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暉峻 淑子 20030520 岩波新書,242p. 740 ・暉峻 淑子 20030520 『豊かさの条件』,岩波新書,242p. 740 [bk1] ・この本の紹介の作成:H(立命館大学政策科学部2回生) ■この本の目次 はじめに 第1章 切り裂かれる労働と生活の世界 第2章 不安な社会に生きる子供たち 第3章 なぜ助け合うのか 第4章 NGO活動と若者たち 第5章 支えあう人間の歴史と理論 希望を開く―終章に代えて あとがき ■この本の内容 <全体としてのおおまかな内容> 失業、フリーター、年金問題とさまざまなことに対して、現在人々は不安を抱いている。また、それでもなお、日本の社会は、人間性と生活の価値を否定することでそれらの問題を解決しようとしているのではないか。競争社会をさらに推し進めることが社会の活性化につながると信じられている。「不安定な労働と生活」「老後や万一に対する生活保障」「教育と子供の未来」といった不安がにじみ出ている社会において、これまでの経済成長中心の生き方でなく、もっと人間がいきいきと豊かに暮らしていくにはどうすればよいか。このことを、現在の日本の社会状況を見ながら考えていく。 第1章 切り裂かれる労働と生活の世界 第1章では、失業者やフリーター、非正規労働者の増加といった日本の現状を、データを通して見ながら、現在の日本の労働・労働者の状況を考えていく。 社会が労働によって成り立っていることは明らかであり、物を生産し収入を得て物を買い、私達は生きている。また、労働によって人間は、自分の能力を発揮することで自己の存在感を確かめ、社会や人々との関係を広げ深めることもできる。 しかし、その社会の根幹をなす労働が、現在の日本では非常に不安定になっている。失業者、フリーター、非正規雇用者の増加をはじめ、正社員として働いていたとしても、裁量労働・能力主義・成果主義によって輪のかかる長時間労働など、本来ならまず重視されるべき労働者の生活を圧迫する多くの問題が起こり、人々は不安を抱えている。また、失業保険の期間の短さなど、社会保障制度が不十分であることもホームレス・自殺者の増加等の問題として現れている。 労働市場の「自由化」は経済発展を招いたかもしれないが、人々の生活を不安なものにしていまいか、人間が経済の犠牲となってはいまいか、ということをこの国の実態を見つめて考えてみなくてはならない。 第2章 不安な社会に生きる子供たち 第2章では、1章で述べられたような社会が、子供たちにどのような影響を与えているのかということに焦点をあてている。 日本の教育は、一人一人の個性に向き合い人間としての自己形成を助けるものではなく、学校の規格がまず優先であり、全ての子がそれに合わせることを求められる。「エリートとしてのたくましい日本人」の育成に向かっている日本では、子供のための教育だということは忘れられがちである。そこには、有名校・有名企業を目指すための限りない競争があり、その過程で子供たちは、一部のエリートとその他多数とに振り分けられ、格差が生まれていく。 管理された、楽しくない子供時代の中では、自分で物事を考えるとか、自立の精神は育っていかない。この章ではドイツの教育の例が多く出され、日本と比較されているが、ドイツの教師の、よい学校とは「規則のない学校」だという言葉が印象的である。「いろいろな規則がはじめからあると、考えない子供ができてしまう」とも語られている。 第3章 なぜ助け合うのか 第3章では、2章に引き続き、社会の不安を敏感に感じ取っている子供たちのいじめや不登校の問題に言及するとともに、子供の間で起こっている問題は、大人同士の間でも同様に起こっているとする。またそこから、人間が助け合うこと、社会の全体性の大切さについても述べていく。 いじめや不登校の問題は、最近ではニュースに上ることが少なくなったが、決してその数が減少しているわけではなく、むしろ増加の傾向にある。こうした問題の元にあるのは、やはり、管理され、競争させられる教育のありかただろう。前章で触れた「一部のエリート」となる子供以外には、せめて道徳や愛国心、協調性を見につけさせようというのが、現在の日本の教育方針である。子供の良心の領域までも管理しようとされているのである。 このように、現代では競争ばかりが表に出て、共同して何かをやるというようなことはあまり省みられない。しかし、人間には、人間としての全体性を回復したいという欲求があるのだと著者は述べている。原始時代からヒトは集団として生きており、共同体の一員としてしか自分の存在を保証することができなかった。生産力が発達し、独立して個人が自由に生きられる時代になったとしても、私達は依存しあう社会的人間であることに変わりないのである。 