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『失われる子育ての時間――少子化社会脱出への道』

池本 美香 20030726 勁草書房,211+6p.

last update:20100822

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■池本 美香 20030726 『失われる子育ての時間――少子化社会脱出への道』,勁草書房,211+6p. \2310  ISBN-10: 4326652829 ISBN-13: 978-4326652822  [amazon][kinokuniya] ※

■内容

 待機児童ゼロ作戦、夜間保育、病児保育など、保育サービスを中心に少子化対策が進められているが、保育園をいつでも利用でき、子どもにお金がかからなくなれば、 子どもを持とうと思う人が増えるのだろうか。
 本書は、経済政策の一環として少子化を問題として議論するものではなく、少子化する社会の底流にある個人主義、選択の自由、 効率化・合理化の圧力等を再検討した上で、「子育てをする権利」を軸にした発想の転換や少子化対策の新しい方向を打ち出す。諸外国の政策動向もふまえ、 親と子を分離する方向ではなく、親に子育ての時間と自由を保障することで、子どもにも親にも、そして社会全体にも利益があることを明らかにする。

■著者略歴

1966年神奈川県生まれ。本名・森美香。1989年日本女子大学文学部英文学科卒業、三井銀行(現三井住友銀行)入行。2000年千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程修了。 現在、株式会社日本総合研究所調査部主任研究員。博士(学術)。主要著書・論文に「親の時間世界に生じている変化」(1997、東洋経済高橋亀吉記念賞優秀作受賞)など (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次

まえがき

序章 少子化対策への疑問
1 わが国の少子化の現状
2 人口爆発と少子化対策
3 人口減少歓迎論と少子化対策
4 女性の働く権利と少子化対策
5 期待される女性と少子化世代のとまどい
6 本書の問題意識

第一章 選択の自由がもたらしたもの
1 子育ては損という意識
2 親になることの責任の重さ
3 専業主婦の子育て支援はなぜ進まないのか
4 選択の自由という幻想
5 社会力の弱さ
6 木を育てることと子どもを育てること

第二章 少子化対策で幸せになれるのか
1 子育てのマクドナルド化
2 二つの方向――効率化と非効率の回復
3 侵食されない領域を確保する
4 少子化対策の政策的意図
5 少子化対策と教育改革
6 親の教育権の不在
7 子育てをする権利からの発想
8 チャイルド・フリー運動の背景

第三章 子育てをする権利を保障する政策
1 北欧の在宅育児手当
2 在宅育児手当の政策理念
3 ホームスクール
4 子育ての時間を保障する労働政策
5 親たちによる自主保育活動の支援
6 ニュージーランドの自主保育活動プレイセンター
7 親のエンパワーメント
8 コミュニティづくりを支える

第四章 市場の外にある時間と空間の可能性
1 新教育連盟の思想
2 羽仁もと子の教育理念
3 イタリアの時間銀行
4 合築による世代間交流
5 ドイツのクラインガルテン
6 高齢化と新しい価値観
7 情報化社会と縁
8 利子のつく貨幣と老化する貨幣

終章 もう一つの少子化対策
1 少子化しない社会の背景にある意識
2 森づくり政策と少子化対策
3 つなぐ存在としての子ども
4 未来からの圧力
5 選択する時間と関係としての時間
6 階層の視点
7 少子化対策への期待
8 子どもという存在の可能性

あとがき

参考文献

■引用

序章 少子化対策への疑問
6 本書の問題意識

p.20-22
 その当時参加していた旧厚生省関連の研究会でも、この「自分の時間が持てない」という子育ての負担感が話題になったが、 経済的な負担感については政策として検討可能であるが、「自分の時間が持てない」といった抽象的な議論は、政策で対応できる問題ではないということになった。 そして、政策としてはその後、経済的な負担感の軽減や仕事と育児の両立を中心に議論が進められてきた。>021>
 さらに、子どもは「耐久消費財」であり、お金をかけて長く楽しもうとする傾向が強まっているのだから、いくら教育費を下げたり、 児童手当を増やしたりして経済的な負担感を軽減しても、子どもの数は増えないという見方があり、経済的な負担感の軽減よりも、 働く女性の子育て支援が前面に出るようになる。人口問題審議会の提言でも、「出生率回復への効果という面では、経済的負担軽減措置よりも、 仕事と育児を両立させるための支援方策の方がはるかに有効であるという意見がある」(人口問題審議会[1998:42])と述べられている。
 これに対して、ヨーロッパの研究者はある会議で次のように発言している。

