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『「身分の取引」と日本の雇用慣行――国鉄の事例分析』

禹 宗杬(ウー・ジョンウォン) 20030225 日本経済評論社,430p.


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■禹 宗杬 20030225 『「身分の取引」と日本の雇用慣行――国鉄の事例分析』,日本経済評論社,430p. ISBN-10: 4818814946 ISBN-13: 978-4818814943 \6000 [amazon][kinokuniya] w0106 w0107 w0112

■内容紹介
年功賃金、長期雇用、配置転換、社内資格、定員調整など日本の雇用慣行の形成とその論理を、国鉄の事例に即して解明する。
「身分の取引」の実体を明らかにした画期的な書。

■著者紹介
禹宗?[ウージョンウォン]
1961年韓国慶尚南道晋州生まれ。1980年ソウル大学校社会科学大学経済学科入学。1999年東京大学大学院経済学研究科博士課程退学、埼玉大学経済学部講師を経て、現在、埼玉大学経済学部助教授・博士(経済学)。The Anderson School at UCLAのビジティング・スカラー

■目次
序論 課題と方法
第1章 戦前における身分制度の変化―「能力の発見」を中心に
第2章 職階給の導入とその変容―「能力」と「資格」
第3章 戦後における雇用慣行の形成―「貢献」と「身分保障」
第4章 職の秩序と昇進慣行―「仕事」と「身分」
第5章 戦後における定員問題の転換―「基準」と「職場取引」

■引用
「ここで国鉄における身分・能力関係の見取図を示せば、次にようになる。初め国鉄は管理と使用人という身分を設け、管理組織が労働組織を統制することから出発した。このような統制は、法律による権限の付与や従来からの社会的な身分観念のほか、近代的な能力観念の設定によって正当化された。即ち、近代的な事業の運営に枢要とされた「学術・知識・技術」と、カンとコツに依存するとされた「技能」とを峻別することで、管理組織は自らの優越性を主張し得たのである。
 ところが、管理組織だけに依存して膨大な鉄道事業を統制することは無理であった。管理組織は権限の部分的な委譲と管理的な位階の外延的な拡大を通じて労働組織を包摂しようとした。そして、それは一定の成果を収めた。しかし、この包摂過程が安定的であるとは限らない。部分的にせよ労働組織が権限を持ち始めるとそれを自律的に再生産する傾向が生まれる。一方、権限の委譲と管理的位階の拡大は、労働組織の一部にもその近代的な能力を認めざるを得ない結果をもたらすが、これまた労働組織に能力観念を積極的に再生産する可能性を付与する。このようにして能力は、管理組織による選別的な包摂か、それとも労働組織による一般的な地位上昇かがぶつかり合うキー観念となった。この際、労働者側が従来の「人格承認」の要求を継承しながらも、身分制を自らの地位上昇に有利な方向に変化させるため、広い意味での能力を表すものとして積極的に作り上げたのが、ほかならぬ年功という観念であった。年功には経営の裁量を制限する労働者的契機=団結の契機が含まれていたのであり、戦後の雇用慣行を支える正当化観念の萌芽はここに生まれたといってもよい。(pp.44-45)

「これは従来の人格承認要求を継承しながら経営内地位の向上を求める積極的な意思表現であった。即ち、彼らは、「従来の技工は永年の慣習にて恰も日傭取の如く取り扱われ自らも又之に甘んじ来りたるの傾向ありしに漸次修養せられ現在に於ては人格学識共に雇員として恥ずかしからざるに至りつつあ」り、「筆を執ってこそ事務者には及ばざるも其の精神に於ては雇員たる資格を具有する者多」い故に、雇員に登用されてしかるべしと主張したのである。「日傭取の如く」という観念が、官吏類似の成員性の獲得に大きな障害物となっていたことについては既にふれた。技工自らもそれを意識し、「修養」の結果、いまはそのような性格が捨てられたとアピールしたのである。一方、経営内地位の上昇のためには、官吏に求められた「学術・知識・技術」に類似した何かをアピールしなければならなかった。彼らはそれを「技術」という言葉に集約した。
 このようにして、技能(「技術」)は「人格」と融合し、雇員に価する資格要件=能力に転化した。留意すべきは、長期勤続、例えば上記①の「十年以上勤続」の意味である。これは二つの意味を持っていた。一つは、勤続を積むにつれて技倆が「熟達」するということである。但し、当時技工にとって勤続と技倆との比例関係は必ずしも絶対的なものとしては意識されなかった。既にふれたように、規定上では工場技工組長になることさえ「一年以上」の勤続で可能であったのである。長期勤続のもう一つの意味は定着する能力であった。
 ②をみよう。②は(工場)技工との衡平を盾にして平等を要求した(工場)工手の主張が労働者自らによって退けられたケースである。技工と工手との差別が正当化された根拠は、「一定の職のある技術者」と「所謂自由労働者」との区別であった。「自由労働」に対して「定職+技術」が対峙したのである。これは「自由労働」が不熟練であるとともに不定着であるが故に、労働者自らによって見下ろされたことを意味する。技工自らが決別を告げている「日傭取」もこの不定着と無関係ではなかった。」(pp.90-91)


*作成:橋口 昌治 
UP:20081216 REV:20120425
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