持ち始めた。以来、会長のワンマン体制が慣例となった。そのため本書では歴代会長の人物論を軸に、その時々の医療問題への反応を見ることで捉え難い組織の内情を描き出している。
大きな比重を占めるのはやはり武見時代である。医師優遇税制の導入や、制限医療の撤廃、前代未聞の“医師のストライキ”といった個々のアクションだけでなく、医師会が厚生省を牽制し、自民党が調整するという政策決定パターンを確立したのも武見だった。本書では約3分の2を費やして、その光と影をあぶり出している。武見と親交のあった著者ならではの貴重な証言録である。
小泉首相の医療改革は単なる財政処理であるという卓見も見逃せない。右肩上がりの経済が終わり、少子高齢化が進むこれからの時代、医療問題はとりわけ深刻だ。日本医師会の歴史を通じて医療政策の決定システムを俯瞰できる本書は、今後の医療問題を考えるうえでも必読書である。
日経BP企画
誰も書かなかった日本医師会
強力な圧力団体となった日本医師会。25年間会長を務めた武見太郎氏や現会長の坪井栄孝らへの取材を重ねた著者が、彼らの人物論をベースに同会が関わった医療問題を解説した。
武見氏は会員のうち、3分の1は自分の収入のことしか考えない「欲張り村の村長」のような医師だと評した。歴代の会長は、“欲張り村の村長”をコントロールしながら、その時々の政治・経済・社会情勢と医療政策との折り合いをつけることに腐心してきた。
坪井氏は、小泉政権の医療改革で紆余曲折の末、2.7%の医療費削減を受け入れたが、それに対する医師らの反発は強い。著者は「日本医師会は単なる“賃上げ団体”なのか」と嘆息する。日本を代表するエリート集団と言える同会の内幕が浮き彫りになっている。
(日経ビジネス 2003/10/27 Copyrightc2001 日経BP企画..All rights reserved.)
*作成:北村健太郎