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『新潟水俣病をめぐる制度・表象・地域』

関 礼子 20030228 東信堂,370p.

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last update:20180526

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■関 礼子 20030228 『新潟水俣病をめぐる制度・表象・地域』,東信堂,370p. ISBN-10:4887134819 ISBN-13:9784887134812 5600+ [amazon][kinokuniya] ※ m34

■内容

[amazon]より

内容(「MARC」データベースより)

水俣病の制度的・社会的特徴を具体的に析出することを通して水俣病の被害の多様性や被害者が認定制度に接近するうえで水俣病の表象と地域社会がいかに作用したかを考察し、被害の社会的性格を明らかにする。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

関/礼子
1966年北海道生まれ。1997年東京都立大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員を経て、現在、帯広畜産大学助教授。博士(社会学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次

第1章 水俣病の社会的性格をめぐる問題群
第2章 水俣病の社会問題化と表象
第3章 幻の水俣病問題と新潟水俣病
第4章 水俣病の制度化と未認定患者問題
第5章 典型的な被害集積地域とその運動
第6章 被害の日常性と被害者運動
第7章 未認定患者の被害と差別の二重性
第8章 水俣病の「教訓化」と地域社会
第9章 “制度と表象の水俣病”から“地域と日常の水俣病”理解へ
補論 出来事と“私”をつなぐ想像力のために

■引用

2 認定制度のはじまりと新潟水俣病の医学的病像の形成

 「熊本に続いて二度目の水俣病の発生であるが、それまでに水俣病は社会問題化されておらず、直接的に参照しうる制度的な対応策が欠如していたため、原因究明や被害状況の把握、被害者対策などで新潟県の担当者の裁量に任される範囲も広かった。
 1970年2月に「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」(旧救済法:9年12月15日公布)が施行されるまで、新潟では新潟県水銀中毒患者及び水保有者に対する特別措置要項(特別措置要項)に基づき、医療費支給などの措置がとられていた。特別措置要項の対象になるか否かを判断するのが「新潟県有機水銀中毒患者審査会」で、ここで認定された患者が医療費等の給付受けた。もっとも特別措置要綱は水俣病患者に対する緊急支援の意味合いが大きく、対象者の水銀保有量は200ppm(または)50ppm以上とされたが、その基準も受け入れ態勢との関係で暫定的に決められたものだった。
 救済法が施行されるまでの間、熊本でも一定基準のもとに医療費の公費坦措置がとられてきたが、新潟県の認定基準は熊本の認定基準を踏襲したものではなかった。当時、診断にあたっていた新潟大学の椿忠雄は熊本での水俣病研究の蓄積が新潟水俣病に役立ったことはいうまでもないが、同じ研究方法を通用したわけではなかったと述懐している(椿1979 :291)。では、新潟での水俣病認定基準とはどのようなものだったのだろうか。この間いは、当時、潜在患者の発見のために行われた第1回一斉検診が、どのような基準に基づいて被害者を見つけ出し、被害者救済策を行ったかという点に通じる。
 椿忠雄は、「疫学調査の際、調査地域の正確な実態を知るにはhouse-to-house survey(すべての家庭を訪問し、すべての個人に面接し、症状の有無を個人ごとに調べる方法)が最も完全であり、また、これによらなければ完全な情報をえられない」(同上:298)という立場と方法に依拠して一斉検診を行ったと述べている。また、調査の際には「中毒にはごく軽症のものから定型的なものまで、いろいろの段階のものがありうるとの考えから、私はごく初期には診断△027 基準の枠をはめることを避け、疑わしいものを広くすくいあげ、この中から共通の症状をもつものを選び、これと平行して診断要項を設定するという方法」(同上:293)をとったと論じる。」(関[2003:27-28])

 「新潟水俣病の認定患者数は、最終的に690名になるが、第1回一斉検診で見つかった患者は26名、新潟水俣病発生から旧救済法の施行までの約5年で「発見」された患者は僅か41名にすぎず、しかも阿賀野川の下流域(横雲橋より下流)でしか患者が見つかっていなかった。だが、このことは、第1回一斉検診の時点で、阿賀野川中・上流に患者が発生する可能性が存在しなかったこを意味しない。
 第1回一斉検診ではアンケート等で精密検査を要する者(要精検者)に選ばれた1,458名の頭髪水銀を検査した結果、158名が総水銀50ppm以上という高い数値を示しており、鹿瀬町でも2名に75ppm、187ppmと高い水銀値が検出△030 されていた。また、一斉検診時に行われた妊産婦及び妊娠可能婦人及び乳児の健康調査では、下流地域の4,280世帯、6,419名を対象としたアンケートが行われ、健康異常や川魚喫食状況を考慮して1,026名の頭髪水銀値が測定された。結果、46名から50ppm以上の総水銀値が検出されくいる。また、乳児1名からも50ppm以上の総水銀が検出され、後に胎児性水俣病として認定された(新潟県の資料による)。
 椿は、県にこれらの人々の精密検査を申し入れたが、実現しなかったという経緯を述べている(椿1972)。新潟県では、暫定的に200ppm、50ppmという数値が水俣病の基準として定められただけで、それが正常値と捉えられていたわけではなかった。実際、椿は論文のなかで「地震前の値までさかのぼって得ることができたのは2例だけだが、この両人とも水銀量は明らかに正常値(20ppm)をこえていた」と表現している(椿1979 : 297)。1965年当時の日本人の頭髪水銀値の平均は都市部で平均4.39ppm、農村部で8.98ppmという調査結果がある。しかも日本人の頭髪水銀値は世界最高水準だったというのだから、50ppmという数値がいかに高いかがわかる(浮田1966、若月1966)。」(関[2003:30-31])

■書評・紹介

■言及



*作成:岩ア 弘泰
UP:20180526 REV:
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