 キアナン「ヨーロッパ全体を代表して言うわけにはまいりませんが、ある意味で出生率の問題を脱構築していきますと、 経済的な次元だけを強調する傾向があるように思うのです。そういう分析をする際に、感情的情緒的精神的な面を忘れがちだと思います。」
 シェネ「私も今、思いついたことですが、若い世代の人々は考え方がますます変わってきております。人びとの考え方、メンタリティは、 ますます複雑化しているけれども、社会はますます核化アトム化していると思います。カップルになりにくく、孤立化しやすい社会なのです。 自分自身の将来が不確定であるし、自分のアイデンティティも不確実です。昔と違っていまの人は長寿です。十分な時間もあるし、いろいろオルタナティブもあるとなると、 子どもをもつべきかどうかはいろいろなオルタナティブの中の一つにすぎません。これは経済学だけの問題ではあり>022>ませんし、感情だけの問題ではありません。 自分はこれからどこにいくのか、将来はどうなるのかわからないという大変深い哲学的な問題だと思います。」(国立社会保障・人口問題研究所[1998:79-80] 傍点は引用者)

 ここでは、経済的な面だけで少子化を議論することの問題性への共通認識が感じられ、感情的、情緒的、精神的な面の議論の必要性、孤立化、 アトム化している社会が今後一体どこへ向かうのかといった哲学的な問題として考えていくことの重要性が指摘されている。本書の問題意識は、まず、 現在の少子化対策が経済成長を維持することが最終的な隠れた目的となっていて、そこに働く権利を求める女性たちをうまく取り込むようなかたちで、 働く女性の子育て支援を強力に推し進めようとしている現状に対して、支援の対象となっている世代が持っている違和感を明らかにし、その違和感の中から、 経済学の理論では言い尽くせていない感情的な問題を論じたいということである。そして、「女性が経済成長に貢献し、かつ将来の労働力である子どもも産まれる」 といった与えれた「少子化しない社会」のイメージの下で少子化対策を議論するのではなく、 子どもという存在の価値や少子化の背景となっている社会変化についてもう一度議論し、もっと別の共感できる少子化しない社会を構想し、 そのための少子化対策を考えてみたい。

p.23-24
 特に、女性の高学歴化や男女雇用機会均等法の施行とともに女性の社会進出が一層進む中で、子育ての機会費用、すなわち時間のコストが高まっているため、 出生率が上がることはほとんど不可能であり、機会費用を下げるには保育サービスを整備するしかない、といった論調が強まる中で、 保育所が増えれば子どもが増えるといった単純な図式で少子化が議論されてしまうことに対する問題意識が一層強まっていった。そこで、 子育ての時間のコストがどれほど高まっているかといった経済学の議論に対して、そもそも子育ての時間をコストとして意識すること、子どもを持つことに>024>ついて 「産み損」という言葉を口にするようになった少子化世代の感覚、そのこと自体について議論したいと考えたのである。
 現在の日本における少子化の議論は、結局のところ合理主義、生産力重視といった経済至上主義を前提にしているように思え、そうした前提自体を問い直さなければ、 いくら少子化対策が充実したところで、少子化世代は幸せになれないのではないか。宮台は、「幸せになろうと思ってシステムに適応した結果、果たして幸せになれるのか」 (宮台[2003:35])という問題を提示しているが、この問いは、例えば国の将来を心配して子どもを多く持ったり、地球環境問題を心配して子どもを産まなかったり、 女性の働く権利拡大のために保育サービスを要求したりすることで、我々は果たして幸せになるのか、という私の問いと重なっている。 現在の少子化対策の議論を眺めていると、「幸せを求めて不幸になる逆説的な図式」(ibid:36)になりはしないか、という懸念がある。 現在ある社会のシステムや価値観の中で、幸せを求めて行動することが、必ずしも幸せをもたらさないのではないか、ということについても考えてみたい。

