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『複数の沖縄――ディアスポラから希望へ』

西 成彦・原 毅彦 編 20030301 人文書院,437p.

last update: 20110627


■西 成彦・原 毅彦 編 20030301 『複数の沖縄――ディアスポラから希望へ』人文書院,437p. ISBN-10: 4409240676 ISBN-13: 978-4409240670  \3675 [amazon][kinokuniya] o01 sm02 m04

■内容

世界を一つに閉じこめようとするグローバルな力に抗して、新たに浮上してきた沖縄の「移動性」と「複数性」が、いま・ここに開示される。さまざまな立場の著者が、ポストコロニアルの視点から沖縄の過去と現在の意味をとらえた画期的論考群。
(「BOOK」データベースより)


■目次

暴れるテラピアの筋肉に触れる 西 成彦

T 非対称な出会い
 地域自立と石垣島 中村 尚司
 水兵たちと島人たち、あるいは<治外法権>の系譜学 石原 俊
 沖縄社会の地縁的・血縁的共同性とハンセン病問題 中村 文哉
 <内国>植民地の誕生 仲里 効
 <コラム> 近代沖縄とシェイクスピア受容 鈴木 雅惠
U 海と人の動線
 海南小記逍遥 原 毅彦
 沖縄の海外出漁 片岡 千賀之
 <コラム> 南洋ノート―――踊り 仲程 昌徳
 「植民地は天国だった」のか 星名 宏修
 「小使」の位置 仲程 昌徳
 <コラム> ブラジルへの沖縄移民史をめぐる二つの小説 淺野 卓夫
V 漂うひと、流れる歌
 基地、都市、うた 東 琢磨
 いくつもの「故郷」へ/いくつもの「故郷」から 崎山 政毅
 ブラジルの琉球芸能と主体の構築 森 幸一
 <コラム>親子ラジオと島うた 高嶋 正晴
W 島々のプレゼンス
 越境の前衛、林義巳と「復帰運動の歴史」 森 宣雄
 奄美―――<島尾の棘>を抜く 大橋 愛由等
 二〇〇一年夏 沖縄 大空 博
 マルチニックから沖縄へ 西川 長夫
 ヘトロトピアの沖縄 新原 道信


■引用


■いくつもの「故郷」へ/いくつもの「故郷」から 崎山政毅
「歌が聞こえてくること、その歌に耳を傾けることを妨げるには、基地のフェンスはほとんど役に立たない。城間の音楽に対する愛と確信は、じっさいにフェンスの内外を行き来した事実に支えられている。だがその事実は基地が沖縄にありつづけてきた歴史を無視・軽視するようなものではない。
 基地のない沖縄を望むだけでなく、沖縄にとどまらない(だがしかし沖縄の固有性を相対化しない)解放の可能性として考えるならば、「基地は出ていけ」でも米兵を殲滅することでもない、理念ではなく社会関係としての平和や人間的な和解を能動的につくりあげていく試みがさぐられなければならない(付け加えれば、沖縄を「基地問題」や「安保問題」に単純化・矮小化するような惰性にみちた思考は、具体的で多様な人びとのあり方を排除しているだけでなく、きわめて植民地主義的・人種主義的な観点を根底においている)。
 その試みにつながる可能性への糸口は、たとえば、先に述べたチクラヨでの経験(「敵ではない関係」)を肯定し自らのものとして彫琢することにあるだろう。国家(国民‐国家)に容易に還元されない領域を開いていく(拓いていく)ことと言い換えてもよい。城間の言葉は、まさしくそうした「独立」した試みのユニークな実践を示しているといえよう。彼(彼ら)が運動をおこす位置は、自分(たち)の生きてはたらく場そのものをより自由な場へと組み替えていく潜勢力もあわせもっているだろう。」(崎山、2003:278)

「このスローガンには「どこへ?」という問いが投げ返されなければならない。それはリアル・ポリティクスの「行き場所がないから沖縄には我慢してもらいましょう」という開き直りではなく、沖縄にとって基地がいらないならば、他の場所にとってもいらない、という接続する構想力が必要とされている。」(崎山、2003:285)

■マルチニックから沖縄へ 西川長夫

「だが大江が幾度悔い改め、幾度自己批判をくりかえしても、帰ってゆくところは結局、「日本人」なのだ。「日本が沖縄に属する」と言い、「このような日本人でない日本人になりたい」とくりかえすことは、結局は沖縄人に日本人であることを強いることになる。そのことに、大江はどれほど意識的なのであろうか。日本回帰に至る戦後民主主義。私は『沖縄ノート』が反日本人論の形をかりたウルトラ日本人論であることを知って愕然とした。」(西川、2003:401)

「沖縄の本土化、本土の沖縄化という言葉の背後にある、それとは自覚されない植民地主義。あれほど蔑視と残忍な仕打ちをした後で島の住民に祖国復帰を呼びかけ、あれほど仕打をうけた後で日の丸を立てて日本復帰を祝うことの不条理。旧植民地沖縄を反戦の聖地として(ちょうどアメリカが旧植民地真珠湾を祖国防衛の聖地に仕立てたように)、聖地巡礼を行なう進歩的知識人の自己満足とアリバイ作り。」(西川、2003:401−402)

「混淆性の主張は、開かれた文化と開かれた政治形態に呼応する。エドゥアール・グリッサンの言葉を借りれば、それは支配と征服につながる単一ルーツ型のアイデンティティではなく、共生と解放につながる関係性の複合的アイデンティティを意味することになるだろう。「独立」の願望を秘めた「クレオール性」の主張は、しかしながら「独立」の概念を変える。それはもはや、ルーツ型のアイデンティティをもつ中央集権的なもう一つの国民国家の形成ではありえないからである。」(西川、2003:404)


■書評・紹介

■言及



*作成:大野 光明
UP: 20110627
沖縄 社会運動/社会運動史  ◇「マイノリティ関連文献・資料」(主に関西) 身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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