第4章 NGOの活動と若者達 第4章では、著者が実際に行ってきた「国際市民ネットワーク」の活動をもとに、社会のさまざまなところでなされている、利益を省みない助け合いの行動やその精神について述べられている。 著者は難民への援助を行うNGOの活動を10年あまり続けている。その中では、老人ホームの90歳の老人から突然100万円の寄付を送られたこと、ユーゴスラビアの内戦に傷ついた子供たちと阪神大震災で被災した子供たちとの交流、難民キャンプに同行し生まれ変わったようにやる気に満ちた学生との出会いなど、実にさまざまな体験があったという。そして、それらの助け合いや交流の中にあるのは、利益をもとめるのではなく、人間が心から助け合う姿である。 人間は自由意志で助け合うが、この助け合いの精神こそが、私たちに人間と未来への信頼を与えてくれるのだと、著者はその体験の中から語っている。 第5章 支えあう人間の歴史と理論 この章では章のタイトルのように、人間が互いに助け合うことについて、実際の社会のシステムがどのようにできているのか、また歴史的にはどのように語られてきたのかということが述べられている。生活の「共同の領域」がなければ、人間は生きていけないということは歴史的にも理論的にも証明されているといえる。 普段は意識しないが、私たちの生活は、「共同の領域」によって支えられている。家計からの「非消費支出」と呼ばれる税金と社会保障への支出は20.5%あり、その他の保険や消費税など非消費支出的な支出も合わせると、家計支出の中に占める「人間の生活に不可欠な部分」は家計支出の半分を超えると見られる。また、産業化が訪れ、人間が労働市場の商品となり、資本家に対して不平等な労働を強いられたときには、人間らしい生活を守るため、労働組合が作られてきたし、労働者同士の互助の中から生活共同組合も生まれてきた。相互扶助こそは人間の本性でありそれが社会を支えてきたのだという思想の流れは、クロポトキンやオーエン、フーリエ、ルソーといった思想家たちの中にもみることができる。 市場の競争、企業間競争によって、コスト削減のために商品の内容をごまかしたり、不正がおこったりする。それだけでなく、過労死やサービス残業など人間性を無視した働き方の強制が起こり、失業者や敗者となった人の人権が無視される。 また、共有の領域は、共有であるがゆえに、だれがなんのためにどのようにその共有部分を運営するかによってその性格が大きく変わってしまうという危うさもある。 市場経済と互助的な社会の共有部分。私達は、この双方の比率をどうするか、というような従来と同じ土俵の中の思考方法ではなく、地道で新しい発想への転換を迫られている。 希望を開く―終章に代えて 今必要とされているのは、形式的な権力の分散移譲ではなく、権力的支配をその根から市民的公共性へ転換することである。政治を、市民の手で動かせる、本当の市民的公共の場にすることである。そのためにはきちんと事実を知ること、実際に生活している市民同士が、お互いの言葉に耳を傾けコミュニケーションをとりながら協同していくことが必要となる。 グローバルな競争や、武力による問題の解決ではなく、世界の人と共に生きようとする互助が、これからの私たちの課題であることは明らかである。 ■この本に対するコメント この本では、経済が第一となり人間の暮らしがおろそかにされてきた中で現在の日本に起こっている問題を、広くわかりやすく紹介してある。全体を通して、具体的な事例が多く紹介されており、現実のニュースなどできいたことのある話も多いので読みやすかった。労働や雇用の問題、あるいは「豊かさ」とは何か、といったことを考える導入的なものとしてよい本であると思う。 私自身、人間にとって大切なことは毎日のなんでもないような日々をきちんと生活していくことではないかと感じており、現在のようなただ生きていくという将来への不安も尽きない社会に疑問を感じている。そのため、少し理想的ではないかと感じはしたが、この本の著者の考え方には共感できた。 また、これは雇用や労働の話からは少しそれてしまうのだが、現在の社会が子供に与えている影響について述べられていた部分で、「日本人の学生は自分のことをあまり好きではないみたですね」というドイツ人の言葉が書かれていた。これは自分にもまさに当てはまることだと思い、ショックを受けた。自分にどんなことができるのかはわからないけれども、今後成長していく子供たちがせめて自分を好きだといえるような社会になるよう貢献していきたいと強く感じた。 UP:20040209 ◇2003年度受講者作成ファイル ◇2003年度受講者宛eMAILs ◇BOOK TOP(http://www.arsvi.com/b2000/0305ti.htm) HOME(http://www.arsvi.com)◇ |