第一章 選択の自由がもたらしたもの
1 子育ては損という意識

p.27-29
 少子化世代が置かれている状況として、第一に確認しておく必要があるのは、一九八六年に施行された男女雇用機会均等法が女性の時間感覚に与えたインパクトである。 最近の若い世代では、「子育ては損だ」と考える人がいて、これについては若者の倫理観の欠如を指摘する声もあるが、 この背景には男女雇用機会均等法による労働環境の変化の影響を無視できない。
 女性の労働力人口比率は、一九六〇年には五四・五%と、二〇〇二年の四八・五%よりむしろ高かった。しかし、女性就業者に占める家族従業者の割合は、 二〇〇二年には一割に満たないが、一>028>九六〇年には四割を超えていた。これまでも多くの女性が働いていたけれど、それは主に必要に迫られての仕事であったり、 家事の延長上のような家族従業者としての仕事であった。これに対して、男女雇用機会均等法は、女性にも男性と同じ雇用機会が与えられ、同じ時間に同じ成果を上げれば、 男性と同様の収入が得られるという展望をもたらした。実際には男女間の賃金格差や女性に対する採用制限など、完全な機会均等とはなっていないが、 理論上は女性に賃金労働の機会が保障されたことになる。このことは女性にとって、単に働くという選択肢を増やしただけでなく、 女性の時間感覚に大きな変化をもたらしたと考えられる。
 内山は、「かつては村人の労働は、暮らしのなかの営みという性格を強く持っていて、労働時間自体に経済的な価値があるという観念は村人のものではなかった。 (中略)いまでも山村の高齢者のなかでは、労働はタダという感覚をもっている人々がいるけれど、彼らの気持ちのなかでは、 労働の結果つくられた生産物には経済的な価値があっても、労働それ自体に経済的な価値があるわけではない」(内山[1993:274])と述べている。子育てについても、 少子化世代の親が子育てをした時代には、子どもを育てるこということには経済的な価値があっても、子育ての時間自体に経済的な価値があるとは考えられていなかった。 だから、当面の子育てが無償の営みであっても、そのことに何の矛盾も感じなかったのである。
 ところが、均等法による賃金労働の浸透によって、子育ての時間に経済的な価値があるという感覚が生まれる。それでも、年金制度がなく、 子どもに将来老後の面倒を見てもらえるといった経済>029>的な価値があれば、子育ての時間との時間との比較で「子育ては得」ということもありうる。しかし、 一九六一年四月に国民皆年金が確立され、老後について子どもに期待する人は少なくなっている。老後を期待しないのであれば、子育てはタダ働きになってしまう。
 内山は、「時間は自分の責任において管理していくものへと変容した。その時、この村の自然と共同体のなかに身をおいていれば、 そこでの時間の動きとともに自分もまた生きていくだろうという楽観主義は消滅する」(ibid:186)とも述べている。女性についても、 これまでは結婚して家族という共同体の中に身をおいていれば、子育てなどを通して自分もまた生きていくだろうという楽観的な見通しがあった。しかし、 男女雇用機会均等法によって、女性に働くという選択肢が与えられたことは、一方で男性に女性を扶養する義務がなくなったことを意味する。つまり、 女性も自分の責任で自分の一生を管理していかなければならなくなった。そして、女性はむしろ自分を育てることに忙しく、子どもを育てる余裕がなくなっていく。

p.31-32
 子育てに対する負担感は、前述のとおり、核家族化や近隣の人間関係の希薄化で、 母親が一人きりで子どもと向き合わなければならなくなったことによる負担感の増大もある。あるいは、子育てに関する情報量が増え、 母親に要求される世話や教育の期待が大きくなっていることもあるかもしれない。しかし、 それ以上に男女雇用機会均等法によって女性に賃金労働の機会が開かれてきたことで、女性の時間自体に価値あることが意識され、 自分の時間を仕事ではなく子育てに使うことによって失う所得、自分の能力向上の機会、楽しみなどが意識されるようになったことの影響が大きいものと思われる。 女性が仕事に就く機会が限られていた時代――少子化世代の親が子育てをした時代――には、選択の自由はないものの、男性には妻子を養う義務があり、 女性には子育てをしていれば養われる権利があるといった感覚が一般に共有されていた。女性が賃金を得る機会がなければ、子育てにいくらの時間を投入したか、 といった感覚が生じず、ただ子育て自体が価値を生み出しているという感覚のみがある。しかし、今子育てをしている世代には、選択肢があるために、 その選択肢を取らなかった場合を想定して、それとの比較で物を考えざるを得ない。子育ての代わりに仕>032>事を続けていたら、いくらの収入があり、 どのくらいのキャリア形成ができたか、という機会費用の計算をする。つまり、子育てには、子育てにかけるお金や労力に加えて、 子育てしなかった場合に得られたであろう所得や機会の損失も意識されることになり、それが「子育ては負担」という言葉の背景に存在していると考えられる。
 子育てを終えた世代は、若い世代が子育てを負担だということに対して、わがままであるとか、辛抱が足りないといった批判をしがちである。しかし、 少子化世代の女性が置かれている状況は、その親の世代とは大きく異なっている。賃金労働を選択する自由が認められる一方で、 子育ていればなんとなく生活していけるだろうという楽観的な見通しがもはやなくなり、 自分の時間を自分の責任で管理しなければならなくなっているという事実を冷静に見つめ、そこから考える必要がある。

■書評・紹介

■言及



*作成:北村 健太郎
UP: 20100822 REV:
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