『神、人を喰う――人身御供の民俗学』
六車 由実 20030331 新曜社,273p.
last update:20110825
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■六車 由実 20030331 『神、人を喰う――人身御供の民俗学』,新曜社,273p. ISBN-10:4788508427 ISBN-13:978-4788508422 \2625
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■内容
内容(「BOOK」データベースより)
生ま身の人間を「食べ物」として神に捧げる。
なぜこのような「野蛮で残酷な」話が現代まで語り伝えられているのか。
人身御供譚をもつ祭の現場に身をおいて祭と語りのダイナミックな関係をさぐり、食・性・暴力をめぐる民俗的想像力の根源にせまる、気鋭の大胆な論考。
内容紹介
人身御供も祭りや伝承は私たちの先祖の生活と心象について何を語るか。世界各地に存在した食人風習とどう関わるか。民俗学や考古学が封印してきた人身御供譚の始原にひそむ暴力=「血なまぐさいもの」を私たちの歴史のリアルとして読み直す。2002年度サントリー学芸賞受賞。
■目次
はじめに
序章 「人身御供」はどのように論じ得るか
一 柳田の供犠論の揺らぎ
二 供犠論前史――モースの食人説をめぐる明治期の知識人たちの論法
三 大正期の供犠論の展開――皇居の「人柱」事件から
1 事件の経緯
2 『中央史壇』を中心にした供犠論の展開
3 昭和初期の沈黙
四 己れの歴史として
第一章 「人身御供の祭」という語りと暴力
一 問題の所在――近代知識人の道徳意識と人身御供
二 近世の儺追祭と「人身御供の祭」というレッテル
1 近世知識人による「人身御供の祭」の記述
2 近世の儺追祭の様相――恐怖と緊張の現場
三 祭祀改変と「人身御供の祭」
1 尾張藩の知識人による対応とその変容
2 神官による説明体系の転換
3 村人たちによる「人身御供の祭」という語りの受容
四 「人身御供の祭」の行方と祭における暴力
1 祭祀改変という事態がもたらした祭の現場の変動
2 反復される暴力と公権力による統制、そして人身御供の語り
第二章 祭における「性」と「食」
一 問題の所在――儺追祭のケースを振り返って
二 人身御供祭祀の諸相――「人身御供」に擬された女性が登場する祭
三 人身御供祭祀と巫女との関わり――上井説への疑問
四 「神の性的奉仕者」から「神の食べ物」へ――祭における「性」と「食」の関係
五 「犯す神」と「喰らう神」――根源的な暴力への期待
第三章 人身御供と殺生罪業観
一 葛・諏訪神社の供養塚
二 人から獣、そして魚へ――殺生罪業観の浸透
三 殺生の罪の緩和と「人身御供譚」
第四章 人形御供と稲作農耕
一 問題の設定
二 人形御供の諸相
1 八尾市恩智神社の御供所神事
2 奈良市西九条町倭文神社の蛇祭
3 大津市下坂本の両社神社・酒井神社の「おこぼまつり」
4 草津市下笠の老杉神社のオコナイ
三 人形御供の祭における役割
四 村落組織としての宮座との関係
五 人形御供の発生について
1 宮座の祭の展開から
2 稲作農耕の発展と殺生罪業観の浸透から
終章 人柱・人身御供・イケニエ
一 人身御供譚は暴力排除の物語なのか――赤坂憲雄の人身御供論への疑問から
二 人柱と人身御供
三 イケニエの置き換え
四 神を喰うこと/神に喰われること
五 失われた生の実感を求めて
注
引用・参考文献
あとがき
初出一覧
索引
■引用
■書評・紹介
■言及
*作成:鈴木 耕太郎